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王子が落ち着くのを待つことなく、アルフォンスは追い打ちをかけるようになおも語り掛ける。
「ちなみに、兄上。あなたはアンネリーセ嬢が王子の婚約者として王子妃教育を受けていたことはご存じですか?」
「それは…もちろん知っている」
「アンネリーセ嬢は学園が終わった後すぐに城にいらっしゃっています。学園が休みの日は朝からです。わかりますか、これは毎日王子妃教育が行われているということですよ」
「それがどうした」
王子はアルフォンスの話の意図がわからないようで、表情に困惑の色が見える。
アルフォンスはわかりやすいようにと噛み砕くように話を続けた。
「王子妃教育のために放課後も休日もない。そのうえ、学園にいる間は王子の婚約者として常に誰かに見はられている生活を送っておいでです」
「だから、それがなんだというのだ。私だって常に誰かに見られているのは同じだ」
苛立って声を荒げる王子に対し、アルフォンスは明らかな哀れみの目を向けた。
「生まれた時から王子の兄上と比べてどうというのですか。今は彼女の話をしているのです。ここまで言ってまだわからないのですか?」
「だから、何が言いたいのだ」
「つまり、アンネリーセ嬢には常に監視の目があるため、マリアンネ嬢に何かすれば王家がわからないはずありません。それどころか、アンネリーセ嬢にはほとんど自由はありません。それは兄上、あなた以上に自由がないということです。もちろん私よりも、です」
そう言うとアルフォンスはアンネリーセ様の方へ振り返り、申し訳なさそうに笑顔を向けた。
「アンネリーセ嬢はまさしく淑女として完璧に過ごしておいででした。それは当然ながら我が父である王も知るところです。父上は万が一今回の話が耳に入っていたとしても、信じることは無かったでしょう」
そう言われたアンネリーセ様は静かに扇子を開き、言葉もなく顔を隠した。
しかし私の場所からはその涙ぐむ顔がしっかりと見えていた。
これまでの努力が認められていたことが嬉しかったのだろう。
見ている人はちゃんと見ているということだ。
そのことがなんだか私まで嬉しくさせた。
「そんな…。いや、でも…マリアが…」
考えがまとまらず困惑した王子は人目もはばからず狼狽している。
無理もない。
自分が信じていたものが根底から覆ったのだから。
しかし同情はしない。
マリアンネの言葉だけを信じた王子の自業自得だ。
「時にマリアンネ嬢」
そんな狼狽した王子を他所に、アルフォンスはやっとマリアンネを見た。
しかしその瞳は冷たい。
マリアンネも体を固くして王子の腕にしがみついた。
王子にはもう庇う素振りなどないのだが、もしかしたら彼女は恐怖で一人で立っていられないのかもしれない。
それほどに彼の瞳には温度がなかった。
「私の認識ではあなたはアンネリーセ嬢と直接の面識がないと思ったが、違うか」
言葉にも棘がある。
その言葉に、聞いているだけの私も心臓がキリキリ痛む。
いつものアルフォンスとは違う様子に思わず両手をぎゅっと握った。
「答えられないのであれば聞く相手を変えよう。アンネリーセ嬢、あなたはこちらの令嬢をご存知ですか」
振り返り、アンネリーセ様を見るアルフォンスの目は優しい。
アンネリーセ様は扇子を閉じ、しっかりとマリアンネを見つめた上で首を振った。
「私、そちらのご令嬢とは初対面です。お名前も存じ上げませんわ」
「な、なにを嘘…」
「嘘ではございません。本当に知りませんもの。…ねえ?」
再び扇子を広げ、口元を隠しながらにこりと微笑む彼女は、花が咲いたように美しい。
しかし目だけはマリアンネをしっかりと射抜いている。
それは反論しようとしたマリアンネも思わず黙り込むほどに鋭い。
「お名前をお伺いしても?」
「…マリアンネ・クライフです」
有無を言わさぬ視線に耐えかねたのか、マリアンネはその場でぎこちなくカーテシーをした。
「私はアンネリーセ・ブラーウですわ。クライフと言えば新興貴族でしたわね。数年前に養女を迎えたとか…貴女のことですね」
対照的に美しいカーテシーをしたうえでアンネリーセ様は納得したように頷いた。
「新興貴族だから、養女だから…なんだと言うんですか」
「確認しただけですわ」
いつの間にかマリアンネはいつもの間延びした話し方をやめていた。
どうやら彼女のあの話し方は作られたものだったようだ。
普通にしゃべれるなら最初からそうして欲しかったと思うのは私だけだろうか。
それはさておき、彼女がどんなに怒って反抗的な瞳を向けてもアンネリーセ様は余裕の微笑だ。
そんな女二人の間に、笑顔のアルフォンスが割って入る。
「そうそう、マリアンネ嬢。あなたの取り巻きの連中も新興貴族の令息が多いようだね」
「…取り巻きだなんて、嫌な言い方ですね」
アルフォンスの言葉に、マリアンネは唇をややひきつらせた。
「今回の証人たちも新興貴族の令息がほとんど。ほかの証人は君のファン…というところか。手広く粉をかけて回ったかいがあったようだね」
わざと怒らせようという嫌味な言い方に彼女は我慢がならないようでギリギリと歯噛みしている。
「私が君になびかなかったことで、今度は兄上を標的にしたんだね。それは御父上の指示かな」
「なんのお話だかわかりません」
「いいや、わかるはずだ。セシリア嬢にしたことを不問にしたのは、君の真の狙いを浮き彫りにするためだったんだよ。そうでなければ友好国の姫を謀った罪で即刻処分していたさ。しかし今回は正式に書面を残してもらえたことはこちらにとって非常に都合が良かった。我慢したかいがあったというものだよ。おかげで君の思惑に加担している者の名前がずらりと並んだ上に署名付きときている。感謝申し上げる」
「書面…まさか」
ハッとした表情でマリアンネは隣の王子を見た。
王子もアルフォンスの共犯だと思ったのだろう。
それまで王子の腕を掴んでいた手は力なくおろされ、彼女は王子をじっと見ている。
その様子にアルフォンスはクスリと笑った。
「ああ、兄上と示し合わせていないよ。偶然の産物だ。まあ兄上の性格を考えれば書面に残すだろうことくらいは想定していたが」
そう笑うアルフォンスの顔は腹黒さが透けて見えるようだ。
マリアンネは怒りに顔を赤らめ彼を睨みつけた。
「そういう回りくどい話し方、嫌いなのよね。貴族とか王族って面倒な連中ばかりで嫌になるわ」
それまでの甘ったるいものとは全く違う声。
彼女は声すらも変えていたらしい。
私が驚いていると、アルフォンスは満足そうに声をあげて笑った。
「ああ君の本当の顔はこちらか。やっと見られて嬉しいよ。これまで一年ほど、君の演技は実に見事だった」
「それはどうも」
アルフォンスから顔を反らし頭をぼりぼりと掻きながら鼻を鳴らす、そんな粗野な姿はこれまでのマリアンネとは全く違っていた。
声や話し方だけではない。
仕草や瞳の動かし方、どれをとってもまるで別人。
たった今目の前で変わったから同一人物とわかっているが、もし途中で一度どこかに身を隠していたとしたらきっと髪や瞳の色が同じだとしても別人だと思うだろうというぐらいだ。
これには王子だけでなく、証人となっていた男子生徒たちも驚いた様子だ。
「で、アルフォンス様? 私をどうするおつもりで」
「ああ君は実に話が早い。最初からそういう態度であればもっと好感が持てたのだが、残念だった」
「へえ、あんたはこういうのの方がタイプだったんだ。そりゃあ可愛い子ぶっても無駄だったわけだわ」
王族相手に「あんた」と言うほどに彼女は吹っ切れているらしい。
私たちがあっけにとられている間に二人の会話は続く。
「さて君には選択肢が三つある。選択次第では命を助けてやろう」
命?
婚約者のいる王子と恋仲になったこと、アンネリーセ様に無実の罪をきせたこと、性格や話し方などを演じていたこと、その他諸々の彼女がしたことを思い浮かべても、どれも命がかかることとまでは思えない。
とんでもない話の展開に、マリアンネの態度の変化以上に驚いてしまう。
しかしマリアンネはわかっているようでにっこりと笑ってアルフォンスを見返した。
「へえ、気前がいいわね。とりあえず選択肢とやらを聞かせてもらおうかしら」
「一つ目はこのまま“王妃になりたかった馬鹿な女”を続けて、王族を謀った罪と公爵令嬢に無実の罪をきせようとした罪で処刑」
一つ目からあまりの重さに眩暈がしそうだ。
アルフォンスは指を折りながら続ける。
「二つ目は王族を謀った罪、公爵令嬢に無実の罪をきせようとした罪は義父の指示によるものだったと証言し、一家もろとも処刑」
二つ目も重い…。
「最後に三つ目、ちなみにこれが一番お勧めだ。君が加担していた一連の企みについて、君が知る全てを話すこと。もちろん義父のことだけじゃない。今回の関係者全員の名前、新興貴族派の現在の動きから今後の狙い、その全てだ」
「そうすれば…?」
「君の命だけは助け、修道院送りにしよう」
そう微笑むアルフォンスに、マリアンネはハッと鼻で笑った。
「そんなの、処刑と大差ないじゃない」
「そうかな。修道院と言っても監獄というわけではないから少しは自由はある。もしかしたら平民の頃より質素で厳しい生活をすることになるかもしれないけど、最低でも寝食に困ることはない。それに神に仕えこれまでの悪行について反省すればその心が救われるかもね。何より命が残る分だけ処刑と比べても随分マシだと思うけど」
アルフォンスの話に、マリアンネは少し考えるそぶりをした。
と思うと、片手を挙げて「負けたわ」とため息をついた。
「そうね、確かに命さえあれば挽回できるかもしれない。私はいつだってそうしてきたってことを今思い出したわ」
「殊勝な考えだね」
どうやら二人の間で話がまとまったらしい。
すっかり置いてけぼりだ。
新興貴族派、とは?
確かこの国には宰相率いる「王権派」、五大侯爵が中心の「貴族共和派」、ブラーウ公爵家のような「中立派」の三派があると聞いていたけれど、もう一つ派閥があったの?
疑問に対する答えが欲しいところだが、傍観者である私には口を開く権利など無い。
そうして黙って見ていると今度は男子生徒たちにも同様の交渉を始めたのだが、もとより証言を撤回していたくらいなので全員が簡単にアルフォンスの提案に乗っていた。
こうして交渉がまとまると、マリアンネと男子生徒たちから詳しい証言を聞くために即刻王城に連れていかれることになった。
まず男子生徒たちがこの部屋に来た時と同じようにクリス様に連れられぞろぞろと出ていった。
それに続いてマリアンネもベルン様に連れられて出ていこうとしたところで、彼女だけが入り口付近でぴたりと止まった。
ベルン様は慌てて彼女を連れていこうとしたのだが、アルフォンスがそれを止める。
マリアンネは暴れるでもなくしばらくそこに立ち止まっていたかと思うと、ゆっくりと振り返った。
そして気まずそうな顔をして視線を彷徨わせていたが、意を決したように足早に再び部屋の中央へと戻ってきてぺこりと頭を下げた。
。
「アンネリーセ様、セシリア様。ごめん」
簡単な言葉だけど、心からの謝罪だと感じた。
しかしこちらが何か言う前に今度は王子に向き直った。
「ディーデリック殿下、本当の私はこんななの。もう変な女に騙されちゃダメだよ」
彼女はまるで王子を揶揄うように笑ったが、その笑顔は無理に作ったものだとすぐわかる程歪だ。
これまでの演技力からは想像もつかないその表情に、もしかして彼女にも王子に対する気持ちが少なからずあったのではと思わずにいられない。
王子が彼女のその表情や言葉に何を思ったのかはわからないが、悲しいとも悔しいとも言えない複雑な表情をしたまま微動だにしなかった。
マリアンネは少しだけ王子のことを見つめた後くるりと振り返り、入り口で待つベルン様のもとへ小走りで戻った。
そしてそのまま今度こそ振り返らずに部屋から出ていった。