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麓の戦にて





 一進一退の攻防が続く麓の戦いは、奇襲が失敗に終わった頼重による武田先陣への突撃によって混沌と化していた。


 敵味方の判別すらつかない戦場で諏訪の総大将たる頼重自らが雑兵を切り捨て奮闘し、武田の重鎮である信方や虎昌も負けじと敵を薙ぎ倒す──苛烈極まる戦場を横目に、景政は苦笑いを浮かべる。


(追撃を任されましたが、アレに混ざるのは愚策ですなぁ……しかし)


 頼重を追うように助勢に入った景政は極力乱戦に巻き込まれぬよう部隊を迂回させ、諏訪本隊の背後に回り込もうとしていた。


 景政の最終的な目的は頼重を討つことにある。

 その為には敵を殲滅しつつ頼重を逃さぬこと、景政は混戦の武田先陣部隊を囮に諏訪軍を背後から挟撃しようと画策しているのだ。

 頼重のやったことの意趣返しでもある。


(──愚策ですが、混ざる以外に手はなさそうですな)

 

 景政は馬脚を緩め、これから攻め入る敵軍に目を凝らす。

 

「問題無し」


 大混戦とあって敵の背後はがら空きだった。景政は槍を上段に、(あぶみ)を股で絞める。


「さぁさぁ、行きますか」


 景政は部下を前に据え、砂塵渦巻く乱戦の真っ只中に駆け入った。


 元来、景政は慎重な男である。

 注意深く敵を観察して弱点を探り当てるまで戦わない、無駄に血を流す戦闘は行わないのが彼の戦だ。

 逆にいえば、景政自ら敵中に割り入る時は十分な勝算があるということ、そのことは部下達も重々承知していた。


「勝ちが見えましたか、景政様」

「当然当然、我らの勝利は目前よ」


 部下の背中越しの問いを軽く答えると、砂煙の狭間で輝く大薙刀が目に映り、すかさずその演者に馬を寄せた。


「生きておられましたか、流石は板垣殿」

「景政か? お主は本陣守備ではなかったのか??」


 鮮血滴る薙刀を横に据えた信方が振り返る。

 大怪我を負ったと見間違える信方の馬上姿に景政はギョッとしたが、敵の返り血で原色を留めていないだけだと悟り苦笑した。


「こちらの戦が面白そうでしてな、つい参戦したくなったのですよ」

「ふっ、お主らしいわ。ところで今さっき頼重の影を見たのだがお主は知らぬか」

「奇遇ですな、実は私も探しているのです」


 通りすがりの挨拶がごとき会話を重ねながらも、二人は手頃な敵を片っ端から切り捨てた。


 前の時代(南北朝時代)とは違い、個人の武から集団の武に移り変わった戦国の世では武将自身が相対して直接敵を討ち取ることが少なくなり、必然的に名のある武将が討たれることも珍しいものになっていった。


 故にこのような乱戦時が最も危険で、雑兵だろうが取り囲まれたら最期、歴戦の武士(もののふ)であろうが数に圧されて命を落とすことが多いのだ。

 傍目には戦場の垣間に見せた気の緩みからくる会話に見えるが、二人に油断は一切無かった。


「そういえば真後ろにいた虎昌の姿が見えぬな、あるいは頼重と戦っているのではないか」

「ハハハ、かもしれませんな」


 信方からすれば軽い冗談のつもりだった。しかし──




「はっはっはっ!! 信濃四大将の名は伊達ではないな! 噂に違わぬ槍捌きよ!!」

「お主も『赤鬼』の名に違わぬ剛の者じゃ」


 その頃の諏訪頼重と飯富虎昌は立場も忘れて一騎討ちに興じていた。

 足軽が主役になりつつある世においてなお、二人は己の力量で相手を討ち取ること以外頭になかった。周囲の兵士達も二人の闘いを邪魔しないように間をあけて見守っている。


「これでどうじゃ!!」

「──甘いッ」


 頼重の喉元に酒気を帯びた朱色の槍筋が繰り出される。

 それを頼重は悠々かわすや巧みに馬を御し、馬上槍を叩くように振り落とした。


「ぬおっ!? 馬術も達者か!!」


 馬上槍を朱槍で受けつつ虎昌は唸った。

 馬は臆病な生き物で少しの音でも過敏に反応する。怒号吹き荒ぶ戦場で馬を手足のように御することは、愛馬との絆が極まり人馬一体となった強者(つわもの)である証だ。


「やりおるな! じゃが、力比べではワシのが上じゃ!!」


 頼重の槍を軽々払うと、落雷のごとき一撃が虎昌から放たれた。 


「……くッ」


 受けは悪手とよみ、頼重は朱槍の薙を寸でで交わし距離を取る。すると標的を失った朱槍は地面の大岩を豆腐を切るように易々と真っ二つになった。


「フッ、馬鹿力め」


 両者の実力は拮抗していた。

 

 雑兵が戦の主力になりつつある戦国の世において、この二人の戦いは間近で見る者を源平より昔で戦っているような心地にさせる、不思議な光景であった。


「やりおるな……」

「ガッハッハッ! 御主こそな!!」


 悠に五十を越えて打ち合い続けるが決着はつきそうにない。しかし、ただ時間だけを刻んでいた二人の、いつまでも続くかと思われた闘いは突如として終わりを告げた。


「殿ッ! 殿ッッ!! 一大事でございます!!!」


 諏訪の母衣武者が一騎、二人の一騎討ちに割って入った。突然の来訪に両者の槍は止まる。


「何事か、今良いところなるぞ」

「う、本丸から火の手が上がっておりまする!!」

「なんだと……ッ!?」


 頼重は上原城を見上げ驚愕した。

 金比羅山の頂上から幾重もの黒煙が立ち込め、大矢倉が焼け落ちている。

 

「ほぉ! 勘助がやりおったか!」


 上原城の黒煙を見た虎昌が歓声を上げるや、周囲の空気が一変した。

 山城から上がった煙が麓の両軍兵士全員の(まぶた)に写る。

 その煙は武田兵にとって目的の達成、諏訪兵にとっては守るべき場所の損失を意味していた。


「城が落ちたぞ!!!」


 両陣営のどちらの兵士が発したか分からない。

 だが、その言葉に武田の兵士は歓喜の表情を浮かべ、諏訪の兵士は呆然と佇み──絶望に武器を落とす者まで現れた。


「のう『赤鬼』よ」

「なんじゃ! 城が焼かれて戦意が消え失せたか!?」

「フッ、まさかな」


 燃える居城を確認し終え、虎昌に視線を移した頼重。その表情は呆然とも絶望ともしていない。

 むしろ「どう落とし所を見つけるべきか」という一種の覚悟と決意に満ちた顔をしていた。


「お主との勝負は引き分けにしといてやる。また近いうちに決着をつけようぞ」

「なんじゃと? よもやあの城(上原城)に戻るつもりか!」

「……あの城は我が先祖より受け継いだ諏訪の居城、敵の手に渡す訳にはいかんのでな」


 付近を見渡し、頼重は声を昂ぶらせた。


「聞け諏訪の兵よ! 諏訪の神域である諏訪(すわの)大社(おおやしろ)と等しい聖域である上原城が敵の手で穢されようとしている。奴等の蛮行を決して許すな!」


 頼重の声はまだ勝負を諦めていなかった。

 城の燃えている所は山頂の一郭いっかくのみ。

 この野戦で退いたとしても、上原城さえ持ちこたえれば勝敗はまだ判らないからだ。

 だがしかし、頼重の檄に応じる者は少ない。戦場の騒音に阻まれたのもあるが、上原城落城の衝撃があまりにも大きすぎたのだ。


 ──守るべき城を失った。

 ──この戦は負けじゃ。

 ──もはや諏訪はおしまいだ。


 神代よりこの地に根付き、神職でありながら武士の身分となって三百年余り。

 諏訪大社上社の大祝として、武士として『諏訪の地』を統治してきた名家であろうと、力無き家は滅び去るのが常だ。

 此度の戦も、諏訪に縁ある豪族の殆どが武田に懐柔されたか、頼重の呼びかけに参じた武将、兵は常時の半分にも満たなかった。


「「「逃げろ!! 諏訪はもう終わりじゃあぁ!!!」」」


 誰かの悲鳴が引き金となり、諏訪兵士達の堰を切ったような逃亡が始まった。こうなればもはや誰も止められない。


(────戦える者は、おらぬか)


  戦を生業としている武士ならともかく、元が農民で戦のために掻き集められた者達を命尽きるまで戦わせるなど不可能な話だ。


「──行くぞ、城を守る」


  もはや自分の声は戦意を失った兵士に届かない。先程とは打って変わり低く小さな声で呟いた。


「………………お主等は?」

「城に戻りましょうぞ、頼重様」

「我々も、お供致します」

「フッ、左様か」


 だが、逆に言えばこの場にいる者の中には自らの意思で赴き、諏訪のために戦っている者もいるのだ。

 その数は五十にも満たないが、今の諏訪頼重には万の兵に等しいほど心強い存在であった。

 

其方そなた等には諏訪明神の加護があろう──我に続けっっ!」

「「「応ッッ!!」」」


 頼重は付き従う兵だけを連れて上原城に向かった。


「ふん! この戦も勝負は決したか……!」

 

 諏訪の総大将である諏訪頼重が撤退したことにより、上原城麓の野戦は武田軍の勝利が決定的となる。

 ここから早期に戦を終わらせる為、遁走する諏訪軍に対して武田軍の熾烈な追撃戦に移るかに思われた。

 しかしながら、上原城に向かった頼重達と逃げ惑う諏訪の兵を見比べた虎昌は追撃に移るどころか、それ以上槍を振るわなかった。


「城以外に逃げる敵を追うな!! 野戦のいくさは仕舞いだ!!」


 戦の勝敗が決すれば無益な殺生を行わないのが(虎昌)の流儀。

 それも、己と見事な一騎打ちを演じた剛者ごうのものが率いる軍勢ならば、たとえ大将首があろうとも背を追い撃つのは彼の信念が許さなかった。


「虎昌よ……お主また戦を勝手に切り上げたおったのか……」

「む!? おぉ! 景政殿も板垣殿も無事で何よりじゃ!」

「飯富殿も元気そうで何より。いやはや、皆が目立った怪我もなく無事とは、流石は武田が誇る豪傑達で御座いますな」

「というお主(景政)は汗一つ出ておらぬがな」


 頼重の離脱により諏訪勢も壊走を始め、最前線で死闘を演じた武田の主だった将が集う余裕も出てきた。残るは山本晴幸が受け持った上原城の落城のみ、戦闘開始より一刻も経たぬうちに諏訪攻めも佳境に入る。


「あの様子では諏訪も立て直せまい! 残るは城に籠もる敵のみじゃな!」

「だが、我が軍も予想以上の激戦で陣形は乱され消耗も激しい……城攻めはしばらく時を置く必要がありそうじゃ」

「山本殿が心配ですが……はてさて、どうしたものやら」


 野戦の勝敗は決したものの、その代償に勢いに任せて城を攻める余力は今の武田軍に残されていない。

 本来なら諏訪軍を城に閉じ込めた時点で兵を休め明日以降の城攻めに本腰を入れるはずであるが、山本晴幸の別働隊が上原城の侵入に成功しているこの好機を逃すのも惜しい。


 勢いのまま城攻めを始めるか、兵士の疲れが癒えるまで待ち、態勢を整えるべきか──現場にいる将にはその判断を決めかねていた。


「──上原城の事は、山本晴幸殿に任せましょう」

「「「……っ!? の、信繁様!」」」


 そんな板垣達の頭を悩ませた問題を容易く即決したのは、本陣より出てきた総大将・武田信繁であった。


「信繁様、上原城を晴幸めに任せるとは如何お考えで?」

「我が軍は疲労困憊、このまま城に攻め込んでも被害が多くなるだけです。上原城は別働隊(山本晴幸の部隊)に任せて、我々はもぬけの殻となった諏訪方の城や砦を攻め取るが得策でしょう」

「良いのですかな? 確かに城は燃えてますが、それは山頂のくるわのみで完全に制したとは言えませぬ。山本殿の兵は二百余り、城を掌握するには些か頼りない気もしますが……」

「無論、多少の兵は上原城に差し向けるつもりです──しかし、出来ることなら別働隊の力だけで、上原城を落として貰わねばなりません」

「と、言うと?」

「……………それが、我が殿の望みゆえ」


 信繁は出陣前に信玄から言われた台詞を思い返していた。


 ──手段は問わぬ、此度の戦で山本晴幸という男の是非を見極めて欲しい──


 信繁は上原城に目を凝らしながら、フッと笑みをこぼした。


(実に投げやりで、実に主らしく、実に兄らしい命令ですが……どうか我が殿の、我が兄の期待に応えてくだされ、山本晴幸殿)


 上原城にいる晴幸の武運を祈り、信繁は周辺の小城の攻略を命じた。



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