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異端調査官のピッコロミニ氏は——

 異端調査官のピッコロミニ氏は絞ったみたいに細い顎にスコップ型の口髭をはやしていた。頭に生える分を顎に取られたのか、見事に剥げていて、ブロンドの髪は耳のそばに少しだけ残っていた。小柄で黒いフロックコートを着たピッコロミニは聖職者というよりは葬儀屋に見えた。宗務院で働くものは清貧でなくてはならないが、それ以上に荘厳でなければならないので、ピッコロミニは一等車に乗り、食堂車で遅れた朝食をとることができた。ただ、消化器系は慢性的に働きが弱く、薄いスープ以上のものを食べると消化不良を起こしたし、酒は全く受けつけなかった。

 ふたつ離れた席では太った紳士がいて、焼いた卵をひとつ、ふたつ、三つ、――、十一個、十二個とどんどん食べていく。念入りに両面を焼いた、キツネ色の卵は唇の垂れ下がった大きな口のなかに消えていった。それに朝からブドウ酒をたっぷり胃袋に流し込み、これでやっと一日を過ごせると満足気に背中を椅子に押しつけ、出っ張った腹の前で指を組んだ。

 線路は錆び色の水場と褐色の灌木が散らばった荒野を走り、〈岩の君主〉の北、崖の上方にある駅に止まった。プラットフォームの青銅の軒下に降りるとパッパラルド司祭が待っていた。日焼けした丸顔の司祭はチッキテッドゥの助手席を開けて、聖カヴェチィ教会へ行くかとたずねた。

「それより、布教団と話したいです」

 パッパラルド司祭は傷ついた。自分の管理している教会より先に、異端者たちと話したがるなんて。異端調査官の信仰もそう大したものではないということか。

 ピッコロミニ調査官はすぐ自分の過ちに気づき、一刻もはやく異端と事件の背後にあるものを明らかにして、この町の〈()()()()()()()〉を万全のものにしたいのです、とこたえた。この言葉でパッパラルド司祭の機嫌はなおった。

 チッキテッドゥは憲兵隊の詰め所へ車をまわした。今日、布教団の代表者たちが二度目の簡単な聴取――つまり、取調室を使うほどのことでない聴取を受けていたのだ。

 大尉の執務室前の廊下にニスの剥げたベンチがあり、布教団の人間が五人、いずれも灰色の髪と髭をした男たちが煙草を吸いながら、うなずいたり、首をふったりした。

「昨日も言ったんですが、わしらは別にお上とひと悶着しようなんて考えたこともねえんです」一番年上の男がそうこたえた。「とんでもねえ。わしらの天使さまはそんなことは許さんですよ。もちろん、教会とひと悶着しようなんて考えたこともねえ」

 パッパラルド司祭はピッコロミニに耳打ちした。「嘘ですよ。図々しいやつらです」

 大尉が続けてたずねた。

「それじゃあ、あの日、エンニオ・ウッリチェッラは何をしにマドニア広場に行ったか教えてくれ」

「さっきもこたえた通り、テントをもらいに行ったんだ」

「テントね」

「わしらはよく外で寝るから。金は先に払ってあった」

「まだテントは受け取っていないのか?」

「受け取ってねえ」

「その男の名前は?」

 一瞬だが、老人は言葉に詰まった。

「さあ。わしらは知らん。エンニオが知っていた。それで十分だ」

「だが、実際は金を持ち逃げされたようなものだ。名前を教えてくれれば、テントを引き渡すよう、わたしから口添えしよう」

 大尉はウッリチェッラが待ち伏せされたという考えに自信を持っていた。ウッリチェッラがあの時刻、マドニア広場にあらわれることを知っているのはそのテントの男だ。テントの男がうっかり漏らしたか、あるいはその情報を売って、殺人者から見返りを得たか。だが、何より明らかなのは、この男たちがテントの男の名前を知っていることだ。

「じゃあ、テントの男はどこに行けば会える?」

「それもエンニオだけが知っていたよ。わしらは知らん」

 パッパラルド司祭が横やりを入れた。

「官憲には素直に協力するものだ。やましいことがないのならな」

 司祭は暗に女性関係をほのめかしていた。

 布教団の老人が大きな手を握って、司祭をじろりと横目で見た。

「わしらは土地の教会とはひと悶着起こすつもりはねえですよ。でも、わしらの施しのスープのほうが司祭さまの施しのスープよりも濃いのはわしらのせいじゃねえです」

 パッパラルド司祭は恥をかかされたのと異端者にやり込められたことで怒り、権威を危険にさらされたことで今すぐ締め上げるべきだという言葉が口から出かかったが、その前に異端調査官が前に出て、布教団の老人に近づいた。

「こんにちは。わたしはアントニーノ・ピッコロミニ。異端調査官です」

 老人たちが少し動揺し、お互いこそこそと言葉を交わした。その肩書は親指をつぶす拷問具や人間を逆さに吊り下げて、漏斗を口に突っ込んで行われる水責めと結びついた。だが、調査官は疲れた人らしい微笑みを彼らに向けていて、体はマッチ棒みたいに細かった。何より、もう異端調査官には人間を火あぶりにする権限が与えられてなかったことが後押しし、対等な立場になるために、代表の老人が名乗った。

「カロージェロ・コッシ。布教団員だよ」

「あなたたちは天使を非常に信仰しているそうですね」

 老人がこたえた。

「顔がふたつある天使さまだよ。ふたつあるから、目は三つ」

「四つではないのかね?」

「ひとつはふたつの顔が共有している。天使さまはそうやって必要以上に欲しがる人間をいさめるんだよ」

「それは徳の高い」

 コッシはポケットから一枚の彩色済みのお守り札を取り出し、調査官に渡した。白い衣をまとった天使は右手に水差しを、左手に剣を持ち、ふたつの顔はそれぞれ左右を向いていて、中央に共有された三つの目がこちらをまっすぐ向いていた。

「顔がふたつあるから、普通の天使さまよりもたくさん人間のことを見てくれるんでさ」

「理にかなっているね」

 布教団の老人たちは長きにわたる巡礼と迫害のなかを生きてきたが、異端調査官を実際に見るのは初めてだった。彼らは異端調査官がいかに傲慢で、いかに狭量で、いかに俗世の暴力を背景にして、屈従を要求するかということを何度もきかされていた。

 だが、いま、目の前にいる調査官は話し方も物腰も穏やかで、偉ぶらず、同じ人間として、彼らの天使について、悪態をつくことなく辛抱強くきいてくれた。

 しばらく、双頭の天使布教団についての暮らしについて話しているうちに強情さはほぐれ、コッシはテントの男と巡礼のときに出会ったときのことを話し、その名前をもらしてしまった。

 コッシはすぐに訂正した。

「そんな名前かもしれないし、違うかもしれねえ。それにそいつとはテントを買い取ること以外なんも知らねえ」

「ええ、ええ。そうでしょうね」調査官はうなずいた。

 だが、そのそばで大尉は部下たちにテントの男――プリモ・スカンツィを大急ぎでここに連れてこいと命じていた。

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