王
通された大広間。
玉座に、男が座っている。
「やあ。待っていたよ」
二人を見下ろす、男。
ぎすぎすと痩せた男だ。長く垂らした髪。その間からのぞく、落ち窪んだ小さな目が、奈都をじっとりと見つめていた。
「ふうん…ずいぶん若いなあ…。これが本当にあの力を持つ者なのか」
「…あ?なんだてめえ」
奈都の言葉に、無礼な!と城兵から声があがった。
「ふふ。あ、あー。いいんだよ。名乗るのを、忘れていた」
男は手をひらひらと振って兵を宥めた。
「僕は、このコルネシア国の王さ。突然呼びつけてすまないね。どうしても君と話をしてみたくてね」
男は奈都の態度を特に気にする様子もなく、しげしげと、興味深げに奈都を見回した。
「まずは…」
「…………」
「えー、なんだったか…あれは…ああそう、D3342の件だ」
「あ?D…?」
「ほら。あの腕のとれた死にかけの子供さ」
「!」
ミラのことだ、とわかった。
この王は、国民のことを名前ではなく、番号で認識しているのだ。
「処分場に送られたはずの子供が腕を付けて帰ってきた。聞いたときは驚いたよ。まあ、今までにも時々、あったがね。処分場からなぜか戻ってきたという者が…」
「…………」
イサの治療を受けた者たちのことだろう。
奈都は、唇を軽く噛んだ。
「ただねえ…、あの子は他とは、少し違ったんだよね」
「…、ああ?」
「だって、腕がとれたというのに。その傷跡すら、なかったんだから」
「…………」
「ふふ…」
王は、細い足を組み換えると、奈都の方へぐぐ、と顔を近付けた。
「僕にはわかったよ。あれは治療、したんじゃない。元に戻したんだって。そうだろう?」
王は大きな口をにいっ、とつり上げ笑った。
「だからね、あの子を城に呼んだんだよ。まあ、最初はごねていたけど。あれの家は貧困層でね。金をやると言ったら、母親はすぐに我が子を差し出してくれたよ」
「…………」
「おかげで、いい話が聞けたなあ」
王は組んでいた足を下ろすと、玉座から下り、奈都に近付いた。
「迎えに行かせた兵にも聞いているよ。君、随分と暴れたらしいじゃないか」
「…………」
「中には気の触れてしまった者もいてなあ。おかげで、今日は処分に忙しい」
「!」
奈都は、横目でイサを見た。
大丈夫。彼には、何も聞こえていない。
王と自分のやりとり。
ミラのことも。兵士が殺されたことも。
彼は、知らない。
「大した能力じゃないか。ん?」
「…………」
「奈都、と言ったか。なあ、教えてくれないか。…歌とは、一体なんなのだ?」
奈都は、ギッと王を睨みつけた。
「…いいぜ。教えてやるよ。今、てめえにも聞かせてや…」
奈都がうっすらと口を開けた、その時。
「貴様ァ!!」
城兵が奈都をおさえこみ、猿轡を噛ませた。
「ぐっ……!」
「王に何をする気だ、貴様…」
口を塞がれ、歌えない。
「……っ!」
『奈都!』
聞こえていないイサには、奈都が突然兵に襲われたように見えた。
イサは思わず奈都の元へ駆け寄ろうとした。
しかし。
『っ!てめーは黙ってろ!!』
『!?』
奈都は、イサを止めた。
『な、奈都……』
『大丈夫…大丈夫だ。イサ』
『…………』
『何でもないんだ。だから…』
妙な動きをすれば、イサが危ない。
やつらにとっては、イサの命など鳥の羽のように軽いものなのだ。
『私に、任せてくれ』
交渉は、慎重に進めなくてはならない。
「やめろやめろ!よい!話の邪魔をするな!」
王が煩わしそうに言った。
合図すると、猿轡はすぐに外された。
「ふん。…すまないね。兵も気が立っているんだ」
「は、奇遇だな。私もだよ」
「ふっふっふ…。君のその様子。どうやら力は本物のようだね」
「…ああ?」
「歌だよ。歌。それこそ、僕が待ち望んでいた、力」
王は、奈都の手を掴んだ。
「!」
「奈都。君は、この国の歌姫になるんだ」
「うた、ひめ…」
ざわ、と城内の空気が動いた。
「…断れるのか?それ」
「王の直接の命だ。拒否権はない」
王は掴んだ奈都の手をつつ、と指でなぞった。
「そうだな…。命を受けるか、処分か。あるのはそのふたつの道だけさ」
「…………」
長い舌を覗かせ、笑う王。
まさに、蛇のような男だ、と奈都は思った。
「選べ。奈都」
「…その前に、ひとつ」
奈都は、王の手をペッと払いのけた。
「こっちにも、飲んでほしい条件がある」
「何?」
「あの男のことだ」
奈都はイサを指差した。
途端、城内の視線がイサに集中する。
「あいつを、私の側に置かせてくれ」
「あの、男を…?」
王は首を傾げた。
「…生かしておく利点は?あるのか?」
「私は、気が荒いからな。怒りに任せて暴走したら、この国の人間を皆殺しにしちまうかもしれないぜ。だからストッパーが要る。私が歌っても、あいつだけは、私を止められる」
「!…止められる…?何故だ」
「あいつは、耳が聞こえない。だから私の歌も、あいつには効かないんだ」
「!」
城兵たちの表情に惑いが浮かぶ。
耳が聞こえない?ではなぜ、処分されていないのか。
そんな声が、ちらほらと聞こえた。
「私も選ばせてやるよ。選択肢はふたつ。私を殺して国が滅ぶのを見るか、法をちょっぴり歪めてこの男を生かしておくか。この国の王なら、答えは、簡単じゃないか?」
「……ふっ」
「…………」
「ふふふ…ふはははは!」
王は奈都に向かって手を叩いて見せた。
「クックック…。国王相手に、交渉とは。…小娘がよくやるねえ」
「…………」
「いいだろう。あの男は生かしておく。約束するよ」
「!…ちゃんと、守るんだろうな」
「ああ。隠したりもしないさ。君の見える場所に置いておくがいい」
「…………」
奈都は心の内で安堵した。
「成立、だな」
奈都は、イサの命を勝ち取った。
「ふん…互いにな」
しかし。
王はこれから、イサの命を盾に、奈都を思いのままに動かそうとするだろう。
イサを交渉のカードに仕立てた、代償だ。
これで、奈都はイサが生きている間は、王の駒にならざるを得なくなった。
「…なってやるよ。この国の、歌姫に…」
「あの男は、何者だ」
王は自室に戻ると、呼びつけた兵士に尋ねた。
「わかりません。奈都様と共にあの森で暮らしていたとしか…。鑑札も、付けておりません」
「なぜその場で殺さなかった」
「申し訳ありません。従わない場合は、兵を全て殺して逃げると申しましたので…」
「ふん…まあいい」
王は髪をかきあげ、言った。
「とうとう、我が国にも歌姫が手に入った…。明日から、動かすぞ」
「は!」
「お前はあれらにくっついて、しっかりと監視しろ。妙な動きをしたらすぐに報告するようにな」
「わかりました」
イサと奈都は、応急的に城内の小さな客間を充てられた。
ふたりは並んで、窓際のソファに腰掛けた。
『イサ』
『…なんだい?』
『…すまない』
奈都は、イサに深々と頭を下げた。
『…どうして僕に、謝るんだい?』
『だって…お前はあのまま、彼処で死ぬつもりだったんだろう?』
『…………』
ハッとして、誤魔化すように、イサがうつむいた。図星だったのだろう。
『やっぱりな…』
『…………』
『彼処が、お前の母親がくれた、居場所だもんな』
『…女々しいと、笑うかい?』
『そんなことはない!』
奈都はぶんぶんと首を振った。
『お前の気持ちは、わかっていたんだ…。だから、本当は…何も知らないふりをして、お前を置いて、私だけ出ていけばよかったんだ…』
奈都の肩が、小刻みに震え出す。
『でも、すまない。私には、できなかった。できないんだよ。お前を、死なせることなんて…』
『奈都……』
『どうか、許してくれ…。お前の死に場所を、自由を…私は自分の我が儘で、奪ってしまった…。私はお前に、生きていて、欲しい…』
『…………』
『お前がいないと、私は…』
イサは優しく笑って、奈都の背中を撫でた。
『わかってるよ。奈都』
窓の外には、知らない世界が広がっている。
奈都の背中に感じるこの、イサの体温だけが、奈都にとって唯一の信じられる物だった。