1.播磨のめっかい(1)
『豊玉不二絵』(ほうぎょくふじのえ)
〝Young Hijikata Toshizo〟
薬売りの美少年三郎は、女剣客渡辺藤の(要らぬ)手をかりて今日も怪異(※)に臨むのでした。
※怪異――不思議な事象や、その様。あやしいこと。
#幻想怪奇絵巻
#重複投稿
1.播磨のめっかい(1)
獣道を美しい少女が駆けていた。
会津の春は武蔵国より遅い。
雪はないが朝露が昼前まで残る鬱蒼とした山の中を不思議と躓かず、風に舞う木の葉のように疾い。
「待ちやがれ!」
追う男たちは賊である。
「チッ! ええい!」
若い男が長合口を手にしているが、そう長くては木枝に引っかかる。逆手に持ち替え走る。
少女は頭一つ分だけ、鉈で枝葉を切り進めていた。身が軽く、背負う薬箱がゆれず音もしない。
「しめた!」
初老の男が逆光に目を細め、歓喜した。
視界が広がる。沢だ。
行き止まりだ。
上流に滝があるのか落水の音が響いた。
「……さあ、返してもらおうか」
肩で息をしている初老の男が首魁らしく口上を述べた。
どうやら少女のほうが賊だったらしい。
袴姿の剣士が遅れてやってきた。こちらは大小二本差している。
「……すっ助太刀いたす」
あともう一人。女剣客だ。草履の絹緒が草緑と泥に染まっていた。淡紫の小袖の前が少し開けているのは自覚のない胸の艶だろう。若衆髷に引っかかった枝を払い落とした。項の汗が光る。
「おい」
「おう」
「フッ」
言うまでもなく首魁は後の愉しみを考えていた。
剣士が振り返り硬直した。釣られて女剣客も背を見てしまった。固まる。
女の羽織の背紋は三つ星に一文字――渡辺氏だ。
「チッ!」
剣士が舌打ちした。渡辺の後ろにいたのは羆だった。九尺半(約二八八cm)はあろうか。
羆は蝦夷にしかいない。そのはずだった。だが、現世に会津に蝦夷羆がいた。
「痛!」
飛礫に渡辺が倒れた。
投げたのは少女だった。
「くっ熊!」
剣士の背後で声がした。若い男が腰を抜かしたのだろう。
熊は本来ヒトに関与しない。要は近づきさえしなければ攻撃することはない。食料があればの話である。
このところ里も山も豊作で憂いはない。
熊がヒトと接触する可能性があるとすれば、熊の獲物を盗った場合だ。熊は一度モノにした獲物を手放さない。盗めば敵と見做す。
(あの娘……)
「テメエ、男だったのか!」
首魁の声に、川原に倒れていた渡辺が少女だった者を確かめた。
(美少年……)
「身八口を開けたら、鴨が葱を背負って来る。イイ商売だろう?」
薬箱に片膝した少年が微笑んだ。
流石に汗をかいたのか片肌を脱いだ姿は、三代目歌川豊国が描く「似ぬ声色で小ゆすりかたり名せえ由縁の弁天小僧」だった。
渡辺が頭を押さえながら起き上がるころには、事は済んでいた。
三人の男に死相があった。
顔をそらしたその先に熊が倒れていた。
「何をしているのだ?」
美少年が熊の腹を開いていた。臓腑を一つ摘まむと、倒れた剣士の懐紙で血を拭った。
「見て分からんものは聞いても分からん」
不思議と体液は漏れていない。専門の道具で先端を縛っているからだろう。
「肝?」
「熊の肝はあんたの頭より大きい」
正確には熊胆だ。熊の胆ともいう。
「そんな物のために人を殺めたのか?」
渡辺が問い詰めた。
「男を殺ったのは熊だ。オレじゃあない」
先端を糸で巻き止めた。熊の胆嚢は乾燥させれば高価な生薬になる。
「同じことだろうに。――お前の案内で殺めた」
「天命だったんだろうさ。〝熊の道に迷い込んだ〟のは」
理としては誤っていない。
「手伝え」
血のついた手を差しだした。
「何を」
「鍋にする」
当たり前だというように美少年が答えた。