5
このパートは性的な描写を含みます。
黒髪村は、普段は他の村々と同じく狩りをしたり田畑を耕して暮らしている。
この夏はどうにか好天に恵まれた。勢い良く生長するのは作物のみに限らず、村人は雑草刈りや潅水など田畑の世話に明け暮れている。
於仁丸もまた農作業に駆り出され汗を流していたが、ふと目の端に篝を認めこっそりとその場を抜け出した。
「篝」
「於仁丸……なんでこんなとこに」
作物の世話は良いのか?と訊ねる篝に、於仁丸は
「ええのや。わしがやらんでも他の者がやりよるわ」
と、こともなげに言い捨てた。
「それよりおまえはどないしたんや?」
「うちは……お婆様のいいつけで、弥助やんのとこに膏薬と薬草を届けた帰りや」
弥助というのは生まれながらに背虫のいざりだが、細工物が得意で、戦で四肢を失った者のための道具なども手がける男であった。
「…………」
「この頃体がきついそうや……何やら根を詰めとるようやし、うちらには思いもでけんしんどさがあるのやろな」
於仁丸は憂いを含んだ長い睫を伏せがちにそういう篝を見ていたが、ほんの少しの沈黙の後に口を開いた。
「この後まだ用事はあるんか?もし、なかったら……」
そういいながら篝の手を取る。
「……於仁丸……」
篝は於仁丸の意図を察し、頬を染めた。
「……なあ……痛いことは、せえへんから」
懇願するような、心許なげな於仁丸の表情が愛おしい。頬を真っ赤に染めて視線を合わせないようにしながら、篝は
「……お婆様は今日は長様のところにご用やというとったから……多分、夕方までに帰れば大丈夫やと思うけど……」
と、消え入りそうな声で答えた。
以前、川縁のこの小屋で睦みあった時は無我夢中だった。
正直なところ確かな記憶は、篝を得てただ幸せだったことと、それとは別に篝がつらそうで心が痛んだことだけだ。
あれは夢だったのはないかと思ったこともある。だが今、再び篝の肌に触れると、あの時の熱や吸いつくような手触り、吐息の甘さも切ない声も、全てがくっきりと脳裏に蘇ってきた。
瞬く間に切迫してくる己れの一物が我ながら滑稽だ。
正直なもんや……と、於仁丸は呆れながら思った。だが恥じる気持ちはない。
それだけ篝を愛し、欲している証だと思った。
「あの後、お婆にはなんかいわれなんだか?」
「……大丈夫や。うちも気をつけてるから……」
「…………」
ほんの少し、苦い思いが脳裏をかすめる。
「……お婆にはそのうち、わしからちゃんと話すから……」
「うん……」
篝が甘えるように応える。
於仁丸はこらえきれなくなり、篝を強く抱きしめた。
「なあ……ここ、使ってええか……?」
そういいながら、篝の閉じられたなめらかな腿に触れる。
「え……」
篝は一瞬於仁丸のいうことが飲み込めなかった様子だったが、すぐに察して目を伏せた。
しばらく恥ずかしそうにしていたが、上目遣いでいたずらっぽく笑うと小さな声でいった。
「……待って……今日は、うちが……したげる……」
篝の瞳がきらりと光る。
「え……、ちょっ……」
やんわりと掌に包んだそれに唇を寄せる篝に、於仁丸はうろたえた。
「やめとけ篝、そんなこと……あかん……!」
「うちのものならなんでも愛しいていうてくれたやろ……
うちも一緒や……於仁丸に、したりたいんや……」
愛らしい唇が於仁丸のものを呑み込む。
柔らかく濡れた熱い舌が敏感な部分にからみつき、於仁丸は思わず
「あ……っ……!」と小さく呻いた。
ただでさえ昂ぶりきっているのに、大事な篝が自分のものを……と思うだけで頭の芯に火花が散る。
「あかんて篝……!……いってしまうやろ……!」
だがその言葉尻はかすかに震え、引き離そうと篝の頭を掴んだ腕にも力はない。
それどころか、無意識にか於仁丸はその腕を押しつけてきた。
「……っ」
猛ったものを喉に深く押し入れられ、息が詰まる。
だが篝は耐えた。於仁丸には到底いえる訳もないがいつもさせられていることだったし、何よりも相手が於仁丸なら、それも悦びと感じられたからだ。
篝はこっそりと於仁丸の表情を盗み見た。
眉根を寄せて目を閉じ、唇を噛みしめている。切迫した呼吸、長い睫が揺れ、泣いているようにも見えるその表情を見ることが出来るのは、きっと自分だけだ……
びくん、と喉の奥の塊が痙攣する。そして熱いものが吐き出されてきた。
篝はそれをそのまま飲み下した。
「か……篝……」
ほんの刹那の放心から覚めた於仁丸が、うろたえた声でいった。
「飲んでもたのか……なんてことを──」
篝は口元を抑えたまま答えなかった。まだ少し喉にいがらっぽさが残っていた。
「……っ!」
突然肩を抱き寄せられ、手を掴まれて口を吸われた。於仁丸の舌が強引に歯列を割って入ってくる。
「……あ……っ、な……何を……」
思わず顔を背けようとしたが於仁丸の力は存外強く、篝の唇は再び塞がれた。
口中のかすかな残滓さえ舐め取ろうとするかのような於仁丸の舌と抱きしめられた腕の力に、篝の頭がぼうっと霞む。
口を吸い舌を絡ませあいながら、それぞれの手で互いの体をもまさぐりあうことに、いつしかふたりは夢中になっていた。
「不思議やなあ……こんなんで人の首も落とせるのか」
指に嵌めた指貫のようなものから引き出した一条の糸を見ながら、篝がつぶやくようにいった。
その指貫は於仁丸のものだ。於仁丸は糸術の遣い手であり、その得物は今まさに篝がもてあそんでいる、指貫に巻き取られたつよくしなやかな黒い糸──夜条であった。
篝は座ったまま於仁丸にもたれかかり、於仁丸はその篝を後ろから支えている。於仁丸はその背に上衣を羽織っていたが、篝は素肌のままだ。
つ……、と篝は糸をしごくように指を滑らせた。もちろん指が切れたりはしない。糸はただなめらかだった。
於仁丸は少し笑うと篝の指から指貫を抜き取った。
「誰にでも使えるんやったら、却ってあぶのうてしょうがないわ」
そういいながら、己れの指に嵌め、ひゅっと腕を振る。
戸口近くに置いてあった棒きれが、ぱしん!とふたつに割れた。
「……これ、髪の毛で作ってるんやろ?」
篝が訊ねる。
「女の髪や。女は情も業も深いからやてお爺がいうとった」
「……業……」
於仁丸は屈託なく笑うと
「わしにはわからんわ」といった。
「……」
篝は己れの髪をひと房手に取った。
先刻於仁丸が丁寧に梳き上げたその髪は艶やかで美しい光を滲ませ、手触りもうっとりするほどなめらかだ。
幼い頃からふたりでいる時、於仁丸はよく篝の髪を梳いてやったものだった。於仁丸は髪の扱いに慣れていて丁寧だったし、梳き櫛もよく使い込まれて滑らかな歯を持っていたから、肌を交わすまではそれがこの上なく心地よい愛撫だったのだ。
微かに髪油の甘い匂いがする。それは櫛に染みこんだもののようであった。
他の村人同様、素破の習いで於仁丸もまた匂いには敏感だったからほとんど体臭というものを持たなかったが、ごくまれに頬を近づけたときなどほのかに甘い髪の匂いを感じることがあった。
今、自分が於仁丸と同じ匂いをまとっている……そんなささやかなことが篝には嬉しかった。
「……うちももっと髪を伸ばそう……そんでうちの髪を、於仁丸にあげる」
「やめとけ、禿げるで」
於仁丸は冗談のように答えた。だが篝は本気なようだ。
「うちが於仁丸を守ったげる。うちの身代わりがいつも於仁丸の側におれたら、幸せやんか……」
「…………」
篝の身代わりに、いつも側に──
於仁丸はその考えにふと囚われたが、すぐに思い直した。
「やっぱりあかん。篝の髪で綯ったりしたら、もったいのうて使えんわ」
「髪なんかすぐ伸びるんやから、のうなったらなんぼでもまたあげるやんか」
不満げにかすかに唇を尖らせた篝が振り返る。於仁丸はその唇についばむように軽く口づけた。
それから篝の髪を一本ぷつんと抜き取って己れの小指に巻きつけると、笑っていった。
「これでええやろ。ずっと一緒や」
「……於仁丸……」
於仁丸は羽織っていた上衣の袖に腕を通した。
「そろそろ行こ。あんまり雲隠れしとるのもまずいやろ」
篝も笑うと腰巻きに手を伸ばした。
夏のこととて日はまだ高かったが、篝がお婆の屋敷に帰ったのはもう七ツ(4時)を過ぎた頃であった。
お婆はすでに戻っており、篝を見とがめていった。
「なんや、今頃戻ったのか……弥助のところでなんぞあったのか?」
「いえ……すみません、遅うなりました……」
篝はそれだけいうと顔を伏せ、足早にその場を立ち去った。すれ違いざま、ほんの微かな甘い匂いがお婆の鼻をくすぐる。
「…………」
それが髪油の匂いだということはすぐにわかった。
於仁丸とおったのか……
お婆はいささか複雑な思いで篝の後ろ姿を見送った。
この頃の篝は傍目にもわかるほど、めっきりと美しく艶めかしくなった。篝に夜伽を仕込んでいる男衆も、それを口にしている。肌の艶も体の反応も声までも、何もかもが以前とは違うと……
於仁丸と、なんぞあったかも知れん……
己れの毒を知る篝が自ら身を委ねるとは到底思えなかったが、お婆は於仁丸の思いや性分をよく承知していたから、あれは無理強いしてでも篝を我がものにしたかも知れん、と思った。
村の者はみな、篝に触れられる者は誰もおらぬと思っていたが、ひとりお婆だけは違った考えであったのだ。
せんないことやの……
お婆はため息をつくと襖を開け、居室へと消えた。