あなたは当主ではなくなりました。愛をなくす薬を飲んだので未練は残ってませんよ。縋らないで
「あなたは当主ではないわ」
「なんだと?」
驚く相手は、何に対して驚いているのかわからない。
目の前にいるのは、私の夫だ。
今、この言葉を投げかけているのも、最後通牒と言うよりも、何もかも超えたからこそ告げたのだ。
この結末になると皆知っている。
周りも察していた。
私も知っている。
二人の間にできた息子は、必死に私の心を覚まさせようとしていた。
結果的に言うと正解だ。
目を覚まそうと必死に頑張り、その方法を模索した。
最後に私は、夫への愛の心を無くす薬を完成させたのだから。
勝利はこちら。
負けた男は、もうすぐ元夫になる。
そして、何も知らないあなたには何も残っていない。
なんの感情も残ってはない。
彼は言った。
まだ残っている。
愛が残っていると言いたいのか。
夫自らが削っていたくせに、なんと滑稽なことを言うのか。
あると言うなど、それはそれは大きな自信ね。
言ったところで何も残っていないので、諦めてほしい。
ばかばかしいと、蔑む当主だった男。
人にそんなことを言える余裕があるとは、思えない。
蔑まれるのは嫌いなんだろう。
軽く鼻で笑ってやる。
よくそんな言葉を言ったものだ。
私は夫だった男を捨てるだけ。
どれだけ、軽視されれば気が済むのだろうと思う。
なんでなんでなんでなんで!
と今まで苦しんできたのに、彼は私ではない女をソバにいさせたくせに。
夫のくせに、妻の側にいないなんて、不誠実極まりない。
彼は、なんやかんやと言い訳をする。
しかし、そのような言い訳は二年前に、何の意味もなくなって、嫉妬心も全てなくなった。
なぜなら、妻たる己は愛する心を消す薬を開発したのだ。
それほど、心がすり減っていた。
馬鹿な男。
自分さえ愛していれば、最も幸せな男となれたはず。
馬鹿すぎる。
あまりに杜撰すぎる。
馬鹿馬鹿だ。
馬鹿だとしかいえない。
愛を消してしまえば、こんな男は不要の代物。
いらないものはいらない。
嫌いなので、どこか二度と目に見えない場所へやりたい。
自分の願いを叶えるには、やはり自分自身が動き、廃棄することが確実。
自身の息子も立派になったので、安心してこの男に引導を渡せる。
満足。
この男の父親。
孫からすると祖父。
私からしても義理の父も、頑張り屋の息子(孫)の仕事の方がしっかりしていて。
期待をかけてたり、支援を受けているし。
当主の仕事の放置っぷりの事実を知り、こちらに謝ってきたほど。
嫁とはいえ、他家の女(小娘)に頭を下げるなんて、よっぽどのことだ。
それをさせてしまっている迷惑をかけ続けた愛人持ちの息子(夫)は、そのことを知るべきだと思う。
思ったこと、過ぎてしまった文句がいっぱいありすぎて、言いたかったが。
この男のアホな顔を見ると、言う気が失せる。
今のうちに言うだけは。
言うだけでも、言った方がいいのかも。
今後、顔見るのが最後になるかもしれないので、実際に言った方がいいのだろう。
頭も悪く、良いところなんて顔だけだった。
そんなところに惚れたのが、心底、黒歴史というもの。
恥ずかしくて穴に入りたい。
息子が立派育ってくれたので、私も心機一転するつもり。
父親のはずのこの男は、まだ間抜け面を晒している。
だって馬鹿だから。
浮気相手と共に誰にも見つからない場所を用意してもらって、そこに押し込める計画。
愛人も邪魔になった。
廃棄物はポイだ。
愛人の性格も褒められたものではない。
面倒でわがまま。
そんな愛人を可愛がる自分に、優越感と万能感を感じる男。
しかし、どんな性格の男だろうと血は本物なので、価値はまだ残っている。
心を無くす薬が完成してよかった。
心を無くす薬は有効性が抜群で、今後も改善していきたい。
永遠に無くすことはできないが、服用することによって継続的に効果が出る。
男から愛人への恋心を消したら、面白そうね。
服用させようかしら、と実験動物扱いとしても価値も生まれていく。
愛人のあの女からも、心を無くす薬を飲ませれば、かなり楽しそうだ。
仕事ができない大きな大人が、理性をなくす様は見ていてスカッとしそう。
離婚した後はただの他人となる笑顔から、楽しみで仕方が良い。
ドアからは、合図で準備していた雇人たちを呼ぶ。
驚く夫は、あっという間に囲まれた。
屈強な男達に腕を取られて、いなくなる。
ずるずる、足を浮かせて間抜けな格好。
最後の最後まで、男は何か色々言い訳をしたり、泣いたり命乞いしていたりと忙しい。
叫びまで見苦しい。
それに取り合わない。
だって、もう聞き飽きたから。
それと、恋心がなくなったので。
不用品扱いで、そんなことも知らずに今も愛していると思われていることも、業が深い。
一生そう思われているなんて、絶対嫌。
ちゃんと言葉にしたり手紙に書いたりなどして、しっかり伝えることにする。
相手に希望など与えてやるものか。
息子も父親に対して嫌悪と侮蔑しかないらしいから、ざまをみていた。
私達は別に、喧嘩や言い争いなどの夫婦喧嘩をしていたわけじゃなかったが。
それでも、あの男は露骨にこの家に来なかった。
苦渋を舐めさせられてた。
やはり、理解しがたい。
やり返したい。
そう思うことは、なんら不思議ではない。
誕生日を忘れられるなんていうのは、序の口。
あろうことか、愛人に送った宝飾品の使い回しを妻に送る。
その装飾品は多分、愛人に気に入られなかっただけだと思う。
もう一度、使用していないとばかり渡してきたことから。
誰でもわかる。
馬鹿みたいだ。
馬鹿にされて、見下されていると一発で気付く。
本物だからこそよいという。
だからいいだろという空気が。
使われないからもったいないということを聞かされる、美化的価値とは。
こんなことに、もったいないという言葉の空気感を使わなくていい。
美化という言葉を使えるのは、心の清い人。
やってやれるのであって、心の清くないものがやったら、それは美化でも何でもない。
装飾品の使い回しを使う気なんて起きるわけがないので、普通に質屋に持っていった。
その費用はどこから出ているのかと考えれば、子と妻が仕事をしていた収入。
お金もしっかり入っている。
あの人がやるよりも沢山。
ふざけるな!と言いたかった。
今の今まで愛人を優先されていたからこそ。
愛人にお金を使うことは、悪いことだと思う。
馬鹿にするにも程ある。
不信感を持っていくのは順々。
今更遅いという勿れ。
誰に言われなくても、己が一番理解しているので。
愛想が尽きたというか、恋と愛の薬を飲んだからこその作用。
まさに、そういう心が最愛を感じなくなり、なにもかも気付いた結果なのだろう。
私は生まれ変わった。
男は何やら「そういうことじゃない」とか「あいつのことを愛していない」や「愛しているのは妻だけ」とか「お前だけ」だとか今更、ペラペラと言う。
ずるいことばかり、卑怯だ。
聞く耳はもう存在していない。
この男はどれだけバカなんだろうか。
今や、あなたが愛しているのは愛人だけであると言いたい。
自分の妻でさえ、愛情なんてかけらも持っていないと言うのに呑気なものだ。
皮肉なことだ。
なのに、まだ愛が残っていると思っているところは滑稽だ。
男は「息子の事はいいのか」と聞いてくる。
それをあなたが言うなんて。
その息子が、あなたを切り捨てたのだと知らないまま、この男は喚いている。
彼が送られる場所から、こちらへ手紙を送ろうとも。
また、舞い戻ってきたとしても、息子から受け入れられる事は無い。
二度と会わない男が、家族を最初に切り捨てたのだから。
私にはわからないけれど、自尊心が傷付いたからこそ私とも会わなかったのだと、ぶつぶつ言っている。
息子からも、尊敬の念を感じないやら。
しかし、そんな事は知るよしもない。
知るものか。
知りたくもない
何やらそんなことで、プライドが傷ついたらしいが。
そんなに嫉妬しては、この人はこの世に居る半数以上の人類に嫉妬していることになる。
心が小さい。
カーテンがひらりと揺れる。
この家には思い出がたくさんある。
昔の思い出なんて、もう汚れきっていて思い出せないほど。
模様替えでもしようかしら、と座ってメイドを呼ぶ。
メイドはこちらにやってきて、紅茶を持ってくる。
その高級茶は私の心を癒してくれた。
この紅茶を、息子と飲みたいと会いたくなった。
香り高い。
心が落ち着く。
息子は、夫の悲鳴と罷免の場面を見たいと言っていたが、絶対に息子に対して助けを求めてくる。
そんなことをさせたくないと私が頑として、断った。
引導を渡し、全てなくなったことを突きつけるのは、私の役目。
息子にやらせることではない。
揉めるのはわかりきっている。
揉め事になるからこそ、近くに居させてはならない。
夫婦の喧嘩を聞かせてはいけない。
今まで、夫の悪口を言った事はなかったが、一番息子が理解していた。
それは良いことか、悪いことかというと悪いことなのだろう。
悪いお手本だ。
恋心と愛する心を、消してしまう薬についてだが。
自分は昔から、天才と言われていた。
確かに、薬を作るとあっという間にできたし、すぐに作れるようになってしまった。
完成させてしまったことを考えると、本当に自分天才だったのかもしれないと思いながら、継続。
なぜ今なのかというと、夫のために家を執り仕切っていたから、暇なんてなかったのだ。
天才は天才でも、得て不得手はあるらしい。
賢いというよりかは、実践派という意味で天才だったらしい。
薬を作れたことに対して、嬉しかったが男を見る目や、忍耐力に関しても特に天才であって欲しかったと、今では思う。
息子がやってきて、母さん大丈夫かと聞く。
父親が連れて行かれたことを察して、慰めてくれているんだろう。
優しさに支えられている。
自分の人生で一番の成功体験は、できたの息子を持ったことだ。
一番の最低体験は、夫と結婚したことだろう。
息子を、授けてくれたことだけが彼ができた、最高の親孝行だったと思う。
惚れていた、自分に関しては最低最悪だったとしか言えないけれど。
母親になったからこそ、父親を切り捨てることが正解なのだ。
家族たるもの、そうでないとやっていけない。
あの男のせいで、色んな仕事などで足を引っ張られたと言っても、過言ではない。
あの男が、内情をペラペラしゃべったことが。
愛人経由で。
周りに特に、知られていると知った。
彼の父親が激怒した理由は、まさにそれ。
彼はやり過ぎた。
自身の家のことを言うなど、当主失格。
領地や身内を危険に晒す行為。
人間性以前の問題だ。
人として、子供の頃からこの領地に育てられた者として、やってはいけなかった。
彼の親が教育に失敗したと言える。
その失敗作と結婚したからこそ、破綻するのは時間の問題だった。
うまくいってしまったのは、正常な人間が周りにいすぎたせいだろう。
子供が成長した過程で、当主の父親の異常性が浮き彫りになっている。
彼は、周りに隙を見せ過ぎていた。
それは貴族として致命的。
おかげで、しなくていい苦労をした。
息子は母親の自分に保養地に行ってはどうだ、と聞いてくる。
それに対して、疲れたから行ってくるわと笑う。
息子にも、考える時間が必要だろう。
それに、いずれ息子も嫁を連れて来なければならないだろうし。
もう、女性にあたりをつけているのだろうかと、聞く。
しかし、息子はまだ好きな人なんていないと言う。
この領地を継続させ、引っ張ると言う真面目さだ。
好きな人と結婚させられてあげたい。
叶えてあげたいけれど、自分でさえうまくいかなかったからこそ、領地をきちんとしたい彼の頭を撫でる。
もうそんな歳ではないと恥ずかしがられたが、母親からすると、息子はいつまでも小さな子供。
保養地に行こうと、準備をするために立ち上がる。
そうして過ごしていると、馬車が到着したからと乗り込む。
有名な保養地域で、かなりリラックスできるだろう。
息子はこちらが見えなくなるまで、手を振ってくれた。
こちらも手を振り返すと安堵して息を吐いた。
あの男と対峙する時は、いつでも緊張する。
自分のことが好きなのだろうと、あぐらをかいている様が醜くても好きだったからこそ、手放せなかった。
自分の落ち度。
カタカタと揺られる中、夫との思い出を消すために、もう一度薬を飲んだ。
苦くて甘くて、まるで恋の味だと。
自分で作ったものなのに、その味に苦く笑った。
保養中に何をするのかと言うと、特に決まっていなかった。
しかし、息子の勧めで言っていた海に行くことにした。
海に行けば、波の音が心を休ませてくれるらしい。
博識な我が子だ。
あなたもどうかと誘ったが、今は一人で過ごした方がいいと、逆に説得された。
今まで愛されたい愛されたいと思っていたが、もう愛されたいと思わない。
それがこんなにも穏やかな気持ちにさせてくれるのならば、もっと早く心をなくしたかった。
息をゆっくりと吐く。
海の音が、ヒーリングとして、耳に入ってくる。
このヒーリングというのは、異国の本で読んだことで知った言葉。
なんというか、耳に入ってきて馴染む。
息子が一人での保養地を勧めたのが、なんとなくわかった。
一人でないと、心が完全に休めないからだろう。
恋心をなくすことは、休むこととは別なのだろう。
研究してもよくわからない部分でもある。
わからないまま、ただ突き進んだ。
着地点なんてわからなかった。
がむしゃらに作り続けたのだ。
本当に消せるかどうかなんて、自分にも他の人にもわからなかったし、息子だってそれに期待して待つほどの時間は残されていなかった。
他の、この未練をなくしたかったのだ。
おかげさまで、理想的な生活ができるようになった。
燃えるような感情がやっとなくなった。
忌まわしかった。
結果的には成功した。
保養地にいるのは私であり、夫ではない。
愛人と来るような場所でもあったから、一つ選択を間違えれば、ここにいるのはあの人であった。
私はほっと息をつく。
ほっと息をついた後、やっと深く座った。
隣のテーブルには、柑橘系の飲み物が置かれている。
自分で用意した。
湯気が天井に昇る。
椅子はぎしり、となって私の体を支える。
頼もしい。
自然と笑えた。
夫よりもしっかり支えてくれている。
椅子が。
その事実に。
ふふふ、ふふふと笑う。
息子に手紙で教えよう。
元夫よりも、頼りになる椅子を見つけましたと。