転調
ある朝。何時ものように椅子に腰掛け、本を読んでいると、異変が起きた。
「……あれ?」
ハルは首をかしげた。
本の文字が、滲んでいる。
「これじゃ、読めない…」
水でも溢したのだろうか。ハルは本を閉じると、また別の本に手をかけた。
しかし。
「え……」
小さく声をあげた。
その本もまた、文字が滲んで読めないのだ。
「……、どうして……」
ハルは本棚から、次々に本を引っ張り出した。
ページを捲る。どれも文字がぼやけて判別できない。
本棚にある本はすべて、読むことができなかった。
しかもおかしいのことに、以前読んだことがあるものまで、文字が滲んでいるのだ。
散らばった本の中で、ハルは呆然と立ち尽くした。
やがて、イサがハルの異変に気付いた。
ハルは既に本の文字どころか、普通に歩くのさえも危ういほどになっていた。
イサはハルの目を調べ、経過を見、そして、歌との関連性に気付いた。
歌の力を使う度、ハルの視力は落ちていった。
既に彼女の瞳は曇り始め、虚ろになっていた。
このままでは、ハルは失明する。
イサはハルに歌うことを禁じた。
『どうして……イサ……』
『君のためなんだ。歌い続ければ、いずれ君の目は、機能しなくなる』
『そんなこと……』
まるで遊び飽きたおもちゃのことを話すように、ハルは言った。
『わたし、目なんかいらないわ』
『!ハル……!』
『もういらない。全部使っちゃっていいの。だってね、わたし……』
『そんなこと、僕は望んでない!』
遮るように、イサが言う。
『……、イサ……?』
『……やはり、僕らは間違っていた。いくら人を癒すためとはいえ、そんな力、使うべきではなかった……』
珍しく語気を荒げるイサに、ハルは怯んでいた。
イサの言っていることが、わからない。
この力があれば、役に立てるのに。イサを喜ばせることができるのに。
『どうして……?』
イサは、歌を封じようとするのか。
せっかく持てた、この世界での生きる意味。それを、奪うのか。
歌の力は、やっと得られた、自分の価値だ。
『……もう、治療に歌は使わない。どうかもう、二度と、歌わないで』
イサは、ハルにそう告げた。
ハルはその場に立ち竦んでいた。
「イサ……」
イサが小屋を出たあと、静かに座り込む。
「…………どうして」
歌を拒まれてしまった。
歌の力がなければ。
「……わたしは……」
何の役にもたたない、不要な、人間だ。
「要らないんだ……」
ただ、存在する理由が欲しかっただけなのに。
ここでも、自分の居場所は見つからない。
「何も、ない………」
また、空っぽに逆戻りだ。
ハルの目が、熱を帯びる。
ぐにゃ、と景色が歪み始めた。
地面が揺らぐ。力が入らない。
「…………」
ふらりとよろけたその体を、何かが支えた。
「!……イサ?」
見えない。けれど、この匂いは、イサではない。
「誰……?」
「……あなたを、探していたのよ」
女の声がした。




