好きな人への贈り物を、一緒に選んでほしいと頼まれました
好きな人に、好きな人への贈り物を相談された。
しかも私は、その相談を笑顔で引き受けてしまった。
「少し、見てもいいですか」
火曜日の午後四時。店内にほかのお客さんはいなかった。
向かいの自転車店から来た相沢さんは、入口のマットの上で靴底を二度こすった。雨は降っていない。作業場から出てきたときの癖だった。
相沢さんは普段、入口で用件を済ませる。今日は食器棚まで進み、カップを一つ持ち上げては戻していた。
「贈り物をお探しですか?」
「はい。でも、何がいいか分からなくて」
「どなたに?」
「……好きな人です」
値札を貼っていた指が止まった。
貼りかけのシールを、爪の先で押さえる。
「お誕生日ですか」
「いえ。そういうんじゃなくて。何か、渡したくて」
「ご予算は?」
いつもの質問は便利だ。声が勝手に仕事をしてくれる。
相沢さんは少し迷って、五千円くらい、と言った。
商店街の雑貨店『つむぎ』で働き始めて、四年になる。二十九歳になった今年も、私は店長の叔母と二人で、食器や布小物や季節の飾りを売っている。
向かいの店を父親と切り盛りしている相沢さんは、私より二つ上だった。
話すようになったきっかけは、春の強風だ。
店先の看板が倒れ、私が持ち上げようとしているところに、彼が走ってきた。
それ以来、風の強い日は、向かいからこちらを一度見る。そのたび私が親指を立てると、相沢さんも作業用の手袋をした手を上げてくれた。
それだけで、一日の調子がよくなるような相手だった。
「好みは、ご存じですか」
「派手なのより、落ち着いた感じだと思います」
「お好きな色とか」
「青。たぶん。……でも、自分のものはあまり買わないみたいで」
私は棚から、紺色の薄いストールを取り出した。
自分が欲しいと思っているものは、勧めないようにした。
◇
「これ、俺に?」
そう聞かれたときの声を、まだ覚えている。
二年前、当時の恋人に贈った財布。彼が使っていたものと同じくらいの大きさで、傷のつきにくい革を選んだ。
「もうちょっといいやつ、自分で買おうと思ってたんだけど」
財布は箱へ戻され、彼はスマートフォンで、欲しかったというブランドの画面を見せてきた。
次の誕生日は、先に聞いた。
指定された靴を買い、サイズも色も間違えなかった。それでも、店の袋を見た彼に、ああこれね、と言われたとき、渡すまで楽しみにしていた自分が恥ずかしかった。
その頃には、私が自分のために選んだものにも、彼の顔色をうかがっていた。
出先で青い小鉢を買おうとすると、「地味だな。こっちの方がよくない?」と、彼は白い器を指した。私は青い方を棚へ戻した。
別れた理由は、贈り物だけではない。
けれど別れたあと、人に何かを選ぶと、会計の直前に手が止まるようになった。
喜んでくれる顔を思い浮かべるより先に、箱に戻されるところが浮かぶ。
店では、お客さんの話をよく聞き、いくつか候補を出す。最後に決めるのはお客さん。それなら平気だった。
「肌触り、いいですね」
相沢さんが、ストールの端にそっと触れた。
爪の際に、落としきれなかった黒い汚れが少し残っている。
「冷房の強いお部屋でも使えますし、秋口にも」
「うん」
「お洋服の感じはどうでしょう。普段、こういう色をお使いですか」
相沢さんは答えず、ストールと私を交互に見た。
「野々村さんは、こういうの、もらったら嬉しいですか」
「私は、嬉しいですけど」
顔を上げないで答えた。
嬉しいに決まっている。相沢さんが私のために選んでくれたなら、どれだって。
でも、そんな返事は役に立たない。
「その方は、寒がりですか?」
「どうだろう。忙しいと、昼飯を後回しにする人で」
「はい」
「気に入ったものを買っても、もったいないからって、なかなか使わないんです。人のは、すごく真剣に選ぶのに」
私もそうだ。
去年、自分で買った花柄のハンカチを、一度も使わず引き出しにしまっている。この間、昼食を買いに出る叔母に使わないのかと聞かれ、もったいなくて、と答えた。相沢さんも、叔母の自転車の空気を入れながら聞いていた。
昼食のことだって、叔母が「紗季は放っておくと三時まで食べない」と彼にこぼしたことがある。
でも、叔母から聞いた誰かの話かもしれない。私から確かめる勇気はなかった。
「だったら、毎日使えるものもいいですね」
私はストールを畳み直した。
次はカップにしよう。話していると余計な期待をしてしまう。候補を出して、選んでもらって、包めば終わる。
「その方なら、相沢さんが選んでくれたものなら、きっと嬉しいと思います」
言ってから、自分の返事になってしまったと思った。
相沢さんは返事をせず、私の顔を見た。
「……今、無理してます?」
「え?」
「すみません。変な聞き方してますよね、俺」
私は畳んだストールを抱えたまま、彼を見た。
「これ、野々村さんに渡したかったんです」
空調の音が、急にはっきり聞こえた。
「自分で選んで、ちゃんと気持ちも伝えようと思って来たのに、何がいいか全然分からなくて。相手を聞かれたとき、あなたですって言えばよかったんです」
入口で車の音がした。相沢さんはそちらを見かけて、私へ向き直った。
「ほかの人にあげるみたいな相談して、選んでもらうつもりじゃなかったです。ごめんなさい」
私はストールを棚へ置いた。畳んだはずの端がずれていたが、もう直せなかった。
「私、ですか」
「はい」
「青が好きなのも?」
「この前、青い釉薬の皿が入ったとき、すごく嬉しそうだったから」
そんな顔をしていたとは知らなかった。
皿が入荷した日、彼が修理した叔母の自転車を届けてくれて、ちょうど開梱していた私が、新しい品物を見せた。
新しい皿が入ったのが嬉しくて、私はずいぶん長く話した気がする。彼は帰り際まで聞いてくれていた。
「先に、ちゃんと言います」
相沢さんは、店へ入ってから初めて、まっすぐ私を見た。
「好きです。よかったら今度、二人で出かけませんか」
私は口を開けた。
嬉しい、と言いたかった。私も、と続けたかった。
でも息ばかり出てきて、うまく声にならない。
「今すぐ返事しなくて大丈夫です。贈り物も、今日はやめます」
急いで首を振った。
「出かけたいです」
「ほんとに?」
いつもより少し高い声だった。
「私も。相沢さんと」
そこまで言うと、頬が熱くて、もう何も足せなかった。
彼は、よかった、と言ってから、もう一度同じことを言った。
私も何か返そうとして、結局うなずいただけだった。
向かいの店先で、自転車のベルが鳴った。相沢さんのお父さんがお客さんを送り出している。
相沢さんが帰ったあと、私は値札のシールを探した。ずっと左手に貼りついていた。
◇
その日の閉店後、叔母に報告すると、レジを数えていた手が止まった。
「やっと?」
「知ってたの?」
「さあ。紗季が向かいを見る回数なら、知ってるけど」
硬貨を積み直す叔母の横で、私は包装紙の端を揃えた。
向かいを見る回数。そんなものを数えられていたのかと思うと、しばらく顔を上げられなかった。
相沢さんとは、帰る前に連絡先を交換し、週明けの月曜日に会う約束をした。雑貨店の定休日で、彼は父親に店を任せられる日だった。
駅前で昼食を取り、私が以前から行ってみたかった隣町の生活道具店へ行く。
場所を決めるメッセージは、その日の夜に来た。
『何か食べたいもの、ありますか』
私はパスタと打ち、消した。
相沢さんはよく食べる。あの店の量では少ないだろうか。
定食と打ち直してから、それも消した。
画面の上に、彼が返事を打っている表示が出た。
『俺は辛いもの以外なら、だいたい好きです』
思わず笑った。
相沢さんに苦手なものがあると、初めて知った。
『駅前のパスタ屋さんに行ってみたいです』
『じゃあ、そこにしましょう』
すぐに返ってきた。
それだけのやり取りを、歯を磨いてからもう一度読んだ。
翌朝、相沢さんは店を開ける前に、私のところへ来た。
「昨日、言いそびれたんですけど」
また何かあるのかと、看板を持つ手に力が入った。
「あのストール、野々村さんが好きなのを選んだわけじゃないですよね」
「……はい」
「昨日、結局、野々村さんの欲しいものを聞けてなかったなって」
私は笑った。
相沢さんは笑わず、私が看板を置くまで待っていた。
「月曜、もし何か気に入ったものがあったら、俺から贈ってもいいですか。なかったら、また今度で」
返事が遅れた。
彼の言い方は嬉しかった。それなのに、店の棚に並ぶ品物を思い浮かべたら、急に落ち着かなくなった。
「そんな、悪いです」
「ああ、すみません。いきなりでしたね」
相沢さんはあっさり引いた。
そのまま向かいへ戻ろうとする背中に、私は声をかけた。
「嫌なんじゃ、ないんです」
彼が振り返る。
私は看板の足の位置を少し直し、それから話した。
昔、贈ったものを喜んでもらえなかったこと。欲しいものを聞くようになっても、渡すのが楽しみではなくなったこと。
今度は自分がもらう側なのに、選んだものを変だと思われないか、考えてしまうこと。
話してみると、ずいぶん面倒なことを言っていた。
「雑貨屋で働いてるのに、おかしいですよね」
「それとこれは、別じゃないですか」
「俺も、自分の自転車を人に見せるとき、ちょっと緊張しますよ」
「相沢さんが?」
「趣味で組んでるやつ。乗り心地より見た目で選んだ部品もあるから。店の人間なのに、そっちかって思われそうで」
初めて聞く話だった。
店の中にいる彼はいつも、私よりずっと迷いなく暮らしているように見えていた。
「見てみたいです」
「今度、持ってきます」
相沢さんは少し笑った。
「月曜のことは、急がなくていいです。俺も見たい店だし」
向かいへ戻った相沢さんは、お父さんに何か言われていた。首を振って作業場へ入っていく。
私も店へ戻った。相沢さんの自転車は、どんな色なのだろう。
◇
約束の月曜日、相沢さんは作業着ではなかった。
それは当たり前なのに、待ち合わせ場所で一度、前を通りすぎかけた。
「分からなかった?」
「分かりました」
「今、通りすぎようとしましたよね」
白いシャツの袖が、肘の少し下まで折ってある。
いつも首にかけているタオルがない。それだけで、目の置き場に困った。
「相沢さんも、いつもと違うので」
「野々村さんも、違いますね」
紺のワンピースを見られて、思わず裾を引いた。
彼は私の顔へ目を戻し、似合ってます、と言った。
お礼を言った声が小さくなって、もう一度言い直す羽目になった。
パスタ屋では、相沢さんが大盛りを頼んだ。
私は内心でほっとした。量の心配をしていたと話すと、彼はメニューを指して、便利な制度があるから、と真顔で答えた。
笑っていたら、食べ終える頃には朝の緊張が薄れていた。
電車で二駅先へ移動し、生活道具店に着いたのは一時半だった。
古い倉庫を改装した広い店で、棚ごとに作家の名前が書かれている。
私は入口近くの籠で足を止め、その隣の刷毛に見入り、気づくと相沢さんを待たせていた。
「すみません、ゆっくり見すぎて」
「この刷毛、何に使うんですか」
「パンくずです。テーブルの上を掃くのに」
「へえ。父がいつも手で集めて、床に落とすんですよ」
相沢さんは小さなちり取りと刷毛を見比べ、店員に使い方を聞いた。
私は隣で、柄の木目を見ていた。
待たせていると思ったけれど、彼もここで買い物をしているのだった。
奥の棚には、陶器のマグカップが並んでいた。
白、灰色、飴色。その中に、底の方だけ青の濃いものがあった。
持ち上げてみると、見た目より軽い。取っ手に指を入れたとき、内側にざらつきがない。
私はもう一度、持ち替えた。
「それ、いいですね」
相沢さんの声に、棚へ戻しかけた。
「青、好きなんです」
「うん」
「こういう、少し色むらがあるのが。あと、取っ手が……」
説明しながら、言い訳みたいだと思った。
相沢さんは隣の飴色を持ち上げて、取っ手に指を通している。
「ああ、ほんとだ。持ちやすい」
それから、私の手元を見た。
「欲しいですか」
値札を見た。三千三百円。
払えない値段ではない。自分で買えばいい。そう思うのと同時に、火曜日の彼の言葉が浮かんだ。
好きな人への贈り物。
私はカップを胸の下あたりで持ち、相沢さんを見た。
「これを、いただいてもいいですか」
「はい」
相沢さんはカップを受け取ろうとした。
カップを渡すとき、私の指と彼の指が取っ手のところでぶつかった。
私は本体を支えたまま、取っ手に添えていた指を離した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
相沢さんが受け取ってから、ようやく私も手を離した。贈ってもらうのは私なのに、お礼を言われてしまった。
相沢さんが先に笑ったので、私も笑えた。
会計には、私も隣へ並んだ。
彼はカップのほかに、さっきの刷毛とちり取り、それから飴色のカップも買った。
「そちらも贈り物ですか」
店員に尋ねられ、相沢さんは飴色の方を指した。
「これは、自分のです」
私の青いカップだけ、薄紙に包まれて、小さな箱に入った。
◇
帰りの電車は空いていた。
並んで座り、二人分の紙袋を足元へ置く。
「あのカップ、相沢さんも気に入ったんですね」
「取っ手、よかったから」
電車が動き出した。窓に、私たちが薄く映る。
「あと、同じのを使えたら嬉しいなって」
相沢さんは前を向いたままだった。
私は窓から目をそらし、膝に置いた手を見た。
「私も、嬉しいです」
彼の手が、座席の上で少し動いた。
自分の手を近づけていいのか迷っているうちに、電車が次の駅へ着いた。
乗ってきた親子が向かいの席に座る。
結局、手はつながなかった。
でも、降りる駅まで、私はずっと右手を気にしていた。
改札を出て、商店街の入口まで歩く。
私の家はそこから東へ、相沢さんの家は店の裏手だった。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。また行きましょう」
「はい」
相沢さんは私の紙袋を渡し、少し黙った。
「次は、もう少し早く誘います」
「早く?」
「プレゼントの相談とか、しないで」
私は袋を抱えたまま笑った。
彼も笑ったけれど、耳が赤かった。
「相沢さん」
「はい」
「私、まだちゃんと言ってませんでした」
駅から人が歩いてきたので、二人で道の端に寄った。通り過ぎるのを待って、私は続けた。
「私も、好きです。看板のこと、いつも気にしてくれるのも。話したこと、覚えていてくれるのも」
相沢さんは返事をしかけて、口を閉じた。それから、ありがとうございます、と頭を下げた。つられて私もお辞儀をしてしまった。
「それで、来週の月曜日。自転車、見せてください」
彼は、来週、と繰り返した。
「もちろん。昼からなら」
「お昼も一緒に」
「はい」
返事が早くて、また嬉しくなった。
そこで別れたのに、角を曲がる前に一度振り返った。
相沢さんもまだ、同じところに立っていた。
私は紙袋を持っていない方の手を上げた。
家に着くと、箱を食卓に置いた。
留めてあるシールの端を爪で起こし、包装紙が破れないように開く。
薄紙の中から青いカップが出てきた。
食器棚の、来客用の皿の隣が空いている。
そこへ置きかけて、やめた。
台所へ持っていって洗い、お湯を沸かした。
いつものティーバッグを入れると、濃い青の底が見えなくなった。
勿体ないような気が、少しした。
それでも取っ手を持って、一口飲んだ。
スマートフォンで写真を撮り、相沢さんへ送った。
『さっそく使いました。持ちやすいです』
少しして、写真が返ってきた。
飴色のカップに、コーヒーが入っていた。縁のところに、小さな泡が残っている。
『俺もです。つい入れすぎました』
写真を見ると、持ち上げるのが心配なくらい、なみなみと注がれていた。
『気をつけてくださいね』
『一口目、台所で飲みました』
笑って、私もお茶を飲んだ。
明日になれば、向かいの店が開く。
『明日、お店に寄ってもいいですか』
送って、まだ温かいカップを両手で包んだ。
返事が来る前に、もう一度打った。
『今日は楽しかったです。また会いたいです』
今度は、消さなかった。
~完~
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