コーサ
「コーサ!スレイプネルは居るか」
「は!」
兵士に引かれてきたスレイプネルを、奈都は軽く撫で、ひらりとその背に飛び乗った。
「よし。いいな」
乗り心地を試し、奈都は満足そうに言った。
「しかし奈都さま。ユリスに乗って、一体、何をなさるおつもりで…」
「あ?…決まってんだろ」
奈都はニヤリと笑って答えた。
「軍の先頭、走るんだよ」
「!?」
「なんですと!」
兵士たちにどよめきが走る。
「私が歌いながら、先頭に立って陣を導く。そのほうが、手っ取り早いだろ」
飄々と言ってのける奈都に、兵たちは猛反発した。
「な!なりません奈都さま!戦場は危険にございます…!」
「歌姫さまは、この国の希望なのですぞ!」
「奈都さまにもしものことがあれば、兵らの士気が下がりまする!」
「どうかお止めください!」
いきり立つ兵士たち。奈都は彼らの目をじっと見ると、言った。
「私を甘く見るな。私はこの国の盾であり、矛だ。皆、命を賭けて戦っているのに、私だけ安全な場所に隠れていろと言うのか?」
「!し、しかし…」
「お前らに道を作るのは、私の役目だ」
その気迫に、さすがの兵士たちも、口をつぐんだ。
奈都の、彼女なりの、覚悟を、皆理解したからだ。
「文句はないな?よし!行くぞ…」
「奈都さま!」
「?コーサ」
コーサは奈都に近付くと、がしっとスレイプネルの鞍を掴んだ。
「コーサ。てめえ、何…」
「私も乗ります」
コーサは頭上の奈都をキッと見た。
「はあ?」
「私が、あなたを護衛致します」
言うが早いかコーサは慣れた手付きで、スレイプネルに乗り込んだ。
「おい!降りろよ!」
「皆の心配を払うためです。お許しください」
「!チッ……」
不満げに口を尖らせたが、兵士たちのいささか安堵した表情を見て、奈都はハッとした。
皆ただ、歌姫を失うのが怖いのだ。
国土を奪われていく恐怖に抗い続けていた彼らにとって、歌姫はやっと現れた最後の兵器。
王の言った、カリスマという言葉が今になって効いてきた。
しかし、奈都にだって、わざわざ攻め入ることに、理由はある。
護衛が同乗するだけで彼らの気が少しでも晴れるならそれでいい。奈都はそう思い直した。
「…よぉし!」
奈都はスレイプネルの手綱をきゅっと握ると、叫んだ。
「行くぞ!みんな!私にしっかり着いてこい!」
奈都の叫びに、兵たちも吼えて答えた。
奈都を乗せたスレイプネルが走り出す。
進撃に気付いた敵兵が、一斉に奈都に向けて矢を射た。
しかし。
「ーーーーーー」
奈都は歌い出した。
飛矢は全て、目の前で粉々にくだけ散ってゆく。
「な、なんだと!?」
「矢が…!」
敵兵が驚愕の表情を浮かべる。
何度射ろうとも、矢は、奈都には一切届かない。
奈都の歌が、全ての攻撃を無効化している。
「ええい!あれは後だ!まずは周りの雑魚共を削れい!」
「はっ!」
矢の照準が他の兵士たちに移った。
飛び交う無数の矢。
奈都に着いて走る兵士の肩に、その一本が刺さった。
「ぐあっ…!」
「!」
しかし、突き刺さった矢は直ぐに抜けた。傷口まで、塞がっていく。
「!?な……!」
奈都の歌が、攻撃を防ぎながらも、瞬時に彼の傷を癒したのだ。
「…す、すごい…!歌姫さま…!」
奈都の歌は力を増している。
兵士たちの士気が、上がっていく。
「うおおおおお!」
奈都の進撃は止まらない。
スレイプネルが走る。
陣に突っ込んだ。
奈都の歌が、道を作っていく。
「コーサ!」
「はっ!」
「頭だ!どいつを倒せば、この戦は終わる!」
コーサは奈都の言わんとすることに気がついた。
兵を率いる大将を潰せば、陣は崩壊し、戦は終わる。
奈都はできるだけ早く終わらせて犠牲を、兵の流れる血を、最小限に食い止めようとしているのだ。
コーサは辺りを見回し、敵の陣を読んだ。
「…!居ました!あの先!旗の隣に立っている、あれが大将です!」
コーサが数メートル先で側近の兵に囲まれた男を指差した。
「よっし!…行くぞスレイプネル!もっと走れ!」
「グルルル…!」
スレイプネルが、身を低く屈め、力一杯後ろ足で地を蹴りあげた。
スレイプネルは高く高く、戦場の中を飛ぶように走る。
「あいつだ!」
奈都の目が彼を捉えた。
奈都が彼に向かって、歌い出す。
「ーーーーーー!」
響き渡る、歌声。敵の兵士たちがもがき苦しみ出す。
「ぎ、ああぁぁっ……!」
大将が泡を吹いて倒れた。
意識はない。びくびくと痙攣を起こし、最早戦闘は無理だろう。
「よし!これで終わりだ…!」
「…………」
しかし。
「!?奈都さま!」
「!」
陰から、奈都に向かってくる、男。
「な!」
間合いを詰められた。
「しまった!これは、罠か…!」
気付いたときには、もう遅い。
「フフフ…。歌姫の首…獲った!」
奈都の目の前に振り下ろされる太刀。
ぎらりと光る刃が迫る。
「ああ………!」
奈都の頭に、死が過る。
その、瞬間。
「!」
奈都の目の前が、真っ暗になった。
「奈都さまっ!」
コーサが、後ろから奈都に覆い被さるようにして、彼女を庇った。
「ぐあっ………」
「っ!コーサ!」
「っ、が……奈都…さ、ま…」
コーサは血を吐き、腹を抑えながら、人形のように力なく倒れこんだ。
「コーサ!……っ、この…っ!」
奈都はコーサの腰から剣を抜き、スレイプネルから飛び降りた。
「うああああ!」
奈都は、男に斬りかかった。
鬼気迫る一撃。
男の腹が、真一文字に切り裂かれた。
「うぅああああっ……!」
真っ赤な血が、霧のように吹き出した。
「が……はっ……」
男は、膝から崩れ落ち、そして、じきに、動かなくなった。
「はっ、はぁっ……」
「…………」
「くっ……殺した……」
返り血が、奈都の顔を汚した。赤く染まったそれを拭うこともせず、奈都はコーサに駆け寄った。
「…コ、コーサ…!」
コーサは、スレイプネルの上で蹲っていた。
銀色の毛に、じわりじわりと、赤が垂れ広がっていく。
「…、待ってろ、コーサ…!」
奈都はコーサをスレイプネルから慎重に下ろし、抱き抱えた。
傷は、背から腹まで貫通している。
どくどくと、止めどなく流れる血液。
コーサの顔が白く変わっていく。
「コーサ……」
奈都はコーサの傷に手を置くと、その耳元で、静かに歌い出した。
「ーーーー……」
光が、コーサの傷を包み込む。
「…ぁ……な、…さま……」
傷がみるみるうちに、塞がっていく。
コーサの瞳に、光が戻っていく。
「コーサ!」
「奈都さま……」
意識を取り戻したコーサを、奈都はきつく抱き締めた。
「奈都さま、血が…どこか、お怪我、を……?」
「……ばかたれ。これは、返り血だ」
「そう、ですか…」
コーサは、ふっと安堵の息を吐いた。
「安心しました。奈都さまが、ご無事で…」
「…………」
「敵は…どうなりましたか」
「…ああ。もう、終わったよ」
コーサは顔だけ動かして、奈都の示す方を見た。
ちょうど、兵が大将首を切り落とし、包んでいるところだった。
「お前の剣を借りたよ。重いが、よく切れるな」
「はは。さすが、奈都さまですね」
控えめに笑う、コーサの頬に、奈都はそっと手を添えた。
「奈都さま……?」
「…もう、痛くないか?」
奈都はコーサの頬を、親指でゆっくりと撫でた。
「!」
コーサの心臓が跳ねる。
奈都が、その手で自分に触れている。
じりじりと熱が篭る。
「……よかった」
奈都が、小さく、吐息のように、呟いた。
「よかったよ。お前が生きていて、本当に、よかった…」
「!……奈都さま」
コーサは頬に触れる奈都の手に、己の手を重ねた。
奈都は拒まなかった。
抱き締められた体から、奈都の体温を感じる。
濃い血の匂いがする。
「…………」
コーサはしばらく、ただじっと、血濡れた奈都の顔を見上げていた。