突入開始。
金比羅山の頂上付近にある上原城の本丸からは麓の田畑で闘う武田、諏訪両軍の勇姿を余すことなく一望できる。
上原城を兄から託された諏訪頼高は心臓をはち切れんばかりに高鳴らせ、数人の家臣と共に大矢倉の柵越しから麓の激闘を固唾を飲んで見守っていた。
「兄上が敵陣から退いている、奇襲は成功したのだろうか?」
「どうやら、あの様子では奇襲は失敗したようですな……」
「そうか……安宗はどうなると思う?」
「さぁ……判りかねますな」
戦場で何が起きているのか把握しかねる頼高は一つ一つの出来事を家臣の安宗に尋ねてた。
安宗は頼高に代わって直接指揮を執るよう命じられた諏訪家の重臣である。実質、経験の浅い頼高に代わり安宗が上原城を守備しているといっても過言ではない。
「兄上が武田の先鋒に斬りかかったぞ! 奇襲が失敗したとはいえ勝負はまだ分からぬな」
「…………そうで、ございますな」
戦闘に興奮する頼高と違って安宗の心中は戦どころではなかった、何故ならばその生涯で最も重い決断を迫られていたからだ。
諏訪に忠を尽くすか、裏切って武田に付くか──
安宗の額に汗が滲む。
つい数日前に武田から届いた寝返りを薦める書状が彼を悩ませていた。
『寝返らねば一族郎党、女子供に至るまで根絶やしにするぞ』
今も安宗の懐にある書状にはそう簡潔に記されていた。恐らく諏訪の主だった家臣全てに送られているのだろう、城に残った部下の顔色は自分と同じ蒼白だ。
(決して脅しではない、裏切らねば必ず我が一族を滅ぼすであろう──)
武田晴信は実の父親を追放し、姉の嫁ぎ先である諏訪を攻め取ろうとする非情な男、敵国の将に情など掛けるなど無いに等しいだろう。
この戦で兵の数や質、何より勢いのある武田家が勝つのか、地の利がある諏訪家が勝つのか。主家に忠を尽くすか、一族を守るか。安宗は未だ答えを見つけられずにいた。
「……あれは──!」
安宗が搦め手に回る武田兵──つまり晴幸の率いる部隊を見つけたのはそんな時であった。
数からして百に満たない部隊だが、城兵が麓の戦いに釘付けになっている隙を突き、裏手を攻められては城内はすぐさま混乱の渦に呑まれる。
それは即ち、上原城の落城を意味していた。
「……? 何かあったのか?」
「い、いいえ……何もこざいませぬ」
安宗は額の汗をぬぐい頼高の背に手を寄せる、と。
『敵襲っ! 武田軍が城に入ってきたぞ!!』
見張りの悲鳴を含んだ遠声が上原城を騒然とさせた。搦め手とはほど遠い南門からの奇襲、つまり敵は二手に別れて城を攻めているということだ。
当然、騒ぎを聞いた頼高も目に見えて動揺する。
「敵だと! 何処におるのだ!?」
「騒がしいのは屋敷のある『本丸』の方ですな、城を守る将として我らも急いで向かいましょう」
「わ、わかった! 本丸には怜もおる、早く戻るぞ!」
安宗の指示に従って大急ぎで大矢倉の梯子を下る頼高。
武田の襲撃と意図を感じ取った安宗の腹内は固まった。
この時代の武士で最も重要なものは『一所懸命』──何よりも自分の一族と土地を守ることである。たとえ長年仕えた主君であろうと、一族を守る力が無いならば切り捨てる。それが戦国時代の武士という生き物なのだ。
(御膳立てしてやったのだ、しくじってくれるなよ)
二人が中腹の屋敷に戻れば城の裏側には指揮する将がいなくなる。上原城の本丸以外の郭は、完全に手薄な状況となった。
───────────────────────
「甘利様が突入したようです、我々も行きましょう」
「あ、あぁ……一気に行こう」
「………………(コクり)」
上原城の搦め手前の茂みに潜む俺達、名付けて裏取り部隊約百名は眼前の棟門を凝視していた。
虎泰さんの部隊と俺の部隊で兵士を半分に別け、虎泰さんが南門から突入、中腹の曲輪で暴れてる隙に俺達が搦め手から侵入して城を落とす。それが上原城攻略作戦の全容だ。
(敵は、どのくらいだ……?)
俺は恐る恐る茂みから顔を出して城内を確認する。
搦め手とおもしき棟門には兵士はおろか見張りすらいない。甘利様の別動隊が騒ぎを起こしてくれたおかげか、敵の罠なのか、不自然なくらい静かだ。
「大丈夫です、搦め手は比較的手薄でした。伏兵もいません」
「オーケー、千代女さんに偵察を頼んで正解ですよ」
千代女さんが俺の不安をナチュラルに取り除いてくれたおかげで覚悟を固められた。作戦も練ったし攻撃準備も整ってる。敵がいないならば迷ってられない。
『果断即決と電光石火』
それが遥か未来であらゆる武将の逸話を読んで感じた俺なりの名将の条件だ。
「行くぞ! みんなッ!!」
「「「おおおぉぉぉぉぉぉおおッッッ!!」」」
百人全員が同時に茂みから飛び出し、城目掛けて一直線に駆け出した。何故、敵と戦う前に大声を出すのか疑問だったけど、その理由を身をもって知る。
大声出さないと恐怖で狂っちまうからなんだ。てか何か叫んでねーと動けねーわコレ。
「門を破ったら……敵を素早く、倒せぇ!!」
俺が生まれて四十年、戦場の真っ只中に突っ込んだのは初めてのことだ、正直手足がすくんで上手く動けない。今の台詞だってちゃんと言えてたかも分からない。
ただハッキリしてるのは俺が今から人を殺すか、殺されるかもしれないってことだ。
「こ、こっちからも敵だ!!」
千代女さんが事前に棟門の閂を抜いてくれたおかげで難なく門を突破し、奇襲に怯んだ上原城兵との戦闘が始まった。といっても敵は数人単位で、百人余りの武田兵に襲われあっという間に一掃された。
「うぐっ……! あぁもうグロいんだよッッ!!」
先達城とは違って間近で見た敵の生々しい死体に震えが止まらない。
俺もああなるかもだとか、知り合いが殺されたらどうしようだとか、考えたくも無いことばっかり次々頭に浮かんできやがる。
「…………敵はいなくなったよ、代官様」
「あぁ、わかってる……」
源ちゃんもた、初陣の緊張か俺と同じく惨殺死体に戦慄してるのか肩が震えている。だってのに俺よりも冷静に次の指示を仰いでくるなんて、源ちゃんの主として源ちゃんに負けてられねーだろ!
(臆するな俺! この程度の死体は日常茶飯事なんだから……ッ!)
不安や恐怖を体外へ放出するかのように、俺は部下達に次の指示を飛ばす。
「予定通り矢倉や建物に油を撒け! 油はあの小屋にある!!」
俺の命令で一目散に小屋へ殺到する武田兵達。
千代女さんは矢倉へ飛び上がりアクロバティックに油をぶっかけ、源ちゃんもわざわざ油を柄杓にすくって撒き散らしていた。
時代劇、特に戦国時代を舞台にしたドラマや映画の落城シーンは大抵決まっている。敵の城で油を撒いてやることなんて、一つしかあるまい。
「さぁ野郎共!! 油に火をつけろッッッ!!!」
俺の合図と共に一面が紅蓮の炎に包まれた。
まさに映画のワンシーン、城が燃え盛る演出はその城の落城を決定付けるだろう。
敵の戦意を失わせるのにこれほどインパクトのある出来事はない。
「速く下の屋敷へ向かいましょう、甘利様といえど手を焼いているでしょうから」
「城が燃えてるだけに手を焼いてるってね、違いない」
「あっ……! け、決して茶化した訳ではありませんよっ!?」
「残りの敵は中腹の屋敷だけだ! 俺達の手で一気に城を落とすぞっ!!」
「「「おぉぉおおッッ!!」」」
「ちょっと! 話を聞いてくださいっ!!」
千代女さんの心地よい慌て声は、武田兵の野太い鬨の声で掻き消されてしまった。




