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春の行き先

私は春が嫌いだ。

春は、世界を変える季節。

芽吹く緑、柔らかな陽射し、色を取り戻す空。

盛る命たち。

動き出す世界。

春はいつだって、私を置いてけぼりにする。


私は、春が嫌いだ。




「おいてめえ。さっき、何してた?」

奈都は鼻血を流して足元に転がる男子生徒の頭を踏みつけた。

昼休みの終わりがけ。

柔らかく陽の差す廊下で、奈都は突然、男子生徒を殴り付けた。

「聞いてんだろーが。口がきけねーのかよ」

なあ?と尋ね、足に力を込めていく。

穏やかだった空気は一変。ビリビリとした緊張が走る。

「いくら盗った。あ?」

「…うう」

「黙ってりゃやり過ごせると思うなよ。知ってんだぜ?…お前、2組のヤマウチ、だろ?」

名前を知られていたことに、男子生徒が顔色を変える。

「前から目ぇつけてたんだよ。あれか?お前が首謀者か?」

「…」

男子生徒は押し黙ったまま、震える手でポケットから財布を出すと、奈都に差し出した。

「ああ?なんだよ?」

「こ…これで、かんべん、してください」

「……てめえ」

「!」

奈都は彼の胸ぐらをぐいっと鷲掴んで引き寄せ、その耳元で囁いた。

「なめたことしてんじゃねーよ。殺すぞ」

その迫力たるや、さっきまできゃあきゃあ騒いでいた野次馬が、一瞬でしんと静まり返るほどだった。


その時。


「昆野!何している!」

騒ぎを聞き付けた教師が、奈都の名前を叫びながら走ってくる。

「貴様!また暴力沙汰か!」

「…チッ」

奈都は舌打ちをして、捕まえていた男子生徒を、ぱっと離した。

解放された彼はこれ幸いと、慌ててその場から逃げ去っていった。

「ハッ!クソ野郎。…なあ先生、2組の担任呼べよ。話がある」

「ふざけるな!お前というやつは…!今度こそは停学か、退学も覚悟しておけよ!」

教師の顔は怒りで真っ赤に染まっている。

「まあまあ。ちょっと落ち着けよ先生」

「なんだ!その口のききかたは!」

「別に退学になろうが構わないけどさ。その前にあいつ、どうにかしろよ」

「何?」

「あいつ、生徒から金とってんだ。他にも何人か仲間がいるみたいだぜ。誰が、とは言わないでおくけど」

「…!それは、確かか…?」

教師は少し冷静さを取り戻したようだ。じっと奈都の目をみている。

「ウソじゃないだろうな?」

「ホント。調べればすぐわかるよ。金とったのだって、今日が初めてじゃないみたいだし。なあ?」

その場にいた生徒が、奈都に賛同するようにこくこくと頷いた。

「…そう、か…」

教師はようやく、それが事実であるらしいと認識したようだった。

「……いや、しかしな。だからといって、あんな暴力はいかんぞ。どう考えてもやりすぎだ」

「ハイハイ」

「だから、昆野。指導室に来い」

「はーいよ」

奈都はまるで他人事のように聞き流した。

「2組の担任にも、ちゃんと指導しとけよなァ?」

そう言って、奈都はばつの悪そうな顔をした教師に手を振ると、さっさと行ってしまった。




「あー、クソッ。歯に当たったかあ…?」

血が滲む拳をさすりながら、奈都は教室へ向かっていた。

「絆創膏持ってたっけな…」

ーあ!ねえ、あの人…

女子生徒の声が、不意に奈都の耳に入った。

「ほら、あれだよね?お姉さんが歌手のさ…」

「 あー、急にいなくなったっていう?」

女子生徒が数人、奈都をチラチラと見ながら、声を落として話す。

廊下の端で繰り広げられる、なんてことのない、雑談のつもりだろう。

「一時期ずーっとニュースでやってたねー」

「まだ見つかってないんだっけ?」

「……」


ああ、またハルの話か、と奈都は思った。



奈都にはハルという3つ離れた姉がいた。

ハルは、奈都と違って気が優しく、細やかで、大人しい子だった。

「なっちゃん」

「ねえ、なっちゃん。ほら、雨が降ってきたよ」

「今日の雨は少し黄色が入ってる。綺麗」

ハルは雨が好きだった。

雨が降ると、部屋の窓を開け、耳を済まして一日中、雨音を聴いていた。

彼女は雨の音に、色や匂い、時には感触まであるのだと言った。

「雨粒が落ちるたびに、たくさんの色が、弾けるように踊るの」

「そうして、頭のなかの、奥の奥の、柔らかいところを撫でていくの」

「とっても、心地がいい」

奈都には、ハルの言っている意味がよくわからなかったが、ハルが言うならそうなんだろう、としか思わなかった。


しかし、他のこどもたちにとってはそうではなかったらしい。


「気持ち悪い」「変なやつ」


こどもたちは、ハルをそう評価した。


確かに、ハルは周囲のこどもたちから、明らかに浮いていた。

人は、理解できないものを排除しようとする。

他のこどもたちにとって、ハルは異物でしかなかったのだろう。


ハルの心は、敏感だった。人の悪意に触れては、ひどく傷付いていた。

彼女はよく泣いた。血が出るまで下唇を噛み締めて泣いていた。


だから。

奈都は、そんな姉のために、戦うことを決めた。


言い返すこともできない姉の代わりに、奈都は必死で戦った。

自分より大きな者にも、怯まずに向かっていった。


「ハルは弱いんだ。だから、私が守ってやらなくちゃ」

「私が、ハルの盾にも、矛にもなって。ハルを、守ってやろう」


そうして、奈都は姉を傷付ける者を、片っ端から容赦なく拳で制裁していったのだった。

おかげで、ハルを馬鹿にするものも、奈都に刃向かうものも、いなくなった。



しかし。

やがて、そんな二人の関係をひっくり返す出来事が起きる。


ハルが、歌手になったのだ。奈都がまだ、12歳のときだった。


ハルは世に出るなり、あっという間に絶頂へとかけあがっていった。

彼女には、ずば抜けた音楽的才能があった。


それからは、どこにいてもハルの音が聞こえた。

ハルの歌が聞こえた。

今までハルをいじめていた者まで、手のひらを返してハルを称え始めた。


そう。

ハルは、自分の力で、取り巻く世界を変えていったのだ。


「…私が守ってやる必要なんて、なかったんだ」


奈都は理解した。

ハルは、特別な人間だったのだ、と。


…自分とは、違って。




「どこに、行っちゃったんだろうね」

奈都はハッと我に返った。

気付けば、教室はもう目の前まできている。

「居なくなる前の、最後のアルバムがさー」

「そうそう!どのお店行っても見つからなくってねー」

さっきの女子生徒たちはまだハルの話を続けていた。

そして、覚えているハルの歌を、交互に口ずさむ。

嬉しそうに、懐かしそうに。

「どこかで、元気でいてくれるといいなあ。私、あの人の歌、大好きだったんだ」

「……」

奈都は気付かないふりをして、そのまま教室を通りすぎ、今は使われていない、旧校舎へと向かった。




立ち入り禁止と書かれた札を乗り越えていく。

寂れた教室に捨て置かれたままの机たち。奈都はそのうちのひとつをそっとなぜた。


3年前、ハルはここで、突然姿を消した。


連日大きく報道され、捜索もされたが、痕跡すら、見つけられなかった。

ハルのクラスメート達も皆、振り向いたら居なくなっていた、と応えた。同じ教室に居たというのに。

「ホント…どこ、行ったんだろうな」

誰ともなく、呟く。

「ハル…」

『…………』

「!?」


ーキイィィィン…


強烈な、耳鳴りが奈都を襲った。

思わず耳をおさえ、蹲る。

「あ、頭が…いてえっ…」

『……、…………』

「な、何だ…!あ、か、体が…!?」

奈都の手が、体が、泡になって崩れていく。

「なんだ、これ…あああっ…!」

奈都が、消えてしまった。


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