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 その日、黒髪村は村長むらおさの屋敷では朝からちょっとした騒ぎであった。

 鴇姫が突然お忍びで村へやって来るというのだ。

 黒髪村は深い山あいにあり、案内がいなければ主の雨宮知徳すら訪ねることの覚束ぬ隠し里である。村長は何人かに命じ、麓まで秘かに姫を迎えに行かせた。


 山道では姫を背にした馬を引きながら、戌郎はなんとはなしに浮き立つ気分でいた。

 足元にはアカの仔犬が、やはりうれしそうに尻尾をぴんと立てて小走りでついてくる。

 やがて一行は道をそれ、木々の中へと分け入った。馬が通れなくなるほどに木立が深くなってくると、戌郎は姫と背負子を下ろし馬を用心深く茂みに繋いだ。

 姫を背負って立ち上がる。仔犬はその場に番として残した。

 姫を傷つけぬよう、用心深く薮を漕ぐ。

「すまぬな……私の我が侭で、おまえにも迷惑をかけます」

 背中で姫の声がする。とんでもない、というように戌郎は手を振った。

 肩と背に感じる姫の重みと温み。ずっとこのままこうしていたい……、と戌郎は思った。木漏れ日の中、どこまでも姫を背負って歩き続ける、そんな幻想にふと捉われる。

 山の小さな獣や川や滝を見ては無邪気に歓声を上げ、谷の深さにおののく姫がたまらなく可愛らしく、愛おしい。そんな姫のそばにいるのが今自分ひとりであることも、戌郎には幸せだった。

 村衆が秘かに付き従っていることには気づいていた。この場はわしひとりで十分や、頼むから姿など現さないでくれよ

 ……そう願いながら歩を進める。

 やがて木立もまばらになってきた頃、村衆が姿を見せていった。

「鴇姫様、お迎えにあがりました。かような辺鄙な所までようこそおいでくださいました」

「わざわざの出迎え、ありがたく思います。こたびは迷惑をかけるがよろしゅう頼みます」

 背負子から下ろされた鴇姫は笑顔でそういうと、戌郎に対しても

「ここまでありがとう……しんどかったやろ。ここからは歩いていくから大丈夫や」といった。

 ほどなく村へ着いた鴇姫はまず村長の屋敷に入り、小半時ほどの後、戌郎を伴って野辺へ出た。

 山村を訪ねるということで簡素ななりをしていたが、垢抜けた鴇姫はやはり目立つ。出会う村人はみな畏まって頭を下げ、鴇姫もこれにいちいち声をかけていたが、やがて目当ての人物を見つけた。篝だ。

 篝はいつもの如く於仁丸と一緒だった。

「鴇姫様……!?」

 鴇姫の姿を見つけた篝がかしづく。慌てて於仁丸もこれに倣った。

「畏まらずともよい。ふたりとも顔を上げておくれ」

 鴇姫はひとの心を捉えずにはいない笑顔でそういうと

「そなたが篝か。お婆にそなたが薬草に詳しいと聞いて訪ねてきました。実は集めたいものがあるのや。手伝うてくれるね」と続けた。

「光栄でございます、鴇様……うちに出来ることでしたら、なんなりと」

 頬を染め、篝が懸命に答える。

 その様子は鴇姫のみならず、戌郎が見ても微笑ましく可愛らしいものだった。

 ふと視線をずらすと、戌郎に対し、於仁丸がこっそりとだがしきりに何やら目配せを送っているのが目に入った。

「…………」

 戌郎は姫様、というように空気のようなささやかさで鴇姫の袖に触れた。

 敏感にそれに気づき、鴇姫が戌郎を振り返る。


  すみません……

  ようじを おもいだして


「…………」

 鴇姫が口を開く前に、於仁丸がいった。

「しょうがない奴っちゃな。わしが代わりに鴇様をお守りするから、ちゃっちゃと済ませて来たらどないや」

 一瞬、篝が呆れたように於仁丸を見、それから自分に向かって申し訳なさそうな視線を投げたのを戌郎は見逃さなかった。

 くすり、と鴇姫は笑うと

「おまえも久方ぶりの生まれ在所や、色々行きたいところもあるやろうし、会いたいひともおるやろう。村の中のこととて心配はいりません。用事が終わったらこの者たちに案内してもらうから、ゆっくりしておいで……」

といい、於仁丸に振り返って

「そなたの名はなんというのですか?」と訊ねた。

 於仁丸は主家の姫である鴇姫を見知っていたが、鴇姫は当然於仁丸とは初対面だ。

「於仁丸と申します、鴇様」

「於仁丸。それから篝。今日はよろしゅうな」

 鴇姫は笑顔でふたりの名を繰り返した。


 山あいの下草に薬草を探している間、於仁丸と篝がこっそり手を握りあったりふとしたことで目を見合わせて小さく笑ったりしているのを、鴇姫は微笑ましい気持ちで見ていた。

「鴇様、今日のうちにお屋敷にお戻りですか?」

 於仁丸に訊ねられ、そうだと答える。

「ここはええ村や……のんびりしていきたいが、そういう訳にもいきません」

と、鴇姫は笑った。

「それやったら早めに長さまのところまでお送りした方がよろしゅうございますね」

 篝が応えた端から

「戌郎がついとるんやから夜道でも大丈夫やろ」

と、冗談半分に於仁丸がいいかけた。あわててたしなめるように篝がいう。

「大丈夫でも暗うなったら道中鴇様が怖い思いをされるやないか」

「いや、於仁丸のいう通りや。戌郎がおれば日暮れた山道もわたくしは平気です」

 そういいながら、鴇姫は笑顔で続けた。

「そやけど遅うなったら戌郎が父に叱られましょう……すまぬが日暮れまでには間に合うように、わたくしを送っておくれ」

「……なるべくたくさん、急いで探しましょう」

 篝も笑顔で応えた。

 日が中天を過ぎ影が伸び始めた頃、三人は村長の屋敷へ戻った。

 時間を読んでいたのか戌郎はすでに待機しており、鴇姫はその場の者に礼をいうと、戌郎と数人の村衆と共に去っていった。

 屋敷からの道すがら、篝がうっとりとした様子でいった。

「鴇様、おきれいやったなあ……それにほんまにお優しそうで……」

 確かに、と於仁丸は思った。戌郎の気持ちも少しわかる気がした。

 だが、それでも…………

「もうすぐお輿入れやそうやな。それであんなにおきれいなんかな」

「…………」

 素早く周囲を伺い誰もいないことを確認すると、於仁丸は篝の耳元に顔を寄せ、小さくいった。

「内緒やぞ」

 何ごとかを囁かれ、みるみる篝の頬が赤く染まった。

 つないだ手に力がこもる。

 今は於仁丸は素知らぬ顔をしていたが、篝は先刻の於仁丸の言葉を何度も胸の内で繰り返していた。

 ──おまえの方が、ずっときれいや──


 山中では戌郎が鴇姫を背負い、帰路を辿っていた。

 先刻まで村人の先導があり、往路よりはずいぶんと早い道のりだったが、今は姫とふたりきりだ。

「戌郎」

 鴇姫が呼びかける。

「今日は楽しかった……お願いも聞いてもらえたし、薬草もたくさん集めることができました」

 戌朗は微笑んだ。それはようございました、と心のうちで応える。

「おまえをはじめ皆に迷惑をかけたが、一度おまえの村にも行ってみたかったのです」

 ひとりごとのように鴇姫が続けた。

「……嫁いだらもう、この国には帰って来れんやろうしな……」

「…………」

 ふと、鴇姫の声にしんみりしたものを感じ、戌郎の心にもかすかなさざ波が立つ。

「なあ、戌郎」

 先刻とは違う、明るい声で再び鴇姫がいった。

「あの篝と於仁丸は好きおうてるのか……?」

 多分、と振り返り、背後の鴇姫を見やる。

 以前からふたりが好きあっていることを戌郎は知っていた。元々美しい娘だと思っていたが、今日の篝が格別に輝いて見えたのは気のせいか……

「かわいらしい子やったなあ。あの年であれだけ薬草に詳しいのはたいしたもんや……

 わたくしはこの年になるまで何も知らんではずかしい……」

「於仁丸というのもおなごみたいなきれいな顔立ちやったな……ほんまにお似合いのふたりや。

 年はおまえよりも三つ四つ若う見えたが、おまえが安心してわたくしを託す相手や、きっと手練れなんやろうな……」

「…………」

 戌郎は、それには答えなかった。

 戌郎自身もそうだが、於仁丸に戦の経験はない。黒髪村が戦場になることはなかったし、ふたりがそれなりに成長した時には、曲がりなりにも領内は平和であった。

 しかし戌郎は、幼馴染みであることを別にしても、同じ年頃の者の中では特に於仁丸を買っていた。

 時に傲慢不遜な於仁丸だが、その悪目立ちする言動とは別に、技に於いては真摯な努力を重ねていることを知っていたからだ。

 それは篝という、具体的な守るべき者を持っているがゆえだろうと思っていた。

「おまえが連れてきてくれたおかげで、今まで見たこともないようなかわいい獣や立派な滝も見れた……

  ほんまに、ありがと……」

 鴇姫の言葉を聞き、切なさに胸がまた痛くなる。

 ……わしに礼など述べんでください……

 ……わしは……

 ぐ……っ、と背負子が重くなった。

 眠られたか……と、戌郎は思った。

 鴇姫を起こさぬよう、闇をまとい始めた木々を縫い戌郎はゆっくりと歩いた。


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