春を待つ話
初投稿なので、文章に不慣れなところが多いと思うますが、よろしくお願いいたします…!
遥か昔、畏れられていた一族がいた。
彼らのことを皆「自然族」と呼んだ。
帝国歴1850年の厳冬。
陽和帝国の最北部に重鎮しているアマレイヌ教団23支部の玄関が猛吹雪の真夜中にも関わらず激しく叩かれた。職員が扉を開けると、男が女を抱えて玄関に座り込んでいた。男は所々負傷していたが、それよりも抱えられている女の方が意識を失うほどの高熱を出していて危険な状態だった。
「何でもしますから妻を助けてください」
彼らを発見した職員が23支部をまとめている支部長であり、慈悲深い彼は訪れた男の美しく悲壮感が溢れる顔に無視ができなかった。すぐさま彼らに休養できる部屋を用意をするように指示を出し、常勤医による手腕でふたりとも回復をした。
先に回復した彼に「何があった」のか聞いたところ、アマレイヌ教団と敵対する”慈祭教”に襲われたと話した。「住んでいた場所には帰れません。何でもしますから匿ってください」と彼が懇願すると。慈悲深い支部長が男にいくつか条件を出す代わりに滞在を許可した。その条件の一つは男がアマレイヌ教団員になることであり、職種を決めるために知能、身体、心理に関する検査や筆記試験などを実施された。筆記試験に関して、男は全てを容易にこなし、身体能力も所属している職員が想像する以上の結果だった。検査の方では特に問題ないが、聖女・アマレイヌによる加護の象徴である”アーレ”が確認されなかった為、”一般調査員”として警察の手に負えない人災から天災までの信徒を害する対象の調査及び問題解決を全うする職務を与えられた。
男の名前は「秘守 尊」。年齢は尊の証言によると18歳である。試験の成績の他に特筆すべき点は、女性だと間違えるほどの非常に秀でた容姿である。男性と分かった後でも長く黒いまつ毛に縁取られている伏せがちな瞳に見つめられると「変な気持ちになる」と、証言する者が続出した。また、哀愁漂う微笑を見せられると尊が気に食わない新参者でも怒りが薄れてしまう。男性にしては細身だが、身長は179cmと決して小さくないにも関わらず、老若男女問わず彼に魅了された。
尊の妻は「雪」といい、年齢は尊曰く18歳である。何人かが彼女の幼い顔立ちに指摘したが、国に登録されている戸籍を確認したら事実だった。容姿は髪の先からつま先までの全身の色素が薄い。また、瞳がやや赤みを帯びた虹彩であることから先天性色素欠如症を疑われたが、視力に関する症状は特に認められなかった。だが、身体は生まれつき脆弱らしく、23支部に来た時から冬の季節が終わろうとする現在にかけて寒さと環境の変化によって何度も熱に苦しめられていた。このせいで、雪も何かしらの職務を与えられる予定だったが、身体の脆弱さや年齢に対して幼い言動から職務を全うするのは難しいと判断された。さらに夫である尊が過保護なせいでか部屋から出ることがなかなか少なかった。見た目や言動から本当に人間かどうか疑い持ち、確認しようとした者がいたが、そういった彼らは何故か次々と消えていった。
・・・
尊よりも一年以上アマレイヌ教団の調査員として活躍してる男たちが夕方の食堂に集まっていた。調査員として選ばれるだけあって、威圧感のある表情に脈が浮くほどの筋肉を持つ者ばかりだった。休憩中なのか、厨房に合った肉や魚、チーズなどを引っ張り出し、酒の宛てに食べていた。
「新人の顔を使って、この人手不足な支部を建て直すらしいぜ」
酒を飲みながら話すひとりに全員がそちらへ向く。”新人”とは尊のことであり、彼に対して何かしらの不満があるように話していた。それはこの場にいる全員がそうなのか、発言者に続けて不機嫌そうに零す者が続出した。
「顔がいいだけのお荷物を使って人員募集だってえ?ハハッ!相変わらず腰だけが最強な支部長様だ」
「同行者が行方不明やら重傷になるやらの疫病神なのに支部長のお気に入りなお陰で特にお咎めなし。その上、嫁持ちとか頭に来るなー」
グラスの中に酒を一気に飲みながら言う彼に隣の席に座っていた男が馬鹿にしたように尋ねた。
「えっ?あんな女でもいいの?ツラと乳以外いいとこなくね?声なんてガキかって思うくらいうるせえし」
「そんなん口を塞げば_」
「何を話されているんですか?」
彼ら以外の声に話を止め、そちらを向いた。
男にしてはやや高い声の主はやはり秘守尊だった。初対面では女だと勘違いした中性的な顔立ちは知った現在でも慣れない。だが、無駄のない体つきであってもよく見れば肩幅はしっかりとあり、あの吹雪の中で女ひとりを抱え、襲撃から逃亡する程の筋力があることは知られている。
一瞬、顔に見惚れていてが、そのうちの一人が魅了から逃れるように尊から背を向けた。
「な、なんでもねぇよ。さっさと失せろ」
冷たく言われたが、尊は彼の方に近寄って困ったように眉を下げた。
「もう数か月経ちましたし、隊員として親交を深めたいのですが……」
目を瞑ると、女性にも聞こえる声に彼は煩わしそうに答える。
「こっちがお断りなんだよ。支部長のお気に入りだからって調子に乗んなよ」
完全に拒絶された尊の表情はみるみる寂しげなものに変化した。それでも健気そうに口元だけは微笑んでいた。
「調子に乗ってる訳ではありませんが、僕の振る舞いのせいでそう思わせてしまったんですね……。申し訳ありません…。ご飯を受け取ったらすぐに消えます」
消え入りそうな声で伝えるとすぐに受付の方に向かって頼んでいたご飯を調理師から受け取り、足早に出ていった。去り際の悲しそうな背中を見て、彼らの中に同情してしまう者が口を出す。
「……あんな言い方しなくても良かったんじゃないか?」
あまりに手のひらを返した言葉にキツイ言い方をした男が鼻で笑いながら発言者を持っていた酒瓶で指した。
「んだよお前。もしかして惚れた?支部長2号になんのかっ?」
「それは祝わらないといけないなっ!」
他の男たちからもからかわれ始めた男は顔を怒りや羞恥で真っ赤になり、怒鳴るように否定した。
「ちげぇよ!支部長にチクられるかもしれねぇだろ?」
彼の言い訳は納得はできないが、理解はできたのでからかっていた一部の男は冷静になった。
「そもそもあの美少年狂のオッサンのせいでこの支部はいつまで経っても人が来ねえんだよ。隊員死んでも責任取らねえし、任務を押し付けるし…あれら見ると横領もしてるだろ」
食堂に飾られているアマレイヌにかんする美術品や芸術品を指して言う彼に反論する者はいなかった。むしろ、何人か同意するように頷いていた。それに便乗して他の男が支部長のことを話し出した。
「前のとこでも男のケツを狙ったらしいぜ。ただ、それがお偉いさんの息子とかだったからで左遷させられたみたいだぜ。ただ、”アーレズ”なのと実力はあったとかで前任との交代で支部長になったみたいだ」
後半部分よりも前半部分の左遷理由に聞いていた者たちは体を引いて、表情も引き攣らせた。その中で楽観的な者は尊の顔を思い出した。
「そう考えれば生贄が来てくれてよかったぜ。じゃなかったら俺が餌食になってたな!」
「支部長じゃなくてもお前のケツは誰も狙わないよ!」
下品な笑い声が聞こえてきて、事務の女性職員たちが休憩したくても怯えて食堂に近づけなかった。仕方なく狭い休憩室で持っていた菓子類だけを広げることにした。
「秘守くんに僻む前に鏡見たらどうかしら」
菓子を摘まみながら言う彼女に、共に休憩する者が「ねー」と表情以上に強い語気で同意した。さらに彼女は尊を思い出しながら恍惚とした表情を浮かべる。
「ほんと秘守くんが来てくれてよかった……。あの子は私たちのオアシスよ!」
「正に楽園から舞い降りてきた私たちのアマレイヌ様!でも〜……結婚してるのよね〜……。あ〜あ…私も秘守くんみたいな男欲しい〜!アマレイヌ様〜!」
信徒らしく聖女・アマレイヌに祈りながらいう彼女に他の者が笑いながら慰める。
「大丈夫よ!あの子頻繁に熱出してるでしょ?」
”あの子”という言葉にすぐさま彼の妻である雪だということをこの場にいる者たちはすぐに理解した。女は雪の脆弱な身体を笑いながら続けて話した。
「あの調子じゃあ春までもたないわよ。もったとしても”事故”らせれば、秘守くんはフリーになる!そうしたら私たちにもチャンスが降りてくるわ!」
「きゃははははっ!めっちゃ天才じゃん!」
彼女の閃きに次々と歓喜の笑いが上がった。褒められた女は調子づいてきたのかさらに声高らかになっていく。
「アマレイヌ様~!私の善行を見てくださるならば、今すぐあのごく潰し女を殺して哀れな私に秘守くんという天使をくださ~い!」
「アマレイヌ様〜私にもご慈悲をくださ〜い!」
「きゃはははっ、いっ!?」
突然ひとりが首元を抑えると、他の者たちも首を抑え始めた。刺すような痛みは一瞬にして引いたが、抑えていた部分はみるみる熱を持つように腫れてきた。
「なに……?虫……?まだ寒いのに……」
ひとりの言葉に周囲を見回すが、虫の姿どころか羽音さえ感じられなかった。だが、全員の首に謎の腫れはあるので、なんだか気味が悪くなり全員何も言わずとも休憩室から出た。持ち場に戻る途中、食堂に集まっていた男たちとすれ違った。
「痛ってえんだけど、どうなってる?」
「かなり腫れてんなあ」
「お前もすげえよ」
確認すると彼らの首にも虫刺されのような腫れがあった。
その頃、話題の中心になっている尊は自室に戻り、熱で弱っている雪にお粥を食べさせていた。彼女は食欲がないなり頑張って頬張っており、その様子を尊は目を細めて見つめた。
「お腹いっぱい」
ふにゃりと満面な笑みを浮かべた雪につられて僅かに微笑みながら彼女の口元を拭った。少し残ったお粥を机に置くと、ベッドの縁に座って雪の額に触れる。やはり、熱は高いが朝よりも彼女の目に生気が宿っていた。
「尊のご飯また食べたいな。ここのご飯もおいしいけど、尊のご飯が一番好き」
いじらしく笑う雪に尊は頭を撫でながら頷く。
「今度作ってやるよ」
その返事に雪は目を輝かせながら、尊の膝に手を乗せて身を乗り出した。
「ほんと?私もいっしょに作っていい?お邪魔しないからいっしょに作りたいな」
子供のようにお願いする雪に尊は落ち着かせるために少々厳しめな口調になる。
「いいからあまり興奮するな。また熱が高くなるだろ」
「昨日よりも元気だよ」
「誰のお陰で回復してると思ってるんだ?」
口答えする雪の唇を押しながら意地悪く質問したが、気づいてないのか彼女は変わらない笑顔で元気よく答えた。
「尊のおかげ!」
「分かっているなら薬飲もうな」
食後の薬を見せられた途端に雪の顔が曇り始めた。その様子に尊はクスクスとさらに意地悪く笑った。
「お薬、お兄ちゃんが作ったのより苦いの……」
雪の兄は薬についての学があり、よく効く他に彼女好みの味付けも施していた。しかし、今の尊にその薬を作るための材料はないのでわがまま言う彼女に水を渡しながら服用を促した。
「本来はこういう味なの。大人ならこんくらい普通」
大人という言葉に反応して雪は暗い顔になりながら覚悟を決めた目になる。
「うん……」
口を開けると、尊に薬を飲まされた。すぐに薬特有の苦みから逃れるために水をごくごくと飲んだ。完全に飲み切って一息をつくと、尊が頭を撫でて褒めてきた。
「よく飲めたな。えらいえらい」
「大人だもん。苦くてもお薬飲めるもん」
拗ねたのか唇を尖らす雪に尊は「はいはい」と適当に返事した。さらに拗ねたのか雪は唇を尖らせたまま俯いてしまった。
(まだまだ子供だな)
心の中でそう考えながら尊は拗ねて膨らんだ頬を指でツンツンと押した。拗ねた雪は無視して限界まで頬を膨らませていたが、撫でられると擽ったいと感じて我慢できず、「えへへっ!」と無邪気に笑った。笑うと機嫌を戻したのか、窓の方を見て尊に頼んだ。
「お外見たい」
「身体に障るからちょっとな」
「うん!」
毛布に包ませると優しく抱えて、窓辺に近い椅子にふたりで座った。
外は氷の結晶が積もっているせいで真っ白な世界が果てしなく広がっていた。その光景に暖かいはずの室内でも寒さが伝わってきて尊は心配になって雪をさらに抱きしめた。
「……雪合戦…またしたいな」
外を見て呟く雪の寂しそうな顔を見てから尊は彼女の頭に頬を乗せた。
「元気になったらな」
「うん……。前にした時、お姉ちゃん達投げるの凄くて、埋まちゃってたね尊」
雪合戦で思い出したことを笑うと、尊はすぐさま不機嫌そうに眉間に皺を刻んだ。
「アイツら容赦ねえからな。偶にしか顔出さない癖に会えば振り回してきやがって」
思い出してイラついている尊に雪は楽しげに「ふふふ」と笑った。
「お姉ちゃん達、尊と遊ぶの大好きなんだよ」
「ちがうね。あいつらは僕”で”遊ぶのが好きなんだよ」
「?ちがうの?」
分かっていない雪に尊は溜息交じりで教える。
「ぜんぜーんちがうね。”夫”を見つけられない八つ当たりを僕にぶつけてきたんだよ。ほんと迷惑~」
雪の真っ赤な両頬を指でムニッとつぶしながら尊は思い出した苛立ちを紛らわせた。その事実を知った雪は勇ましく彼に伝える。
「今度、お姉ちゃん達にいじめられたら私が怒るよ!それでもうしないって約束させるの!」
腕を動かしたせいで、毛布が肩からずれてしまう。それを直しながら尊は適当に返事をする。
「へーい。期待してまーす」
「本当に怒るよ!お姉ちゃんでも私は、へっ、へっくしゅん!」
豪快なくしゃみをすると、雪はすぐさまベッドの上に戻されて、鼻を拭かれた。
「雪合戦するのはまだまだ遠いな」
事実だが、意地悪な言い方に雪は少しむくれてしまう。
「むう……。……尊は眠くないの?」
拗ねたと思えば、今度は甘えた声で聞かれた。尊はすぐに雪の意図がわかったが、頭を撫でるだけでそれ以上は甘やかさなかった。
「寝るのが仕事のお前と同様に僕にも仕事があんだよ」
頭を撫でる腕を捕まえると、大きな瞳を潤ませて再度尋ねた。
「お仕事忙しいの?」
「………それなりにね」
「夜もお仕事なの?」
「そうだ。お前を養うためにいっぱい仕事してんだよ」
ジッと見つめてくる雪に尊は優しく微笑んで、捕まえられている手で頬を擽る。雪は擽ったいのと話を逸らされたことで顔をしかめたが、抵抗はしなかった。段々としかめっ面から悲しそうに表情を変えて、最後は寂しそうに笑った。
「何もできなくてごめんね」
尊は彼女の謝罪に優しい微笑を見せるだけで特に反応せず、頬を触り続ける。
「春になったらさ、花見しような。前の山ほどじゃないけど、ここらも見事だって」
「……うん」
話しを逸らされても今度は拗ねずに雪は話を聞いた。
「アイツらもひとりは帰ってくるだろうし、団子と酒をたくさん用意しないとな。団子は餡をたっぷりいれたので、酒は……適当でいいか。あいつらは飲めれば文句はないだろう」
「……楽しみなの」
「アイツら騒ぐの好きだから大声で歌って踊り狂うんだろうなー。はぁ……ほーんと、自分たちの状況を分かってんのか?」
「でも、尊もお花見好きなの」
ニコニコと笑う雪の目を尊はジッと見つめた。やや赤みかかった淡い色の瞳は不思議そうに見つめ返してきて、尊はクスッと笑った。
「僕が好きなのは桜だよ」
「私も桜さん大好き」
無邪気に笑うその額に短い口付けを落とした。それから彼女が眠るまでの間、尊は小さく子守唄を歌いながら手を握った。その子守歌は雪が家族と共に作った歌で、少々歌いづらい歌詞だが、何故か彼女たちはこの歌で眠る。
「ねんねよころりん ころころりん お月様が見守ってるよ ころころりん お星様とねんねしよ ころころりん」
やはりすぐに眠りについた雪の腕を毛布の中にしまい、その額に濡れたタオルを載せた。静かに部屋に出た尊は食器を持って食堂に皿を置きに行った。廊下は消灯時間なので弱い灯りのみで廊下を照らしており、人の気配は少なかった。食堂も返却口以外しまっていたので、食器を置いたら足早に部屋に帰ろうとしたが、後ろから声を掛けられる。
「秘守くん」
支部長が薄暗い廊下ににこやかな顔で立っていた。無表情な尊の方へ近寄るとその肩に手を置き、徐々に下の方へ移すと細い腰を撫でてきた。その撫で方に嫌悪感を抱き、尊の眉間に力が入るが、見られないように表情は我慢した。
「今夜もよろしく頼む」
表情がよく見えなくてもその言葉の意味を理解できた。それは支部長から言われた他の条件のことであり、雪に話した”夜の仕事”である。
「はい」
尊の黒い瞳に自身の姿を映されると、支部長は卑しい笑みを浮かべた。その首筋に何を刺されているのかも知らずに。
何かを注入された支部長の顔つきは酩酊状態のように変わり、恍惚そうに弧を描いた口元からは涎が垂れている。何も知らない者が見れば、尊に色狂いしているように見えてもおかしくない。
「さあ、早く部屋に行こうっ!ふっ、ふひっ…!」
焦点の合わない目で迫られて尊は嫌悪に満ちた表情になるが、敢えて抵抗しなかった。それは遠くでこちらの様子を伺っている存在に気が付いているからだ。
(別にわざわざ部屋に行かなくてもいいけど、コイツの”お気に入り”って見せつけた方が色々と都合がいいんだよな。ああ、でも、夢を見せているとしてもブ男が必死に腰振っているのを見るのは未だに慣れないな……)
息遣いの荒い支部長の部屋に連れてかれても尊たちを追う存在は扉越しでも感じた。そんな聴衆の期待に添えるように尊はよがっている声のみ演技をした。本当は支部長は尊が作り上げた虚構に腰を振っていて、抱かれているだろうに尊が23支部の機密事項を悠々と読んでいるとも知らずに扉越しの聴衆は尊の声で妄想を繰り広げ、己を慰めているだろう。それを尊に見透かされているとも知らずに。
(こんな回りくどいことしたくないけど、慈祭教の狙いが分からない今は隠れ蓑が必要だ。多少は調整が必要な蓑だけど)
全てはこの世で最も美しい存在の雪を守る箱庭を手に入れるため。彼女の笑顔を守るためならば、この醜男の娼夫と後ろ指さされようが、隊員を不幸な目に合わせる疫病神と罵られようが尊は構わない。たとえ、愛する存在に言えぬ秘密を抱えることになったとしても使える手段はすべて使う。
それが尊の愛であり、贖罪なのである。
数日後、”虫刺されによる腫れ”を負った者たちはあまりの首の痒さに搔きむしり続け、大量出血によって次々と死亡していったそう。そのせいで23支部はさらに人手不足の窮地に陥ったが、そんなこと無視して尊はまだ熱を拗らせる雪の看病を続けていた。
・・・
今から300年ほど前に世界は大規模の寒気に包まれた。あまりの寒さと厚い雲を覆い続ける空のせいで作物は実らず、家畜以外の動物までも次々と数を減らしていき、食糧の入手が困難になってしまった。ひもじい生活を強いられていくと、次第に人間同士の諍いが起こり始め、悪意を好む悪魔たちが便乗して姿を現すと世界は混乱に陥ってしまった。あまりに絶望的なこの時代を後の学者が”世界最悪混沌期”と名付けた。誰もが神に祈る事さえ諦める中、一筋の光と共に美しい少女が天から降りてきた。
「我が名はアマレイヌ。楽園に光を灯す者です」
彼女は天から見た世界があまりにも悲惨であったため、父なる神の反対を押し切って舞い降りたと涙を流しながら伝えた。その涙が地に落ちると、そこから芽が顔を出し始めた。さらに彼女が持っている杖を振ると、厚い雲がたちまち吹き飛ばされていき温かな日差しが人々を照らした。
「哀れで小さき命たちよ。あなたたちに我の力を授けましょう。この力を使い、跋扈する邪悪な魔の者たちを殲滅するのです。さすれば、この世は浄化され、主なる我が父に背を向けられることはなくなるでしょう」
絶望に陥っていた人間たちは慈愛に溢れた聖女・アマレイヌを信仰し、彼女の教えを伝えるために各地で布教した。そのお陰か離島である陽和帝国にも伝播し、閉鎖的で古臭い文化を忌み嫌った若者から中心に信仰され始めた。………埋もれていく伝説のことを忘れて。
そうして設立されたアマレイヌ教団の中には、集団テロや殺人事件などの警察の手に負えない人災から魔物や妖怪などの魑魅魍魎による災害までを対象とし、問題解決をすることで信徒の生活を守っている”調査隊”という職種があった。他にも事務職や宣教師などの職種があるが、調査隊はどの職種よりも危険度と報酬が高かいので、自然とアマレイヌ教団の中でも花形な役職として見られ、貴族から貧民までもが入隊希望をした。調査隊に選ばれるには二種類の方法がある。ひとつは筆記や実技試験が優秀であること。尊はこちらに該当した。もうひとつは聖女・アマレイヌに授けられた加護である”アーレ”を保持していること。採用についてはこの二種類であり、どちらか該当すれば晴れて調査隊になれる。
「”アーレ”ってなあに?」
咳は目立つが熱は下がったので雪はアマレイヌ教団について勉強していた。尋ねられた尊は肩から落ちそうな毛布を掛け直してやりながらその質問に答えた。
「アーレっていうのは、人間の体にある超常現象を行える物質みたいなもん。多くは『土』、『雷』、『風』、『水』、『火』の五大属性だけど、稀に『闇』と『光』のアーレ所持者もいる。昔は『命』属性っていうのもあったけど、この最近は発見されていない」
「8種類の属性……それってなんだか私たちみたい」
雪は楽しげに笑って、アマレイヌ教団の教科書の続きを読んだ。
「アーレを持ってる人のことを『アーレズ』さんって呼ぶんだ」
「反対に持ってない調査員は『ノンレーズ』。近年のアーレズは減少傾向だからノンレーズもどんどん採用しているけど、格差は天と地。元々貴族のアーレズと比較すれば当然ちゃあ当然だけど」
「アーレズさんは貴族なの?」
「正確に言うと貴族出身が多い。じゃなくても給金がノンレーズに比べて倍近いから自然と金持ちになる。ここのアーレズも羽振り良さそうな奴が多いな。こんな田舎だから使う場所がないと思うけど」
「そうなんだ……。尊もアーレがあればよかったね」
何気なく言う雪に尊は驚愕した。そんな尊に気が付いていないのか雪は楽しそうに続きを読んでいた。
(コイツ、何にも気づいてないな……)
「お仕事は何してるの?」
本ではなく尊に直接聞き出し始めてしまっているが、無意識なのか雪は気がついていなかった。尊は机に頬杖をしながら本の内容を見る。炎を纏っている男や水を操ってそうな女が魔物っぽいものと戦っている絵と簡単な補足説明を読んでから尊は教えた。
「ここに書いてあるのはほとんどアーレズの方ね。ノンレーズは後始末が仕事。討伐する対象がいれば、ソレの処理。壊した民家があれば、代わりに謝罪。後はアーレズ募集する際にビラ配りするとか?」
尊はこの支部では唯一といっても過言ではないノンレーズであり、初任務からアーレズたちの横暴さに振り回された。ほとんどは討伐した妖怪などの死体処理や供養であるが、時には依頼主や民間人に暴行しようとする彼らを宥め、任務遂行の過程で壊された民家には謝罪を代行したり、職員募集の為に任務帰りに関わらず職業安定所でビラ配りをさせられた。仕事を教える教育係がいない癖に単純な指示しか出さないアーレズの先輩たちに苛立ちは当然覚えるが、腕の中にいる存在を守るためなら笑顔を貼り付けて従うしかない。
(それにコイツの兄貴から任せられる仕事よりは楽……)
「すごいお仕事なの」
「そうか?」
話しを聞いていたのかと疑うレベルの明るい声に思わず聞き返すと、雪は目を輝かせて頷いてた。
「尊のお仕事だからすごいお仕事なの。私もいつか調査員になって尊のお仕事手伝うの」
このあどけない妻は大好きな夫の仕事というだけで誇大妄想をしているようだが、それにしてもあまりにキラキラした眼差しで見つめてくるので尊は眩しくて目を細めた。
「お前にできるのは精々ビラ配りだ」
「じゃあ、ビラ配りするの!」
意地悪で言ったつもりなのに何故かやる気を出す雪に尊は一瞬戸惑った。だが、汗を流しながら必死にビラを配る雪を想像していたらだんだんと腹立たしく尊は感じ始めた。あくまで想像でも雪の白い手が荒れることはさせたくなかった。
「………やっぱりダメだ。お前は部屋で大人しく読書でも絵描きでもしてろ。外に出ること自体禁止な」
「えぇ……デートもダメなの?」
悲しそうに言う雪に尊はすぐに手のひらを返した。
「デートはいい」
「じゃあいいの」
(いいんだ)
不思議な思考回路に振り回される尊を無視して雪はまた続きを楽しそうに読み始めた。質問されなくなった尊は暇だからか彼女の髪をジッていと見ると何も言わずに弄り始めた。
『ビーッ!ビーッ!』
「きゃあ」
穏やかな雰囲気に似合わない音に雪は驚いて声を上げた。すぐさま通信機を手に取った尊はボタンひとつを押した。すると、通信機から無機質な音声が流れ出す。
『北部に位置するミユリ山で怪しい動きをしている慈祭教を発見』
「私たちが住んでいた場所だ」
思わず話した雪に尊は人差し指を口元に持っていって身振りで注意をした。雪は反省したのか自身の悪い口を手で覆った。
『現在、活動目的は不明。呪術師は見られないが、戦闘に長けた慈祭教徒が点在している可能性あり。本任務を危険度Bレベルと推定し、非活動中のアーレズは準備でき次第、任務遂行へ。慈祭教徒を発見した場合、捕縛または処分するように。また、彼らの身柄は死体でも回収するように。_以上』
プツッと無機質な音声が切れると、尊は通信機を机の隅に置いて、また雪の髪を弄り始めた。雪は塞いでいた口を解放すると、不安そうに尊に尋ねた。
「尊、行っちゃうの?」
「野蛮な慈祭教と戦えるのはアーレズだけ。ノンレーズは足手まといだから連れてかないでしょ」
だが、尊の期待とは裏腹に扉が荒く叩かれる。
「おいノンレーズ!今回の任務連れて行ってやるよ!光栄に思えっ!」
「…………はぁ……」
面倒くさそうに立ち上がると、アマレイヌ教団の印章が縫ってある黒を基調としたコートを着て、配られている軍刀を腰に提げた。
雪も立ち上がって尊の傍に寄った。
「尊………」
心配そうに呼ぶ彼女に尊はその頬を撫でた。そんなことで彼女の不安は拭えないが、心を病ませないために尊はおちゃらけた態度で尋ねた。
「家に寄れたら何か持って帰ってきてやるよ。何がいい?」
心配そうな顔は変わらないが、尊の意図を汲み取って雪は質問に答えた。
「じゃあ……お姉ちゃんが作ってくれたぬいぐるみ……。いつも一緒に寝てた子……」
大きくなっても枕元に置いていたぬいぐるみのことだろうと尊はすぐに察した。幼少期の雪の贈り物として長姉お手製のぬいぐるみを思い出すと雪は寂しげな表情を浮かべた。他の物を挙げないあたり、そのぬいぐるみにかなり思い入れがあるのか、それとも状況を理解した彼女なりの気遣いなのかは尊には読み取れなかった。
「わかった」
簡単な返事で済ませて扉に手をかけると、後ろから抱きつかれて動きを止めた。細い腕が力いっぱい腰に抱きついてくることに尊は嬉しさを感じた。しかし、雪の表情は寂しさと不安が混ざった顔なので素直に喜べなかった。
「怪我しないでね」
別に初めてでもない任務なので、雪の心配が薄く見えるくらいに尊はゆるりとした微笑を浮かべた。
「お前も戸締りしっかりしろよ」
振り向いて心配そうな顔に口付けをすると尊は外に出た。扉を閉めたらすぐさま施錠を行い、念のためドアノブに自分たちには無害の粉を振るっておいてからその場を離れた。
移動車にはすでに同行者であるアーレズたちが揃っているようで、尊を見ると舌打ちをする者や慈祭教徒をどれだけ殺せるか賭けている者たちもいる。
(5人か……)
次々と車へ乗り込む彼らに続いて尊も車に乗った。
慈祭教は簡単に言えば、弱肉強食を体現したような宗教である。アマレイヌ教団設立前からこの陽和帝国に存在し、アマレイヌ信仰のきっかけである世界最悪混沌期では彼らの始祖が作ったとされる呪術によって多くの信徒の命を救われた。その出来事から自分たちこそがこの世の頂点であると錯覚し、慈祭教の始祖である「豊願慈祭」を信仰しない者は人の皮を被った悪鬼であると妄信している。恐ろしいことに悪鬼として見ている外部の人間に対して、彼らは家畜のような扱いをしていいと蛮行を繰り出している。しかも、彼らの手には謎の呪術があり、なくとも激しい修行によって軍人のような筋力を手に入れた猛者がいる。そのような特徴から民間人などに手が負えず、警察も国の要人に慈祭教関係者がいるせいで大きく動けなかった。そのせいで宗教観のちがいという名目と呪術に似たアーレズをもつアマレイヌ教団に任せられることが多い。
ミユリ山に到着すると、尊は彼らの荷物を持たされて最後尾からついて行った。だが、見慣れた道に尊はため息を漏らした。
(やっぱりまだ荒らしてるのか……)
歩いていくと特徴的な笠を被った複数人の慈祭教徒が見覚えのある建物の周りを囲んでいた。彼らを見つけた瞬間、前を歩いていた男たちがアーレを発動させながら襲っていく。
「死ねっ!!野蛮人共っ!!」
「売女のイヌ共が何故ここにっ!?お前たちもあの存在を、っ!?」
慈祭教徒が呆気に取られていくうちに炎のアーレズが彼らを燃やし、土のアーレズが彼らを生き埋めにし、雷のアーレズはその俊足で逃げる彼らを捕まえ殺していく。
漸く追いついた尊はボーッとそれを眺めていると、死にかけの慈祭教徒が這った姿で尊のズボンを掴んでいた。
「お、お前、お前はあの時の」
何かを言いかけた時、筋肉が膨れ上がったアーレズに頭を踏み潰された。飛び散った血を煩わしく拭いながら潰れた慈祭教徒を見下ろした。
「コイツと知り合い?」
「初対面です」
にこやかに答えたが、彼は訝しげに尊の顔を見てから死体に唾を吐きかけた。
「裏切ったら殺すからな」
(雷のアーレズによる身体変化か……。あっちは炎のアーレズ、地のアーレズ……。水のアーレズはいないか……)
「建物の中にもいるぞっ!」
尊が観察していると、建物内にも慈祭教徒がいるのを発見した。殺すことに興奮しているアーレズは次々と我先にと中へ入り、逃げる慈祭教徒を追い詰めた。
尊は壊れかけの建物を見上げて色々と思い出した。アマレイヌ教団の彼らに知らせていないが、ここは慈祭教に襲撃される前に雪と二人で暮らしていた場所だった。慈祭教に襲われる前は人里から隠れるように雪と蜜月を過ごし、慎ましい生活でもその笑顔で満足だった。だが、そんな思い出を汚すように中は壁までも血塗れになり、家具は使い物にならないくらいに破壊されていた。先ほどから繰り広げられている凄惨な場には大して動揺しない尊でも多少は不快な気持ちになるが、それでも記憶が完全に消えるわけない。食卓で雪が嬉しそうに尊の料理を頬張る姿も新しい服を無邪気に喜ぶ姿も春の訪れを待ち遠しそうに窓から眺める姿も各場所を見ればすぐに思い浮かべる。
(……短い間だったけど、悪くなかったな………。落ち着いたらまた家探そう)
思い出に更けている尊だが、その間も慈祭教徒はアマレイヌ教団によって悲鳴を上げながら殺された。
「にしてもここに何があんだ?見た感じただの民家だろ?」
一通り片付け終えると、慈祭教の目的に疑問を口にした。他のアーレズも今更口々に「確かに」「そういえば」と言い始めた。その内の一人がニヤリと閃く。
「慈祭教の秘密が隠されてんじゃないか?」
普通ならばすぐに考えつきそうだが、彼はしたり顔で言った。だが、その言葉に尊は目を細めて密かに警戒をした。何故ならこの建物は慈祭教の隠れ家ではなく、尊たちの元住居であるからだ。
そんなこと知らないアマレイヌ教団は次々と憶測を話し始める。
「秘密……。もし、見つければ出世も過言じゃねぇよな?」
「アイツらはアーレを封印する呪術も持ってるからな……。今回いなくて楽勝だったけど、その謎を解き明かせば慈祭教は一瞬でぺちゃんこだな」
「うしっ、探そうぜ!あっ、手柄独り占めにすんじゃねぇよ!」
今度は慈祭教の粗探しに興奮する男たちは次々と部屋を荒らしていく。尊はその光景を見つめてから静かに移動した。目的の寝室も荒らされており、床には頼まれたぬいぐるみが踏みつぶされていた。
(あー……随分と汚されたな……)
汚れを手で払うが、散々踏まれたせいで土汚れが酷く、繋ぎ目からは綿が飛び出ていた。尊はどのようにすれば元の状態に戻せるか考えてからコートの内ポケットぬいぐるみを押し込めた。
「退けよ」
後ろから乱暴に退けられた尊はふらつきながら後ろに下がった。入ってきたのはここに来る前から尊を気に食わなさそうに見ていた炎のアーレズだった。彼は棚の中をがさつに出しては荒らしていく。その姿は信仰者というよりは金品目的の泥棒だといわれた方が納得するものだった。
「んだよ、何もねぇじゃん」
激しい舌打ちをする男を尻目に尊はその部屋から出て行こうとする。
「おい」
だが、男に声を掛けられて足を止めた。
何の用か振り返ると、彼は冊子を持っていた。その冊子は尊が雪の幼少期からまとめたアルバムであった。尊は表情に出さずとも、そのアルバムを懐かしんだ。
「お前ら、何モンだよ」
「……どういう意味ですか?」
彼は尊に目掛けてそのアルバムを投げつけた。尊は床に落ちたアルバムを腰折って拾い上げた。その仕草ひとつでも見逃さないようにと男は尊を観察する。
「お前らここに住んでいたんだな?」
「短い期間でしたけど、実は住んでました」
彼からしたら尋問に近い口調なのだが、尊は飄々した態度でアルバムの中を見る。幸いなことに中身の写真は無事だった。それに安堵していると男はさらに尋ねてきた。
「……慈祭教に目をつけられたワケはなんだ」
「さあ。ここを拠点にしたかったんじゃないですか?」
尊は懐かしむようにアルバムを捲り続ける。その様子にイラついたのか彼はアルバムを取り上げると雑にページを捲ってあるページを見せつけてきた。その写真は今よりも髪が長い尊と…………幼い雪が写っている写真だった。
「お前ら同い歳だよな?この写真はなんだよ」
「僕の母ですよ。よく似ているでしょ?」
困りながら笑う尊に男は納得しなかった。だが、尊の笑顔があまりに自然すぎて嘘をついていることを見抜けなかった。追及をしたくても尊が母親の生き写しの可能性は大いにあるため、彼らの正体を暴きたくても上手い尋問が見つからなかった。
「おい!地下に生き残りがいるぞ!」
「チッ!」
男は苛立った様子でまた尊を押し退けて部屋の外へ出て行った。残された尊は写真を見つめ続けて、惜しみながらもアルバムを部屋に置いてから後を追った。地下は建物見た目以上の空間が広がっており、様々な巻物や薬草、彫刻や札等が薄暗い明かりの元に晒されていた。だが、地上とくべれば、どれも丁寧に広げられているようでひどく散らかっている様子ではなかった。尊は階段上から生き残っている白衣を着た研究者風貌の男がアマレイヌ教団に追い詰められているのを見ていた。
「ここに何があんだよ?」
「殺されたくなければ言え」
脅されると、慈祭教の彼は飛び跳ねてすぐに口を割った。
「ひっ!わ、我々は”自然族”を調査してるだけだっ!」
聞き馴染みのない名称にアーレズたちは呆気に取られた顔をする。
「しぜんぞく?妖怪かなんか?」
「全部吐けよ。そうしたら処遇を考えてやる」
命が助かるという言葉を信じて研究者は次々と話し出す。
「し、自然族とは、世界最悪混沌期を境に表舞台から消えたが、かつては創世に携わった一族であり、一時は支配者としても君臨するほどの絶大な力を持っているっ。我々は彼らの正体を探り、捕らえることを目的にし、この住処に訪れた……っ」
震えながら早口で話す彼の言葉にアーレズたちは肩透かしを食らったように落胆した表情を浮かべた。
「んだよ、ただの御伽噺かよ」
「それを探してるなんてお前ら暇なんだな?」
嘲笑われると、さっきまでの怯えが嘘のように研究者は苛立ったように強気に話し始めた。
「お前たちこそ、何故知らない!自然族はアーレの謎を解く手掛かりだ!」
それを聞くと男たちはさらに嘲笑う。ついには声に出して笑う者もいた。
「ぎゃはははははっ!コイツは傑作だな!」
「冗談ならもう少し考えろよ」
「では、そこの棚を見ろ!この棚こそが自然族を追う手掛かりが詰められている!世界最悪混沌期に姿を消した理由も、アーレの正体が自然族の血肉なこともすべて証明されている!」
息を荒らげる研究者の妄言が続くと、流石に白けてきたのか笑う者はいなかった。
「どうする?」
「慈祭教がいたのは変わりねぇから使えそうな物は持って帰ろう」
男たちは棚の方へ見ると、いつの間にか尊が階段から降りて何故かマッチを摩っていた。
「……お前何する気だ?」
「何って、こうするんですよ」
尊は火がついたマッチを棚の方へ投げた。その瞬間、散らばっていた書類に火が広がっていく。
「ばっ、お前何してんだっ!!コレは押収品だぞっ!!」
アーレズたちは少しでも火を消そうと着ていたコートを使って消火活動をする。慈祭教の研究者も発狂したように叫び、燃えていない資料を必死にかき集めていた。
しかし、肝心な尊は動こうとすらしない棒立ちで、笑いながら軽薄な口調で話しかけてくる。
「いいじゃないですかあ。こんな紙切れ持って帰っても馬鹿にされるのがオチですよ」
あまりの呑気さに尊の近くにいた男はイラついて胸倉を掴み上げた。
「誰のせいでこんな面倒臭いことになってると思ってんだよっ!」
尊に怒鳴る彼を放っておいて、他のアーレズたちは消火活動を勤しむ。幸い火はそんなに大きくなかったので、コートは駄目になっても少しづつ弱めていくことができた。
「水アーレ連れてくればよかったな……」
安堵した誰かがそう漏らすと、他の者たちも同意するように笑った。
「お前もそんなのに構ってないで……」
尊の胸倉を掴んでいた男の方を見ると、彼の顔に植物のような物が貫通していた。その植物が枯れて風化すると、尊は自身を掴む手を乱暴に振り払った。支えがなくなった男はフラフラと前後に揺れた後、力なくその場に倒れた。
「………何が…起きた」
ここにいるのはアーレズ5人とノンレーズの尊、そして慈祭教の研究者だけである。慈祭教の男の仕業ならもっと早くに抵抗してきてもいいはずだし、火が大きかった時は資料集めに没頭している様子だった。それだけでなく、先程の状況だと尊が起こした事態のようにもその場にいた誰もが見えた。
「お助けください!」
研究者は尊の方に這うと、その服を掴んで懇願し始めた。
「貴方こそがっ、我々が探し求めたそのお方ございますね!そうでございますよね!?」
「……………」
尊は肯定していないのに研究者の男は泣きべそをかきながら必死に懇願を続けた。
「助けてくだされば、報告致しません!壊してしまった住居の代わりも用意致します!その他にも色々と」
研究者が喚き散らしている間、尊の影に変化が起きていた。影が大きく膨らみ始めると、滑らかに壁から抜け出して牙を剥き出しに研究者を襲ってきた。
「ぎゃああああああああああッ!?」
黒い大蛇のような形をしたソレは研究者の男を飲み込むと、たちまち植物のように枯れて消えた。
尊は疲れたように俯いて大きなため息をもらした。
「はあーーーーーー……面倒臭いな……」
いつもよりも低く冷たい声の尊に呆気にとられていた男たちはビクリと身体を震わせた。だが、上げられた顔は想像よりもにこやかな表情で、尊は軽薄な口調で彼らに話しかける。
「面倒事を片付けてくれたお礼に見逃してやろうと思ったのに」
「見逃す……?」
まるで命を握らっているような言い方にひとりが反応したが、尊は無視して自分の言いたいことを話す。
「色々見ちゃったでしょ?聞いちゃったでしょ?知っちゃったでしょ?帰らせれないなあ」
その言葉からアーレズのひとりが尊の正体に気が付いた。研究者の言動も合わせて考えると、その方が今の状況に辻褄が合う。例えそれが先ほどまで御伽噺だと嘲笑った存在だとしても、彼は確信を持って尊に人差し指を突きつけた。
「こいつらが探していた”自然族”……?」
「…………流石にバレちゃうか」
尊は眉尻を下げて、困ったように微笑む。その表情と言葉によって今の推測が合っていたことに示していた。
「待てよっ!!検査で何も問題なかったぞっ!!人間判定も出ているっ!!」
適性検査のひとつに人に化けた妖怪を見分ける検査もあるが、尊はそれに引っかからなかったことを指摘した。
「人に化ける妖怪だろ……」
別の男が言った言葉に尊はクックッとおかしそうに笑う。
「ひどいなあ。僕はちょっと長生きな人間だよ」
「黙れ化け物!殺してやるっ!!」
罵られても尊はニコニコとした表情を崩さなかった。こんな事態だからかその表情がかえって不気味さを際立たせる。
奥の方に立っていたひとりがこっそりと通信機に電源を入れようとしたが、手に鋭い物が突き刺さる。
「ぐわあああああああッ!?」
彼の手に突き刺さった物は先ほど顔を貫かれて死んだ男と同じ植物のような凶器だった。さらに追い打ちをかけるように地面から先が尖った植物が彼の身体を貫き上げ、床に強く叩きつけられ死んだ。
「さっきも言ったでしょ?帰さないって」
穏やかな声だが、男たちの警戒を解かない。むしろ、尊に対しての敵意が増していく。
「調子に乗るなよッ!!」
声を荒げた男は自身のアーレを発現させ、拳に炎を纏わせながら尊に攻撃しようとするが、尊が手を前の方へ伸ばすと、先程の大蛇が床から現れると男を丸呑みにした。だが、大蛇は内側から燃え始め、全身が燃え盛る男の姿が現れていく。
「いいぞっ!やっちまえっ!」
「……………」
「……?おい、どうしたんだよ……」
「ああ、僕らね、同士討ちは自然王から許されてないの。多分そのせいだね」
何も話さない男の代わりに尊が答えた。まるで、アーレの正体を知っているかのような口ぶりに生き残っている男たちはつい耳を傾けてしまう。
「アンタらが自慢げに掲げているそれは加護じゃなくて僕らが貸している一部。だから、アーレで僕らに攻撃はできないよ」
「なっ、ふざけたこと言うなっ!大体ノンレーズのお前に何が…………お前、本当にノンレーズなのか?」
先程から自分たちを攻撃する植物や影の大蛇は明らかに尊が操っている物である。だが、彼は適性検査でアーレが確認されていない。
「アーレって何からできたと思う?」
「し、質問に答えろ……っ!」
「僕の質問が分かれば、それが答えだよ」
尊の言葉に焦りを感じつつも、徐々に理解していく。
ノンレーズの尊が何故アーレのような力を使えるのか。
慈祭教が何故自然族を探し求めていたのか。
彼らの言うアーレの謎と正体とは?
さきほど早口でまくし立てた研究者は言っていたことを思い出し、考え至った彼に尊はとびきりの笑顔を見せた。
「大正解!アーレの正体は”死んだ自然族の血肉”でした!」
「……お、おれ、何も言ってない……」
「面倒だから巻きで話したんだよ」
尊の影が自分の足元に来ると、彼はひどく驚いてその場に尻もちをついた。
「慈祭教の目的は”自然族からアーレの正体を探る”ことだった。いや~面倒くさいと思っていたけど、ついてきてよかった。連れてきてくれてありがとうございます先輩方」
可愛らしい後輩のような口調だが、こんな状況だから誰も胸を弾ませなかった。むしろ、足先から冷たいものがジワジワと身体を蝕む。
「……お、お前が人間だとしても、その力はなんで検査に引っかからなかった!?あれは慈祭教の呪術にも反応する優れものだぞ!何より、アーレと同じ力なら絶対に反応するだろっ!!」
「そんなの隠せる術があるからだよ。そうじゃなかったらアマレイヌ教団なんかに助けなんて求めないから」
彼の必死な指摘に尊は利口じゃない子供に言い聞かせるように呆れ混じりに答えた。
追い詰められた男たちは無駄についた筋肉を縮こませながらさらに怯える。これまで相手にしてきた魑魅魍魎はアーレという超人的な力のお陰で怪我をすることはあっても重傷を負うことはなかった。なので、安心してアーレを傘に横暴に振舞ってきたが、目の前にいるのは自慢のアーレを無効化する術を持っている正体不明の存在。しかも、それは寝食を同じ建物でしてきた同僚に対して、虫を潰すのと同じ勢いで平然と殺していっている。
「そりゃあゴミに思い入れなんてしないでしょ」
また、思考を読み取ったように言い当てた尊にひとりが限界に達して大声で叫んだ。
「化け物!!」
その瞬間、地面を割って現れた蔦に男は首を刎ねられた。そんなのを間近で見た最後の生き残りは粗相しながら尊を見上げた。
「そうそう。これまでの不幸な件も僕の仕業。少しでも下品な奴らは消しておきたくてね」
またまた思考を読み取った尊にもう驚くことはなくなった。だが、とてつもない無力感が身体中に巡り、彼に抵抗しようとする考えも放棄してしまう。
「な、なんで……?なんでそんなこと……」
泣きながら聞く男の疑問に尊はかの聖女・アマレイヌに負けないくらい優しく微笑みを見せた。
「汚いから」
その時、尊から花の匂いすることを気がついたが、それを指摘する前に目の前が暗くなっていった。
・・・
雪は窓の外を見ながら尊の帰りを待っていた。
日の代わりに月が高い位置まで昇り、周囲も静かだからか不安が募っていく。
(尊はお仕事行くと怪我するから本当は行って欲しくないな……。私が弱いのがいけないんだよね……)
あることが原因で生まれつき身体が弱く、尊と家族に守られてきた雪にとって、ここの暮らしは自身の無力さを実感させられる。
「……私でも尊のためにできることあるかな」
ぼんやりと考えていると、部屋の外が騒がしくなっていく。気になった雪は扉を少しだけ開いて聞き耳を立てた。
ほとんどが悲鳴や嘆いた声で「息してない」、「コイツしか生き残ってない」などの声が聞こえてくる。
「しっかりしろ秘守っ!!」
その言葉に雪の血の気が引いた。
約束を破って部屋を飛び出し、血腥い玄関の方へ走ると大量の血を流して運ばれている尊を見つけた。
「尊っ!!」
「邪魔だっ!」
「きゃあっ!!」
駆け寄ろうとした雪は突き飛ばされてしまい、その場に倒れてしまった。その間にも尊は医務室に運ばれ、扉は硬く閉ざされた。
何故尊があんか重傷を負っているのか分からない雪は扉の前に立つと、祈るように胸の前で自身の両手を握った。そんな雪が近くにいるにも関わらず、尊に対して悪態をついている者たちがいた。
「くそっ!よりによってなんでアイツが生き残ったんだよっ!」
「いっそう死んでくれれば楽になるのになあ。まあ支部長のお気に入りだ。どんな怪我でも顔さえ無事なら治療されるだろう」
話していた片方は扉の前で祈るように立っている雪の方を見ると、下卑た笑いを見せる。
「旦那が情夫でよかったな奥さん!」
「…………」
雪は無視して、扉の方を向き続ける。
無視されたことに男はイラついたが、もう片方の男が肩を掴んで止められる。
「もう放っておこうぜ。それよりも死んだ奴らをどうするかだ」
「使えそうなもんは貧乏人にでも売ろうぜ」
その後、何時間も医務室の扉の近くに雪は座り込んでいた。廊下を歩く人はもうおらず、廊下の灯りも夜間用の薄暗いものに替えられた。
「はー……」
冬終わりでも夜は酷く寒い。気温も一桁に下がり、暖房などついていない廊下は上着を着ていても冷気を感じる。それでも雪はかじかむ手に温かな息を吹き掛けて寒さを誤魔化した。
ようやく医務室の扉が開かれると、疲れた顔の医者がふーっとため息を吐いた。慌てて立ち上がる雪を見ると、ひどく驚いた顔をするが、すぐに気を取り戻してぶっきらぼうに言った。
「アンタの旦那、かなり丈夫だねえ」
医師の後ろには包帯を巻かれて横たわっている尊がこちらを見ていた。それを見た途端、手術が成功したことを理解し、雪は溢れそうな涙を堪えて感謝を伝えた。
「あっ、ありがとうございます!」
彼はそんな気持ちを無視して食堂の方へさっさと向かった。雪も気にせず、医務室に入った。
医務室には尊しかいなかった。話によれば、尊以外は酷い死に方をしたらしく、慈祭教との戦闘がどれだけ激しかったのか話されていた。そんな中、ノンレーズなのに唯一生き残り、無線で何とか助けを呼んだ尊の悪運の強さと厄病神っぷりについても話していたが、雪はそんなことどうでもよかった。
「……おい。もう寝る時間だろ?なんで起きて」
「尊……もう大丈夫…?」
こんな時間まで起きている雪に文句を言おうとしたが、大粒の涙を流す彼女を見たら何も言えなくなってしまった。
「……ヤブのせいで傷口が痛む以外は平気だよ」
「痛いの?」
「わざとでも派手にやったからな」
「………」
雪が目を閉じると、どこからか花の匂いがする。
尊がハッと気がついて止めようとしたが、その前に傷の痛みがなくなる。痛みだけではなく、傷自体が綺麗になくなり、手術痕も見当たらない。包帯を解かなくても尊はわかるため、深いため息を吐いて眉間に皺を寄せた。
「お前……怪しまれるだろ…」
「尊が痛くないならいいの。尊が……」
フラリと倒れそうになる身体を尊が素早く抱きとめた。身体は酷く冷たいが、触れた額には熱さを感じたので自分の代わりに雪をベッド寝かせることにした。
「……怪我するくらいなら、私も連れて行って……。尊の役に立ちたいの……」
苦しそうに呼吸をしながら雪は懇願したが、尊は何も反応せずに「早く寝ろ」しか言わなかった。体力の限界が来ていた雪はそれ以上何も言えず、深い眠りについてしまった。
(慈祭教な……。どうやってあそこまで辿り着けたのか分からないけど、素直に感心するな……)
清潔なタオルを手に取り、濡らして雪の頭に載せた。すると、少しだけ表情が和らいだ気がして尊は微笑んだ。
その後、尊は誤魔化すために今度は薄い傷を作り、やる気のない医師を騙したが、また自分を傷つけたことで雪が拗ねてしまった。その問題はすぐに解決したが、雪の方は尊を治すために使った力の反動と寒さによって体調を崩してしまっていた。
「寒くないか?」
「尊が温かいから大丈夫」
尊の腕の中で雪は満面な笑みを浮かべて答えた。その顔につられそうになるが、言わなければならないことがあるのでしっかりと注意した。
「今回のは必要なことだから次回から治すなよ」
「やだよ。尊が痛いと私も痛いの」
「わがままだな」
「……えへへ」
突然嬉しそうに笑う雪の頭を撫で、今度は尊もつられて笑ってしまった。
「なんで笑うんだ?」
「尊にね、わがままって言われるようになったから嬉しいの。なんだか夫婦みたい」
「……いくらでも聞くよ。だから、僕のわがままも聞けよ」
「うん。尊のわがままいっぱい聞いちゃうの」
あまり経たない内に雪は眠りにつき、尊はベッドの縁に座って寝顔を見下ろす。
「……昔は口も聞けなかったのに…大きくなったな」
頭を撫でながら前髪を退かして、額にソッと口付けを落とした。
「祝福で満たされますように」
かつて自分がもらった言葉を尊は返した。
遥か昔、畏れられていた一族がいた。
彼らは世界を創った“創造主”を玉座から押し退け、理不尽な運命に翻弄される人々を救った。だが、文明が進むごとに穢れていく世界に疲弊した一族は世界最悪混沌期を機に表舞台から消えることにした。
アマレイヌ教団が世界最大の宗教として崇められる現在では殆どの者が彼らを忘れているが、先祖から語り継がれる語り部のお陰でその存在を覚えている者もいた。
「__いちばん偉いのは自然王様。その次に偉いのは美しい8人の自然姫様たち。そして、自然王の弟子であり、妻である姫様から力を授かった騎士たちが私たちの生活を守ってくださる。そして、忘れてならないのは“雷”も“水”も“地”も“火”も“風”もあの方たちの恩恵であること。“闇”と“光”にも感謝を忘れてはならない。あって当然のものなんてこの世にはない。そして、何よりも感謝しなければならないのは"命"。あの方たちがただの器に祝福を注いでくださったことは決して忘れてはならない」
彼らのことを皆「自然族」と呼び、今も尚、静かに崇められていた。
読んでくださりありがとうございます。
不定期ですが、このふたりの物語どんどん続いていきます!