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上原城の戦い。





 丑の刻(午前二時)頃、諏訪家居城・上原城は震撼した。


 隣国の甲斐武田家の軍勢が領内近くの先達城に集まっているという報告が宵闇の上原城にもたらされたからだ。


「ついに来おったか、武田め」


 蝋燭の火が赤く顔を照らす中、上座の諏訪頼重が胡座を組んで呟いた。先達城が完成してから幾日も経たずに侵略、まさに風の如しである。


(武田が攻め来るのは承知しておったが……中々に難儀な戦になるであろうな)


 武田軍が国境周辺に集まっているという報告を受けてすぐに、頼重は近隣の豪族、及び国衆くにしゅう(国人領主)に加勢を頼む使者を送っていた。


 しかし頼重に加勢する者は普段よりも少なく、ついこの前に先達城の築城を阻止するために臨時で集めた地元の農民のみが参戦に応じたに過ぎなったのだ。


(武田に寝返ったか、もしくは様子見といったところか……どちらにしても味方は少ないな)

 

 被害は少ないとはいえ、先の戦で武田に敗れたことが尾を引いていた。

 豪族や国衆からしてみれば自分の土地や領民を守れない者に命を預ける道理はない。それが神代よりこの地を治めてきた名門であっても例外ではないのだ。


(何としても武田に勝たねばなるまい、たとえこの身が滅びようと……な)


 諏訪家を護るため、たとえ自身が討たれても『現』大祝おおほうりである弟の頼高が残っている。

 梟のさえずりと蠟燭ろうそくの揺らめきが包む部屋で、頼重は覚悟を固めた。


「兄上、夜分に失礼致します」

「頼高か? 構わぬ、入るがよい」

「……兄上、突然ですが此度の武田との戦の策をお聞かせください。私は何をすればよろしいのですか?」

「…………やはり気になるか」

「気になりまする」

 

 今回の戦は諏訪の存亡に関わる大事な一戦だと、幼い頼高も感じ取っていた。

 見つめるまなこは曇りなく、一切の嘘偽りも通用しないと頼重に思わせた。


「俺は撃って出る、頼高は城に残るのだ」

「嫌でございますッ!」

「即答……か」

 

 弟の怒声が闇夜に響いた。何故弟が嫌と言ったのか兄は重々承知しているし、はなから断るだろうと予測していた。

 

「私も兄の隣で肩を並べ、憎き武田を撃ち破りたく思いまする」

「ならぬ、残れ」


 今度は兄が弟の進言を即座に止めた。

 無論、若年の頼高には頼重の命令が不服なのだ。


「此度の大戦は頼高には荷が重いとお思いでございますか? 某が力不足であるから戦に出さぬおつもりなのですか!!」

「話を聞け! 頼高ッッ!!」


 勢いのまま片膝をついて抗議した頼高も、兄であり信濃四大将である頼重の一喝をくらえば口を閉ざす他ない。城に残る悔しさを噛み締める弟に兄は優しく諭すように語り始めた。

 

「武田が野戦の最中に別動隊を率いて城を攻めるやもしれぬ、お主には俺に代わって城代となり、城を、(りょう)を守って欲しいのだ」

「そ、某が城代でございますか……?」

「そうだ、重臣や名のある臣は皆出陣するゆえ大事な任となる。お主は俺から見ても立派な将となった、だからこそ城の守りを任せるのだ」


 この時の頼重の発言は半分が誠で、半分が嘘であった。

 確かに、初陣を済ませ幼いながら多くの戦に従軍した頼高は充分一人前の武将と言える。だが、城を任せるにはまだまだ経験不足、五年は早い役目だ。


 城代といえど実際に城を守るのは頼重が信頼する家臣達であり、頼高は本丸で床几(しょうぎ)に座っているだけ。故に戦慣れしていない弟を戦に連れていくつもりはなく、城代というのは弟を危険な目に遭わせない為の方便であった。


「あ、兄上にそのようなお考えがあったとは…………この頼高、思慮が足りませんでした」

「分かってくれて何よりだ」


 頼重は身を正して床に頭を擦り付ける頼高に上座から優しく微笑みかけた。


「しからば兵を引き連れ出陣する。城を任せたぞ、頼高」

「ハハッ! お任せください! 兄上!!」

「うむ……(トキ)も、頼高の言をよく聞くようにな」

「お気づきでしたか……父上」

「怜!? お主もいたのか??」


 二人の会話を襖の奥で聞いていた頼重の娘・怜は二人の異なる視線に深く頭を下げた。


「安心しろ、怜! たとえ武田が攻め入ろうとも、某が指一本触れさせぬからな!!」

「だ、そうだ。お前も城に籠もり、叔父(頼高)の命をしかと聞くのだぞ」

「…………畏まっております、父上様、叔父上様」


 相も変わらない冷めたような消え入りそうな囁きと共に、怜は小さな肩を震わせた。



────────────────────────



 進軍は夜明け前に済ませるのが戦国の習いだ。


 夜明け前に移動すれば日出から日没まで長時間戦っていられるからだとか、敵から布陣を悟られないようにする為であるとか。武田家も違わずこの戦国の習いを当然のように行っている。


「前は親善の使者として眺めた城を、よもや攻城の先鋒として眺めようとはな」

「ハッハッハッ、実に乱世らしい状況ではありませぬか」


 軍備を整え先達城から出陣した武田軍本体は、諏訪湖より流れる宮川に沿いながら諏訪郡を目指した。


 山並みが紫色に霞み始めた夜明け前。


 武田軍総大将の武田信繁は諏訪家の居城・上原城より南に二里(約8km)の地点に魚鱗(ぎょりん)の陣にて布陣、ちょうど日出になるころに全軍の配備が整い、諏訪軍もまた武田軍の動きに合わせて上原城を背に対陣した。


 両軍共々、互いの動きを見つめあって動かない。


「しかし、信繁様は随分と大胆な布陣ですなぁ。流石に近すぎじゃないですかねぇ?」


 今回の戦にて後備えを担当する教来石景政は眼前の平野と山間で輝く篝火を一瞥しながら微笑した。


 軍議によれば作戦は武田本体が敵の主力を城から遠ざけ、その隙に山本晴幸率いる別動隊が城を落とすというもの。本体が城から二里あまりに布陣してはあまりにも近すぎるのでないかと、景政は危惧したのだ。

 景政の呟きに似た問いに、先陣を任された板垣信方が答えた。

 

「短期決戦を望むならこの距離は妥当。それに信繁様は晴幸が城を落とすとは思っておらぬだろう」

「と、いいますと?」

「我らとの戦いの最中、背後の城が騒がしくなれば敵軍は少なからず揺らぐ、そこを崩すおつもりであろう」

「なるほど……いやはや新米の味方を囮に使うとは容赦の無い御方だ」

「確かに、容赦無い命令じゃな。だが……」


 呆れ気味に苦笑した景政を横目に、信方は表情を変えずに前方の山々を凝視した。

 もし、万が一、万が一にでも晴幸が城を落とす大功を上げたとすれば、いよいよもって認めざるを得ないだろう。


「この戦、実に楽しみじゃ」


 信方は武者震いと共に思わず笑みが溢れた。


「ほうほう! 板垣殿が戦前に笑うとは珍しいな!!」


 目覚ましのような大声に二人は振り返った。

 普段通りの深紅に燃える鎧を着こなした飯富虎昌が三間(5メートル)余りの朱槍を肩に乗せ、戦前だというのに盃を手に酒を食らっていた。


「お主はまた朝から酒を飲みおって」


 盃を口につけたまま馬首を並べた虎昌に信方は嘆息した。


「ガハハハハ! 今日はいつも以上に気分が良いのでな! あの山を赤く染めてやるわい!!」

「朝から呑んでおりますなぁ、今日もまた敵方から血の雨が降りましょう」

「まったく、洒落にならぬから困る」


飯富(おぶ)は酔うほど(おに)と化す』


 戦場で必ずと言っていいほど酒を持参する虎昌は戦前にその酒を全て飲み干し、戦場で鬼神の如く暴れまわり手柄をあげる。

 その働きっぷりは彼だけは戦前に酒を浴びるだけ呑んでもよいと信玄公が認めたほどの、文字通り『酒豪』であった。


「で、信繁様はなんと仰られた?」

「開戦は先陣である板垣殿に任せる、だそうだ!」

「左様か、あい分かった」


 信方は黒柄の薙刀を手に軽く息を整えた。


「敵の数は同等、陣は鶴翼じゃな」


  明るみはじめた田畑に横一線で並ぶ諏訪軍を見て、信方は兜の緒を締め直した。

 先陣は戦の先駆けであり、戦の主導権をどちらが握るかが決まる大事な役割。信方は戦う前からどう立ち振る舞えば味方が優勢になるのか考えを巡らし、最善の作戦を実行に移す覚悟を固めた。


「出陣する、我が隊の後に続け、虎昌」

「おう!!」


 信方は馬腹を蹴って一気に走らせるや、先陣の前を右へ左へ駆け出した。板垣信方特有の出陣前の鼓舞であり、板垣隊の兵士は揃って気勢を上げた。


「やる気じゃな板垣殿! 我らも気合いを入れねば!」


 虎昌も己が率いる中軍に振り返って声を張る。


「此度の戦の先陣は板垣殿がお務めなさる! 我が軍も先陣に負けず大いに暴れてやれいッッ!!」


 敵方にも届きそうな大声に虎昌の部隊どころか武田軍全体から鬨の声がこだました。敵もその声を聞きざわめきだち、臨戦態勢を整える。


「いざ、出陣じゃ」

 

 草摺(くさずり)を鳴らし信方が軍の先頭を行くと、先陣の武田軍が一丸となって諏訪勢に襲いかかった。


 武田軍が組んだ魚鱗の陣とは、簡単に言えば固まって突撃する陣形である。大半が雑兵で組織されている軍隊に戦術的で高度な動きが出きるはずもなく「固まって闘う」や「囲んで討つ」等の単純な命令しか指示できない。つまり、魚鱗の陣を布くとは最所から「真正面より突撃する」と宣言しているようなもだ。


「先ずは敵の先方を打ち崩すッ!」


 信方は諏訪軍の布陣が鶴翼の陣であると知るや、敵兵が一番少ない地点に狙いを絞った。単純な命令しか出来ないのは諏訪軍も同じこと、鶴翼の陣は鶴が翼を広げているかのように広がって見えることから名付けられた陣形で、兵士が多いならまだしも、少数の場合横に広い分備えが薄く伸ばされてしまう。

 一気呵成に攻め立て、敵の命令系統を混乱させるのが信方の狙いであった。


「ふ、血が滾るわい」


 信方は馬上より薙刀を振るい槍を構える雑兵を自慢の薙刀で一掃する。

 この板垣隊の突撃が引き金となり、両軍兵士が入り乱れる大混戦となった。朝日が東の山際から昇り、戦場となった田畑を煌めかせる時刻。武田軍対諏訪軍の戦いの幕が切って落とされたのだ。


「あらら、もう行ってしまわれたか」


 後陣を任されている景政は信方の突撃をただ後ろから眺めていた。

 まだ戦は始まったばかり、先陣の板垣隊と力任せに突撃することを生業とする中陣の飯富隊とは違い、臨機応変を信条とする教来石景政は後方より敵の動きを静観することにした。


「今日は激しい戦になりそうですなぁ……いやはや、ある意味で晴幸殿は当たりクジを引いたのかもしれませんねぇ」

 

 戟剣の音が鳴り響く戦場では敵味方の刃物が日光を反射し、海原のように田畑を覆っている。素人目では戦況がどうなってるか分からなくとも、観察眼に優れた景政には敵味方がどのように動いているのか手に取るように把握していた。


「始まったようだな、景政殿」

「おぉ、本陣からわざわざ出てくるとは。信繁様も戦局が気になりましたかな?」

「殿より諏訪攻めの大将を任された身ですから、気になるのは当たり前ですよ」


 景政と肩を並べ、土煙がもうもうも舞う混沌とした戦場を一頻り眺めると、信繁はあることに気付いた。


「…………まさか」


 砂煙を縫って敵軍のとおもしき旗印を探してみても、あの旗印だけが見当たらない。その時、信繁の脳裏に一抹の不安が過った。


「景政殿、目の前の敵兵は幾人でしょうか」

「さぁ……ざっと見た感じだと八百やそこらでしょう。板垣様達の軍と互角ではありませんかねぇ?」

「そうか…………ならば対抗策を考えねば」

「それはどういう意味ですかな?」

「私は本陣に戻ります、景政殿は引き続き周囲の警戒を頼みます」

「え……? あぁ、心得ましたよ」


 それだけ告げると、信繁は踵を返して張ったばかりの本陣に戻っていった。無論、信繁のどこか引っ掛かる物言いに景政は首を傾げる。


「いやはや、物事を一人で考え理解し、誰にも語らぬ癖。御館様とまったく一緒ですなぁ」


 陣幕内で新たな策を練っているであろう信繁に苦笑いを浮かべ、景政は本陣周囲の警戒を強めるよう指示を出した。




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