11.座敷童子
11.座敷童子
会津を発った三郎の姿は、昼には名取は岩沼の宿にあった。
岩沼は今日も賑わっていた。奥州街道から陸前浜街道にここで分かれる。そうした境に人は集まる。
三郎は川上の宿屋〔亀屋〕の二階にいた。ここの湯は亀塚温泉から分けられている。というより湯元の一族が宿を営んでいるといったほうがいい。〔亀屋〕の先代の女将お鶴と本家湯元に養子に出された今の主人は年子の姉弟にある。
一度は婿をとったが流行り病で早世してしまい、お鶴も子を宿せなくなった。
可愛がっていた弟の次男坊を養子にもらい、家業を甥っ子夫婦に任せた安心からか女をもてあましていた。
情に飢えた年増女が、美少年を囲うのは当然ともいえた。
若女将でさえポッとなるほどの美しい三郎だが商いは興に入る風はなく、亭主は伯母の道楽を諦めていた。いや、その馴初は反対したが、三郎が宿にいるのは二月三月に一度、泊まっても一晩限りとなれば商売に害するほどでなし、それで義母が満足するなら孝行かと了承したのだった。
お鶴は今日も三郎の背を洗い、用意させた酒膳に酌と三郎に尽くしていた。
三郎の表情は暗い。それはお鶴にだけ見せる顔で、他の者に知られることはなかった。
三郎はお鶴の事情を知っている。見て分かることをいちいち聞くこともないからだろう。
(大義があるのだろう)
お鶴もよけいな事を聞かなかった。
どのような人の生き方をするにしろ、最期はその死に様で決められる。
古人曰く「死に様は一瞬。生き方の切り口」なのだから。
昼湯に昼酒とくれば昼寝である。
半刻あまりお鶴の膝で転寝した。
「ここに座敷童子がいたな?」
起きると、夢で見たらしい。
「ええ」
お鶴は「それがどうかしましたか」とは聞かない。肯うばかりだ。「どうしてそれを知っているのか」は推察があったのだろう。それも言わない。健気な女だ。
「弟が本家に出されるときにいっしょについて行ってしまいましたが」
「ロククギドウを知っているか?」
舌を噛みそうな言葉である。
「ロククギドウ? ああ、それでしたら六九儀堂書肆ですわ。――書肆とは名乗っていますが、本業は呉服屋です。コレあなたのその着物を仕立てた」
「道理で」
いつもの女物とは違う濃紺の紬の背に左三つ巴の紋がある。三つ巴紋は武神八幡神の神紋に由来すると聞く。およそ商家の紋に相応しくない。
(無口は長生きする)
秘密を守る一番の方法は忘却することだ。その事の実さえ消えてしまえば、夢のように形は残らない。
遠く海の向こうの愛蘭では、目覚めたときに頭をかくと夢を思いだせないそうな。思いだそうとしても、煙の輪が風で飛ばされるように消えてしまうという。#LH
「発つ」
すっと立つと、帯を緩めた。お鶴が三郎の髪を結いなおした。
美しい少女にしか見えない。
軽く薬箱を手にすると、階段を下りた。
*
六九儀堂書肆の「六九儀」とは、易の太極から始めて分かれた二つ両儀をいう。すなわち陰陽のことで、故に正紋は陰陽勾玉巴のはずだが、算術商いに呪術は要らぬらしく呉服の〔山田屋〕では丸に三つ茶の実を使っていた。女将が上方の言葉を使っていたから女紋なのだろう。上方では女系の紋を用いる風習がある。およそ清和源氏の出だろう。
(違うな)
三郎が〔山田屋〕女将の言から、旦那が婿養子と分かった。書道楽で蔵をひとつ埋めてしまったそうだ。
「奥におりますから、案内させましょう」
白髪の下女お夏の案内で、別棟に通された。
所狭しとて、廊下にも書が横に積まれて蟻塚になっていた。その上で三毛猫が眠っていた。
「旦那さま、お客さまです」
「……客人? 尚さんがいるだろう?」
左手で鼈甲の片眼鏡を外した。左目を凝らした。
年は尚の一つ下だから、お鶴の弟と同じはず。背は三郎と変わらない小兵だったが、向傷が右頬から右耳の上に残っていた。
右の小指と薬指の先を失っていることから察すると、遠矢を避けたのだろう。それで失明したか。
「なるほど。お鶴さんが惚れる訳だ。……ああ言うな。当ててみせる」
お夏が座布団をすすめると、廊下の向こうに控えた。
薬箱を横に、三郎が胡坐した。
「……釣瓶火? いや違うな。座敷童子だ。お前さん童の夢を見たのだろう。どんな夢だ? ……不粋め。おいおい答えを言うな。餓鬼はこれだから……。――となると、海路で播州に向かえ。つまりはそうか……下らん」
「播州?」
播磨国のことだ。
「因縁があるのだろう? ――お夏さん、ちょいと江戸に行ってくる」
「また枕絵ですか?」
お夏が顔を出した。
「ああ、それもイイな」
口を滑らしたらしい。
「銀子を幾らか用意してくれないか」
六九儀堂が「いつものように尚さんには内緒で」と言葉を足した。
「はいはい……まったく」
白髪のお夏の口が緩む。源典侍の如く女は骨になるまで情が深い。
枕絵は眠るときの絵、つまりは春画をさす。西施のように眉を顰める美女も多いが、子宝に通じるので縁起物としても重宝された。また、極彩色の錦絵の春画はふつうの浮世絵より価値が高い。銀子は重いが春画は軽いことから旅の伴侶にも使われている。
六九儀堂が支度する間、お夏から三郎は熱い茶とずんだ餡の餅を馳走になった。
(ツルベビ? 釣瓶の火か?)