儚き覚悟
「そんな……まさか、黒き魔術師が、ジーネットリブだって……? そんな歴史、聞いたことがない……そんな記述、見たことがない……」
「ジャンさん、それは当然なことなのです。当時この歴史的事実を観測し、資料として残すことができた存在は、今はもう滅んだエルシャリオン帝国だけだったのですから。地上小世界の殆どを支配していたエルシャリオンは、支配下に置いた国々から力を奪い、情報を奪って、エルシャリオン以外の人間国家には歴史の空白期間が生まれたのです。ジャンさんも歴史に空白期間があることはご存知のはずなのです」
……世界的な歴史の空白期間、確かに二万年前とそれからの100年、その間に歴史的空白期間がある。エルシャリオンが滅び、次に台頭する超大国はジーネドレ帝国と、ナスラン帝国だが、この二国家はいずれも約一万年前ぐらいに興った国で、これらの国が興るまでは支配規模を一つの小世界に留める、小世界国家が基本だった。
これはおそらくエルシャリオン帝国の破滅を見た国々が、エルシャリオンのような存在を嫌い、そうした存在が生まれないように協調したというのがある。その間、国々は小世界を跨いだ交流を最低限に留め、閉じた世界を構築した。
この動きは歴史的記述、そしてその視点を極めて局地的なものとした。世界的な流れや共通認識の構築が分断されたのだ。自国の歴史を記すことはできるが、他国の歴史を記録できない、する気がなかった。
これはエルシャリオンが地上の人間達に植え付けたトラウマがいかに大きなものだったかを物語っており、エルシャリオンが滅ぶ戦争がいかに激しかったかを、当時の人々の心情の輪郭を教えてくれる。
「ならここには、モイナガオンには……エルシャリオンの記録した歴史が継承されていると? でもエル、君はエルシャリオン人は絶滅したといった。ならば誰がこの国を造った、造ることができたんだ?」
「絶滅したのは純粋なエルシャリオン人だけなのです。その混血はエルシャリオンが滅んだ世界で生きていたのです。傲慢な行いによってエルシャリオンが世界中から憎まれていたのは当然で、エルシャリオン人の混血が“その後の世界”で差別、排斥の対象となるのは考えるまでもないことなのです。エルシャリオンの混血は、純血エルシャリオン人達からエルナと呼ばれ、帝国でも差別対象でした。エルナ達の居場所は生まれたその瞬間からどこにもなかった。国々が平和を、平穏を勝ち取って行く中で、彼らだけはずっと、居場所と安息、平穏を得られなかったのです」
歴史ではよくあることだ。支配的な強国が滅び、立場が逆転して、その因果が返っていく……エルシャリオン人は絶滅した。けれど、エルシャリオン人が絶滅しただけでは人々の憎しみが止まることはなかった。己の憎しみを解消するための矛先として、エルナ達が使われた。
エルナ達はきっと、帝国が存在していた時、自国を、帝国を憎んでいた。だが皮肉にもその帝国がエルナ達を守っていた。そんな事実に、帝国が滅んだ後に気がつくのだ。帝国が消えてしまえば、自分達にも平穏があると、そんな淡い幻想さえ抱いていただろう彼らに、未来はなかった。彼らにはどうしようもないことで、なんの罪もないはずだが、現実は非常だ。
「辛い現実を生きる為、エルナ達は幻想を頼ることにしたのです。自らの境遇を生み出したエルシャリオンを神格化し、自分達はかつての大帝国の叡智を継承する者だとした。憎しみの対象であったはずの己の血に、民族の誇りを見出し、エルナ達の結束を強めたのです。彼らの先祖がどれだけの事を自分達にしたか、純血達が自分達をどう思っていたか、それに答えてくれる、幻想を否定する者はいません。死人に口無しなのですから……それが……エルナ人の、ナイモ教の先祖崇拝の真実なのです」
……なんという皮肉、酷い現実か……生き残る為にそうするしかなかった。それだけ追い詰められていた。ナイモの聖霊とは……エルナ人の幻想、理想の先祖の妄想を神格化した……幻想の神だったのか。だとするなら……ナイモの聖霊に力があるのも分かる。
絶望に抗うための強い願望、幻想への憧れが、人を超えた神の力を生み出した。ある意味で、ナイモの聖霊は、エルナ達にとっての勇者だったんだ。人々の強い感情エネルギーが、新たなる神を、自分たちの為の神を創造した。
「実際の所、エルナ達はエルシャリオンの叡智を継承していたのです。エルシャリオンの残した歴史や技術を持っていたのです。エルナの中には名誉エルシャリオン、つまり名誉純血種と呼ばれたエリート、知識層もいたのです。だからエルナ達だけは知っていたのです。黒き魔術師が何者かを……二万年前、黒き魔術師が歴史に現れたその同時期に、大世界オトマキアに現れた強大な力を持つ者達。異界よりやってきた神の如き力を持つ女神達、エルシャリオンは彼女達を“イモート”種族と呼んだ。見た目も行動も異なる彼女達を同一の勢力であると、エルシャリオンだけが特定できた」
イモート種族……元は伊豆宮ミヤコだった、その分体。俺の妹……
ディア、そしてジーネ。二人が俺の知るイモート種族なのだろう。そしてエルシエルのこの言い方から察するに、この世界に降り立ったイモートは二人だけではない。俺の知らないイモートが何人もいるはずだ。
「イモートは皆強大な力を持っていて、彼女達は世界への干渉を始めた。人々は彼女達を崇め、世界は異界の力に侵食されていった。エルナ達は、自分達にアイデンティティを一つ加えたのです。自分達だけがこの事実を知っている。自分達は異界の侵略者から世界を救済する役割を持った救世の民であると。エルナは否定の意味を持つ“ナ”の音に、肯定的な意味を持たせたかった。侵略者イモートを否定する者、世界を救済する者、そんな意味を込めて、ナイモを自称した。自身を定義したのです」
「そういうことか。ディアがイモート種族だから、操られたモイナガオンの人々はディアを敵対種と呼んだ……というわけか。そしてモイナガオンのモイナも、ナイモ教を逆から読んだ音……ディアがこの街にやってくるというのは、ナイモの聖霊からすれば、敵が本拠地に攻めてきたのも同じ……人々の豹変も、イレギュラーなことだった」
「ちょっと待って!? えっ? ディアが、エルが言ってたそのイモートって種族なの……? ねぇちょっと待って……なんかアタシ、もの凄い因縁に巻き込まれてない? ちょっと!? ジャンダルーム!? これどうしてくれるのよ!!」
ごめんエローラ……
「ごめんエローラ……まさか、こんなことになるなんてな……でもエローラはディアとそんな関係する訳じゃないから、エローラだけなら安全かもな」
「残念ながらそうはいかないと思うのです。エローラさんはディアさんと仲良くしていたのを、モイナガオンの人々を通じてナイモの聖霊に認識されてるから、ディアさんの仲間として認識されてるはずなのです」
「そんなぁ……え? ええええええええええええええええええええ!?」
ごめんエローラ……
「落ち着いてくださいエローラさん。このナイモの霊塔の中なら安全なのです。一ヶ月もすれば、嵐は維持できなくなって、このモイナガオンを脱出するチャンスは訪れるのですから」
「ねぇ、なんでエルはアタシ達に優しいの? どうしてあんただけ、正気なままなの? あんたもモイナガオンの人間じゃないの?」
「エルが皆さんに優しくしたいと思うのは、皆さんが優しいからなのです。エルは、平和に、穏やかに暮らしたかっただけなのです。エルだけじゃなく、ナイモの民も、心の底から願っているのはそれだけなのです。けれど、自分達を定義する、因縁と宿命は……今ある平穏と安息を否定しようとしているのです。まるで、心と体が分かれてしまったかのように。エルは……エルの正体を言うことはできないのです。いくら自分自身が願っても、エルが皆さんに伝えることはできないのです。それがエルという存在で、それを否定することは、エルを否定することだからです」
……っ、なんだ、その目は……エルは、エルシエルは……どうしてそんな目で、悲しい目で、縋るような目で、俺を見る。
俺に何を望むと言うんだ……どうして、まだ何もしていない俺に、罪悪感を抱いているんだ……
彼女の目を見れば、まるで俺は『ごめんなさい』と彼女に言われてるみたいだ……なぜお前が俺に謝る……
この子は何かを諦めている。きっとそれは……彼女の……
「一ヶ月」
「え……? ジャンさん……?」
「一ヶ月は持つんだよな?」
俺はエルに問う。
「はい、任せてください! 持たせて、みせるのです……!」
エルは答えた。振り絞った空元気、弱々しい笑顔が俺の懸念を肯定するかのようだった。
「そうかっ……う、うぅ……なら俺も……頑張ってみるよ」
「ジャンさん、そんな、なんで泣いてるのです? 泣くことなんて、何もないのですよ?」
「俺は、想像力豊かなんだ。ははは、気にしないでくれ」
エルは死ぬつもりだ。どうして死ぬのかは分からない。だけど、俺には分かる。死を覚悟する者の目を、俺はよく知っている。旅の中で、戦いの中で何度も見てきた。人も獣も、命を懸ける時は、秘めた覚悟が、纏う空気を変えるのだ。
俺だけじゃない、ディアも、エローラも知っている。その目を、纏う空気を。
エルが街を支配するナイモの聖霊に抗い、俺達を救うと言うのなら、それはきっと命懸けだ。
エルは一ヶ月、持たせて見せると言った。それがエルの命の期限となるだろう。
俺はそれまでに探さなければならない。
ディア、そしてエルの命、モイナガオンの未来、全てをハッピーな結末で迎えられる選択肢、方法を。
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