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非常識で常識的な彼女  作者: R
非常識で常識的な彼女
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黒の『事情』の物語

まずは『事情』が誕生した話から。

ーー十数年前(父親視点)


「パパー!」

「お、凛。朝から元気だな」

「おでかけ!」

「ハハッ、また今度な」


 リビングに入ってきた凛は眠たそうにしていたにも関わらず、俺の姿を見た途端パッと顔を輝かせて足にしがみついてきた。

 苦笑して抱き上げてやると、嬉しそうにキャッキャと笑う。

 自分で言うのもなんだが、俺の娘はとても可愛い。それはもう、一度誘拐されかけるほど。

 勿論、親バカの自覚はあるが。改善する気はさらさらない。

 大きくなったなぁ、と思いつつ機嫌を損ねた凛を妻の沙紀にパスする。

 凛は自他共に認める母親似なので、当然妻も可愛い。というか美人。我ながらよく俺を選んでくれたと思う。

 沙紀は俺から凛を受け取ると、困った顔をしてソファに腰掛けた。その横に自分も座る。

 膝に娘を座らせると優しく髪を梳きながら視線を合わせた。


「凛? パパも毎日お仕事で疲れてるんだから、あんまりワガママ言っちゃダメよ」

「うー…」

「そのかわり、今日のお昼は凛の好きなもの作ってあげるから、ね?」

「ほんとっ⁉︎ やったー!」


 今まで頬を膨らましてあからさまに「不機嫌なポーズ」をしていたのに、沙紀の言葉にコロッと機嫌を直した。それに沙紀も顔を綻ばせる。

 カメラどこに置いたっけ。二人が天使過ぎて困る。

 俺は本格的にカメラの在り処を考えながら、妻に重要ことを尋ねる。


「なぁ、沙紀」

「ん? なぁに?」


 こちらを向いてコテンと首を傾げる姿はとても可愛らしいのだが。


「そのお昼って、俺が作るんだよな?」

「……ご、ごめんなさい」


 いや、別に構わないんだけど。どうせ作るんだし。料理出来ない沙紀可愛いし。

 ションボリする沙紀の頭を優しく撫でて、我が家のお姫様にお伺いをたてる。


「何が食べたい?」

「んーとね。ホットケーキ!」

「はいはい、ちょっと待ってな」


 まぁ、だろうとは思ってたけど。それはご飯じゃないんだよな。となるとオヤツには何を作ろうか…

 最近はオヤツを作る確率が格段に増えたような…。凛もお菓子の味をしめたな。


 約束通りお昼にホットケーキを作り、予想通り凛の遊び相手をしたせいで休む暇もなく、気付けば空も紅く染まり出した。

 …疲れた。せっかくの休みなのに休めなかった。いや、心は充分癒されたがな? 愛娘と一緒に過ごして癒されない親バカはいない!

 ……やっぱり、ちょっと疲れたな。

 膝に乗った凛の頭を撫でながら、窓から外を見る。う、夕陽が目に。

 あまりの眩しさに目をギュッと閉じると、暗闇の中でクスクスという笑い声が聞こえた。

 目を開いてキッチンに視線を向けると、沙紀が片手で口元を抑えながら微笑んでいた。


「寝ちゃった?」

「あぁ、やっとな。これで夕飯までは起きないんじゃないかな。というか起きないでほしい」

「あらあら、お疲れ様」


 凛が起きないよう小声で会話。沙紀よ、他人事だからってそんな適当な…

 そんな俺が溜め息をついた時、来客を知らせるベルが鳴った。

 時間はもう六時に近い。こんな遅い時間に連絡もなしに知り合いが来るとも思えないし、多分郵便とかだろう。

 沙紀もそう思ったのか俺に向かって笑って首を横に振り、「はーい」と可愛らしい声で返事をしながら玄関へパタパタと駆けて行った。

 彼女の姿がドアの向こうへ消えるのを見届けてから、そっと凛の頭を持ち上げてソファの上に置く。

 凛は微かに身じろぎをしたが目を覚ます気配はなく、また規則正しい寝息が聞こえた。

 娘のあどけない寝顔に頬を緩めた。その時ーーー


「きゃあああぁぁっ‼︎」

「っ! 沙紀⁉︎」


 突然響いた沙紀の悲鳴に俺はバッと立ち上がる。凛も悲鳴に驚いたのかソファの上で跳ね起きた。

 イマイチ状況が判らないのか、眠たげに瞳を擦って俺を仰ぎ見る。そんな凛の頭に手を乗せてジッとしている様に言い聞かせる。


「パパっ」

「絶対にこっちに来ちゃダメだからな?」

「…うん」


 不安げな顔で頷く娘に笑ってみせて、玄関へと続く廊下へと飛び出した。

 そこで俺が目の当たりにした光景はーーー


「ーー沙紀」


 血塗れで崩れ落ちた最愛の人の姿。長い黒髪に隠れてその顔は見えない。腹から吹き出す血が床に血溜まりを作っていく。

 俺は愕然と沙紀の姿を認め、それからゆっくりと視線を上げた。

 沙紀の血で濡れ光ったナイフを身体の横に垂らして、薄ら笑いを浮かべた男がいた。ソイツは沙紀を見て目を細めて次いで俺に視線を向けた。

 背中を悪寒が走り抜けるような瞳をしていた。その目は俺を見ているようで何も見てはいない。焦点が定まらない瞳が、これほどまでに不快なものだとは知らなかった。

 男は顔を俺に向けて口の端を吊り上げた。

 垂らしたナイフを肩の高さまで持ち上げると、刃先を下に向け挑発するかのように左右に揺らした。


「ねぇ、迎えに来たよ。早く一緒に遊ぼ?」


 コイツ……一体『誰』に向かって言ってるんだ?

 男にしては甲高い声で子供のようなことを口にする男を睨みつけながら、静かにリビングへと繋がるドアを閉める。

 俺の動きを面白そうに見ていた男は、スッと視線をそのドアへと移した。そしてパァッと顔を輝かせた。


「そこに、いるんだね?」


 嬉しそうな声音でドアをナイフで指し示すと、目の前に横たわる沙紀を跨いでこちらに歩み寄ってきた。

 それを遮るように俺も一歩踏み出す。目の前に立ち塞がった俺に男は鬱陶しそうに眉を寄せた。

 チラリと沙紀を伺う。グッタリとした彼女は動く気配なく、ただ静かに血溜まりの中で眠りについている。決して目の覚めることのない、永遠の眠りに。

 焦点を目の前にいる男に戻すと、突然イライラと俺に対してナイフを突きつける。


「なんなの、アンタ。…僕の邪魔しないでくれるかなぁ」

「…悪いが、出来ない相談だな。お前がどこのガキかは知らねーが、俺の奥さんに手ー出したからには、それなりの覚悟があんだろうな…?」

「……奥さん?」


 何故が俺の言葉にキョトンとした表情をした男は、暫くしてからポンと手を打った。

 そして無邪気な顔と声で言った。


「アレのこと? つまんない玩具だったなー。腹に一刺ししただけで動かなくなっちゃうんだもん。しかもアレも僕の邪魔をしようとするし……本当、邪魔なんだよね」

「っ、テメェ……!」


 ナイフの切っ先で指し示してつまらなさそうな顔をする男に、俺は怒りを抑えきれなくなり相手の胸倉を掴んで引き寄せる。

 間近で男の目を覗き込んでも、そこにあるのはどこまでも深い狂気。コイツは俺を……「ここ」を見ていない。

 コイツにとっては俺も沙紀も、邪魔な障害物でしかない。あくまでも物で、人として見ていない。

 そのことが容易に理解出来て、理解させられて。胸の奥にやるせなさが積もっていく。

 この男に対して怒りを覚えるのは、子供に対して本気で怒るほどに無意味なものだ。何が良くて悪いのか判っていない者に憤るなど、無意味を通り越して自分が滑稽に思えてくる。

 男が自分達に対して、何らかの感情を持っていればまだ救いはあった。だがコイツは何もない。ただ邪魔だから。それだけだ。

 そう思ってしまったからだろうか。男の胸倉を掴む手の力が緩んでしまった。

 ーーーその瞬間。


 ドスッ


 身体に衝撃が走り、次に腹部からの激痛。胃液が逆流するような気持ち悪さを感じて勢いよく吐き出すと、床と壁に真っ赤な模様がついた。

 ーーあぁ、俺も刺されたのか。無意識にそう思った。どうせだったら、目の前にいるコイツに吐きかけてやるんだった。

 ガクッと膝から力が抜けてへたり込みそうになるのを、壁に寄りかかって踏みとどまる。

 腹に手を当てるとヌルッとした感触と共に鈍い痛みが走る。もう感覚が麻痺し出したのか、当初ほどの痛みはない。

 男は立っているだけで精一杯の俺に興味が失せたのか、無表情にナイフをクルクルと回し出した。その動きに合わせて周囲にナイフについた血が飛び散る。


「アンタも、これでお終い? 本当、つまらないなぁ。こんなもんだったらさ、初めから僕の邪魔をしなきゃ良かったんだよ」

「…ゴホッ……お前の、目的、は…」

「ん? 僕? 始めに言ったじゃないか」

「…何?」


 始めに……? 確か、コイツは。


「…迎え?」

「そうそう! 迎えに来たんだ。今日も会いに来るって言っていたのに、全然来ないからさぁ…。待ちきれなくなっちゃって」


 楽しそうに話す男を段々と霞み出す視界に収める。ナイフを自身の眼前に翳して、それをどこか恍惚とした表情で眺めている。

 迎えに来た……誰を?

 …まさか、凛か⁉︎

 俺は再び問い詰めようとした。


「ーーパパ? ママ?」


 ガチャリ、と音がしたかと思えば開かれるリビングへと繋がるドア。そこから顔を覗かせた凛を見て、男は歓喜の声を上げた。


「あぁ、やっと見つけた! 探したんだよ? 今日も遊びに来てくれるって言ったのに来てくれないから」

「……お菓子屋さんの、お兄ちゃん?」


 男の正体を知っている凛はまずその姿がここにあることに驚いて目を丸くし、次いでその横にいる俺、奥に倒れている沙紀を見て動きを止めた。


『駄目だ、凛。見るんじゃない! 中に戻るんだ!』


 そう言いたいのに、もう声を出す気力も残っていなかった。目を覆ってこの光景を隠してやりたいのに、真っ直ぐ立つことも出来ない。

 だからせめて横に立つ男がこれ以上娘に近付かないように、最後の力でその片腕を掴んで離さない。

 凛に歩み寄ろうとしていた男は、突然腕を掴んだ俺の手を鬱陶しそうに引き剥がそうとする。


「離せっ!」

「これ以上は…やらせない…っ」

「ーーこの、 死に損ないが!」


 ヤバイ、と思った時にはもう遅かった。

 男は反対の手で持っていたナイフを振りかざすと、俺の首目掛けて横一線に斬りつけた。

 一瞬の間を置いて、首から迸る大量の血。男はそれは正面から被ってなお、口元に笑みを浮かべていた。

 ついに身体から完全に力が抜け、その場に崩れ落ちた。急速に狭まっていく視界の端で、未だ固まったままの凛の姿が、すでに動かなくなった沙紀の姿が見えた。


 ごめんな、守ってあげられなくて。俺、ちゃんと父親やれてたかな。


 二人のこと、心の底からーーー


 意識が完全になくなる直前、遠くからサイレンの音が聞こえた。

次回は『黒の『事情』の物語2』

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