止まった時間
「…………」
「どうして……」
女王は、ハルの体を抱き締めている。
「……ごめんなさい」
「!」
「ごめんなさい。ハル」
何故だろう。
彼女の記憶は、破壊されたはずだ。
「私はあなたに、酷いことをしてしまった」
「…………」
「復讐心で、何も見えなくなっていた。気付けば、あれほど憎んでいたコルネシアの国王と……同じことを、あなたにしていた」
「…………」
耳元で囁く、女王。
ああ。其処には。
「だから……あなたが死ぬことなんて、ないの」
「…………」
「あなたの名前は、ハル」
「…………」
「アリアなんかじゃ、ないわ」
イサの面影が、あって。
「……っ」
ハルは、手から剣を落とした。
「……じゃあ」
ハルが尋ねる。
「わたしは、どうすれば、いいの?」
「…………」
女王は、空いたハルの手に何かを握らせた。
「ハル。私の名前は、リサ」
「リサ……」
「そう。リサ、よ」
女王は、ハルから体を離すと、ハルに向き直って、言った。
「あなたの気持ちを、話せばいい」
「気持ち、を……?」
女王はハルの仮面を外した。
「あ……」
露になる、ハルの素顔。
「全部、話すのよ」
「全部……」
「そう。あなたの、思っていたことを、全て……」
そして。
「…………」
女王は、気を失うように、眠りについた。
「あ……」
すやすやと、眠る女王。
その、まるでこどものような寝顔に。ハルは、あれが本当に女王としての、彼女……リサの、最期だったのだろう、と思った。
「…………」
手の中を見る。
リサに渡された、もの。
そして、ハルは。
「……わたし……」
奈都に、向き直った。
「……わたしは」
誰も口を開かない。
奈都はじっとハルの言葉を待った。
「わたし、は……」
「…………」
「怖、かった……」
ハルは、徐々に話し出した。
「怖かったの。……誰にも、わかってもらえない。共有してもらえない、ことが」
心の奥底を、この、自分の中に燻る何かを。
理解してもらえない。まるで自分が、自分だけが世界から切り離されているような、感覚。
それが、怖かった。
「……でも、なっちゃんだけは、側にいてくれると、思ってた……」
「!」
「……でも、違った……」
奈都もまた、自分とは、違う人間、だった。
「わたしと、なっちゃんは、違う……。違うなら、なっちゃんは、きっと……」
「ハル……」
「……いつか、わたしを置いて行ってしまうんだろう、って」
だって、奈都は強いから。
一人でも、歩いていけるから。
「わたしは、違う」
いつも前を見て、自分の足で、進んでいく奈都。
奈都は先を行く。
わたしを追い越して、大人になっていく。
そして。
わたしだけが、取り残される。
待っているのは永遠の、孤独だけだ。
「……だから、わたしは逃げ出した」
「ハル……」
「……でも、この、世界でも……」
ハルは、俯いた。
下唇を噛み締めて、ふるふると震えている。
その、姿に。
「ハル……」
奈都は、驚いた。
ハルのその姿が、幼かったあの頃と、まるで、同じだったからだ。
奈都は気付いた。
なんてことだろう。
彼女には、何一つ。
あれほど受けた称賛も喝采も、何一つ届いていなかった。
彼女の心はずっと、人に理解されない異物なこどものままだったのだ。
置いていかないで。
置いていかないで。なっちゃん。
小さなハルの、懸命な叫びが木霊している。
奈都はようやく、それに気がついたのだ。
「あ……」
【ハルの時を、進めてやってくれ】
「……そういう、ことか……」
イサの残した、最後の頼み。
「……そういう、ことだったんだな」
奈都は顔を歪め、拳を握り締めた。
ああ。
どうしてあのとき、ちゃんと話を聞いてあげなかったんだろう。
理解できなくても。何も、答えが出なくても。
きっと。
「……気付いてやれなくて、ごめん」
ただ、手を握って。微笑んであげるだけで。
それだけで、充分だったんだ。
必要だったのは、盾でも、矛でもない。
ハルに見えていた世界は、私のそれとは違って。
ハルにとって、世界はひどく複雑で、困難で、恐ろしくて。
残酷の、連続だった。
ハルは、呼んでいた。
私に助けを求めていた。
だから、あの時。
「……お前はずっと、待ってたんだな」
あの世界から消える直前。
教室で、聞こえた歌は。
ハルが、私を呼んでいた、叫びだったんだ。
「……でも」
でも。
「もう、大丈夫だ」
「私がそこから、お前を引っ張り出してやる!」
ハルの。
その、真っ暗闇な世界を壊してやろう。
何度だって、何度だって。
私がハルを、照らし出してやるんだ。
だから。
「そんな暗いとこ、早く出てこいよ!ハル!」
奈都は息を吸い込んだ。
深く、深く。
そして。
「…………っ」
歌い、出した。




