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今も、降り続けている想い②

 ハルカが出版会社の編集アシスタントとして働きはじめて数週間──

 編集部の深山アカリをはじめ、他の社員ともだいぶ打ち解けてきていた。


「都築さん、急ぎ、これを営業の橋野に持っていってほしい!」


「はい! すぐに行ってきます!」


 頼まれる仕事も様々で、緊張することも多い。

 一日があっという間に過ぎていく。おかげで余計なことを考えずに済む。

 慌ただしいが、充実した日々をハルカは過ごしていた。

 アシスタントという立ち位置は、編集の仕事の面白さまでは解らない。

 けれど懸命に一つのものを作り上げるために、あらゆる知恵を絞り、協力している者達を見ていると、ハルカも自然と何かをしなくては……という気持ちになる。


 ──もっと、もっと、役に立てる人間になりたい。


 そんな風に、自分を捉えることができる環境はハルカにとって大きな刺激となっていた。


「ハルカちゃん、お昼とってきていいわよ」


 午前十二時を回ると、社員が一人、また一人と席を立ち、編集部内はさきほどまでと違って閑散としはじめた。

 昼の休憩は十二時からと決まっているわけではないが、この時間になると自分の仕事にいったん区切りをつけ、食事をとりにいく者が多かった。

 アカリもいつもであれば、例外ではない。しかし──


「深山さんは? 休憩とらないんですか?」


 デスクにかじりついたままのアカリに、ハルカは心配そうに声をかける。


「もうちょっと進めておきたいの。悪いんだけど、休憩終わりで良いからコンビニで適当に食べるもの買ってきてくれる?」


「……」


 ここ一週間、同じやり取りが続いていた。

 アカリは財布から千円札を取り出して、ハルカに渡そうとする。


(やっぱり今日もだ。買って来るのは、全然良いんだけど……大丈夫かな)


 ハルカが心配しているのは、アカリの体調だ。

 日に日に顔が険しく、やつれていく。校了近くは皆がそうなると聞いたが、特にアカリはひどい気がした。

 他の社員から聞いた話しによると、アカリは最近夜遅くまで残業しているらしい。きっと校了明けまでこの調子だろうとも言っていた。

 ならばせめて体力が持つように、少しでも栄養のあるものを食べたほうが良い。


「分かりました……なら、ちょっと待っててください」


 お金を受け取らず、ハルカは急いで給湯室に向かった。

 編集部の者たちが共同で使っている給湯室にある冷蔵庫から、お弁当を取り出す。

 お弁当は二つあった。一つは自分の分だ。

 いつもハルカは節約のためにとお弁当をつくり、仕事にきている。

 そして今日は自分のとは別にもう一つ作って持ってきた。


「深山さん良かったら……お弁当作ってきたので、食べてください!」


 相変わらずデスクにかじりついているアカリに、ハルカは弁当を差し出す。

 さすがのアカリも驚いて、仕事の手を止めた。


「え、お弁当? もしかして、私のために……?」


 ハルカは頷く。


(もしかして迷惑だったかな)


 アカリの様子を見て少し不安になる。

 しかしその不安はすぐに安堵へと変わる。

 アカリが微笑んで、降参と言わんばかりに両手を上げた。


「もう、そこまでされたんなら、しょうがないわね。一緒に休憩にしましょう!」


「……はい!」


 きっとアカリの事だから、ハルカを気遣って休憩することにしたのかもしれない。

 ──けれど、それでいい……。

 ハルカは自らの経験で知っていた。

 隙間なく働き続ける事で、身も心も消耗していく。それが続くと普段は決してしないミスも出てきてしまう。いくら有能なアカリでも、もしかしたら……と考えてしまう。

 そんな事にはなって欲しくなかった。

 それにアカリは責任ある立場だが、決して一人だけでやる仕事ではない。皆で頑張ればいいと思う。


 社員用の談話室で二人は昼食をとる。

 アカリは今やっている仕事の内容をハルカに説明してくれたり、読んで面白かった本の話をしながら、お弁当のオカズを次々に口へ運んでいく。

 食べ終わると、お弁当のお礼だと言ってハルカに自販機で買ったコーヒーをご馳走してくれた。


「そういえばハルカちゃんは、星樹(セイジュ)くんの同級生だったわよね?」


「はい、龍樹くん……いえ星樹先生とは、同じクラスになったことは無いんですが、家が近くて……」


「へえ〜」


「作家だと知って、びっくりしたんです」


「そうよね〜……」


 コーヒーを啜りながらアカリが、うんうんと首を縦にふる。


「それに、」


「──それに?」


 ハルカは自分の体温が上がっていくのを感じた。先日、龍樹に再会したときのことを思い出すと鼓動が早くなってしまう。


「私は……あの絵本を書いたのが龍樹くんだって知って、とても嬉しかったんです……」


「絵本……? ああっ、アレね! ──(かぎ)エルフのことでしょう?」


 鍵エルフ──「鍵をなくした妖精」のことだ。

 やはり星樹の担当編集だけあって、アカリは知っているのだ。


「そうです。深山さんはずっと星樹先生の担当だったんですか?」


「そうね……結構長い間、星樹くんを見てきたわ」


 懐かしむように、アカリは目を細める。


「私にはね、編集としての仕事を叩きこんでくれた先輩がいてね、その先輩というのが……星樹くんの叔父さんだったの。先輩と、イラストレーターの秤先生が、星樹くんの「鍵エルフ」をこの世に出した……。先輩はもう退職しちゃったんだけど、私はずっと先輩と一緒に、星樹くんがプロ作家になれるようにサポートしてきたの。私もプロ作家を目指していた時期があったから、気持ちは痛いほどわかった……」


 今では、敏腕編集者として有名なアカリも、ここに至るまでの歴史がある。


「ま、私は諦めるのが早かったんだけど……。だから作家になるために頑張っている星樹くんを他人事のようには思えなくて。今は、正直ホッとしてる。作家デビューできて、先輩にもやっと恩返しできた。生き残っていけるかは別だけど……」


「深山さん……」


 やはりアカリは素敵な女性だと、ハルカは心から思う。

 ──星樹の書く物語は美しい。

 起伏は少ないが、思考がいつの間にか色彩の波にのまれ、登場人物の心の温度が伝わってくるのだ。

 それら全て……星樹とアカリが二人で創り上げてきたものかもしれない。


龍樹(たつき)くんも、深山さんも、本当にすごいな……)


 その日暮らしのような生活を営むハルカから見れば、二人とも遠い世界の住人のように思えた。

 ──遠くて眩しい……。手を伸ばしても届かない、まるで「星」のような存在。

 少しだけ胸の内が切なくなる。


「さて、そろそろ、戻りましょうか……」


「あ、はい!」


 立ち上がったアカリに続いて、ハルカも歩き出す。


「──ハルカちゃん……」


「……はい?」


「有難う……」


「お弁当のことですか? また、作ってきますね!」


「いえ、そうじゃないのよ……」


 ハルカが首を傾げる。

 お弁当以外に、お礼を言われるようなことをした記憶が無い。

 アカリにいつも助けてもらっているのは自分のほうだ。

 仕事もそうだし、洋服だって貰った……。

 アカリは不思議そうにしているハルカを見て微笑む。


「星樹くんが作家になれたのは、先輩の力と、私に出来ることをやったのはあるけれど、一番は星樹くんの中に原動力があったからよ。それが無かったら、この世に、星樹くんの物語は生まれなかった」


「──……原動力?」


「ハルカちゃん、星樹くんの物語に出会ってくれて、有難う……」


「……!」


 アカリは辿り着いた自分のデスクの上から、一冊の文芸誌を手に取りハルカに手渡す。

 毎月刊行される文芸誌──「宙色(そらいろ)」だ。

 人気作家のコラムや、掌篇小説、新刊を出した作家のインタビュー記事で纏められている。


「この前、星樹くんの取材があったの」


「星樹先生の……」


 確かに、表紙に星樹の名前がある。


「読めば、私の言ってることが解ると思うわ……」


 そう言ったアカリは、ハルカが今まで見たなかで一番、優しい眼差しをしていた。


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