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ひらめくミソ

作者: N(えぬ)

 少し時間が遅かったけれど、「あの店に行きたいな」と思い、仕事の帰りに、とある小料理屋に入った。

「いらっしゃい」

 店ののれんをくぐって入ると、おかみさんの少し高いはっきりした声と、奥の調理場の主人の、低い落ち着いた声が和音のように聞こえてくる。これだけでも、この店のいい味になっているといつも感じる。

「おや」

 見ると客が誰も居なかった。少し遅い時間だが、誰も居ないのは珍しい。おかみさんが忙しくテーブルを片付けているのを見ると、今しがたまでは、けっこう客がいたのだろう。

「ちょうどみなさん、帰ったところで」

 おかみさんがそう言いながら、片付けを続ける。


 カウンター席の、奥目のいい場所を選んで座った。わたしは日本酒を頼んだ。程なくして、酒とお通しが出てくる。飲みながら、あとは今日は焼き魚を一つと頼んだ。疲れているし、それくらいで十分気が休まった。


「お疲れですねえ」

 片付けものの終わったおかみさんが慈愛のある笑い顔でそう言った。言われたほうは少し慌てた。

「ははは。そんなに疲れた顔をしてますか?」

 見抜かれてしまうほど、顔に出ていたかと苦笑いした。おかみさんは続けて、

「休んで行ってくださいな」そう言った。これを聞いてわたしは、ふだんそんなに話さないのだが、どうもほかに客がいなかったので愚痴が出た。

「ううん。なんだか仕事がうまくいかなくてね……いい案が浮かばないんだ。どうもほかの人に負けちゃうんだ。似たような案しか出せないと、最後はやっぱり、話方がうまいほうがいいからね。僕は人にアピールするのがダメだね。もう少し、ライバルに差を付けられるようなひらめきがあるといいんだけどナァ。明日も一件、お客にプレゼンがあるんで会社で考えていたんだけど、いいのが思い浮かばなくて、引き上げてきたんです」

「そう。料理もね、ただうまく作ればおいしいわけじゃ無いもんね。見た目も大事だわ」

 おかみさんはそう言って笑った。調理場で魚を焼いている主人も、声は出さないが、小さく頷いて笑っていた。

「魚は、頭にもいいだろうから、今日は食べに来たんですよ」

「ありがとうございます。でも、そういうことなら、いいものがあるわよ」

 おかみさんは、そう言うと主人に目で合図した。主人もそれを見て、うんうんと頷いて見せた。


 少しすると、主人が小皿に「ペースト状の何か」を少し持って出してきて、

「食べてみてください。塩辛いから、橋の先に付けてちょっと嘗めるようなつもりで」そう言った。

 それは、なんとも深い濃い藍色というのか、そんな色をしていた。

「なんですかこれは?見た目は味噌みたいだけれど」

「ええ。そうなの。味噌よ」おかみさんが言う。続けて主人が、

「これはね、滅多にお目にかかれない味噌でして。食べると頭の回転がよくなって、パッといいことがひらめくって言うヤツなんです」

「味噌が体にいいとは聞くけど、そんな味噌があるんですか?」

「ええ。この味噌を造っているところは、秘密にされていて、作り方自体も秘密なんです。売ってもらえる店もほんのわずか。お客さんにも、他言無用と約束してもらえる人にしか出しません」

「そうなんですか。そりゃ、すごいものですね……そういうことなら、わたしも決して誰にも言いませんが……じゃあ、ちょっと一口、いただきます」

 その味噌を割り箸の先でちょっと掬って下に載せた。確かに味噌の味だ。だがこんなに深みのある味噌は食べたことがなかった。言われたとおり塩辛いが、実にうまい。

「これは、お酒を飲むのにもいいですね」

「そうなんです。味もいいでしょう。食べて、少しすると味噌の効果が出て来ますよ。待ってみてください」

 5分ほどすると、確かに頭がスッキリしてきた。酒のせいかと言う気もしたが、そんなのとはまるで違う、そしてなにかが湧き上がってくるような充実した感覚を覚え、

「あ、ああ……す、すみません。なんだか、いい案が浮かびました」

 そう言って、カバンからノートパソコンを引っ張り出し、矢も楯もたまらず明日のプレゼン資料を開いてアイディアを書き出した。その姿を店の主人もおかみさんも、笑って見ていた。

「効果は人によって少し違うんですが、大体みなさん初めての時は、そういう感じになるんです。ひらめいてムズムズしちゃうんですね」

「なるほど、わかるなあムズムズって。確かにそんな感じですよ。味噌にこんな効果があるって、不思議ですね!」

「むかしから、『特徴として自慢になる点』を「この話のミソはここなんだ」とかいうでしょう?それは、この味噌が元になってるって話ですよ」


 ノートパソコンに向かい、30分もしないうちにプレゼン案がほぼ出来上がった。

「ああ、出来ました。最後の仕上げは明日、会社でしますよ。いやあ、スゴイ効果ですよ、この味噌。味噌様々だなぁ。最高のプレゼンが出来そうです」

「よかったわぁ」おかみさんが肩を軽くポンと叩いてくれた。主人もうれしそうに微笑む。


「このお味噌。こんなにすばらしい効果があるなら、宣伝して売れば儲かるでしょうに。秘密なんですか?」

「ええ。こういうのは希少だからいいんですよ。だって、みんなが使ったら、みんな一緒でしょう?」

「なるほど、そうですね。みんなが使ったら一緒だ」

「それとね、たくさん食べるのもダメなんです。ここぞって言うときに少し食べるのがいいんですよ。いくら体にいい食べ物でも、食べ過ぎると毒ですから」



 それから時々、「これは!」という仕事の時に、主人に頼んで例の味噌を食べさせてもらって、抜群にいい案を出すことが出来るようになった。

 これが、わたしが出世できた「ミソ」というわけだ。




タイトル「ひらめくミソ」


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