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ウッリチェッラが撃たれたとき、――

 ウッリチェッラが撃たれたとき、マドニア広場と槍騎兵通りの人びとは慌てて逃げだした。あとで憲兵にたずねられても、何も見ていないとこたえるために。どんな背景があるにしろ、殺人事件にかかわるとろくなことにならないのだ。

 ガッタレーナ憲兵曹長がやってきたときには広場も通りも猫の子一匹いなかった。

「ちくしょうめ」ガッタレーナ曹長は唾を吐いた。「どいつもこいつもおれの仕事を減らしてやろうって気にはなれないらしいな」

 総長は車のそばに転がったウッリチェッラの死体を簡単に見分した。顔の半分がガラス片と散弾でズタズタに切り裂かれていて、その傷は胸にまで及んでいた。ピストルでこんな大きな傷ができるはずがないので、曹長は散弾銃の仕業と見た。このあたりではちっぽけなピストルよりも強力な散弾銃のほうが手に入りやすいからだ。しかし、銃から追うのは難しそうだ。この町の住民の半分は無許可で散弾銃を所有している。狩猟から密猟者への威嚇射撃と用途はいろいろあるが、人を撃つために使うのはごくわずかだ。

 曹長は薬屋の扉を叩いた。

「何も見てませんよ」車がドアにぶつかって開かないので、薬屋は窓からこたえた。

「おれは何もきいていないぞ」

「その死体を作った連中でしょう? なら、何も見ていません」

「自分の家の鎧戸に突っ込んだんだぞ。ぶつかった音がきこえただろう?」

「きこえませんでしたよ。今日は朝から調合をしていたんです。レコードをかけていました。だから、何もきこえませんでした。ペッピーノ・ディ・コーラの『ラ・スポーザ・デリッソーラ・デル・ルポ』。好きなんですよ。ディ・コーラが」

「そこで二度銃声がして、自分の家の鎧戸に車がぶつかったのに、お前は蓄音機のオペラのほうが大きな音を立てるからきこえないなんて、与太をおれに本気で吹かすんだな? ちくしょうめ。悪魔に食われちまえ」

「やめてくださいよ、曹長さん。わたしは信心深いんです」

「じゃあ、そこに転がってる異端者を撃ったやつの名前を挙げろ」

「ですから、何もきこえなかったんですよ。ペッピーノ・ディ・コーラの——」

 すると、向かいの建物の二階の窓からマゼンダ婆さんが顔を出した。

「曹長さん、薬屋は嘘を言ってますよ。車がぶつかったとき、窓にへばりついたんですから」

 マゼンダ婆さんは痛み止めの薬をツケにしてくれなかったことを恨んでいた。

「このくたばりぞこないの嘘つきめ!」薬屋は怒りで顔を真っ赤にして早口でまくしたてた。「人のことを告げ口する前に自分の立場を考えろ! ——ああ、曹長さん。いま、思い出しました。そうです。鎧戸が大きな音を立てたので、わたしは見に行ったんですよ。そうしたら、車がぶつかって、その男が道に血を流して転がっているじゃありませんか。でも、犯人は見ていません。銃声は本当にきこえなかったんです。広場からは少し離れているし、ほら、音というものは上に上にきこえるものでしょ? 坂の下のわたしにマドニア広場の銃声をきけるはずがありませんよ。だって、わたしはペッピーノ・ディ・コーラの『ラ・スポーザ・デリッソーラ・デル・ルポ』をかけてたんだから」

「嘘に決まってるよ!」

 薬屋は窓の鎧戸から手を伸ばして、マゼンダ婆さんを指差した。

「曹長さん、調べるべきはあの婆さんですよ。なんてったって、あの二階はバルコニーになっているから、簡単に坂を見上げられますよ」

「あたしは何にも見てないよ!」

「嘘つきのばばあ! 悪魔に食われちまえ!」

 うんざりしたところで憲兵大尉のカナメッロが自動車でやってきた。曹長は大尉に、殺人事件の常で目撃者がいないこと、市民が非協力的なことを言い、特に薬屋とマゼンダ婆さんが一番ひどいことを報告した。

「ちょっと待ってください、大尉さん。わたしはペッピーノ・ディ・コーラの『ラ・スポーザ・デリッソーラ・デル・ルポ』をかけていたんです!」

「あたしは何も見てないよ!」

 カナメッロ大尉は曹長にとりあえず、薬屋とマゼンダ婆さんを中隊の詰め所に引っぱっていき、取り調べカードを作るよう命じた。

 大尉は考えた。被害者は車を運転中に散弾銃で撃たれて死んだ。つまり、待ち伏せがあったのだ。犯行時刻にウッリチェッラがマドニア広場へ槍騎兵通りから入ってくることを知っていた。ウッリチェッラが何の用があって、マドニア広場にやってきたのか分かれば、犯人は絞れてくる。誰かを布教団のもとに派遣し、主だったものを詰め所に集めないといけない。

 そのとき、チッキテッドゥがマドニア広場からあらわれて、坂をゆっくり下ってきた。犯行現場に車を入れる軽率な馬鹿は誰だろうと思って運転席を見てみると、司祭のパッパラルドだった。顔つきは神妙だが、喜んでいるのは間違いなく、今度の説教で神は異端を見逃さないとか言い出すのだろうと思うとうんざりした。

「大尉さん。これは、まったく。お気の毒なことですね」

 この坊主、嘘をついてら! 大尉は心のなかのことはおくびにも出さずこたえた。

「この通り、殺人事件ですよ」

「異端者の血が流されましたな」

「ええ」

 ついでにお前がマドニア広場から自動車を入れたせいで、犯人の足跡が消えたかもしれないんだぞ、馬鹿者!と大尉は心のなかで毒ついた。

「これは宗務院に連絡して、異端調査官を呼ばねばなりません」

「なんですって?」

「異端者の血が流れたのです」

「別に異端調査官に連絡する必要はありませんよ。ただの殺人事件です」

「ですが、異端者の血が流れたのです」

 この馬鹿は何を言い出すんだろう? 大尉は〈岩の君主〉の生まれでパッパラルドのことはよく知っていた。非常に高名な司祭のもとで神学を学んだということを支えに、自分が高名な学者的司祭か何かのつもりでいたが、教区の人間はみな彼を孔雀の羽を頭から生やした馬鹿者だと思っていて、彼を心から尊敬するのは二、三人の年寄りだけだった。それにしても、異端調査官を呼ぶとはどういうことだ? それは大尉の捜査への横やりであり、まるで大尉の捜査では不十分だと言っているようなものだ。

「これは宗教が理由の殺人だと思うんですか?」

「その可能性は捨てきれませんな」

 それなら第一容疑者はパッパラルド司祭だった。司祭と布教団の対立は町のものみんなが知っている。この手の殺人事件が起こると、匿名のタレコミの手紙がどっさりやってくる。暇をつぶすつもりで書かれた手紙の多くは具体的な女性の名前を書いて、被害者とのあいだにあった非道徳的な接触とか、社会通念的に不自然な会話とか、まわりくどいことを言って、浮気や不倫があったことを匂わせてくるのだ。

「とにかく、異端調査官なんて用はありません。宗務院に連絡なんて必要ありませんからね」

「ですが、異端者の血が流れたのです」

 大尉はいらつきながら、ひょっとして、と考えた。パッパラルドは、大尉の寛容さを鍛えるために神が下された試練なのかもしれないと。

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