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部屋に残ったのは、王子とアンネリーセ様、そしてアルフォンスと私の4人だ。
王子は先程までのやり取りで魂が抜けた様にぼんやりとしている。
アンネリーセ様に行ったことは今でもどうかと思っているが、少し同情しないでもない。
そう思っていたら、アルフォンスが王子の前に椅子を運んできた。
「兄上、もう我々だけなのですから一度こちらにお座りください」
目に見えて意気消沈している王子を気遣う彼に、王子は立ったままボソリと何かを呟いた。
「兄上?」
「…どういうことだ。これは、どういうことだ!」
髪を振り乱して詰め寄る姿はいつもの王子然とした姿とはかけ離れていて。
なんだか悲痛の叫びに見えた。
「全て、ご説明します。ひとまずおかけください」
何度もそう声をかけ続けて王子がやっと椅子に座った。
「アンネリーセ嬢もどうぞおかけください」
「ありがとうございます」
アンネリーセ様も前列の一つに座った。
アルフォンスは教師のように部屋の前に立ち、綺麗な一礼をして微笑んだ。
「皆さま、本日はご協力ありがとうございました。とは言え、突然お礼を言われても意味がわからないという方もいらっしゃるので、改めてご説明させていただきます」
三人中意味がわかっているとしたらおそらくアンネリーセ様のみだ。
私は話を中途半端に聞いたモヤモヤを解消したくて少し前のめりになった。
「まず第一に、兄上に忘れないでいただきたいのは、父上が兄上を心から愛しているということです」
アルフォンスは静かに話し始めた。
「我が国は正妃の子である兄上が王位継承権第一位、側妃の子である私が第二位となっていますが、未だどちらに王位を渡すのか公式に明言されていません」
「今更何の話だ」
「兄上、まあ聞いてください。その明言されていないということで、私たちが生まれてからずっとどちらが立太子するか水面下で争われてきましたね。兄上を推したのが王権派、私を推したのが貴族共和派。そして父上が決めた兄上の婚約者は中立派筆頭のブラーウ公爵家のご令嬢。…この意味、兄上はご存知ですか?」
アルフォンスの問い掛けに、王子は心外だと眉を潜めた。
「当たり前だ。中立派の筆頭を抱き込むことで、私が立太子することを貴族共和派にも認めさせるためだ」
「ええ、そうです。そのための婚約でした。しかし今回兄上はその婚約を破棄すると宣言されましたね」
「マリアの…クライフ男爵家も中立だ。筆頭ではないにしろ、他の二派から選ぶより随分マシだろう」
「一応その点はお考えだったんですね。いえ、失礼しました。確かに兄上のおっしゃる通り、他の二派よりはマシです。やり方次第で無理を通すことも出来たかもしれません。しかし一つ兄上が見落としていた事があったのですよ」
王子はアルフォンスの失言に睨みをきかせていたが、ふと思い立ったのか思案顔になった。
「新興貴族派、か?」
「ご明察です。近年、平和なことに安穏とした父上が名誉貴族を無闇に増やしてきました。クライフ男爵家もその一つです。そんな爵位を得たばかりの貴族たちは、最初のうちは三派のどこかに属すことで上位貴族庇護を受けていましたが、次第に彼らは気づき始めました。上位貴族の傘下にいるだけでは彼らに旨味は無い、と。資金力では上位貴族に引けを取らないのに上位貴族には力では決して勝てないという現状に不満を募らせた結果、どうにか自分たちを優位に立たせる方法はないかと思案し始めました。そして表向きは各派閥に属したまま裏で新しい派閥を作るに至ったのです。それが新興貴族派です」
なるほど。
新しく出来た派閥だったのなら、他国でちょっと勉強しただけの私が知るはずがない。
「そしてどのように自分たちを優位に立たせるかという点で、彼らは一つの方法を思いついたのです」
「それがマリアということか」
「そうです。次の王妃を新興貴族派の誰かにすれば話は早いですからね」
マリアンネはかなりの大役を任されたわけだ。
確かにあれ程の演技力があれば…現に王子は骨抜きになっていたわけだし、不可能ではなかったのかも。
「最初に狙いを定められたのは私でした。婚約者がいませんし順当でしょう。最初は私も気に留めていませんでしたが、次第にさも私の婚約者候補であるかのように振る舞い始めたので不審に思いました。さらに周囲で変な噂が立つといったきな臭いことも起き始めました。その異常さが気になり独自に調査した結果、父上に相談を持ちかけるに至りました。そしてそこで王命を賜りました」
「王命?」
「はい。新興貴族派の動きを探ること、です。そのため、様子を見ようと彼女をしばらく野放しにしていたのですが…少々我慢ならない事があり失敗しました」
そう言い淀んだアルフォンスは明らかに視線を泳がせた。
もしかしてあのカフェテリア事件のことだろうか。
確かにあの時かなり怒っていた。
いつのまにか調べていたあれやこれやは王命だったからなのか、なんだか納得。
そして同時に申し訳なくなる。
私がもっと上手く立ち回れていれば、失敗させずにすんだのかもしれない。
「そうしている間に今度は兄上に狙いを定めたようでして。そのことを父上に話すと、今度は兄上を見張るよう言い渡されました。アンネリーセ嬢もそうではありませんか?」
話を振られたアンネリーセ様は微笑みながら首を振った。
「少し前に王妃様とお話する機会がありまして、その際に新興貴族派のことと一人の女生徒が殿下に近づいていることは聞かされました。ただ、私が言われたのは嫌な思いをさせる事になるかもしれないがしばらく耐えて欲しいということだけですわ」
「そうでしたか。嫌な役回りをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいえ、結局全てお芝居という事になったのですから構いませんわ」
アンネリーセ様はコロコロと笑ったが、私も同じ立場だったのだからわかる。
いくつもの噂が立ったのは事実なのだから嫌な思いはしたはずだ。
それらが全てパーティの余興のためだったと皆が思ってくれれば良いのだが。
そう考えていると、王子が肩を落とし頭を抱え始めた。
「なぜ父上は私に何も言ってくれなかったのだ…」
本人が知らないところで、父の命で弟に見張られ、母の願いにより婚約者に我慢を強いていたことがわかってショックなのだろう。
アルフォンスは王子の前に移動して、膝をついて目線を王子に合わせた。
「父上は兄上を試しておいででした。ご自身で気付くように、と。もし気付けば、手を貸すよう言われていました。しかし…今回のことは王命ということもあり、ありのままを伝えるつもりです」
「では私は不合格というわけだな。だから先程お前は私の王位継承が難しくてなると言ったわけか。新興貴族派の動きに気づいたお前と騙された私では比べるべくも無いということだろう」
投げやりな言い方に、アルフォンスはしばらく黙った。
しかし彼は静かに、しかしはっきりと王子に告げた。
「私は王位を望んでいません。そして父上はそのことをご存知です」
彼とは長く友人でいたが、王位についての考えは初耳だった。
三派の中で最も過激と言われる貴族共和派を後ろ盾に持つアルフォンスが王になるのは危険ということなのかしら。
彼がどこかの派閥に推されていることなど、今日まで知らなかった。
だって幼い頃から彼はうちの国に何度も来ていて、王子なのにすごく自由な気がしていたから。
それにしてもこうなると王子とアルフォンスの次、王位継承権第三位にまで話が及ぶのかしら。
えっと確か、王弟の長男の…?
なんだかごちゃごちゃしてきた。
「なんだと…そうなのか。いや、それなら第三位にということになるのか」
アルフォンスの突然の告白に、王子も混乱しているようだ。
「第三位の彼は王弟の息子ですから、私たちが生きて王族でいるうちは王位を得ることはまずあり得ません。しかしもしもアンネリーセ嬢が彼を選ぶというのならば話は変わってきます。優秀だと噂の彼が相手なら中立派も納得するでしょうし、王権派も王弟の系譜なら文句も少ないかと。…まあこのことはアンネリーセ嬢のお心一つかと思いますが」
そう言ってアルフォンスが視線を動かすのにつられて、私も王子もアンネリーセ様に注目した。
三人の視線を集めたアンネリーセ様は美しく微笑んだ。
「私は王命とあらば、どなたの元へでも嫁ぎますわ。そのための教育を受けておりますもの。…もちろんアルフォンス殿下の元へ嫁ぐこともできますわ。そうすれば貴族共和派だろうが関係ないのではありませんこと?」
おっと、まさかアンネリーセ様、アルフォンスに狙いを定めてる?
まさかの展開に胸がドキドキ…いや、チクチク?
気のせいかな。
「いえ、私が王位を望んでいないのは派閥のことに関係ありませんので」
私が胸を押さえて首を傾げている間に、アルフォンスはあっさりと袖にしていた。
これだけの美人を…もったいない。
でもなんだか不思議と胸の痛みが引いていくような気がする。
「兄上、勘違いしていただきたくないのは、最初に申し上げた通り父上は兄上を愛しているということです。本当は父上は派閥など関係なく兄上に王位を継がせたいのですよ」
「そんなこと…今さらだろう」
「いいえ兄上、今回のことは表向きは何も無かったことになっています。何せ一連のことは全て余興、お芝居だったのですから。もちろん現在アンネリーセ嬢との婚約もそのままです。もし貴族の一斉処分に何か気づく者が出てきたとしても、新興貴族派の動きを探るための芝居だったと言って白を切ればいいのです」
「しかし…」
「兄上、私が今言えることは今回のことを真に反省し兄上がアンネリーセ嬢にしっかりと向き合う必要があるということです。最後の鍵を握るのはアンネリーセ嬢です。中立派筆頭の娘であり、完璧な淑女と名高い彼女以上に王妃が務まる者などいないと誰もが知っています。その彼女が兄上を選んでくれれば、誰も文句は言いますまい」
「その女性を無下にした私では土台無理な話だ」
本人を目の前に勝手なことを言う二人の会話は平行線を漂っている。
この終わらない会話に当の本人であるアンネリーセ様も何とも言えない表情をしている。
兄弟二人だけで別のところでやっていただきたい。
全くの蚊帳の外からしらっとした目で見ていると、耐え兼ねたのかまさかのアンネリーセ様が会話に割って入った。
「不敬を承知で申し上げてよろしいでしょうか」
その静かな佇まいに、二人はハッとした様子で頷いた。
了承を得られたことでアンネリーセ様は微笑み、開口一番こう言った。
「正直に申し上げて、現状ディーデリック殿下に嫁ぐ気持ちにはなれません」
明らかに傷ついた顔をする王子に、いやいやあなたはもっと酷い言葉や態度で傷つけたからねと言ってやりたくなったが、もちろん口を閉じたままだ。
でも考えるだけなら自由なので、もっと言ってしまえと心の中でアンネリーセ様を応援する。
しかしアンネリーセ様は私よりもずっとずっと上手だった。
「しっかりと事実関係を調べなかったこと、公の場における一連の愚行と度重なる暴言、どれをとっても考えなしの行動です。さらにそれだけのことをした結果が、この非常にお粗末な結果。これでは殿下が一国を預かるなど荒唐無稽というもの。真実の愛とやらに心を占められていたとはいえ浅はか過ぎです。王となるにはもう少し視野を広く持つことが必要です。擦り寄ってくる者が真に自分の利になる者なのか忠誠はあるのかを見極めることも必要です。それから……」
止まらないアンネリーセ様。
溜まりに溜まった鬱憤をここで全て吐き出しているようだ。
王子を見るともう顔色は白というか、土色?
アルフォンスも呆気に取られている。
反論の余地もない正論の応酬に、王子はどんどん小さくなっていく。
「とにかく殿下は…」
皆が傾聴している中、突然アンネリーセ様が言葉を詰まらせた。
どうしたのかとアンネリーセ様の方を向くと、なんと頬を一粒の涙が伝っているではないか。
あまりのことに驚くと、アンネリーセ様も自分で驚いたように頬にその白い指を寄せた。
しかし涙を拭うことはせず、そのままの顔を王子に向ける。
「殿下はこれまで一度も私を見ようとしてくださいませんでした。本当の私を知っていてくだされば、私の努力を知っていてくだされば、彼女の話が嘘だとすぐに見抜けたはずです。婚約者ではないアルフォンス殿下は気づいてくださったというのに、なぜ貴方が一番に気づいてくださらないのですか」
言いながらもどんどんと涙が流れている。
「パーティーで私が貴方の気持ちを繋ぎとめることができなかった、とおっしゃいましたね。確かにそうですわ。だってこれは政略結婚ですもの。それでも燃える恋は難しくても、同じ国を想う心を持ち共に歩むことで育てていく愛があると信じてきました。だからこそ王妃になることを前提とした厳しい教育にも耐えてきたのです。それなのにその努力を認めもせず、プレッシャーから支えてくださったことも一度もないというのに、貴方は私をただ無表情だとおっしゃる。ええ、ええ。貴族の淑女として常に冷静に感情を表に出さぬよう教育されているのですからそうでしょうね。努力の賜物ですわ」
長い言葉をほとんど息継ぎせずに言い切ったアンネリーセ様は、何度か肩で息をして呼吸を整えた。
そしてボソリと呟いた。
「こんなことで、私は貴方に何を想えばよろしいの? 繋ぎとめる努力をなさらなかったのはいったいどちらだというのですか」
心からの嘆きだろう。
同感だ。
同じ女性として、涙ながらの言葉は聞いていて辛過ぎた。
アルフォンスは圧倒されたままだが、王子はしばらくして意を決したように立ち上がった。
そしてアンネリーセ様の前に騎士のように跪き、ポケットからハンカチを差し出した。
「これまでのこと、そして今日のこと、本当に申し訳なかった。許してもらえるとは思っていない。ただ今はこれを受け取って欲しい」
そう真摯に告げられた言葉にアンネリーセ様は頷き、差し出されたハンカチをそっと受け取った。
そして流れるに任せていた涙を抑えたのだった。
アンネリーセ様はその所作ですら美しく、見惚れてしまう。
私たちは皆黙ってアンネリーセ様の頬を濡らした涙が止まるのを待った。
王子のハンカチのおかげなのか、アンネリーセ様は数分もせずに落ち着きを取り戻したようだった。
しかしまだその瞳は赤い。
騎士のように跪いたままだった王子は、そのまま手を差し出した。
「アンネリーセ嬢、このままでは瞳が腫れてしまう。すぐに冷やしたほうが良いだろう。どうか私に保健室までエスコートさせてはもらえないだろうか」
その表情は真剣そのものでなんだかこちらまでハラハラしてしまう。
暫くして、アンネリーセ様は遠慮がちにその手を乗せた。
「ええ殿下。お願いしますわ」
そして王子のエスコートを受け、アンネリーセ様は優雅に部屋を出ていった。