気付き、傷付き
日が傾き始める頃、奈都はしきりに目を擦ったり、ぎゅっと閉じたりを繰り返していた。
「…さすがに少し、疲れたか…?」
先程から、やたらに視界がぼやける。
戦場の熱気にあてられたか。はたまた、勝利の充足感による、気の緩みか。
あたりが暗くなり始めたのもあり、段々、足元が怪しくなってきた。
「奈都さま。どうしました」
奈都の様子に気付いたコーサが、声をかけた。
「少しふらついておりますね。お疲れになりましたか?」
「ん?ああ……」
「急ぐ訳ではありませんし、休憩をとりましょう。すぐに、用意をさせます」
「うん…悪いな。そうさせてもらうよ」
手間をかけさせるな、と奈都は申し訳なく思った。
しかし今は、体も心も、ひどく疲れている。
ぼやける視界が、それを更に悪化させている。
「くそ…帰ったら、イサに診てもらうか」
奈都は目を閉じた。
ああ、今ごろ、イサは何をしているだろうか。
もう眠っただろうか。それとも、薬でも煎じているだろうか。
早く帰って、イサの顔が見たい。
そう思いながら、奈都は束の間の眠りについた。
「よくやってくれた。皆の者」
王が直々に、戦場から戻ってきた兵士たちを労った。
「あの西の砦は重要な意味をもつ。よく取り戻してくれた。礼を言うぞ」
「は!光栄にございます!」
「皆、よい働きをありがとう。今日はゆっくりと体を休めてくれ」
そして、王からそれぞれに褒美が与えられた。
兵士たちは恭しく受け取ると、嬉しそうに家へと帰っていった。
「そうだ。あの男は今、どこにいる?」
王が側近に尋ねた。
「は。イサ殿でありますか?」
聞こえた名前に、奈都は驚愕した。
「そうそう。イサ、とやら。ものは試しだと偵察に同行させて良かったよ。彼が負傷兵の治療をしてくれたお陰で、かなりの兵が情報を持って帰ってこれたと。礼をしたいが…ここに呼んでいないのか?」
「は。イサ様は兵よりも前に、すでにお帰りで…。なんでも、薬が無くなったので作らねばならないと…」
偵察に同行…?
負傷兵の治療…?
奈都には、訳がわからなかった。
「ふうん…なら、仕方ないか」
後で褒美を届けるようにと、王は兵に命じた。
「これからも、彼には働いてもらいたいからね。あの医術は、役に立ちそうだ」
奈都はすぐさま、イサの家へと向かった。
『イサ!』
奈都は感情のまま、ノックもせずにイサの家の扉を開け、飛び込んだ。
中ではイサが、薬草をより分けていた。
『あれ?奈都…』
驚くイサをよそに、奈都はずんずんとイサの方へ近付くと、手を掴んで作業を止めさせた。
『…どういうことだ』
『奈都?』
『なんで、お前が戦場に…!』
『……ああ』
聞いたのか、とイサは呟いた。
『王様にね。呼ばれたんだよ』
『呼ばれた…?』
『うん。僕の医療の知識を使いたい、って』
『!』
奈都の顔色が変わる。
なぜ、王はイサに知識があることを知っているのか。
それを伝えたのは、ただ、一人だ。
『南のほうにね。偵察に行く隊があって。できるだけ兵を消費したくないっていうから、僕も着いていった』
『なんで拒否しなかった!』
色んな感情がないまぜになって、それをそのままぶつけるように、奈都は怒鳴った。
『いくら王に言われたからって!それを、言いなりになるなんて!』
『僕が決めたんだよ』
イサは、少しも怯まない。
『誰かの命を守れるなら…僕なんかが、役に立てるなら。僕の力でよければ、使って欲しいと思ったんだ。だから、行ったんだ』
『っ!戦場は、遊びじゃないんだぞ…!』
『危険なのは、わかっているよ。君が僕を心配してくれていることも』
『だけど…だから……!』
『……君は、どうしてそんなに怒っているんだい?』
奈都が一瞬、言葉に詰まった。
『…あ、危ないから、だろ!』
『君だって戦場を駆けているだろう?』
『っ、私には、歌がある!自分の身を守れる!だけどお前は…!』
『僕は、弱いから?』
びく、と奈都の動きが止まった。
『僕だって、身を守ることくらいできるよ』
『で、でも…』
『君に守られていないと、僕は生きていけない?』
イサは、じっと奈都の目を見た。
『僕は、か弱い子供じゃないよ』
『!』
奈都は、はっとした。
頭のなかで、かしゃんとガラス玉が割れるような心地がした。
『!奈都…!』
奈都は、イサの家を飛び出した。