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「おはよう」
「おはよう、加藤くん」
「おう、お早う」
時刻は、朝7時45分。
生徒が続々と登校し始め、今日も「勉強大好き桜里」の、真面目な一日がはじまった。
生徒たちは規定の黒鞄に教科書、本、参考書やらを詰め込み、基本的に硬い表情で個々歩みを進めていた。
知り合いに多少あいさつすることはあっても、そこで仲良くしゃべる、等ということはない。
冷徹というわけではないが、人間関係に淡泊であり、基本勉強第一。それが、桜里生の特徴である。
―――だが。
例外、というのは、必ずどこにでも混じっている可能性がある。
「ヒヤアァーーーーーーーーーーーーーーッツホーゥ!」
奇声をあげながら、物凄い勢いで、スケートボードで生徒を突き抜けた者、役一名。
「し、敷島……」
「……危ないですよ。……」
彼は、派手な茶髪に365度、面も裏も加えて上下ともに、いかにも不良な外見をしていた。
今日は、早朝にしては人が多いな、なんて思いつつ、そのまま猛スピードで廊下に突入する。
「あああああ、どいてどいて~~~~~! 俺、五柳より早くついて仕事しないと、今日こそこの世が終わっちまうゼ~~~~~~~ッ! だからてめえら、どけーーーーーーーッ!」
だが本人は、相当切羽詰っているらしい。周りの眼を全く無視し、スケボを暴走させて長い廊下を驀進していた。
ふと、左手のアナログ腕時計で時間を確認する。
「まだ6時45分! いや、今6分になったッ! よっしゃアー助かったゼ! もらったあッ!」
そしてわずか3分で、不良茶髪の敷島は目的地、生徒会部室の前に辿り着いた。
「これで、いつもの五柳のまま……第二の人格は眠ったままだッ……!」
敷島は息ひとつ乱さないまま、光が照らす生徒会の黒い扉を開けた。
その先の薄暗い空間には、誰もいない。
それを見て敷島は、ニヤッと笑った。
「うし! 一番乗り。でもって多数決の持ち票プラス1~! ぜってー、持ち票集めて制服の改造可能を校則に付け加えてやる」
電気をつけるとしたり顔で生徒会部室を見回し、言った。
因みに、持ち票というのは執行部の話し合いにおける多数決の際の、一人あたりの投票可能な票の数である。
基本的に事項を決定する多数決は一人一票なのだが、桜里の生徒会執行部は何故か、一人複票という原則をとっていた。
そして、毎日、その票を部室到着が一位だった執行部員が手に入れる、というわけだ。
持ち票が増えればそれだけ生徒会での決定権が掴める。そうすれば大きなアクションができる。
厳密に言えば、更に持ち票についてのルールは更に詳しく決まっていたが、この早い者勝ちルールのおかげで、生徒会執行部のメンツのやる気が保たれている部分もあった。
敷島はニヤニヤしながら、カラフルに落書きされた黒い鞄からパックの紅茶飲料を取り出し、ストローを飲み口に刺した。
「モーニングコーヒーじゃなくてモーニングティー。へへ、おしゃれジャン? 俺ぃ。さあ、仕事~」
紅茶を一口吸いながら、定位置――回転式椅子の上にしゃがみ、笑う。
だが、その笑顔はすぐに凍りついた。
――7時49分、そして50分。
机の上のデジタル電波時計が光り表す時間。6時じゃなくて、7時。ありえない。
敷島は、カッコイイと思ってつけていたアナログ時計を、呪った。……デジタルにすればよかった!
(この時間なら間違いなく、五柳来てるよな……上守も。小藤は例外として、ヤバい……)
首をギギギギギ、と動かし、左奥部屋の一番奥の窓を見る。
(ぜってー、こっち見てるだろ……!)
だがそこにある生徒会長の机には、どれだけ目を凝らしても予想していた男の姿はなかった。
しかし、安堵をすることはできない。こういう時は更に不味い。あいつは背後に立っている……。
「こ、五柳……?」
だが、振り向いたそこにも、予想していた男の姿はなかった。
敷島が行動に困っているその時……。
――黒い扉が、ゆっくりと開かれた。
「ああ、敷島。遅かったわね」
「あ、う、上守……? 五柳は……?」
そこにいたのは、生徒会執行部書記、長髪の眼鏡女子、上守沙柚だった。会長、五柳の姿は無い。
敷島が尋ねると、上守は感情の薄い眼を変えないまま、口の端を軽く上げた。
「フッ……、何かしらね、さっき用事があるって帰ったわ……? よかったわね」
「……帰った? 五柳が? 今日、議会あんだぞ? 会長が欠席って、どうすんだよ!」
「さあて、それは授業後いざ議会にならないとわからないわ……でも、相当顔面蒼白で焦ってたように見えたから、静夜、よっぽどのことがあったようね」
上守は、表情一つ変えぬまま、書類を腕に抱え、答えた。
「あいつが、顔面蒼白? おまえ、何か知ってるのか?」
「……さあ。私の情報収集能力を持ってしても、静夜は掴みきれない男だから。でも、開央の女の子の生徒手帳持っいて、彼女について調べて欲しいとかなんとか言われたから、私はとある線で調べて教えてあげたけど?」
「女? あ、もしかして、五柳の彼女とか……?」
敷島が真顔で考える。
「ああ、それあるかも。でも、裏に何かあるのは間違いないわね」
「おう……まあでも気になるけど、探りいれるのは止めとこうかな? 下手に調べてしまうと、あいつの第二人格を起こしかねない」
「フフッ、人には触れられたくない事ってのも、あるからね」
上守はそういうと、微かに表情を和らげた。
「それにしても、あなた、怒らせなくてよかったわね。いい加減仕事片づけておかないと、今度こそ明日、会長さんの第二人格を呼び覚ましちゃうわよ?」
「ハイハイ! わかってるっての、上守」
上守の忠告を受け、敷島は紅茶を片手にフッと笑って答えた。
そのころ黒髪の男は、金のピンが付いた白いシャツを、部屋のベッドに脱ぎ捨てた。
黒いタンクトップの上に、漆黒のパーカーを羽織り、フードを目深に被る。
白いシャツの上に、プラスチックフレームの黒縁眼鏡が投げ捨てられ、部屋の扉が閉まった。
男は、久々に、部下たちの前にその姿を現すことにした。
「LIE……」
男の小さなつぶやきが、ビル群の間の暗がりに消えていった。




