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畦道を一組の少年と少女が歩いている。
少年は袖付けの少し下を縫い詰めた上衣を着ていた。歳の頃は十五かそこら、腰には鎌をたばさみ背には背負子を背負っている。少女は少年よりふたつみっつ幼く見え、麻の単衣に腰籠を下げていた。無造作に前髪を束ねた赤い髪紐が、質素ななりの少女の唯一の飾りであったろうか。それは少女の整った顔によく映えていた。
村人が野良仕事の手を止め、ふたりを見やった。
於仁丸と篝──ふたりはここ、黒髪村でもひときわ目立つ美しい見目をしていたが、村人がふたりを見たのはそれが理由ではない。幼い頃から折りさえあれば一緒にいるふたりの仲の睦まじさは村人の誰もが知るところであったが、ふたりを見るその目に一抹の憐れみがあることを、於仁丸も篝も敏感に感じ取っていた。
だがそれを口にしたことはなく、素振りに見せたこともない──
ふたりは村人の視線を意に介するふうもなく、畦道を山へと向かった。
周囲を深い山谷に囲まれ、近隣と交わることもなくひっそりと暮らしを営んできた黒髪村はこの地方の国人、雨宮知徳の隠し里であり、村人は代々主家を守るために仕えてきた素破であった。このところは大きな戦もなく、ゆえに於仁丸と篝もこうしてふたりのときを過ごせるのだが、この村で育ったふたりはやはり素破、それぞれが技を幼い頃より仕込まれていた。すなわち於仁丸は糸術、篝はその身のうちに蓄積された毒である。
ことに篝は最初から閨房での毒殺を目的に毒を以て育てられた少女であり、どんなに好きあった仲でもふたりが添い遂げることはできまい、というのが、村人の視線の意味であった。
「篝、見つけたぞ。これでええんか?」
山の中腹、刈り取った下草を手に於仁丸が声を上げた。
「うん?……ああ、よう似とるけど、これは違うわ」
手元を覗き込んだ篝が笑いながら答える。
「ホラ、葉っぱの形が違うやろ?」といわれても、於仁丸にはその違いがよくわからない。
「あかん……毎度ちょっとは篝の手助けができるかと思うんやけど」
お手上げや、という風に両手を広げてみせる於仁丸に、篝はまた笑った。
「すぐにわかるようになるて。於仁丸がいっつも手伝うてくれて、ほんまに助かってる……ありがと……」
花のような笑顔だ、と於仁丸は思った。
見慣れているはずなのに、見るたびに胸が震え、頬が熱くなる。
思わず視線を移した先にアケビを見つけた於仁丸は片手を上げ、手招くような仕草をした。ひゅっ、と一条の光がその指先から走り出る。と、見る間にアケビが折り取られ、まるで生きもののように於仁丸の手元へと吸い寄せられてきた。この年は冷夏で作物の実入りは悪く、山の実りも良くなかったから、これはちょっとした僥倖であった。
「食べえ。よう熟れとる」
於仁丸はそれをふたつに割ると篝に手渡した。
「於仁丸は……?」
「わしはええ。次に見つけたら貰うから」
「……ありがと」
篝は素直に礼を言った。
幼い頃から毒を用い、それにあたって死にかけたことも一度や二度ではない篝は今でこそ人並みの体力を得ていたが、体はまだ小さく華奢であった。
於仁丸はまだ幼い頃から、いつもそんな篝を気遣っていたのだ。常に自分に対し心を砕いてくれる於仁丸が、篝には涙ぐみそうになるほど愛しく、有難かった。
そうして半時ほども柴を刈り薬草を探していたが、林の中に深紅を見つけ、於仁丸は緩んだ頬を引き締めた。
「……死人花」
不快そうな声音に、篝は振り返り、於仁丸の視線の先を見た。
赤い花が咲いている。
「…………」
「なんでこんなとこに……誰ぞ行き倒れでもしたんか」
眉を顰め、そういう於仁丸に
「於仁丸はあの花が嫌いなんか」
と、篝がひとりごとのように訊ねた。
「うちは好き……きれいな花やんか」
「あれは死人の血を吸って咲く花やぞ」
おぞましげに於仁丸が答える。
毒の、という言葉は呑み込んだ。篝を前にその言葉を口にするのは憚られた。
「あれは薬にもなるんやで。何でもそうや。毒でも用い方で薬になる……」
於仁丸の心を知ってか知らずか、篝はあっさりとその言葉を口にした。
「……わしはごめんや。死人花で作った薬なんぞ、いらんわ」
子供のような口ぶりに篝が微笑む。
「今はええけど」と、しばらくの後、篝は再び口をひらいた。
「於仁丸の父御も母御も先の戦で死にやったんやろ?うちの親も、多分そうや……どこで朽ちたのかもわからん……
うちらかて……いつまた戦になるか、わからんやろ……」
「…………」
「そやけど、骸から花が咲くなら、ちょっとでも慰められるやろ。花を見たら、思い出してもらえるやろ」
「……篝」
「うちも」
「辛気くさい話はやめえ!」
於仁丸の怒気を孕んだ声が、鋭く篝の言葉を遮った。
普段自分に対し声を荒げたことなどない於仁丸の厳しい言葉に、篝はびっくりしたように顔を上げた。於仁丸がその頭を抱きかかえるようにして、己れの胸に押しつけた。
「於仁丸……?」
「戦が起こったらなんやていうんや……わしがおまえを置いて死んだりするか」
頭を強く押しつけられ、於仁丸の表情は見ることはできない。
「…………」
「おまえもや……絶対、死なせたりせん。おまえはわしが、きっと守ったる」
「於仁丸……」
「ずっと一緒や。いつまでもや……そやからもう、あんな花のことなんか考えんな」
とくとくと、於仁丸の鼓動が篝の体に響いてくる。
ふたりの体がひとつに溶け、於仁丸の熱が篝の内に流れ込んでくるようだ。
「……うん……」
篝が眼を閉じ、答えた。
戦火は遠のいたとはいえそれは一時のことであり、いつまた戦に明け暮れる日が来ようとも知れぬことは於仁丸にもよくわかっている。
それだけに篝が日々の笑顔の裏、心の奥底で、自分たちの死について考えていたことが不憫だった。
於仁丸は一方の手を篝の腰に回し、両手でしっかりと篝を抱きしめた。
その夜のことである。
秋のとば口とはいえ、山里の夜は冷える。
小さく咳き込みながら囲炉裏の火を立てていたお爺に、於仁丸が包みを差し出した。
「うん?なんや?」
開いてみると、いささか不格好な丸薬である。
「わしが作ったんや……服んどけ。夏頃から変な咳しよるやろ……」
ことさらに仏頂面で答えた於仁丸だったがほんのりと頬は赤く、照れているのがわかる。
物心ついた頃にはすでに親はなく、於仁丸はお爺に育てられたようなものであった。於仁丸にとってお爺はただひとりの肉親であり、篝同様、かけがえのない存在だったのである。
「おまえがか?それはまた、怪しい代物であることやな」
お爺は笑いながらからかうようにいったが、目は愛おしげに丸薬を見つめている。しかし於仁丸はその目の色に気づかず、お爺の言葉にかっときたらしい。少しばかり声を荒げ、
「篝の処方や、間違いないわ!ええから黙って服んどけて」といった。
「……そうか。篝の……」
お爺はかすかに笑うと立って甕から水を汲み、丸薬を一粒口に放り入れた。
「篝もこの頃では、お婆の役によう立ちよるようやな」
「……なあ」
於仁丸が口を開いた。先刻とはうって変わった、ほんの少しの甘えさえ含んだ声だ。
「わしももうじきに一人前や……篝のこと、お爺からもお婆によう頼んでくれよ」
「……夫婦にか」
お爺が振り返った。先刻の笑みは消えている。
「まだそんなことを考えておったのか……篝と添うても子は作れんぞ」
またそのことか、と於仁丸もうんざりした顔になった。村人の視線に知らんぷりはできても、身内にいわれるのは業が沸く。
「子ぉなんぞいらんわ。わしは篝がおったらそれでええ」
これまで考えてはいても口にしたことのなかった祝言について、唐突に切り出したのには於仁丸なりに理由があった。昼間の篝の様子が胸につかえてしかたがなかったのだ。
いつもそばにいてやりたい。それが叶わないなら、確かな絆で安心させてやりたかった。
「そうはいかんぞ。技は引き継がれねばならん」
お爺の言葉に
「跡継ぎがいるんやったら」
と、於仁丸はたたみかけた。
「スジのええのを養子にでもとったらよかろう。他の女を娶っても出来のええのが生まれると限った訳やなし、その方がよっぽど理に適うとるやろが」
「…………」
「お爺、なあ……」
「その話はまた今度や」
みなまでいわぜずお爺は話を切り上げた。
「何が一人前や。おまえにはまだ早いわ」
どうせ最初から二つ返事で首を縦に振る訳もない。於仁丸も黙った。
しばらくの後、お爺は話題を変えるようにいった。
「そういえば鴇様は、この頃天津の次男坊と仲良うしてなさるそうやな」
鴇様、というのは黒髪村の主家である雨宮家の姉姫、鴇のことだ。見目美しく心根は優しく、気さくで飾らない人柄は村人にも慕われていた。
また天津とは隣国の守護代、天津家のことであった。天津の嫡男幸政は、謀に長けているが嗜虐を好むというのが近隣に聞こえた噂である。
そして弟の幸隆は……たしか隻眼跛行の不具者ということではなかったか……
「…………
鴇様が……」
於仁丸がつぶやいた。
……戌郎のやつ、それはさぞや気を揉んどることやろうな……
鴇姫の下男である戌郎は幼馴染みでもある。於仁丸は戌郎の、鴇姫への主に対するもののみではない秘かな思いを知っていた。