薄皮の平穏
「オーブ、また王立学院でトップ成績だったそうね? あなた頑張り過ぎよ? 偉いけれど、母は心配です」
「母上、それは総合成績の話です。僕は武器実技と各種座学ではトップ成績ですが、魔術実技と戦術学では次席、これらの分野では日々才能の差を感じさせられる。ですから頑張り過ぎるということはないんです。次代の王として、民の模範となれるよう、まだまだ、何もかもが足りないのです」
それはまだ平和があった時代。この時はまだ、オーブはナスラム皇帝の子ではなかった。オーブの母、オーヴィアが秘密を守っていた時代。
優秀だったオーブはグローリー王国の王立学院に飛び入学した。本来、王立学院への入学は14歳からだったが、オーブは学院への入学を10歳で果たし、それから二年、首席を取り続けている。
グローリー王国の最高の人材が集結するこの学院で、年上の生徒達を才能によって蹂躙していた。しかし、誰もオーブの無自覚な傲慢を咎めることはなかった。
それは誰も彼もが、オーブを違う世界の住人であると認識していたし、オーブの真っ直ぐで優しい心根に毒気を抜かれてしまっていた。それは生徒達が心に負った傷、棘を隠すだけの理由となった。
「オーブ様、ついていくこっちのことも考えてくださいよ。すっごく大変なんですよ? オーブ様の方が俺より年下のはずなのに、なんだか俺、オーブ様のこと5つぐらい年上に感じてますよ」
「5つか! トランは僕の4つ上だから合わせて9、9年の時を縮めたことになるな! でもトラン、お前だって学年で三位なんだ、もっと胸を張れよ。嫌味になるぞ? いつも僕にそう説教してるんだから。お前も実践しないと」
トラン、いつも眠そうな顔をしているオーブの乳兄弟。オーブとは四歳差でオーブはトランの妹と同時期に乳母に育てられた。
トランは優秀だったが決して傲慢にはならなかった。むしろ自信のない、謙虚な人間だった。オーブという天才がすぐ近くにいたせいで、傲慢になりようがなかったとも言える。
トランは己が傲慢になりかけるといつも思い出すことがあった。
それはオーブが歩き始めた、赤ん坊だった頃。すでに5歳となっていたトランは、意識をはっきりとさせていて、その時のことをよく憶えていた。
一人で歩くことを憶えたオーブは好奇心旺盛で、乳母達が止めても隙を見計らって脱走することがあった。そんなオーブを母である乳母の為にトランは止めようとした。
「──え?」
けれどそれは叶わなかった。オーブを止めようとしていたトランは、気づけば地面に転がされていた。一瞬、トランは何が起きたのかを理解できなかった。
(ちからつよ……っ!? す、すごい子だなぁ……!)
制止しようとしたトランはオーブに振り払われ、突き飛ばされていたのだ。5歳の自分が赤ん坊に力負けした事、その衝撃は、トランを自覚させるのに十分だった。
ああ、自分はこの子に一生勝てないんだ。ものが違うんだ──と、己に才能がないと自覚したトランは腐るわけでもなく、考えるようになった。己の生きる意味について。
そうしてトランがたどり着いた答えは──心だった。自分が何者であれ、自分には感じる心がある。その心の声を大事に、非才は非才なりに、出来ることを全力でやっていこうと決めた。
そのトランの精神性こそが、トランの才能であることを、トランは知らないまま。トランはオーブの影として、オーブの理解者、一番の友として生きていた。
「母上もみんな、僕が頑張り過ぎだって。ねぇトラン、そんなに僕っておかしいのかな?」
「ええ、オーブ様はおかしいですよ。ただ、俺の思うおかしいは、オーヴィア様達とは違うかも」
夕暮れ時の隙間時間で、トランとオーブは屋敷の庭の池で釣りをするのが恒例となっていた。オレンジ色に輝く水面を見つめながら、二人は話す。
「母上とは違うってどういう風に?」
「オーブ様は、知らないんだ。自分が何のために頑張っているのかを」
「え? いやいや、僕はみんなの模範となれるように、皆が僕を王だと自然に認められるように……」
「オーブ様、それは、違うんですよ。自分の立場や環境があなたにそう言わせているんです。自分の心の為に、あなたは生きたことがないから、オーブ様は、自分が何をしたいのか、分かっていないんです」
「そ、そんな馬鹿な。僕はみんなの為に本気で……」
「ええ、分かってますよ。ですが、それはオーブ様が片手間で人を助けられるから、ほんの少しの優しさで出来てしまうから、適当にやれてしまうんです」
「お、おいトラン、お前今日ちょっと棘がないか? 僕何かしたか?」
トランはずっとオーブに抱いていた心情を、この日、言う事にした。いつか誰かが、オーブに言わなければならないこと。それはオーブを傷つけることかもしれない事だったけれど。
だからこそ、トランはオーブの一番の友として、誰かにその役割を譲るつもりはなかった。
「俺は、実を言うと、オーブ様に遠慮して本音を隠していたんです。言い辛いことってあるでしょう? でも、今日は言うことにしたんです。このままじゃ、駄目だと思ったから」
「……そうか、わかった。トラン、お前の話を聞くよ」
「ありがとうございます。あなたは強く、美しく、賢い。きっと誰もが、あなたは全てを持って生まれてきたと、思うことでしょう。そんなあなたは、まだ、傷を知らない。本当の痛みを知らない。だからきっと、今から俺が言うことも、この場で、あなたの心に響くことはないでしょう」
いつになく真剣な眼差しで語るトランの言葉を、オーブは遮ることができなかった。オーブは眼の前の男が、自分の為に、心を見せてくれている気がした。その者の語る言葉の意味を理解できずとも、その言葉の全てを記憶しなければ、いけない気がした。
「優しさとは、痛み。傷跡から生まれる絆なのです。これはただの言葉ですが、これから先、オーブ様が苦境に立たされた時、傷ついた時、これはただの言葉ではなくなる。その意味を深く理解することでしょう」
「傷跡から生まれる……絆?」
「苦しむ心に寄り添うこと、それが優しさ。それは尊いように思えるけれど、本質的には悲しいことでもある……と、俺はそう思うんです。だって、それって、逆を言えばこの世界が悲しいことで溢れてるって証明でもあるのだから。だから俺、優しいってそんな好きじゃないんです」
「じゃあ……トランは何が好きなの?」
「俺は、わくわくすること、楽しいことが好きです。前向きな自分を感じられるから、世界を好きになれるから。俺は、こいつを理想だとか夢って呼んでます。だから俺、オーブ様に優しい人間になんてなって欲しくない。だって、オーブ様、きっと、いつか……みんなの悲しみで溺れてしまう。優しさが、あなたの心を消してしまう」
トランはオーブを憐れんでいた。トランにはオーブが鎖に繋がれた囚人に見えた。トランは、トランだけはオーブの本質を知っていたから。
トランが見た好奇心旺盛な赤ん坊、それこそがオーブの本質であると、トランには分かっていた。己の好奇心、楽しいを見つける為に、自由に歩くあの赤子の姿、それこそがトランにとって、最も輝きに満ちたオーブドラスの姿だったから。
人の為に、義務感に生きるほど、オーブの輝きは失われていく。そんな風に、トランは思った。
「ねぇトラン、じゃあトランの夢は、どんな夢なの?」
「そうですね。俺の夢は、家族と、オーブ様と一緒に旅行に行きたいですかね」
「えぇ? そんなの毎年行っているだろう?」
「でも楽しいから、それでいいんです。俺の心は、それを望んでいますから」
「家族思いだよなぁトランは。けど、それでこそトランだ」
トランは、家族やオーブ、大切な人達と過ごす、なんでもない日々が好きだった。人から見ればどうでもいいような日常を、トランは噛みしめるように、大切に生きていた。
「いつか、オーブ様の夢が見つかるといいですね。もしオーブ様の夢が見つかったら、俺にお手伝い、させてくださいよ?」
「当たり前だろう? お前はいずれ、僕の側近になるんだ。だから、今までと同じ、これから先もずっと、僕達は一緒だ。僕のやることはお前のやることでもある」
「……オーブ様。そうですね、ならオーブ様の夢は、俺の夢ですね!」
──しかし、そんなトランの幸せな日々は、終わりを告げる。
オーヴィアとオーブの秘密が、公となることで。
運命の歯車は狂ったのか、正しく動き出したのか。
神のように見下ろせば正しく、地を這う人であれば、それは狂気──地獄である。
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