アリン家の正体
なんだかんだで、一番謎なのってフェリックスだよね。
あの後フェリックスさんに連行され屋敷に戻り、そのまま風呂場へ放り込まれた。
簡単に汚れを洗い落として出てくると、何やら上機嫌なレベッカが服を持ってきてくれた。その手には他にカップにポット、クッキーの入った籠を乗せたトレーがある。
「ありがと、レベッカ」
「いえ、こちらこそありがとう。さっきは助けてもらっちゃって」
「お世話になってるからね、この村の人達には」
嘘じゃないよ。この村の人達がいなくちゃ、どこかで野たれ死にしてたかもだし。
それと一緒に自分の好奇心とかが(大いに)混ざっただけで。
私の心の声が聞こえるわけもなく、レベッカは微かに瞳を潤ませながら首を横に振った。
…嘘は言ってないけど良心が痛む。
「それでも、命がけで助けるなんて簡単に出来ることじゃないわ。本当にありがとう」
「…あんまり気にしないで」
戦うよりもダメージが大きいから。精神的な。
居た堪れないので、歩き出して話しを変えてみる。
「フェリックスさんは、執務室?」
「えぇ。レイもそこにいるわ」
やっぱり機嫌の良いレベッカが頷く。
…レイ? というと、騎士団長のレイモンドさんことか?
そういえば、フェリックスさんも団長に向けて「レイ」って呼びかけていたような……
「レベッカとフェリックスさんって、騎士団長と知り合いなの?」
「? えぇ、そうよ。兄から聞いてない?」
「…今から聞きに行く感じかな」
外で見た団長さんはフェリックスさんと同い年くらいだった。
あの若さで騎士団長になった人と辺境の村長が知り合い。それもかなり親密に、家族ぐるみで。
……。
怪しい。フェリックスさん、あなた何か隠してますね⁉︎
などと考えているうちに、執務室の前に着いた。レベッカが数回ノックすると、中から聞き慣れた低音が応える。
「失礼します。兄さん、リンの支度が済んだわ」
「お邪魔しまーす」
レベッカの後ろから室内を覗くと、確かにフェリックスさんと団長さん、その後ろに騎士がもう一人控えていた。中性的な美形だね、男女どちらでも通用しそう。目が合うとニコリと笑いかけてきた。
彼らの間にあるテーブルにレベッカがトレーを置く。その時、チラリと目を向けた彼女と団長の視線が重なったのが判った。途端にレベッカの頬が赤く染まった。
…なるほど。だから機嫌が良かったんだね。
レベッカは来た時よりも少しだけ慌てて部屋を後にした。その視線がまた団長に向かっていたのは、まあお約束だ。
「リン」
フェリックスさんの声に視線を向けると、自らの隣をポンポンと叩いた。
座れってことですか。まあ、お客様がいるのに立ったままじゃ失礼か。
一応断りを入れてから入室してソファにストンと腰を下ろした。
対面に座っている団長さんを見ると、何故か驚いた顔で私とフェリックスさんを交互に見ていた。
何ですか? 私が首を傾げるのに対して、フェリックスさんはその理由が判っているのか睨みつけている。
「言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうだ?」
「ん? あぁ、失礼しました。これといって意味があるわけでは……後でちゃんと説明しますよ」
「…変わらないな」
「それはお互い様では?」
むむ。何やら身内会話をしている。
哀しいなぁ、仲間外れ。という思いを込めてフェリックスさんを見つめていると、団長さんを睨んでいた薄紫の瞳がスッと私に移った。
「君も何か言いたげだな?」
「仲間外れ、哀しいです。身内ネタ反対」
「ん? そういえば、まだコイツのことを話していなかったな」
ものすごい今更だね、フェリックスさん。…判ってやってるのか。目の奥が笑っているのが、この位置からだとよくわかるね。
「コイツは私の幼馴染なんだ」
………。
…え、説明そんだけ? 情報そんだけしかもらえないんですか⁉︎
団長さんを当てにしてみるが、視線が合うと首を傾げる。「まだ何か?」と言いたげだな、おい。というか、そう言ってるのか。
笑う気配がして、役に立たない団長さん(理不尽)の後ろに目を向けると、男女さんがクスッと口元に手を当てて楽しげな瞳をしていた。
「えっと…?」
「これは失礼。…申し遅れました。騎士団副団長を務めさせて頂いております、ガントと申します」
「副団長様でしたか。私はリン・カグラザカです。リンとお呼び下さい」
「では、私のこともガントと。……何かお聞きになりたいようですね?」
判っているくせに、わざわざ聞いてくるとは。優しそうな顔をしているのに、見た目って信用出来ない。
私はガントさんと視線を離さずにニコリと笑った。
「ガント様は何かご存知でしょうか? このお二人の関係とか」
「さあ。どうでしょうね?」
おい、ここまできて答えないのかよ⁉︎
思わず固まってしまうと、それを見たガントさんがまたクスリと笑った。
「ふふ、冗談ですよ。…実は私もよく知らないんです。今日初めて、ここに団長のお知り合いがいることを知りましたから」
「え、ここまで引っ張っといて⁉︎」
あ、思わず素で突っ込んでしまった。いかんいかん。
当のガントさんは特に気にした様子もなく、それどころか私の反応を面白がっている。
「はい。お役に立てなく申し訳ありません」
「…いえ。ガント様に非があるわけではありませんから」
そうとも。たとえ私をからかうために知ったかぶりをしていたとしても。変に期待していたのはこちらですから?
よし、この苛立ちはご主人にぶつけよう。
笑顔でフェリックスさんを見上げると、サッと顔を逸らした。遅いですよ、今確かに口角が上がっているのが見えた!
ジトーッと睨み続けていると、諦めたのか溜め息をついて視線を合わせた。
「説明しろ、と言われてもな。私からはそれ以上の言葉はないぞ?」
「いやいや、もっと何かあるでしょう。小さい頃によく遊んだーとか、一緒に何かしたーとか」
「特にないな」
…それって『幼馴染』って言えるんだろうか。ただの御近所さんとか知人とか、そういうレベルじゃないのかなぁ。
とそこへ今まで沈黙していた団長さんが口を開いた。
「薄情な人ですね。よく剣の鍛錬をした仲じゃないですか」
「鍛錬もなにも、私などではお前の相手は務まらなかったじゃないか」
「そんなことはありません。随分とお世話になりました」
「またそうやって自分の価値を下げる……いいか? お前はーー」
「はい、ストップ!」
突然声を上げた私を驚きの表情で二人が見る先で、彼らの間に両手を広げてタンマをかける。
殊勝なことは場合によっては良いことだけど、謙遜はいかんぞ…って、残念ながら今私が聞きたいことはそういうことではなく!
「ズバリ、お二人の関係を一言で言うと?」
「「知り合い」」
もう知り合いでいいんですか…。いや、別にいいんだけど。フェリックスさんと団長の関係は一応判ったし。剣の鍛錬をした仲、なら何て言うんだっけ。盾仲間?
……ん?
確か騎士団になれるのは特令がない限り貴族階級だけだったはず。実際、目の前の団長・副団長も騎士といえど、かなりの家柄なのが判る装い。
それに対して、フェリックスさんの服装はお世辞にも豪華とは言えない物。私としては馴染みやすくて好きだけど。
でもアリン家の人はきちんとした格好をすれば、貴族として通用する容姿ではある。マナーもそれ相応のものだった。
…これは、やっぱり?
「フェリックスさん」
「なんだ」
「アリン家ってどういう立場なんですか?」
私の質問に対して、フェリックスさんは首を傾げた。その瞳は…笑ってない。え、もしやガチな方で忘れてたパターンか⁉︎
いや、前々からフェリックスさんってちょっと抜けてるとこはあるとは思ってたけど、でもそれって大抵日常の些細な事だったし。ということはこの話は彼の中で、どうでもいいとかそういう系の話しなのか。
…出来ればあのスパルタ教育で「貴族社会について」習っている時に暴露して欲しかったね。
『貴族社会での上下関係は絶対だ。もし自分よりも上位の者に気安く話しかけたりしようものなら、即首が
飛ぶなりするな。まあ、君のこの世界での階級は一般人だから、貴族自体がアウトだが』
ということを言っていたよ。なしてその時に言わんのですか…
あの日々をぼんやりと思い出していたら、フェリックスさんの口から衝撃の事実が齎された。
「そうか、まだ教えていなかったな。ーーアリン家は貴族階級での公爵の位にあたる。先祖代々、王家の王子に仕えている家系だ」
「……は?」
フェリックスさんの言葉が飲み込めなくて、間の抜けた声が出てしまう。
え、私の聞き間違い? 今ご主人から「こうしゃく」という単語が飛びたしたよ。
「…公爵? 侯爵?」
「王家に仕える立場の者が、侯爵であるはずないだろう」
「…ですよね」
そうですよねー、公爵ですよねー。
……今からでも態度を改めたほうが良いのだろうか。
や、でも伝えなかったフェリックスさんも悪いんだから! 私だけの問題ではないはず!
いくら知らなかったとはいえ、髪を弄ってみたり、タメ口でしゃべっていたとしても!
それに今、もう一つ重要なことを言ったよね。
「王子に仕える?」
「そうだ。まあ、王子と言っても第一王子のみだが」
「王家とか王ではなく?」
普通、王や王家の人達に忠誠を誓っているとかじゃ? それが第一王子のみ、なんて。いや、異世界なんだから私の『普通』が間違っている可能性もあるけど。
フェリックスさんはチラッと団長を見て、彼が頷くのを確認してから私に視線を戻した。
「アリン家は第一王子の方向性を導く役割にある」
「方向性、ですか?」
「性格だと思ってくれればいい。王子に最も歳の近い者を城へと送り、成人するまでの間共に過ごさせる。王子が道を間違わぬよう」
へぇ。そんな凄い家だったんだ、アリン家。てっきり落ちこぼれ…ごめんなさい睨まないで下さい。というか、心を読まないで下さい。
私達の無言の攻防を感じ取ったのか、団長がクスッと笑った。本当、絵になる人だね。
「私からも説明申し上げるなら、王子を支えた者は戴冠式の後に宰相となり、今度は王を支えることになります」
「なるほど。エリート街道ですね」
「普通なら、そうでしょうね。ですが、私の知っている方はその道を蹴って、辺境の地に赴いてしまいましたが」
「あ、それってやっぱり…」
私は隣を見上げ、団長は笑みを含んだ瞳をご主人に向けた。ご主人はそれを無表情で流す。
第一王子は確か24。そしてアリン家で今最も歳が近いのは、どう考えてもフェリックスさん。そして辺境の地に赴いたとくれば、もう確実でしょ。
それにフェリックスさんの第一王子を語る時の態度。団長のことを説明している時と同じだったし。
「ご主人。どうしてそんな美味しい話を蹴ったんですか!」
「(ご主人…?)……私はそういうものに興味がない。それに宰相なんぞ、ただ面倒なことに巻き込まれるだけだ」
「……」
らしい、といえばらしいんだけど。 でも「面倒だから」なんて理由で、よく王子、というか王家からお許しをもらったよね。
宰相になるくらいなんだから、王家からの信頼だけじゃなく、かなり優秀じゃないと無理だろう。そんな有望株を簡単に手放すかな。
首を捻っていると、またフェリックスさんと団長が話し始めていた。
「それで、どうするつもりなんだ?」
「王都に早馬を出しました。それが戻ってくるまでは、ここに留まることになりますね」
「まったく…。面倒なことは嫌いだと言っているのに」
「そう言われましても。勝手なことをすると主に何を言われるか」
どうやら騎士団は暫くの間、村に滞在することになったようだ。
まあ、私としてはあんまし関係ないか。これから騎士団と関わることなんてないだろうし。
ご主人じゃないけど、私も面倒なことは出来る限り避けたい。あ、面白そうなことは別腹だから♪
テーブルの上で美味しそうな香りを放っているクッキーを一つ口に放り込むと、食べ慣れた甘く香ばしい味が口一杯に広がる。
うーん。やっぱりレベッカの作るお菓子は絶品だね! 今度本格的に教えてもらおう。
軽く三つ目を口に運ぶ時、ふと視線を感じて顔を上げるとガントさんが何やら生暖かい目で私を見ていた。
「……なんでしょう」
「いえいえ。可愛らしい方だなぁ、と。小動物みたいで」
「…どうも…?」
小動物みたいって…。それは褒めてるんですよね? 褒め言葉として受け取りますよ?
ジトッと睨むと余計に微笑みが深くなった。もう何もすまい。
それからはフェリックスさんと団長もカップに口をつけてお茶会に。一杯飲み終わってから騎士団二人は帰って行った。村の宿に泊まるそうだ。
暫くの間、宿屋付近には近付かないと決めたのは当然だと思ってほしい。
**********
翌日。私はいつも通りに鍛冶屋に向かった。
昨日の山賊騒動は村人にとって「ちょっと危険な乱闘」程度の感覚でしかなかったようで。
フェリックスさんに尋ねてみたところ、山賊に襲われたのは今回が初めてではないらしい。死傷者が出なかった分、今回はマシだった。
『だから君には随分と感謝している。皆からも何か言われるだろうが……おい、変な顔をするな』
とご主人からも言われたのだが。私としてはレベッカの時のように良心が痛むので、そのままそっと忘れてくれ。
そして現在。鍛冶屋に行くまでに五人、バイト中に八人からの感謝の言葉を頂いた。全くもって申し訳ない。
お昼を人通りの少ない場所で食べて(レベッカ特製ランチ)、ロウルさんに午後の予定を訊こうと鍛冶屋に戻ると、何やら表から騒がしい気配がした。
なんだろう…。気になるけど、何故かとてつもなく危機感を感じる。
こういう時の勘は不思議と当たるもので。それでも好奇心を抑えられないお年頃なんです。
ちょっとくらいなら、とドアの隙間から外を覗いてみる。そして思いっきり閉めた。
バタン! という大きな音に奥の部屋にいたロウルさんが驚いた顔を見せた。
「おいおい、そんなに強く閉めたら壊れるだろ。なんかあったか?」
「いやぁ…? ちょっと疲れてるなかな。白昼夢が」
「お前いくつだよ」
今年で19です。いや、そういう場合ではなく。
目をこすったり頭を左右に振ったり、ちょっと危ない人のようなことを一通りしてみて、もう一度そっとドアを開けた。
……やっぱり、いる。
私の視線の先には例のキラキラ団長。と、その取り巻きのような村娘の集団。騒がしい気配は彼女達が発生源だった。
娘達に囲まれたレイモンドさんは少し困った表情で、それさえも魅力としているのだから素直に凄いと思う。
あんな容姿が欲しいか、と訊かれれば即拒否するけど。
それはともかく。
私の察知した危機感はこれが原因だったみたいなので、さっさとドアを閉めたのだ。
ーーなのに。
「お? ありゃ、騎士団の団長様じゃねーか」
「うわっ、ちょっと!」
ロウルさんが遠慮なくドアを開け放ったせいで、こちらに気付いた団長と目が合った。
その瞳からは間違いなく「助けろ!」と言っているのが伝わってくる。それでも娘達には笑顔を向けていられるのが逆に怖い。
…うん。これは関わらないのが吉。絶対面倒なことになるもん。
レイモンドさんに向けて両腕を交差させて意思表示すると、途端に絶望したような気配が(相変わらず表情は変わらない)。
ごめんよ、団長様。さすがにその状態の貴方を助けられるほど、私のメンタルは強くないよ。
命の危機ではないんだから、大人しく彼女達に付き合ってあげて下さいな。
そして敵前逃亡を図ろうとしたのだが。
「黒髪のお嬢さん!」
先制、レイモンドさん。
ピタッと動きが止まる。確か、この村に黒髪は私しかいなかったような…
あぁ、背中に突き刺さる視線の数! こうなると判っていたから逃亡を図ったのに!
引きつった顔で振り向くと、団長が満面の笑顔で手を振っていた。その周りには不機嫌そうな顔の取り巻き。
……逃げたい。切実に。
でも私の心なんて知らない(わけがない!)団長は娘達の間を縫うようにすり抜けると、足早に歩き寄ってきた。
彼の心情的には一刻も早くあの中から抜け出したい一心だったのだろうが、そう思わない人達もいるわけで。
きっと彼女達には私と話したいがために急いでいるように見えているんだろうな…。だって視線に殺気が混じり出したし。 私の目の前に立った団長様は、視線を合わせてニッコリ笑った。
「昨日はありがとうございました。本来なら我ら騎士団がやらなければならない仕事。感謝と共に謝罪の気持ちも込めて、何か私にプレゼントさせてはくれませんか?」
そして、あろうことかレイモンドさんは私の片手を掬い上げて、貴族風の挨拶をした。
つまり、手の甲にキスしたのだ。
おいぃぃぃ! 団長、後ろ! 後ろに敵がいるから! そんなことしたら私の命が危険に晒されるだろうが!
違う理由で硬直した私をスッパリ無視して、団長はそれはもう素敵な笑みでこの場から立ち去った。
…私を連れて。やめてくれよマジで!
最後の挨拶は素です。
次回は『黒と金』