「母上を泣かせるな!」未来から来た息子の一言で、婚約破棄はざまぁに変わる
初投稿です。
未来の息子シリーズ第1弾!
よろしくお願いします。
「セレスティーナ・エルヴェール。お前との婚約を、ここで破棄する」
その一言は大広間の空気を切り裂き、沈黙を生み出した。蒼黒の髪を束ねた王太子アレクシス。その姿は堂々として見えたが、胸の奥では別の声が必死に叫んでいる。
(言いたくない……! 俺はこんなことを望んでいない)
心が否定するのに、口は勝手に動いてしまう。唇から零れ落ちるのは氷のような言葉だけ。誰よりも愛する女性に突きつけられる刃。それがどれほど残酷か、彼自身が一番理解していた。
視界に映るセレスティーナは、毅然と立ち尽くしていた。プラチナブロンドの髪が光を受けて揺れ、蒼い瞳は気高く澄んでいる。誰よりも凛として美しい。彼女こそ、アレクシスが愛し、守るべき存在だった。
だがその隣で、リリスが震えながら涙をこぼしている。小鳥のように頼りなく、彼の袖を掴む仕草が無意識に庇護欲を刺激する。
(違う……! 守りたいのはリリスじゃない。俺が愛しているのは、セレスティーナだ)
必死に叫ぶ声は、喉をすり抜けることなく胸の奥で潰れた。代わりに「リリスを守れ」という甘美で抗いがたい囁きが、頭の奥で木霊する。まるで心そのものが操られているかのように。
アレクシスは息を詰めた。己の手で、最愛の女性を追い詰めている――その地獄のような矛盾が、彼の心を切り裂いていった。
――それは半年前のこと。王城の庭園で、アレクシスは偶然ひとりの少女を見かけた。
泥に裾を汚しながら花壇の前に膝をつき、折れかけた花を必死に支える姿。薄桃色の髪を持つ男爵令嬢、リリス・アーデルハイトだった。
「……大丈夫か?」
驚いたように顔を上げた彼女は、小鳥のように怯えながらも微笑んだ。涙を浮かべた琥珀色の瞳。その健気な姿に、アレクシスは心をかすかに揺さぶられた。
その瞬間、指先が触れた。微かな温もりと共に、得体の知れない倦怠感が身体を這い上がる。気のせいだと振り払ったが――それが最初の罠だった。
以来、奇妙な衝動が彼を蝕んだ。リリスと目が合うたび「庇わなければ」という衝動が湧き、涙を見れば無性に抱きしめたくなる。セレスティーナへの愛を胸に刻んでいるはずなのに、理性が霞んでいく。
「殿下、好きです。どうか私のそばにいてください」
その囁きは鎖のように絡みつき、アレクシスの言葉と行動を奪った。気づいたときには、もう抗えぬ糸に絡め取られていたのだ。
今日、大広間に響いた「婚約破棄」の言葉も――操られた人形としての声に過ぎない。心では必死に否定しても、唇は冷たくセレスティーナを突き放す。
(違う、俺はそんなことを望んでいない……!)
心の叫びは届かない。視界の端でリリスが涙を流し、そのたびに絡みつく糸が強く締まる。愛すべき人を追い詰めながら、どうすることもできない。
その絶望が、アレクシスの心を黒く染めようとした――まさにその時だった。
まばゆい光が大広間に奔った。誰もが息を呑む中、その中から一人の少年が姿を現す。
蒼黒の髪に、月光のような銀を混じらせた少年。その蒼い瞳は王家の証であり、星のように煌めいていた。
「母上を泣かせるな!母上を断罪することは……絶対に、許さない!」
アレクシスの心臓が大きく跳ねる。操りの糸が軋み、かすかにひび割れた音がした気がした。
その声に、大広間の空気が震えた。誰もが戸惑い、囁きが広がる。しかし少年は一歩も退かず、まっすぐにアレクシスを射抜いている。
「父上……」
その呼びかけに、アレクシスの胸が強く揺さぶられる。血が反応し、魂が共鳴した。半年前から絡みついていた魅了の糸が、ひとつ、ぷつりとほどける音がした気がした。
少年は名を告げる。
「ぼくの名はシリウス。王太子アレクシスとセレスティーナ、2人の子です」
その名が響いた瞬間、セレスティーナの瞳が揺れる。アレクシスもまた息を呑み、胸の奥が熱く脈打った。
沈黙を破ったのは、震える声だった。
「そ、それは嘘です! 殿下を惑わすために現れた幻に決まってます!」
リリスが涙を浮かべ、必死にアレクシスの袖を掴む。怯えた小鳥のような仕草で、周囲に助けを求めるように視線を泳がせた。
「お願いです殿下……私を信じて。突然現れたこの子供のほうが怪しいと思いませんか?」
その訴えに、一部の貴族たちはざわついた。だが同時に、シリウスの澄んだ瞳がまっすぐにリリスを見返す。その眼差しには一片の迷いもなかった。
「母上を陥れ、国を滅ぼすのは……あなたです」
シリウスの言葉は、大広間の空気を凍りつかせた。リリスの顔から血の気が引き、必死に声を張り上げる。
「ち、違うんです! 私はそんなこと……そんなことするはずない! 殿下を……殿下を愛してるのに!」
彼女の叫びは震えていたが、言葉に力はなかった。涙でぐしゃぐしゃになった顔をさらし、必死に同情を買おうとする。だが貴族たちの目は、次第に冷ややかな色を帯びていく。
「リリス嬢……本当に殿下を惑わせていたのか?」
「まさか禁呪を……?」
囁きが広がり、視線が一斉に彼女へと注がれる。その重圧にリリスは青ざめ、縋るようにアレクシスへ手を伸ばした。
「殿下! お願いです、信じてください……! 私を守るって言ってくれたじゃないですか!」
だがその声に、アレクシスはもう揺れなかった。彼の瞳には、セレスティーナとシリウスの姿しか映っていない。リリスの手は空を掴み、彼女の訴えは虚しく響くだけだった。
シリウスは怯むことなく、静かに口を開いた。その声は幼さを残しながらも、場にいる誰よりも重く響く。
「……母上は断罪され、城を追われました」
その言葉に、セレスティーナの胸が強く締めつけられる。アレクシスもまた、拳を固く握りしめた。未来を告げる言葉ひとつひとつが、刃のように胸を抉っていく。
「父上は操りの糸を断ち切った後も、どうしても母上を諦められなかった。立場も身分も投げ捨てて、辺境をさまよい続け……そしてようやく母上を見つけ出した。ぼくは、その後に生まれた子です」
アレクシスの心臓が大きく跳ねた。未来の自分が、全てを投げ捨ててでもセレスティーナを追い求めた――その事実に、どうしようもなく胸を衝かれる。
だが、シリウスの瞳に浮かぶ影は深い。
「……けれど幸せは長くは続かなかった。リリスの暗躍と城の混乱が広がり、国は内乱に沈んで……。父上は国を守るために玉座へ戻りました。けれどその玉座は血に塗れ、国は滅びました」
その言葉と同時に、アレクシスの視界に未来の光景が割り込んでくる。燃え落ちる王都、崩れ落ちる城壁。空洞の瞳で玉座に座る自分。嗤うリリス。足元には、血に染まった蒼いドレスが横たわっていた。
「セレス……!」
喉が裂けるほどの叫びも、未来の彼女には届かない。声は虚空に吸い込まれ、絶望だけが押し寄せてくる。
「違う……そんな未来は望んでいない!」
叫ぶアレクシスに、シリウスは真っ直ぐに頷いた。涙を浮かべながらも、その瞳には揺るがぬ決意がある。
「だから、ぼくは過去へ来ました。父上と母上を救うために。未来を変えるために」
アレクシスの胸の奥で、確かな鼓動が鳴り響いた。未来の惨状を知り、そして幼い息子の決意を受け取った今、もう迷うことはできない。絡みついていた薄桃色の糸が、ばらばらと弾け飛ぶ感覚が全身を駆け抜ける。
肺に流れ込む冷たい空気は、操られていた日々を洗い流すかのようだった。ようやく、自分自身の声を取り戻す。
「……リリス」
アレクシスは低く名を呼ぶ。その声には震えがなく、確かな怒りが宿っていた。
「男爵令嬢リリス・アーデルハイト。禁呪の使用は王国法で最も重い罪だ。お前は俺を、そして彼女を弄んだ」
リリスの顔から血の気が引いた。必死に言葉を紡ごうとするが、声はかすれ、貴族たちの冷たい視線が彼女を突き刺す。つい先ほどまでの同情は、もうどこにもなかった。
「ち、違う……私は……!」
震える声は虚しく響く。衛兵たちが動き、彼女の両腕を押さえ込んだ。抵抗の叫びは悲鳴に変わり、大広間にこだました。
アレクシスは深く息を吸い、セレスティーナの前に一歩進み出る。その姿勢は威厳に満ち、操られていた時の影は微塵もない。彼自身の意志で、彼女を守るために立っていた。
「――無実の公爵令嬢に向けられた断罪を、ここに取り消す!」
大広間に静寂が落ちる。やがて歓声と安堵の吐息が混じり合い、重苦しい空気が解けていく。リリスは連行され、残されたのは真実と愛だけだった。
セレスティーナが震える瞳でアレクシスを見上げる。彼女の頬には涙が伝っていたが、その光は確かに希望を映していた。
「……セレス」
アレクシスがその名を呼ぶと、喉が震えた。恐怖と後悔が胸を締めつける。だがセレスティーナは拒まなかった。蒼い瞳には戸惑いと涙が宿っていたが、そこに映る彼を突き放す色はなかった。
「やっと……戻ってきてくださったのですね」
その声が震えているのを聞いた瞬間、アレクシスの胸が痛む。彼は迷わず彼女を抱き寄せた。
「遅くなってすまない。操られていたとはいえ……君を苦しめたのは俺の罪だ。だが信じてくれ。俺は最初から、誰よりも君を愛していた」
セレスティーナの睫毛が濡れ、大粒の涙が頬を伝う。嗚咽混じりに彼女は言った。
「わたくし……信じていました。でも時には揺らぎそうにもなって……それでも……」
言葉は涙に呑まれる。アレクシスは彼女をさらに強く抱きしめた。震える背を何度も撫でながら、心の底から誓う。
「もう二度と、君を離さない」
その時、隣にいたシリウスの身体から光の粒がこぼれ落ちた。
「シリウス!」
アレクシスは慌てて抱きとめる。しかし少年は小さく首を振り、安心させるように微笑んだ。
「だいじょうぶ、父上。……未来は変わったから」
その言葉に胸が熱くなる。幼い肩に、どれほどの覚悟を背負わせてしまったのか。セレスティーナが駆け寄り、震える手でその頬を撫でた。シリウスは小さな手を重ね、優しく囁いた。
「母上……無事でよかった」
セレスティーナが涙を零す頬に、シリウスは小さな背を精一杯伸ばして口づけを落とした。
その仕草に、アレクシスの胸がずきりと痛む。
「こ、こらシリウス! 母上は俺の妻だぞ! 勝手にキスするな!」
思わず声を荒げると、少年は唇をゆがめてにやりと笑った。
「いいでしょ? 母上はぼくの初恋なんだから」
「な、なんだと……!」
アレクシスが真っ赤になって言葉を失う。その様子を、セレスティーナは涙を拭いながら静かに見守っていた。
「……ふふ、光栄ですわね。息子にそう言ってもらえるなんて」
「セレス!? 受け入れるな! こいつは俺の息子だぞ! 息子が母親に初恋とか……おかしいだろう!」
「アレク。おかしいのは、息子に嫉妬している父親のほうですわ」
「ぐっ……!」
アレクシスは返す言葉を失い、シリウスは得意げに胸を張る。
「ね、母上はちゃんとわかってくれる」
「……ああもう! やりづらい親子だな!」
セレスティーナは小さく笑みを浮かべ、二人にそっと手を置いた。
「でも……どちらも、わたくしの大切な愛しい人です」
その穏やかな声に、アレクシスは肩の力を抜き、シリウスも少し照れたように目を伏せる。
たとえ立場や時を超えても、この絆は消えない。
「……母上」
「……セレス」
三人の視線が重なった瞬間、大広間に漂っていた張りつめた空気はすっかり溶け、温かな家族の気配だけが残っていた。
「未来で、また会おう……父上、母上」
光に包まれたシリウスの姿は、風にほどけるように消えていった。残されたのは温もりと、言葉にできない喪失感。しかし同時に――確かな希望だった。
あれから幾年。嵐のような断罪劇は遠い記憶となり、王国には再び平穏が訪れた。
静かな寝室に赤子の泣き声が響く。セレスティーナが小さな命を抱き上げ、微笑む。
「見てください、アレク。わたくしたちの子ですわ」
黒髪に蒼い瞳を宿すその子を見て、アレクシスの胸がいっぱいになる。未来から訪れた少年と同じ名を口にした。
「……シリウス」
赤子は泣き声を止め、母の胸に顔を埋めて眠る。その姿に、アレクシスの目に涙が滲んだ。
「君と俺の未来は、本当に繋がっていたんだな」
セレスティーナが頬を染め、幸せそうに頷く。その微笑みを見て、アレクシスの胸の奥にあった小さな嫉妬の棘さえ、優しく溶けていった。
ふと、アレクシスは赤子の顔を覗き込みながら呟く。
「……お前、未来で母上に初恋だなんて言ってたな。今でもそう思っているのか?」
セレスティーナが目を丸くし、赤子の頬を撫でながらくすりと笑う。
「まあ、アレク。まだ話せもしない子に問いかけるなんて」
その時、眠っていたはずの赤子が小さく笑ったように見えた。アレクシスとセレスティーナは顔を見合わせ、同時に吹き出す。
「やっぱり……聞こえているのかもしれないな」
「ふふ……きっとそうですわ」
三人――いや、未来を知る家族の心は確かにひとつに繋がっていた。二人は寄り添い、小さな命を見守る。時を超えて結ばれた愛と誓いを、永遠に守り続けるために。
読んでいただきありがとうございます。
未来の息子シリーズ第2弾、第3弾も投稿しています。もしよろしければ、あわせてお楽しみください!
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