7.播磨のめっかい(7)
7.播磨のめっかい(7)
明けの三日月とは、ふつうの三日月の逆で新月にかけて消えていく糸のような月である。
人身御供の当日は闇夜で、まったく月明かりがない。
そんな折り、渡辺藤が呼んだのが、芦屋道満心得二番だった。
(果たして如何なものか)
ひとまず心安らかになった長者だが、疑問は残る。その道満二番が少年であったからだ。羆を倒した三郎よりも年若い。
道満二番の名の心得はそれに相当する位を示すから、芦屋道満を名乗ってもよいとされている力があるのだろう。だが、逆に言えばそれの二番なので順当には三番目と推察できる。
「先は詰まっておるからのお」
芦屋道満という名跡を継ぐ者は多いらしい。
「とはいえ、次はワシじゃろうて」
それは先代の播磨のめっかいを使役していることからの自信だった。
(さてはて……)
呪術に興味のない三郎は、策の触を聞くと雉を求めた。
『孫子』にあるように、戦事は策のままに動くが定石で、兵があまり知り過ぎると誤って死地に向かう。
此度の将は道満二番と決まったので、三郎はそれに従うだけだった。渡辺藤も異論はない。
道満二番が「死地に向かえ」と命ずれば「ただ向かう」だけのこと。そこで要らぬ知恵があると惑い揺れる。
だから、頭を空にする必要があった。
*
人身を御供するは黄昏刻と決まっている。
黄昏の「昏」は不明瞭を意味する。はっきりせぬ淡い刻をもって人の生死を分ける。
婚姻も同じこと。ゆるやかな刻をへて夫婦となる。朧であるからこそその身を固めることもできる。
とはいえ、化け物にも思惑がある。見えぬから恐ろしくあるのだ。その名を知りえれば対処のしようがあるというもの。名を知らずともそれを滅ぼすものの名を知れば呼ぶだけのこと。
呼ばれた播磨のめっかいは老いたとはいえ、その化け物を滅ぼす名をもつ。また、熊をもよせつけぬ三郎の歩みに追いついたことから事は成就したと考えられた。
長者のうら若き娘子が棺の前に立った。
七日の精進料理に湯浴みと、身を清めての供えだった。
娘の棺が鎮守の森の社の祭壇に置かれた。いつぞやの抜けた床がある。
夜も更け、社の天井裏にいた三郎が手を耳にやる。
風の音。軋む社。
床下には、渡辺が控えている。
遠くに足音が聞こえた。
一つ。
二つ。
そして三つ。
うち一つは歩むのに手をついているらしい。四ツ足の化け物だろう。
一陣の風に扉が開くと、そろそろと足音が近づいた。
音もなく三郎が外に出ると、扉を閉めた。渡辺と二人して閂をかける。
「二ツ目よ。扉が閉まる音がしたぞ」
「おるぞおるぞ娘子が!」
「忘八は冗談が過ぎる。四ツ足よ、開けてくれぬか?」
「いや先に娘子じゃて娘子じゃて」
棺が開けられる音がしたが、外からでは様子は窺えない。
「ほおれほれ、震えておる震えておる。……〝ベベ〟を開けるぞ」
「ぎゃあ!」
「ウグ!」
棺に隠れていた娘子ほどの大きさの赤犬が、化け物の喉笛に噛みついたらしい。息さえ漏れない。
骨が折れる音がした。頸椎だろう。
「コヤツは! コヤツはめっかいじゃあ!」
「播磨のめっかいとな! 開かぬ開かぬ。四ツ足よ四ツ足。開けよ開けよ」
「めっかいじゃあ! 播磨のめっかいじゃあ!」
「何故にめっかいに知られたか! 播磨のめっかいに」
「播磨のめっかいじゃあ! めっかいじゃあ!」
やがて、物音がしなくなった。
渡辺の吐息しか聞こえなくなる。
ゆっくりと渡辺が社の扉に耳を当てた。
「御主が知らせたか? 渡辺の」
「ひえー!」
化け物の声に渡辺が腰を抜かした。
三郎が渡辺を転がすと、声のした辺りに大刀を突き刺した。
「うげえ!」
鈍でも役立ったらしい。
バリバリという骨が砕ける音がした。
静寂。
「渡辺さま……渡辺さま。わたくしは鎮守の森の社に囚われている者にございます。鬼も消えましたゆえ扉を開けてくださいませぬか……」
若い娘の声がした。
「止めろ!」
三郎の言う間もなく、渡辺藤が扉の閂を押し上げてしまった。
娘などいなかった。
「グフッ!」
播磨のめっかいが渡辺藤の喉元を食らっていた。
否。
〝鬼〟だ。めっかいは〝鬼〟の肩にあって首一つで絶命していた。
渡辺藤が倒れた。