重なる「夢」②
「そろそろ、準備しないとまずいな……」
昼を過ぎた頃、龍樹はようやくデスクから腰をあげると、出掛ける準備を始めた。
午後からは予定があった。
龍樹の親友──キースが日本に来る。
滞在中は、龍樹の住むマンションに泊まることになっていた。そのため龍樹はキースを迎えに行かなければならない。
それから、もうひとつ。
作っていたプロットをもとに、深山アカリとの打ち合わせも入っている。
事前にデータは送っているし、長年の付き合いもあるから、あっさりと次に書く物語も決まりそうだ。
キースもアカリに会ってみたいと言うので、龍樹はキースと合流したのち、ともに出版社に行くことになっている。
「キース!」
人が溢れるターミナル駅の一角。
金髪で背の高いキースは、遠目からでもすぐに見つけることが出来た。
龍樹が呼ぶと、辺りをキョロキョロと見渡している。
「キース! こっちだよ!」
「──……あ、タツキ!」
「元気そうだな、キース……」
約一年ぶりの再会だった。
親友同士、お互いの肩をたたき握手をかわす。
「タツキ! タツキの本、よんだよ!」
「おお、有難う。……漢字ばっかりなのに、よく読めたな」
龍樹は驚く。翻訳ソフトでも使ったのだろうか。
(もともと、キースは語学力あるけどな……)
独学で日本語を学び、会話は問題なくできる。
けれど、話すことと読むことは別だ。
日本語を読み解くのは、かなりハードルが高いだろう。
「ワカラナイところ、ナツキが教えてくれたよ」
「そうか。夏樹が……」
胸の内が温かくなる。
夏樹は、龍樹の弟だった。今年で十八になる。
両親とともに今も外国に住んでいる。
「夏樹は、元気にしてる?」
「イエス! ダイジョウブ。このまえも、いっしょに映画をみてきたんだ」
「そっか、良かった……。いつも有難うなキース」
「タツキも、ナツキも、トモダチだから……」
弟が元気だと聞いて、龍樹は心から安堵する。
夏樹は、生まれつき身体が弱かった。免疫力が低く、少しの体調不良が命にかかわってくる。
幼い頃から入退院を繰り返し、学校に通うことも困難な時期があった。
海外に移住したときも、一家は病院の近くに住まいを決めた。夏樹に何かあった時のため、それから入院した時でも家族がすぐに会いにいけるように、両親が決めたのだ。
夏樹は、辛抱強い少年だった。
病院暮らしも長く、日本にいた時は友達もいなかった。それでも、寂しいとか辛いとか、そういったことを口に出したことは無かった。
そんな姿は、ただじっと静かに天命に身を委ねているかのようにも見えた。
今思えば──龍樹も両親も、そんな夏樹の様子を見ているのが辛くて、自然と団結していった気がする。
夏樹も本が好きだったから、龍樹は学校が終わると夏樹と一緒にいることが多かった。
激しい運動ができない夏樹と、叔父がすすめてくれたファンタジー小説に夢中になり、たくさんの話しをした。物語のことについて話す夏樹は、いつもいきいきして見えた。
年齢を重ねるごとに、少しずつ夏樹は丈夫になっていった。
龍樹がバイトを始めると告げると、少しだけ羨ましそうにしていた。
そのバイト先で、龍樹はキースと出会ったのだ。
龍樹の家に遊びにきたキースと夏樹はすぐに仲良くなった。三人で遊ぶことも増えていった。
夏樹にとっても初めてできた友人──それが、キースだった。龍樹が日本に帰ると決めたときも、キースは応援してくれた。
夏樹のそばを離れることに、龍樹は後ろめたい気持ちを抱えていた。
自由にどこへでも行ける龍樹のことを、きっと夏樹は羨ましく思うだろう。
それに夏樹の身に何かあっても、すぐに駆けつけることができないのだ。
そんな自分の気持ちを吐露した時、キースは言ってくれたのだ。
『タツキが作家になること、それはボクとナツキのユメでもあるんだ。ダイジョウブ。ナツキのことはまかせて……!』
キースのその言葉が龍樹の力になった。
そして龍樹は夢を叶えた。キースもまた、言葉通りに夏樹のことを見守ってくれている。
「本当に有難う、キース」
「──ドウイタシマシテ……」
久しぶりに肩を並べて歩く友人に龍樹は心から感謝した。
出版社のオフィスが入っているビルに着くと、龍樹はキースを連れて編集部へ向かった。大人しく後ろを付いてくるキースは、好奇心で少しソワソワとしている。
編集部に来ると、いつものデスクにアカリの姿を見つける。
「深山さん、お疲れ様です。わざわざ時間つくってもらってすみません……」
「こちらこそ、編集部まで来てもらって悪いわね、星樹くん」
「いえ、僕は他の作家と違って深山さんの弟子みたいなものだから。気にしないでください」
大抵打ち合わせといえば、作家の都合に合わせ編集者が出向き喫茶店などで行うらしい。
龍樹はプロになってからも、アカリとの打ち合わせは電話やメール、龍樹自身が編集部に足を運ぶことも多かった。
アカリは最近、申し訳なさそうにしている。
(今まで、さんざん……俺のために時間を割いてくれたんだし。気にすることないのに)
プロ作家になるまで、アカリは龍樹の書いた物語を仕事の合間に読み、丁寧にアドバイスをくれていた。アカリは膨大な時間を、プロでもない龍樹のために費やしてくれたのだ。しかも無償で……。
その事を考えれば、編集部に足を運ぶことくらい何でもない。
龍樹にとってアカリはよき理解者であり、師匠でもあり、今は信頼できるビジネスパートナーだった。
「──そうだ。紹介します。友達のキースです」
「ハジメマシテ。ミヤマ、アカリさん……」
満面の笑顔のキースがアカリの前に立つ。
「あら、日本語がとても上手ね……」
「──アリガトウゴザイマス!」
「そうなんです。キースは語学力がすごくて、日本語も独学で習得したそうです」
「へぇ。すごいわね〜」
アカリとキースはお互いに名刺を交換する。
「日本のシュッパンシャ、キョウミありマシタ!」
「うちは、そんな大手というわけじゃないけど。……あら、あなたも同業者?」
キースの名刺を見て、アカリは気付いたようだ。
「イエス!」
「キースの父親が出版社を経営してるんです。僕も、後から知ってびっくりしたんですけど……」
龍樹が付け加える。
キースは今、父親の出版社で毎週配信しているウェブマガジンの専属ライターをしている。
だがキースは会社員ではなかった。仕事を請け負うというスタイルで、完全にフリーで活動している。いづれ、会社継ぐことにはなりそうだが……。
「そうだったのね。色々、話をきかせて欲しいわ。星樹くん、ミーティングルームに案内してあげて。私も準備したらすぐに行くから。打ち合わせもそこでしましょう」
「分かりました……」
龍樹はキースを連れてミーティングルームに向かう。
(──そういえば、今日はいないのか?)
編集部にはアカリの他にも人はいるが、その中にハルカの姿は見当たらない。
バイトだし、今日はたまたま休みかもしれない。
龍樹はキースを連れてミーティングルームに行き、ほどなくしてアカリもやってきた。