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エッセイ 富岡八幡

富岡八幡 ―― 蛭子と日子

初出:カクヨム

https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/16818023211969245153

 富岡八幡宮への参詣に端を発したエッセイのシリーズだが、御祭神のお一方、恵比須様について二回に渡って少々考えた後に、一区切りとしたい。

 この神様は、御名みなをヒルコノミコトともられ、記紀において「水蛭子ひるこ」「蛭兒ひるこ」と表記される神のこととされる。

 古事記などによれば、伊邪那岐いざなき(伊弉諾)、伊邪那美いざなみ(伊弉冉)の二神による国産みの際に、最初に誕生したのがこの方であるが、残念ながら両親ふたおやからは歓迎されなかった。その理由は古事記には明確に記されていないが、日本書紀の本文では三歳になっても脚が立たなかったとある。巷間では、産れてきた子が文字通り蛭のような、手足の無い不完全な姿であったためとも言われる。

 この他にも、「ヒル」は「る」であり「」とは、干満によって水上に現れたり波の下に隠れたりする、磯辺の岩礁を擬人化したものだとする説がある。そのような海とも陸ともつかない場所は土地としての利用価値が無いため、まともな国土とはみなされなかったということなのかも知れない。ただ、上一段動詞「る」は、上代以前は上二段動詞「」であり、その連体形は「フル」という音になるので、「ヒルコ」を「る子」と解釈することには言語学的に齟齬がある。

 いずれにせよ、ヒルコは、言わば出来損ないとして、葦船(日本書紀の本文では天磐櫲樟船あまのいはくすぶね)に載せられ流される。何やら、祇園舟の神事を髣髴させるが、これをもし現実的に、嬰児を海に流したとして考えるならば、実に残酷な話である。

 別の説では、「ヒルコ」は「日子ひるこ」、つまり太陽の子が本義だともされる。伊邪那岐いざなき(伊弉諾)、伊邪那美いざなみ(伊弉冉)の二神から生まれた最高神は、太陽を象徴する神、天照大神(古事記などによると伊邪那岐いざなきのみの子)であるが、その別称に「大日孁貴おほひるめのむち」というものがある。「日孁ひるめ」を別の字で表記すれば「日女ひるめ」であり、日子ひるこ日女ひるめと並べれば相関性が感じられる。

 これに関して、そもそもの神話において、太陽神の性別は男性であったが後の代に女性に改められたという説がある。男性である太陽神を祀る巫女を神格化したものが、日孁ひるめであり、本来は太陽神そのものの位置付けではなかったが、女性天皇の権威付けのために、最高神たる太陽神を女神と措定するような操作がなされたというようなことも言われる。

 実際に、記紀が編纂され成立した時代及びその前後には、多くの女性天皇が即位している。すなわち、推古天皇から稱德天皇まで。二百年足らずのうちに、十六代の天皇が即位し、そのうちの半数、八代(重祚はそれぞれに一代と勘定)を女性が占めていた。

 このように、多くの女性天皇が登場した時代というのは、日本史全体から鑑みると非常に特異な例であり、この二百年足らずの他には見当たらない。

 最近に置き換えれば、幕末から現代までの時間的長さが二百年足らずであるけれども、この間、孝明帝から今上陛下に到る六代の方々が帝位にいていらっしゃる。それと同様の長さの期間に、十六代もの代替わりがあり、八代もの女帝の御代があったと考えるならば、いかがだろうか。この事実だけでも、この時代の政体が安定的ではなかったことが示唆されているように思われる。

 萬葉集には「中皇命」という言葉が登場する。一般的には「なかつすめらみこと」と訓ずとされることが多い。

 しかし、この言葉は、一般的な辞書には採録されていない。僕の手許にある『広辞苑』はもとより、岩波、旺文社、角川などの古語辞典、小学館の『古語大辞典』、三省堂の『時代別国語大辞典上代編』にも所載が無い。先程示した「なかつすめらみこと」というみ方も固まったものではなく、近代における喜田貞吉の研究を嚆矢としてこのよみが広まったとも言われる。この言葉が何を意味しているのかについても確定的な説はない。萬葉集においては、間人皇女を指しているとする説が江戸時代の国学以降、多く唱えられている。また、先に触れた喜田の研究などから、本来この言葉は、中継ぎ的に即位した天皇のことを指すものであり、古代において女性天皇は男性天皇の中継ぎ的な扱いであったため、女帝を示す一般名詞として「中皇命」が用いられたという説も耳にすることが多い。

 一方、最近では、この女帝中継ぎ論を否定する説も少なくない。その中には、純粋な学問的観点のみならず、現下のジェンダー平等論や、皇室の後継問題も絡んで、政治的にこの中継ぎ論を否定しようとする動きもある。

 ただ、現代の価値観や政治的思惑で歴史を見ることは判断を誤る元凶であろう。

 第一、天皇の股肱の臣たる関白、太政大臣、左右大臣その他の公卿に、女性が歴史上ただの一人も登用されていないという厳然たる事実にしっかりと目を向けるべきであろう。すなわち、古代から近代に到るまで、女性が就任可能な官職は政治の中枢に存在しなかったし、実績も皆無であったという事実は揺るがない。また、女性天皇にしても、先述の二百年足らずの時期以外は、江戸時代に明正帝、後櫻町帝のわずか二代があるのみ。

 これを見るに、やはり、まつりごととは男性が中心となって行うべきものであり、天皇の地位についても男性がくのが本来というコンセンサスが、有史以来連綿として存在したであろうことは否定しようがあるまい。

 これを踏まえて、件の二百年足らずの特異な時代を鑑みると、既述のとおり、女性天皇の権威付け、正統性の確保というものはどうしても切実に必要であっただろうし、その一環として、最高神である太陽神を男性から女性にすげ替えるという、神話(当時としては歴史)の書き換えが行われたとしても、不思議ではない。そのような事情に伴い、本来男性の太陽神であった日子ひるこは、同音異義の蛭子ひることして貶められ、不完全な神だからと流されてしまうストーリーが生まれるとともに、巫女の立場であった日女ひるめが最高神たる太陽神に昇格したということなのかも知れない。

 まあ、何の根拠もない僕の妄想に過ぎないが。


 次回は、「エビス」について、考えてみたい。



                         <了>





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