就職一日目、早くも身の危険を感じます。
信玄公が普段生活する御殿は大広間を抜けた先にあった。
まだ雪解けが済んだばかりの時期らしく、館の庭では梅の花が舞い春の訪れを告げていた。
「この俺があの武田家に仕官かぁ……人生何が起こるかわからないもんだなぁ~」
今日の空模様は雲一つ無い晴天。
頬を撫でるまだ肌寒い春風は、まるで就職氷河期を乗り越え、無事就職できた俺を祝福しているかのように爽やかだ。
「ある意味憧れの職場に就けた訳だが、初仕事が城の築城ねぇ……どうすりゃいいんだよ」
城の築城どころか犬小屋ですら建てたことないんだが……それに俺は元サラリーマン、暑い日差しの中、この歳で肉体労働なんてやったら一日で死ねる。
「まぁ、仕えたからには精一杯頑張るけど、やっぱり俺には荷が重いな……」
正直、二百貫(二千万円)分の働きが出来る気がしない。
俺的には衣食住と少し遊べる分のお金があるだけで十分だし、若ければ「戦国時代に来たからには絶対に成り上がってやる!!」みたいに燃えたかも知れないが、やる気だとか出世欲なんてものはあんまり無い。
思うに、俺は信玄公の傍らで物事を進言する相談役くらいが丁度良いと思うんだ。
別にダジャレとかじゃく、真面目な話でね。
「えーと、この廊下の突き当たりを右に行ったところが信玄公の部屋だっけ」
信玄公から聞いた通りに廊下を進み、突き当たりを曲がってみる。そして、信玄公が言っていた部屋に辿り着いて戦慄した。
「まさか、ここが信玄公が言ってた部屋……?」
何故戦慄したかって? 入り口に『厠』って書かれた札があるからだよっ!!
「オイオイ、マジかよ……」
話し合うって厠で何を話すんですか!?
二人仲良く連れションしながら城の縄張りとか話し合うんですか!?
それとも『子細』ってそういう意味だったんですか!?
確かに、戦国時代に衆道(同性愛)はごく一般的なものだったわけだが、流石に俺みたいな顔面クリーチャーでもOKって守備範囲広すぎやしませんかね!? 信玄公っ!!
「何かの間違いだよな、うん、絶対そうだ。そうに違いな──」
「やっと来おったか、晴幸」
おぉふ、俺を呼んだ張本人が厠の中から現れたぜ。
いやいやいやいやいやいやいやいやいや! まだ諦めるな!!
きっと俺が来るであろう時間を計算したら、たまたま用を足す時間帯だったからここに来いって言っただけなんだ! 人の行動を先読みするなんて流石は信玄公だぜっ!
「何をしておる、さっさと入って来い」
「あっ……はい……」
あーうん、知ってた。
信玄公が衆道(同性愛)を嗜んでたことも、男相手にラブレター送ってたことも、ここに来る前から全部知ってたよ、うん。
いやぁ~俺の『初めて』が信玄公だなんて身に余る光栄だわぁ~。
控えめにいって、俺の初体験は互いに愛し合ってる若くてボン! キュ! ボン! なナイスバディ美女の予定だったんだけどなぁ~。こんなことなら妙なプライド捨ててさっさと風俗にでも行っとけばよかったな……。
「さぁ、遠慮せずに入るがよい」
信玄公に連れられて厠の中に入り、確信した。
だって軽く一部屋分並みの広い空間で、厠なのに便器が部屋の隅っこにあるだけ、更には厠に不要な枕も完備されており《用を足す以外のナニかに使いそうな雰囲気》がプンプンしてるからだ。
「あの、ここは一体……?」
「ふ、驚いたであろう、ワシが直々に普請させた特注の厠じゃからな」
なるほど、主に「連れションしようぜっ!」なんて言われたら部下は断れないってことか。流石は『甲斐の虎』、類い稀なる策士でございます。