暗い森
…
……
………
歌が、聞こえる。
暗闇のなかで。
この、声は…
…
……
………
「い…生きて、る…?」
気づけば、奈都は森のなかで横たわっていた。
「……どこだよ…ここ…」
体を起こし、辺りを見渡す。
全く、見覚えのない景色だった。
さっきまで教室に居たはずなのに、建物ひとつない。
「な…なんだよ…どうして…誰が…」
体がカタカタと、震え出す。
奈都に、じわじわと恐怖が襲ってきた。
ここは薄暗く、少し寒い。
仄かに腐敗臭が漂う、不気味な森。
奈都は自分の肩を抱いた。
誰もいないのか。
自分の呼吸音がやけに響く。それほど辺りはしんと静まり返っている。
「なんだよ…私、わたしは…っ!?」
奈都の口を、突然、後ろから何かが覆った。
「ふっ…!?ぐ…」
『落ち着いて』
頭のなかに、声が響く。
『大丈夫だよ。僕に任せて』
つんとした、薬品の匂い。
奈都は、再び気を失った。
目を開けると、パチパチと火のはぜる音がした。
暖かい。オレンジ色の光が天井で揺らめいている。
『目が覚めたかい?』
「!」
奈都はばっと起き上がった。
「…!?ここは…!?」
傍らに男が座っていた。
『大丈夫?どこか、痛いところはある?』
まただ。森の時と同じ。
耳から聞こえるのではなく、言葉が頭の中に流れ込んでくるような、不思議な感覚。
そういえば、さっきから、確かに声はするのに、男の口は少しも動いていない。まるで、腹話術でもしているようだ。
「…てめえ…誰だ」
男は答えない。
「ここはどこだ!てめーが、私をここに連れてきたのか?あ!?」
「……」
「おい!何とか言えよ!」
語気を荒げた奈都を、男は困ったように見つめていた。
『聞こえないんだ』
「!」
『僕の耳は、聞こえない。さっきから、君が何を言っているのか、わからないんだ』
男が申し訳なさそうに、言う。
耳が、聞こえない?
『頭の中で、話してくれないか。そうすれば、僕にもわかるんだ』
男が自分の頭を指差して言った。
「…頭の、中…だと?」
『念じるだけでいい。僕に向けて、頭に浮かべた言葉を飛ばして欲しい』
「……意味、わかんねえ」
疑いながらも、奈都は言われた通りに、頭のなかに文字を浮かべるようにして、言葉を紡いだ。
『き……る…か』
「…………」
『聞、こえ、るか…?』
男が、目を細めた。笑ったのだ。
『ああ。聞こえるよ』
落ち着きを取り戻した奈都に、男が尋ねた。
『…君、ここがどういう所か、わかるかい?』
奈都は首を振った。
『わからない。何もかも、見たことがないものばかりだ』
部屋の中の家具も、森に繁る植物も、見たことがないものばかり。土や風の匂いだって何かが違う。違和感があった。
『私は学校の…教室に、いたんだ。急に耳が痛くなって、それから、体が消えた…』
『…………』
男の顔が曇る。
『…そうか。やっぱり君は…』
男が言いかけ、口をつぐんだ。
窓の隙間から、ちら、と動く光が見えた。
『っ!』
『…?おい』
『……ごめん。少し、じっとしててくれないか』
男が厳しい目で奈都を睨みつける。
沈黙が、しばし続いた。
男が扉をほんの少しだけ開けた。外の様子を見ているようだ。
『……、もう大丈夫だ』
男はふうっと息をはいた。
『なんだよ。何かあったのか?』
『……ちょっとね』
男は椅子に掛けた黒いマントを羽織ると、テーブルの上の小さな包みを持った。
『おい、どっか行くのか!』
『…君は、このまま休んでいてくれ。外に出ちゃダメだよ』
そう奈都に忠告して、男は外に出ていった。
「…なんだよ、あいつ…」
不審に思った奈都は、こっこり床を抜け、男のあとをつけた。
「…何か、隠してやがるのか…?」
森のなかをしばらく歩くと、妙にぽっかりと拓けた場所についた。
「っ…。なんだ、この臭い…」
ずっと感じていた異臭が、一層きつくなる。
血生臭さと腐敗臭が混じった、据えた臭い。奈都は、思わず鼻をおおった。
男はそこで足を止めた。屈んで、ごそごそと何か引っ張り出しているようだ。暗闇と黒ずくめのせいで、よく見えない。
男は「それ」を抱えて、こちらに歩いてくるようだ。
男の息遣いが聞こえる。
どさ、と音がした。
男は小さな灯りをつけた。
光が、辺りを照らし出す。
「……っ!」
そこに浮かび上がった光景に、奈都は息を飲んだ。
一面に掘られた大きな穴。
そこに、折り重なるように積み上げられているのは。
数えきれないほどの、人間の死体だった。
「は……あ、ぁ……」
『来たのかい?』
男の声がした。
『ちょうどよかった。君も手伝ってくれないか』
彼はとっくに奈都の気配に気が付いていたようだ。
「お、お前は……」
男は、草むらにへたりこむ奈都の手をとって、言った。
『治療を、したいんだ』
『治療、だと…?』
『ひとりじゃちょっと大変でね。頼むよ』
奈都は見た。
男が穴の中から運び出したのであろう、「それ」。
横たわる、小さな、体。
『い、生きてる、のか…?』
男が頷く。
奈都は、恐る恐る近付いた。
まだ、幼い子供。
虚ろな目。乾いた唇。体は小刻みに震えている。
『腕がとれちゃっているんだよ。すぐにつけてあげないと』
男は包みをほどいて、布と小瓶を数本取り出した。
『君、この子の体を押さえていてくれないか』
『!あ、ああ…』
奈都は男の指示に従った。
子供の体は目に見えるよりも更に細く、華奢で、今にも折れそうだった。
男が子供の服をめくった。
右肘から、先がない。
奈都の喉が、ぐっと鳴った。
『ちゃんと腕を持ってきたんだね。偉いね』
子供が片方の手でしっかりと抱き抱えていた、失った自分の腕。
それを受け取りながら、男は子供の頭を撫でながら、優しく言った。
『すぐにくっつくからね。もう少しだけ、我慢してね』
「…………」
子供は、弱々しく頷いた。
処置が終わると、男は子供を自宅に連れ帰った。
その子供、少女は、白い顔で眠っている。
『君の寝る場所、使ってしまってすまないね』
『いや…元々、お前の家だし。それより、どうなんだ。この子、治るのか?』
奈都は少女の腕を見た。
包帯の上からでも分かるほど、紫色に腫れている。
『動かせるようになるまで、二か月はかかるかな。傷痕は少し、残るかもしれない』
『……そうか』
奈都はベッドの傍らに、そおっと腰かけた。
『…不思議だな。こんな簡単に、切れた腕が、くっつくのか』
『…君のいた世界とは、違うかもね』
『あ?世界…?』
『君は、この世界の人間じゃ、ないんだろう?』
奈都は目を見開いた。
『何か知っているのか!?』
『…ほんの、少し』
男は、椅子を持ってきて奈都の前に座った。
『君、首輪をしていないだろう?』
『首輪?』
『これさ』
男は少女の首もとを指差した。
見ると、確かに少女の首には、太い輪がかけられている。
固い、金属のような質感。繋ぎ目はない。
輪はぴったりと皮膚に張り付くように嵌められ、まるで、体の一部のように、馴染んで見えた。
『これをしていない人間が、この世界で生きているはずがない』
『は?でも…』
男の首には、それらしいものはない。
『お前だって、首輪つけてないだろうが』
『ああ。僕は、既に死んでいるからね』
『は…!?』
顔色を変えた奈都を見て、男は笑いながら、そうじゃなくて、と話し始めた。
『正確には、死んだことになっている、かな。首輪をつけられるのは発育検査の後からなんだけどね。その前に母が僕を死んだことにして、この森に隠したんだ』
『…隠す?どうして?』
『検査を通るわけがないから…。僕は生まれつき、喋れないし、耳が聞こえなかったんだ』
『…それだけで?』
『充分だよ。処分されるのにはね』
『処分って?』
『殺されるんだ』
奈都の背中に、冷たいものが走った。
『基準から外れてしまった者は、見つかり次第処分される。怪我でも、病気でも。役に立たない者を生かしても、邪魔にしかならないからね』
男は少女に目を遣った。
『この子がなぜ、あんな場所にいたと思う?』
『…、まさか』
『そう。どういった経緯かはわからないけれど、この子は腕を無くし、基準から外れた。あそこは、処分場なのさ』
奈都の脳裏にさっき見た光景がよみがえる。
『で、でも、傷は、治るんだろ…?』
『…治療には、資源や労力が要るからね。言いたくないけれど…捨てるのが、一番効率がいいんだ。』
『そんな…』
『…………』
『そんなことで、生きている人間を…』
捨てたのか。
モノ、みたいに。
『この世界では、普通のことなのさ。僕もそうだよ。基準から大きく外れているために、本来ならあそこで死んでいるはずだった。けれど、気づかれる前に母がうまく逃がしてくれたから。だから、僕はまだ生きていられる。今のところは、ね』
男は悲しそうに笑った。
『僕はここで、この子みたいに処分場送りにされた人たちの治療をしているんだ。手遅れになる前に治してやれば、家に帰れるからね』
奈都はただ、黙って聞いていた。何といっていいのかわからなかった。
思わず、拳をきつく握りしめる。
すると、男がその手を優しく掴んだ。
『!なんだよ』
『ここ、怪我してる』
『あ』
あいつを殴ったときのだ。
その途端、拳の傷が思い出したようにじわじわと痛み出した。
『ちょっと待ってて。いい薬があるんだ』
男は小瓶を取りだした。中には何かベトベトした、どどめ色の液体が入っている。
「うわ、ちょ、なんだよ、それ!」
『こらこら。大人しくして』
暴れる奈都を宥めながら、男は薬を塗り、布を巻いた。
『…なんか、その薬、へんな匂いしないか』
『アギの根の汁は傷によく効くんだ。ほら、これでいい。すぐに痛みもひくよ』
奈都は布が巻かれた自分の拳をまじまじと見た。
緩すぎず、きつすぎず、丁寧に巻かれた包帯。
『…あ、ありがとう』
人に手当てされたのは久しぶりで、少し、照れ臭かった。