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6

 於仁丸が村長の屋敷に呼ばれたのは夏も終わりの頃である。

 あらかじめお爺から話は聞いていた。雨宮の屋敷まで品物を届けるようにとのことであった。

「それは一向に構わしませんが……なんでわしに……?」

「そのことよ」

と、長は少しばかり憮然とした面持ちでいった。

「おまえではいささか不調法やとわしも思うのやが、鴇様が特におまえをと仰るのでな。しょうがない」

「……鴇様が……」

「気をつけて、決して粗相のないようにせいよ」

 長の言葉は、於仁丸の幼さや不遜な態度を不安に思っていることがあからさまであった。

 いわれて件の品を受け取りに弥助の小屋まで出向いた於仁丸は、道中で篝に会った。いぶかしがる篝に、屋敷へ出向くことになったと手短に話す。

「明日、夜明け前に出る。行って届けるだけやから、夕方には戻って来れるやろ」

「気をつけてな……」

 篝の心配そうな様子に於仁丸は笑った。

「大丈夫や。屁でもないわ」

「…………」

「そうや」

と、何か思いついたように声を上げたが、

「何?」と聞かれて言葉を濁した。

「いや……なんでもない」

「もう行け。はよう帰らな、またお婆に叱られるぞ」

 於仁丸の冗談めかした物言いに篝も笑った。

 夕暮れのけだるく物憂い風が体をすり抜けていく。

 茜雲が一面を染めている。

 朱に染まった野の道で、振り返り手を振る篝の姿。

 その身もまた夕陽に輝き、この世のものとは思えぬ美しさが、手を振り返した於仁丸の心を切なく締めつけた。


 翌日。

「……で、この骨の継手がばねになってまして……立ったり歩いたりがラクなように手助けしてくれるという次第で……」

 雨宮の屋敷である。

 そこには幸隆と鴇姫がおり、於仁丸が拙い舌で説明しているのは、今朝持参した品についてであった。

 濡れ縁に腰掛けた幸隆の袴をたくし上げた右足には、見慣れぬ装具が巻きつけてある。それは右足──すなわち不具な足を両側から支える、ちょうど膝の部分で継がれた二本の支柱と、その支柱をしっかりと固定しておく幅広の帯からなっていた。

「あとは草履裏にりん高さを補えば、だいぶ歩き易うなるやろというとりました」

「うむ、これはなかなか具合が良い……」

 幸隆がまんざらでもない様子でいい、鴇姫もほっとした表情を見せた。

「村の者はみんな器用でようしてくれます。先に差し上げた薬草も、ここにおる於仁丸と村の娘が探してくれたものです」

「ああ、あの薬湯か……有難く頂戴しています。えらい苦いのだけは困りもんやが」

 そういって幸隆は笑った。

「それにしてもようこんな仕掛けを考えつくものやな……それに細工も丁寧な細かいものや」

「この者の村は人里離れた山村ゆえ……戌郎もそうやが血が濃ゆうなって、不具に生まれる者も少のうないそうで、こうした工夫もようされてると聞いてます」

と、鴇姫がいった。

「なるほど……道理で鴇殿は、わしのような異形も怖がらんとつきおうてくだされた訳やな」

「そんな……幸隆様はお優しいお目をしておられます……」

「これを作った弥助もいざりです。ほんまは弥助が来れたら良かったんやが、あれに山越えはムリなので……」

 聞いちゃおれん、とばかりに割って入った於仁丸に幸隆がいった。

「それでは今度、わしの方から出向こうか?」

「いえ」

と、於仁丸はそっけなく答えた。

「失礼ながら、そのおみ足ではムリや」

 そういってから、何ごとか思いだしたようにあわてて付け加える。

「村へは道もありませんから、山中を手探りで歩かなならん。必ず迷います……そやから里の者は誰もわしらの村へは来れんのです」

 幸隆は気分を害した風もなく、笑って

「そうか。それは残念なことやな」

と答え、鴇姫に向かって

「鴇殿はこの者の村へは行ったことがおありですか?」と訊ねた。

「いえ……」

と、鴇姫も答えを濁した。

 黒髪村衆は父、雨宮知徳の隠し刀のようなもの……たとえ相手が夫となる幸隆であっても、あまりあけすけに語るのは憚られた。

「これも先ほど申しました通り、村はたいそう険しい山の奥深くにあると聞いてます。訪ねるには困難な場所かと……」

「そうですか」

 幸隆は深くは追求せず、あっさりと話を終えた。

 さりげなく於仁丸を一瞥する。

 於仁丸はまっすぐな、不躾ともいえる視線を幸隆に向けていた。

 この男、戌郎の同朋の百姓とのことだが、雰囲気は随分違う……

 戌郎は長らく姫に下男として仕えていたからか、もの柔らかな雰囲気を身につけていたし、目上の者とは視線を合わせようとしない男であった。ことに幸隆と接するときは努めて感情を面に表さず、腹の底を見せない──

 だがこの、若い男ときたら──

「わしの顔がさほどに珍しいかな」

 やんわりと無礼を指摘され

「いえ」

と、於仁丸はあわてて目を伏せた。

 戌郎がやって来て知徳が幸隆を呼んでいる、と告げた。

 幸隆は鴇姫が戌郎の手振りを読むのを不思議な面持ちで見ていた。

「わたくしも簡単な手振りしかわかりませんが、それで戌郎と話ができます。幸隆様も一緒に暮らせば、きっとすぐにわかるようになります」

 そういった時の鴇姫の笑顔は晴ればれと美しかった。

 ふたりは奥へと消え、戌郎と於仁丸が残った。


 戌郎は相手が黒髪村の者であれば、鴇姫に対する何倍もの情報を語ることができる。

 否、黒髪村衆であればそれ以外の人間の何倍もの情報を、戌郎の手話から読み取ることができるのである。

 しかし今、ふたりの黒髪村の人間に、細かく交換し合わなければならない情報など何もなかった。

「さっきの話……」

と、先に口を切ったのは於仁丸だ。

「おまえ、鴇様についてゆくのか?」

 戌郎はうなずいた。

「……そうか。ほんならこれが、おまえとの今生の別れかも知れんのやな……」

 多分、そうはなるまい……と戌郎は思ったが、これは黙っていた。

 天津家の内紛は、於仁丸にはさしあたって関係のないことだ。

「婚礼はいつやった?もうそろそろやと聞いた気がするが」

 明後日や……と戌郎が答える。

「……それは……」

と、於仁丸がいいした。

 屋敷中が大騒ぎや、そやけど間におうて良かった、と戌郎は笑った。


  くちには ださんかったが

  ひめさまも さぞかし 

  きを もまれた ことやろう


「輿入れか……とうとう、鴇様が……」

 つぶやくように於仁丸はそういったあと、

「それにしても天津幸隆という男」

と、話題を変えた。

「初めてうたがどうも食えん男やな……鴇様には悪いが、わしは好かん……」

 戌郎は笑った。たしかに於仁丸と幸隆では、あまり仲良くはできそうにない。

 いずれにもある種の才気走った部分があり、それが互いに鼻につくのだろうと思った。

 だが於仁丸はいざ知らず幸隆はその爪を用心深く隠していた。


  ゆきたかさまは いまは もう

  あのつの にんげんや ない

  ささけの あととりや


「そうやったな……そら冷や飯食いの次男坊では、嫁など娶ることはでけんわなあ」

 於仁丸は気のない声で答えた。それから声をひそめていった。

「お館さまも何を考えてなさるのやろうな……鴇様とおまえをくれてやるくらいや、あの幸隆を高ううてなさるのやろうが……」

 ふたりの会話はやって来た侍女によって遮られた。

「於仁丸とやら、姫様がお呼びです」

「……はい」

 いささか怪訝な面持ちで於仁丸は立ち上がった。


「こたびはご苦労様でした」

 座敷で鴇姫に労われ、於仁丸は頭を下げた。

 幸隆のことは好かずとも鴇姫には好意を抱いていたから、その言葉は素直に嬉しかった。

「おまえにわざわざ来てもろうたのは、先日のお礼もいいたかったからや。あの時はほんまにお世話になりました」

「いえ……わしらはなんも……お言葉、もったいのうございます」

 於仁丸はいつになく神妙だ。鴇姫は笑顔のまま続けた。

「薬草も今日の品も、幸隆様はたいそう喜んでくだされた。たいしたことはしてやれんが、わたくしにできることならなんでもいうておくれ」

「いえ……」と於仁丸はいいかけたが、ほんの少しの逡巡の後に言葉を継いだ。

「鴇様それでは……この後少しだけ、わしにつきおうてくれませんか?」

「つきあう……?」

「せっかく山の中から町へ出てきたのや……何か篝に求めてやりたいが、わしではおなごの喜びそうなものはわかりません……そやから……」

 頬を染めてそういう於仁丸は初々しく、元々美しい見目もあり、先刻不躾に幸隆をねめつけた者とは別人のようである。

「……わかりました」

 鴇姫は少し待っていておくれ、といって立ち上がると奥へと消えた。

 しばらくの後戻った鴇姫の手には包みがあり、鴇姫はそれを於仁丸の前で解いた。

 於仁丸は息を呑んだ。目の前には美しい反物があった。

 緋色から薄桃にぼかした地に、花びらのように大小の絞りが散らされた絞り染めである。その絞りにも差し色が施された、非常に手の込んだものだ。

 普段草や泥で染めたようなものしか目にしたことのない於仁丸が、初めて見る豪奢な品であった。

「わたくしがまだ幼かった頃に、父上が都で買うてきてくだされたものや。お気に入りの晴れ着やったからよう着てあちこち痛んどるが、大事にとっておいたのです。

 ちゃんと洗いはりもしてある。仕立て直せばまだまだ着られます。篝に持っていっておやり」

「ええのですか、鴇様……こんな、大事なもんを……」

 我知らず声が上ずった。

 鴇姫は微笑むと

「ええのや」といった。

「篝にはわたくしも何かしてやりたいと思うておりました。あれはほんまにきれいな子や……この着物もきっとよう似合うやろ」

「ありがとうございます……!」

 畳にこすりつけんばかりに頭を下げたのも、常の於仁丸にはないことであった。


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