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生活保護区  作者: 蝸牛
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2、そして、出会った



「大学辞めたい。」

私が母親に電話をかけたのは、大学3年になろうとしていた春だった。

母は一瞬黙ったあと、「そう」とだけ返事をし、そして続けた。

「就職は?」

「まだ決めてない。とりあえず、バイトする。」

間髪入れずに答えると、またしても「そう」と母は返事をした。



大学に通って2年。医療系の仕事に進むために、大学へ入った。医師であり、内科の個人院の院長を務める父親の跡を継ごうと思ったのだ。


が、大学は退屈だった。そしてハイレベルだった。

ギリギリの成績で入学したことも原因だったのかもしれないが、友人と話も合わない。

レポートも楽しく取り組めると何故か甘く考えていた。実際は取り掛かるまでで時間を掛けすぎて、私の作る内容なんか糞みたいな物だった。

日に日に通わなくなり、一人暮らしの部屋に籠るようになり、仕送りだけに頼って、そうして過ごすようになった。

いい加減、堕落した生活から抜け出さなければ、自分が駄目になると分かっていたのに。


父親は流石に反対するかと思ったが、意外にもあっさりと退学を許した。

「元々お前には期待してなかったからな」と一言、電話越しで伝えられたが、不思議なことに苛つきや悲しみも無く、愕然とすることも無く、あれよあれよという間に私は大学を去ったのだ。





そして、6月。

母親から電話。

「大学に行っていないなら、仕送り辞めます。お父さんがそう言ってるの。もう二十歳なんだから、何でもいいから働けって。それに、あんただって、大学辞める時にバイトするって言ってたじゃない。」

まぁ、そうだよね。二十歳にもなって、親のスネかじりで引き籠もりなんて、これは最悪だ。

「分かった、ありがとう今まで仕送り。」

私はそう言うとさっさとスマートフォンの通話終了をタッチした。母とはあまり話したくない。

ベッドに仰向けに横になり、天井を見つめる。今日の夜ご飯何食べよう。

作りたくない。かと言ってスーパーマーケットまで買いに行くのも面倒だし、コンビニのお弁当はゴミが出る。

それでも家にも何となく居たくないので、外に出てみる。部屋着同然で外に出ても、誰も私の事なんて気にしないだろう。問題はない。

宛も無くフラフラと歩いていると、交差点の角に、小さなラーメン店がある事に気づいた。

これまで2年、ほとんど大学と家、もしくはコンビニの往復だった。外に出るのも億劫で、外食に行く友人もいない。

普段はラーメンなんて食べもしないのに、入ってみようと何故か思った。




「いらっしゃい。」

「あ…こんばんは。」

ガラガラとうるさい程音の出る戸を開けると、恰幅のいい女性が笑顔を向けた。

年齢は50代くらいだろうか。

客は、年配の男性が3人。店の角、天井近くに設置されたテレビに目を向けている。

テーブルもイスも年季が入っており、あちらこちらに傷が入り、錆も見えた。

席に着くと水が出され、メニューも同時に目の前に置かれた。正直何でも良かった。

「醤油ラーメンありますか。」

メニューも開かず、水を運んできたさっきの女性に声をかける。一瞬驚いたようだったが、すぐに「ありますよ」と口の端を上げた。

女性が厨房の方に歩いていき、そして何かを伝える。待っている間、店内を見回してみる。

手書きのメニュー、ラーメンは醤油と塩しかないのか。一品料理、アルコール類と様々なメニューと同じ並びで、1枚のポスター。


【アルバイト募集】


いつからアルバイトが居ないのか、そしていつから募集しているのか。マジックペンで雑に書かれたポスターは、紙が変色し、所々破けた箇所がある。

書き直せばいいのに…なんて思いながら紙を見つめていると、ゴト、と重い音と共に目の前に醤油ラーメンが置かれた。

「あれ、書き直せばいいのにね。はいこれ、醤油置いときますね。」

自分の心が読まれたのかと、思わず目を丸くする。

「温かいうちに食べてね。」

「…いただきます…。」

油分の少ない、あっさりとした醤油ラーメン。チャーシュー、玉子、ワカメ、葱がトッピングされている。ひと口、ふた口と箸が進み、12、3分程で完食していた。女性でも食べやすい量だと思った。




「ご馳走様です。」

「はい、お釣りの20円。学生さんかしら?また来てね。」

女性が皺のある手で、お釣りを渡してくれる。

ふと気になった事を聞いてみた。

「あの紙、書き直さないんですか?」

すると、女性は「ああ、あれ。」と笑った。

「うちのメニュー、全部手書きでしょう。これ、亡くなった主人が書いたの。前の店主。」

「そうだったんですか。すみません。」

聞いてはいけなかったか。そう思って目を逸らすと、女性が続けた。

「違うの、いいのいいの。今は、息子と、2人アルバイトの子が居てね。上手くやってくれてるの。でも、何だか書き直すのがもったいなくて。」

「そうですね…。」と曖昧に返事をしていると、女性はパチンと手を叩いた。

「バイト、やる?」

「えっ。」

「あっ、ごめんなさい、それで見てたんじゃ無かったのね。私も最近膝が痛くて、誰かもう1人くらい、サポートがいてもって思ってね。」

女性が困ったように笑う。すると、それとほぼ同時に、厨房からタオルを巻いた男がひょっこりと顔を出した。


「その女、バイトすんの?」


「こらっ、カモ!お客さんに!」

カモ、と呼ばれた男は、「ごめん!」と手を合わせ厨房に戻る。戻る間際、目が合った。切れ長の目だった。

「ごめんなさい、うちの、アルバイトの子なの。悪い子じゃないんだけど。」

全然気にしていない。むしろ、誰かと温かな会話をする事が普段無かった私は、少しの嬉しささえ感じていた。

「また、良かったら。」

女性が頭を下げた。「どうも。」と私も何となく頭を下げた。





戸を開けて店の外へ。外の風に当たる。

まだ本格的な夏を迎えていない夜の空気は、肌をすり抜けて心地いい。


これが、【カモ】との出会いだった。





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