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「オランジェ国ストリーン家が長女、セシリア・ララ・ストリーンにございます。ディーディリック殿下、アンネリーセ様、お久しぶりにございます。またご同席の皆様、今回はこの場は非公式なものであると認識しておりますので、ご挨拶を省略させていただく無礼をお許しください」
顔を上げて精一杯の笑顔を振りまく。
そんなことより早く話せという圧をアルフォンスから感じるが、しがない留学生としてはこういう場にあっても流石に王族と高位貴族の令嬢かつ憧れの先輩を蔑ろにはしづらいので許してほしい。
そう目で訴えていると、マリアンネが突如騒ぎ出した。
「待って、待ってください。どうして彼女が話す必要があるんですか? 関係のない人です。この場にいる時点でおかしいのに、発言までさせるなんて」
「マリアンネ嬢。彼女がこの場にいることも、発言することも、私が許したのだ。そのことに異論があると?」
彼女の見たこともない取り乱した様子に驚いたが、アルフォンスの冷たい言葉にピタリと黙った。
しかし私を鋭く睨み付けている様子を見るに納得はしていないようだ。
遣り難さに困惑していると、意外にも助け舟を出してくれたのは王子だった。
「マリア、やめるんだ。彼女はオランジェ国王族の系譜、王女ではないがれっきとしたオランジェ国の姫だ」
「え…?」
王子の言葉に驚いているのはマリアンネだけでは無い。
入口側に並べられた男子生徒たちも驚いた顔をしている。
「彼女たっての希望で伏せられていたんだ、マリアが知らないのも無理はない。友好国とはいえ隣国のことに余程明るくないと彼女のことまでは知り得ないだろう。まあ偽名は使っていないので家名から気付いている者もいただろうが」
王子の説明にマリアンネは黙って唇を噛んだ。
まさかこんな地味顔が王族の血筋とは思わないよね、わかるわかると己の事ながら同情してしまう。
周りから距離を置かれる寂しさ、逆に取り入ろうと媚びてくるといった面倒を避けたくて「ちょっといいとこの令嬢が留学に来た」という体でいたのが本当のところだけど、こういう反応をされるのが嫌だったという部分も少なからずある。
なんだか申し訳なく思いながらも、改めて微笑みお辞儀をした。
そして本題に入るため、わざと少しだけ表情を曇らせてから口を開いた。
「先程のカフェテリアの件ですが、彼女が利用できないのは私のせいです」
「なんだって」
王子が驚いた様子で声を上げたが、悲しげに眉を寄せて小さく頷き返すにとどめ、話し続けることにする。
野次馬でやって来たはずの私が長く注目されるのは本意ではないので、さっさと話を終わらせて傍観者に戻りたいのだ。
ここで話の腰を折られるわけにはいかない。
「殿下、アンネリーセ様を筆頭とした三年生の生徒会役員が引退され、新生徒会が発足したのはご存じの通り秋の終わりのことでした。そして私たち新生徒会役員は恒例の親睦会を開いていただくこととなりました。その際、私が未だカフェテリアを利用したことがないという話から、場所を通例の生徒会室ではなくカフェテリアの特別室で行うことになりました。それが発端だったのです」
放課後で利用者が少ない時間かつ特別室貸切という、内々のひっそりした会の予定だった。
それなのにどこから情報を得たのか、突如マリアンネはやって来たのだ。
◇◇◇
アルフォンスとは幼い頃から友人なので留学生である私にとって頼れる存在でもあったわけだが、敢えて留学前に「学園生活はできるだけアルを頼らず自分の力で頑張りたい」と宣言していた。
異性であり王族でもあるアルフォンスとは意識的に距離を置く方が良いと考えたからなのだが、言葉も習慣も違う環境の中で彼に頼りたいと考えた事は何度もあった。
それでも彼に頼らなかったのは、入学してから彼の傍には常にマリアンネがいたからだ。
しかも彼自身がそのことを強く拒否していなかったこともあって、より近寄りづらかった。
しかしその関係が変化したのは、三年生引退を前に新生徒会役員の選出が行われる秋の始めのことだった。
新生徒会役員は選挙や立候補ではなく生徒会役員の推薦で選ばれ、数回にわたる面接を経て正式に任命される。
今回は一年生の選出が難航したそうで、私とアルフォンスの二人だけが任命を受け、他の選出は先送りになった。
同学年が二人だけなので必然的に面接の段階からアルフォンスと一緒にいる機会は増え、正式に生徒会役員になったことで放課後になると毎日一緒に生徒会室に行くようになった。
そうなると面白くないのはずっとアルフォンスについて回っていたマリアンネだ。
結果としてどうやら私はマリアンネに目をつけられてしまったようだった。
些細なことをことさらに誇張して騒がれたり、やってもないことを捏造されて噂をたてられたり、私の周囲が突然騒がしくなった。
そんななかでの新生徒会親睦会。
先輩方はそんな心無い噂に落ち込む私を励ますためにカフェテリアで行うことを提案してくれたのだと思う。
◇◇◇
親睦会が始まってすぐのことだった。
特別室にノックがあったので扉を開けると、はじかれたようにマリアンネが数人の男子生徒とともに飛び込んできた。
そして男子生徒たちが口々に「なぜマリアンネが新生徒会役員ではないのか」「その女が彼女にしてきた悪行を知らないのか」と言って騒ぎ立てたのだ。
彼らはいかに彼女が素晴らしい女性で私が悪い女なのかを主張し続け、私たちはそのあまりの勢いに圧倒された。
マリアンネはというと、そんな彼らの後ろで小さくなってそれはそれは悲しそうに涙をこぼしていた。
涙は言葉以上に雄弁で、彼女のそんな姿に男子生徒の勢いに拍車がかかった。
私は突然悪役にされて罵られ、ただただ困惑するしかなかったのだが、そんな状況を変えたのはアルフォンスだった。
いつの間に調べていたのか彼らの発言を今回のように証拠付きでどんどん論破していき、最後に「セシリア嬢は君らが言うような女ではない」と一蹴したのだ。
それでその場が終われば良かったのだが、もちろんそうはいかない。
彼女はその一言で「なぜわかってくれないの」と嘆いた後、なぜか突然ふらつき、私に向かって倒れ込んできたのだ。
その際、か弱そうな見た目に反して思いのほか強い力だったので私は見事にバランスを崩し、私たちは二人そろって倒れこんだ。
結果、多くの食器が盛大に割れ、特別室に置かれた素晴らしくも高価であろう花器や像も割れた。
そのあまりの大きな音にカフェテリアの責任者がやってきて、その場はすぐにお開きとなった。
食事のほとんどが台無しになったことだけでなく、既に楽しく親睦会をするような雰囲気ではなくなっていたのだから当然だろう。
私は生徒会役員、カフェテリアの責任者従業員、その場に居合わせたすべての人に謝罪をし、固辞されたのだが無理を言って片付けにも参加させてもらった。
そうして全てが終わったとき、アルフォンスから状況を聞いたというカフェテリアの責任者に「マリアンネ・クライフ嬢以下同行の男子生徒に対し、カフェテリアの出入りを今後一切禁じた」と謝罪を受けた。
騒ぎの当事者の一人であるはずの私は今回は被害者であると判断され、カフェテリアの利用は禁止されずにすんだ。
ちなみに私はその時に受け身を取り損ねて手首を捻挫したのが、彼女は無傷だった。
…と、この話をマリアンネがアルフォンスにまとわりついていたとか、私の悪い噂をながしていたとか余計な話を抜きにして、この場に必要なことだけをかいつまんでお話させていただいた。
「親睦会に関係のないマリアンネが男子生徒数人を引き連れてやってきて大騒ぎになった結果、彼らが揃って出禁になった」という部分だ。
ことさら丁寧な言い方で貴族らしくご説明さしあげたわけだが、話を進めるごとにマリアンネの顔が鬼の形相になっていっている。
怖い怖い。
しかしそのことに構っている時ではないので気にせず、さもその出来事を思い出して悲しんでいるように目を伏せながら話した。
そして「私があのときにカフェテリアを使ってみたいなどと言わなければこのようなことにならなかったと反省しております」と言って言葉を締めた。
私が話す間アルフォンスは無表情でこちらを見ていたが、話し終わると小さく頷いた。
取り合えず及第点を取れたようでほっとする。
「さて、セシリア嬢から説明のあった通りカフェテリアの件はアンネリーセ嬢とは無関係です。このことはその場に居合わせた私が証人となりましょう」
アルフォンスが王子にそう伝えると、王子は低く唸った。
さすがの王子でも弟がこの場で嘘を言うとは思っていないのかもしれない。
このことで私の話は終わったものと考え、黙ってお辞儀をしてから再び椅子に腰かけた。
「次に、池に彼女の私物が落ちていた件ですが…」
「以前セシリア嬢が同様のことを行ったという根の葉もない噂が立ったことがあります。不思議な一致ですねぇ。ちなみにその際はマリアンネ・クライフ嬢がご自分でうっかり落としてしまったと告白されました。今回はいかがなのでしょうか」
アルフォンスの言葉に、クリスティアン様が続く。
また私の名前が出たことに気まずさを感じつつも、王子とアンネリーセ様から確認するように視線を向けられ悲しそうに微笑んで見せた。
このことは先程の話にあったカフェテリア事件の後に改めてアルフォンスが彼女に詰め寄り、言質をとったことの一つだ。
あのときのアルフォンスは珍しく怒っておりかなり怖かったのを覚えている。
それにしてもなぜ私の時に失敗したことと同様のことを再び実行したのか、彼女の思考は理解し難い。
今回は王子に一緒に探させたりしたところを考えると反省点を生かした結果だったのだろうか。
「ああ、そして怪我の件ですね。兄上もご存じのことと思いますが、私は彼女と同じクラスです。毎日元気に走り回っている彼女を見かけておりますので、彼女が怪我をしていたというのであればいつなのかぜひ知りたいですね。それに先程の話にあったカフェテリアの一件の際、ふらついた彼女と一緒に倒れたセシリア嬢が怪我をしているなか、彼女は無傷でした。それだけ頑丈な彼女が怪我をするとは私には少々考えにくいのですが」
「そんな…」
「ひどいです、アルフォンス様。ディー、ディーは私のこと信じてくれますよね?ね?」
縋るように甘えるマリアンネだが、王子は彼女に視線を向けない。
唇を噛みしめ苦悶の表情を浮かべ考え込んでいるようだ。