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重なる「夢」①

 明け方に目が覚めてしまった龍樹(たつき)は、二度寝するのも勿体無い気がして外へ出た。


 ──夜明けの空。


 星も月も、昇りはじめる太陽も、宇宙のすべてが視える特別な瞬間が「今」だ。

 天文学者の父、賢二(けんじ)の影響もあり、龍樹は空を見上げるのが好きだった。

 昼間の澄んだ青空を眺めるのも好きだし、こうして夜明けの空は神秘的で心が揺さぶられる。

 夜中に雨が降っていたようで、まだ淡い光に照らされた景色の中で、アスファルトが濡れていることに気付く。

 羽織っていたシャツ隙間から風がはいってきて、すっとした冷気に肌の表面が微かに粟立った。

 コンビニで熱いコーヒーでも買おうか……と思い立ち、龍樹はマンションから西側の通りに出る。

 この道は通学路にもなっていて、背の高い(けやき)の並木が続いていた。

 息を吸えば、しっとりと濡れた葉の緑の匂いが、鼻腔から胸のなかいっぱいに広がっていく。


(久しぶりだ……この、感じ……)


 深呼吸をしながら、頭の隅でちらりと思う。

 龍樹は日本に帰ってきて、東京に住むようになってから、自然を感じることが少なくなっていた。開発が進む土地に住んでいることもあるが、龍樹自身が部屋に閉じこもる生活を送っているせいでもある。


 ──匂いとともによみがえってくる記憶……。


 星を見上げるために寝転んだ芝生の香り。そして地面から立ちのぼる乾いた土の匂いと、頭を撫でてくれた賢二の大きくて温かい手のひら。

 思い出は、いつも龍樹の胸の奥をツンと切なくさせる。


(──そうだ。小学校の時……校庭にも欅の木があったよな)


 緑の匂いが、懐しい風景を思い出させた。

 龍樹が通っていた小学校の校庭には、寄り添うように大きな欅の木が二つ並んでいた。

 夏の焼けるように暑い日には、欅が作ってくれる日陰でサワサワと揺れる葉の音を聞きながら涼を取る。もうあだ名しか思い出せない友人たちと、龍樹はそこでよく遊んだ。

 ──懐かしい……。

 脳裏に断片的な映像が、くるくると回るようにめぐっていく。

 めぐる記憶のなかで、ある「もの」に焦点をあてると、タイムスリップをしたかのように、その時の感情までもが蘇ってくる。

 自分が積んできた日々を回顧する時、龍樹の心は揺さぶられる。

 切なくて、苦しくて……でも、生きてきたことを、頑張ってきたことを愛しいと思えるような大きな感情が龍樹のなかに湧き上がってくる。

 そして、そんな時は決まって思うのだ。


 ──書きたい……! と。


 その衝動は奔流のごとく龍樹のなかを駆けめぐっていく。

 龍樹は走り出していた。

 鼓動が乱れ、息が切れる。苦しい。

 ──でも、それでいい。

 そうでなければ、この感情の熱さにのまれ、焼き尽くされてしまう気がした。


(吐き出したい。早く。言葉を尽くして……)


 

 コンビニから戻ると、龍樹は昼になるまで休むことなく、パソコンに向かっていた。

 残っていたコラムの仕事を片付け、それが終わると、作成していたプロットの見直しをはじめる。

 来年の春には、新作の長編小説を出す予定だ。候補の物語が三つあった。

 あとは出来上がったプロットをもとに、担当編集の深山アカリと話し合って決める。

 今、構想している物語はどれも手応えを感じていた。

 見直しが終わると、それらをまとめてデータ保存する。

 さすがに、早く起きたせいで疲労を感じる。瞼が重いし、頭もぼうっとする。

 午後からも予定があるから、寝るわけにもいかない。

 龍樹は背のびをして立ち上がると、窓を開けた。

 蒸し暑い空気の中に、濃い緑の香りが流れてきて、龍樹の全身を包む。

 刹那、眉間の奥がツキンと疼いた。

 驚いた龍樹はぎゅっと目を瞑り、数瞬の後、ゆっくりと開く。


「──ここは……?」


 開いた瞳の先……、龍樹は幻を見る。

 朝なのか、夜なのか、目の前には見渡す限り緑が広がっている。

 それは深い森だった。

 手付かずの自然。木々のざわめき、冷たく吹き込む風、土の匂いと、木漏れ日のように降り注ぐ光は……よく見ると月光だ。

 はっとする。


(俺は、この景色を知っている……!)


 何故なら、この景色は龍樹のなかから生まれたものだ。


 ──そう、ここは原点だ……。


 目を凝らすと、深い森のなか……背中に美しい羽根を持つ妖精が、憂いを帯びた瞳で夜空を見上げていた。

 その妖精は、龍樹がつくりだした物語の主人公……。


(──どうして、今になって現れた……?)


 龍樹の脳内がつくりだした幻。

「鍵をなくした妖精」の主人公達が、声を出し、動き、物語を紡いでいく。

 物語をつくるときには、もちろん想像する。

 けれど、この物語はすでに完結しているのだ──

 龍樹は、目の前の幻を止めようとはしなかった。

 湧き水のように溢れてくる想像に身を任せていると、不意に、ハルカの囁きが聞こえた。


『ねえ、龍樹くん。クルスは妖精の国に帰ったけれど、一人きりで心細くなかったかな? ちゃんと幸せになれたのかな──?』


 その言葉に引き寄せられるように、湧き出たものが大きな奔流となり、ひとつの道筋をつくっていく。

 龍樹の心臓が痛いほどに高鳴った。


 ──終わっていなかった、この物語は……!


「鍵をなくした妖精」。

 龍樹と、龍樹にとって大切だと思える存在──ハルカが出会った大切な物語。

 完結していたはずの物語には、まだ描くべきことがある……。


(そうだ。絵本じゃなくて、小説としてこの物語を書くことができたら!)


 龍樹は、突き動かされるまま、デスクに座りペンを取る。

 いつの間にか幻は消えていた。

 けれど頭の中ではまだ、主人公達が声を上げている。

 ──一言だって漏らすわけにはいかない。

 龍樹は夢中になってペンを走らせた。新たな物語が生まれた瞬間だった。


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