毎朝、朝食後の午前八時半、――
毎朝、朝食後の午前八時半、パッパラルド司祭が運転するチッキテッドゥがやってきて、ピッコロミニ調査官を〈岩の君主〉の市街地へ連れて行った。
パッパラルド司祭はこの新たな習慣のために起床時間を二時間早くし、朝の勤行をまだ灰色の光が町を覆っている薄ら寒いうちから始めていたが、その不都合に対する司祭の不満は最小限に抑えられていた。それというのも司祭は異端調査官に関することには全部自分が関わって、まるで調査官の親切な伯父さんみたいになろうとしていたからだ。ピッコロミニ調査官が町人たち相手にしてしまううっかりした発言を(もちろんうっかりした発言はあるに決まっている。調査官が非常に優秀な人物だとしてもだ)パッパラルド司祭がうまく取り繕い、調査官と町人たちのあいだを橋渡しし、異端者殺しの解決にひと役買うわけだ。司祭はもう自分の善行が枢機卿の、握りこぶしみたいな形をした耳に入る光景を容易く想像できるまで妄想を育てていた。
ところで、パッパラルド司祭の運転はせかしたくなるほど遅かったが、それというのも、ドン・ニコロに調査官の世話を任されたグイドが馬にまたがって、だく足でついてきたからだ。さらにもうひとり、グイドと同じガヴェロットがやはり、馬に拍車を入れながらついてきた。五十代くらいの、大きな口髭をたくわえた浅黒い顔をした男で、他のガヴェロットたちと同様、散弾銃を肩にかけていた。彼は自己紹介もしないので、自動車が聖カヴェチィ教会の前で止まって、グイドからきかなければならなかった。
男の名前はカルチェドーニオだった。ファースト・ネームかファミリー・ネームか分からないが、それ以上、きける雰囲気ではなかった。左右に広がる口髭の上には固そうな鼻、沈黙の錠前をかけられた、への字の口と常に皺が寄っている眉間、目つきは鋭く、疑い深く、人間並みに罠に詳しくなった獣のように油断のない様子でときどきあたりを見回している。調査官は中世の異端審問官はきっとカルチェドーニオのような姿をしているのだろうなと思っていた。共和主義者や——ときには教会を冗談のネタにする一部の王党派たちは異端審問官を劇や絵で描くとき、必ずほっそりとして、青白い、宦官みたいな男に描くのだが、実際の異端審問官たちはみな、このカルチェドーニオのように物静かで、日に焼け、力強い風貌の持ち主なのだ。村から村へと異端者の火柱を残して、国じゅうを旅する審問官の姿を見れば、本物の悪魔だって悲鳴を上げて、命乞いをする。それに対し、異端審問官は悪魔の命を世俗の手にゆだね、怒れる民衆によって八つ裂きにされるを任せるのだ。
マドニア広場は十数軒の店屋に囲まれた小さな敷石の場所で、野菜を積んだ馬車が止まっていた。〈岩の君主〉は家や店が階段や坂道でつながっていて、人は流れ込むか遡るかして町を歩いた。槍騎兵通りには薬屋が開いていて、マゼンダ婆さんの家の窓からは数珠のようなものを爪繰っている音がした。ふたりに話をきいてみたが、異端調査官ときくと、ひどく嫌な顔をされた。まるで、事件の捜査ではなく、自分たちの信仰心を疑われているような気がしたのだ。パッパラルド司祭が同行していたのもよくなかったらしく、この権柄ずくの司祭は教区の信徒からまったく信用されていないことを改めて思い知らされた。
ただ、司祭以上にふたりのガヴェロットのほうを住人たちは恐れていた。散弾銃を持った男たちはまるで調査官を監視するみたいについてきていた。司祭とガヴェロットがいてはろくな情報を集められないが、どうやって相手の気分を害さずにひとりで聴き取りをさせてもらうか考えながら、通りを上り、マドニア広場に入ったときだった。
みなが消えてしまった。野菜の荷馬車も買い物客も、カバンを小脇に抱えた吏員も。空っぽの広場の中央には信じられないものが静かにたたずんでいた。顔がふたつある天使だった。事前の報告書にあった聖像の通り、顔がふたつあり、ひとつの目を共有している。写真で見た聖像からは薄気味悪さしか感じなかったが、白く輝く衣をまとった姿はどう見ても聖性に満ちていた。調査官は引き寄せられるように天使に近づいた。天使は目をつむり、手に死んだ男をかかえていた。顎と胸から血を流したその男に嫉妬してしまいそうになるほど、天使は美しかった。異端者に嫉妬するなど、異端調査官にあるまじき感情だが、実際に降臨した天使の姿に彼の信仰は根本から覆されそうになった。天球は青い星空に覆われて、後光が輪となり、調査官を照らした。天使は三つの目から静かに涙を流した。正義を求めていた。彼の信徒を殺したものに罪を償わせろと求めていた。ふたつの顔が共有する目が開かれた。青く澄み渡った目が彼に罪びとを教えんとした。天使の視線は彼を超えていた。調査官は振り返った。
天使の視線の先にはカルチェドーニオがいた。