51.
「す、すまなかった。本当にお前を不快にするつもりなんて微塵もなかった。勿論、今、ジェシーを愛している」
ジェシーは母の名前だ。
父が私に頭を下げるなんて初めてだ。というか、私……不快な思いなんて少しもしてない。
「本当に悪かった」
「あの、お父様は一体何に謝っているんですか?」
想定外の私の言葉に父は「え」と言って頭を上げる。
「ヴァイオリン少年を好きになって関係を持ったことに謝っているのか、私にヴァイオリンを禁止したことかのどっちに謝っているんです?」
「か、かんけい……」
「え、もしかして、なんの関係もなかったんですか?」
「い、いや、あの」
動揺する父を無視して私は口を開く。
「お父様は別に浮気していたわけじゃないでしょ?」
「き、気持ち悪いと思わないのか?」
「少しも」
私が即答すると、父は目を丸くする。
この世界でも別に男性同士が付き合っていたり、女性同士が付き合っている、ということはある。……ただ、非常にレアなケースだけど。
そして、周りから非難の目を向けられるというなかなかシビアな環境。
父が娘にそんなことを知られたくなかったという気持ちは分からなくもない。
それにしても父にそんな過去があったなんて全く知らなかった。
そのヴァイオリン少年は一体どうなったんだろう。父と母の婚約と同時にこの屋敷を出て行ったのかな。……切な過ぎない?
王子とヒロインに焦点を当てるんじゃなくて、こっちの物語を見たいわ。
「その彼とはもう会っていないのですか?」
「ああ。俺とハリーの関係を怪しく思ったメイドが父に告げ口をして……」
ハリーって名前なんだ。
「おじい様がハリーさんを追い出したのですか?」
「ああ」
父は少し辛そうな顔で頷いた。そして、一呼吸してからまた話を始めた。
「彼のことはもう何とも思っていない。ただの過去だ。今はお前とジェシーを心のそこから愛している」
その言葉が嘘じゃないことは分かる。父と母はとても仲が良い。
父の言っていることが本心だと分かっているのに、何故か私も悲しくなってしまう。私にヴァイオリンを禁止したということは、まだ少し思うところがあるのだろう。
「キャシー、この話はジェシーには」
「大丈夫です。言いませんよ」
私は父の言葉に被せるようにそう言って微笑んだ。彼は少しホッとした安堵の顔をする。
「是非会ってみたいですね。ハリーさんに」
「あいつもお前のヴァイオリンを聞いたら腰を抜かすだろうな。いつもうちの庭で弾いてたんだ」
ハリーさんのことを話す父は少し楽しそうに見えた。余程好きだったんだろうな……。
母がいなければ、私はこの世に存在していないが、それでもやっぱりハリーさんと父は幸せになって欲しかったな、とか思ってしまう。




