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シードマスター

作者: 堀 雄之介

 その宇宙飛行士は、真の孤独を感じていた。

 彼は広大な宇宙空間を、ただひとり、小さな宇宙船で航行している。

 元々、孤独は覚悟していた。

 史上初となる外宇宙の有人調査。片道一六〇年という距離は、ひとりの男の人生を費やすにはあまりある時間だ。帰還することは計画されていない。その分の燃料は、積まれてはいなかった。

 片道切符のその旅に、男は人生を捧げた。

 その価値があると考えたからではない。単にそのとき、自暴自棄になっていただけだ。結婚を約束した恋人の裏切り。そんなありふれた傷心が、彼の背中を押したのだった。身寄りの無かった男には、そんな暴挙を止めてくれる家族も、そして親身になって諫めてくれる親友もいなかった。

 心を通わせる相手がいないのならば、いっそのこと孤独な旅をしようと決めた。そしてせめて、人に称賛されるような仕事をしようと考えた。その結果が、今の孤独な航海であった。

 志願したこと自体に、後悔はしていない。

 しかし、真の孤独が待ち受けているとは思わなかった。

 それは、一ヶ月ほど前の通信だった。

 既に光によるやり取りも、一週間以上のタイムラグが生じている。その時差は、日々刻々と長くなっていた。

「恋人の声を聞かせてやろう」

 男にとって、思ってもみない相手からの通信だった。

「あなた、戻ってきて。あなたは勘違いをしているのよ。わたしはあなたを裏切ったりしていない。彼とは何もなかったの。だからお願い、戻ってきて」

 恋人の声を聞いて、男ははじめて望郷の念にとらわれた。しかし、彼女の声が真実であったとしても、もう後戻りはできない時点に達していた。

 覚悟は既にできていた。だから男は、悲しみはしたが、後悔はしていなかった。

 しかし、次に聞こえた恋人の声により、男は動揺した。

「わたしたちは死んでしまうのよ。もう世界中がパニックに陥っている。大きなブラックホールがこの太陽系に向かっているのですって。あなた助けて。わたしを助けて。もう、この社会が生き残る可能性はないのですって」

 恋人の言葉を理解するのに時間を要した。通信は、そんなこと言ってどうする、という別の男の声に掻き消されるように唐突に終わった。

 男は直ぐに返信の光を放ったが、これに対する返答はなかった。それ以来、いつまで経っても、誰からも通信は送られてこなかった。

 男は唯一の話し相手であるコンピューターに問い質した。太陽系はどうなったのだ、と。コンピューターは長い時間をかけて答えてくれた。太陽系は消滅したのだ、と。

 これが、真の孤独の理由だった。

 たとえ周りに人がいなくとも、目を閉じれば生まれ育った町があり、共に厳しい訓練を受けた同僚たちの顔を思い描くことができていた。このままひとりで、未知の惑星に辿り着いた後も、知己の存在は死に絶えても、その子孫が残っているはずだった。

 しかし、そうした空想すら、彼には許されなくなっていたのだ。

 目的地に辿り着いても、それは意味を持たなくなる。

 どんな調査を行っても、誰の役にも立たないのだ。

 つまるところ、彼の旅そのものの価値が無くなってしまったのだった。

 故郷を捨て、人生を捨てた男にとって、仕事の価値すら失われた。

 これ以上の孤独はないだろう。

 コンピューターに問いかけると、機械は依然としてこの旅には大きな価値があると答え続けた。はじめから、仕組まれていたプログラムどおりに答えているだけだろう。

 男は自殺を考えた。もう旅に意味などなくなったのだ。知己の存在も、その子孫も、男が旅に出たという記録さえも、この宇宙には存在しない。ならば、生きている意味などない、と男が考えるのは無理もないことだった。

 それでも、男は一筋の希望を見出した。

 目的地である未知の惑星。そこには、生命が存在しているかも知れないのだ。

 それが知的生命体ではなくともいい。姿形など気にはしない。ただ、生命という存在があることが、男の希望となっていた。宇宙開拓が進むにつれ、無数の無人探査船が方々へと打ち出されたが、依然宇宙における生命の存在を確認できずにいた。目的とする星に生命が存在していなければ、男はこの宇宙で唯一の生命体であるのかもしれない。

 これ以上の孤独はないであろう。

 広大な宇宙空間に、たったひとつの生命。

 そう考えると、気が狂わんばかりの焦燥感に男は駆られた。

 行きつく先に、自分以外の命があること。それが男にとって唯一の生きる理由となっていた。

 男はそのために、永遠ともいえる長い眠りにつくことにした。後は、コンピューターに任せておけばいい。



 夢すら見ない長い眠りから目覚めたとき、男の眼前には赤い惑星が小さく浮かんでいた。

 コンピューターに問いただすと、無事に目的地に到着したようだった。

 男は宇宙船をその惑星の軌道に乗せ、まずは外から地上の観測を開始した。

 事前の予想どおり、その惑星には広大な海が広がり、大陸や島々の存在も確認することができた。恒星からの距離を考えると、大気圏内の温度も安定していることが予想される。

 残念ながら、文明が発達している様子は見られない。それどころか、大型の生物、そして植物の存在すら、機動衛生上からは確認できなかった。

 それでも、男は諦めなかった。地上に降り立てば、きっと生命が確認できると信じた。

 そして、男の宇宙船は惑星の大地に降り立った。

 男の視界には、赤い大地と黄色い海が広がっていた。

「地獄だ」

 男は呟いた。一縷の希望を抱き、大地と海のサンプルを採取し、コンピューターに解析させる。バクテリアでもいい、命があればそれでいい、と男は考えた。

 しかし、コンピューターは非情な回答を示した。サンプル内には命は全く存在せず、またこの惑星の状況では、生命が誕生している可能性がゼロであるという。

 男は泣いた。赤い大地にうずくまり、あらんばかりの声を張り上げ泣いた。しかし、男の嘆きを聞く者は、この宇宙に存在しない。男は最後の希望すら失っていた。

 もう迷いはしなかった。男は自らの命を絶つことに決めた。

 ただ生きる為ならば、男の残りの人生を全うするだけの設備と資材は、宇宙船に残されていた。しかし、そんなものは必要ない。ただひとりで僅かな余生を無為に過ごすことに、何一つ意味はなかった。

 男は宇宙船を破壊した。

 故郷ではないが、せめて自然の大地の上で死にたいと考えた。

 そして、男は宇宙服を脱ぐ。

 男が生身で生きられる環境ではなかった。

 呼吸をしても、肺が焼ける。強すぎる日光が皮膚を焦がす。

 裸の男は倒れた。その指先に、黄色い海の波が触れる。

 最後の最後になって、男は再び新たな希望を見出した。

 男は残る力を振り絞り、這うように黄色い大地を進み、黄色い海に身を沈めた。沸き立つ海は、硫黄の匂いで満ちていた。

 男の死は直ぐに訪れる。命の炎が消える瞬間、男は祈った。

 願わくば、我が肉体が種とならんことを。



 男が死んだ四〇億年後、その惑星は生命で満ち溢れていた。


生命の起源を説明するものとして、パンスペルミア仮説(胚種広布説)があります。生命は地球上で生まれたのではなく、宇宙から飛来した微生物の芽胞がその起源となり、後々進化を遂げる、という一説です。トンデモ科学かとも思いましたが、ノーベル化学賞をもらった学者までもが説いているとのことで、まんざらでたらめな仮説でもないようです。この仮説が元ネタとなっています。

シードマスターという言葉は、「神」や「宇宙人」という意味合いで使われているようですが、私は言葉の意味通りの種の主という解釈で、この物語を書いてみました。

スケールの大きな話が書きたいときは、SFというジャンルに挑戦しています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一時期はメディアでも取り上げられたバンスペルミア説をなろうで拝読できると思いませんでした。 私も同じくなろうに小説を投稿していて、最終章のネタの一つがバンスペルミア説なのです。 いろいろと少…
[一言] 題材は最高だと思います。もっと長い内容で読みたいです
[一言] おもしろかったです。短編なので主人公に感情移入する前に終わってしまいました。恋人との別れの原因の描写、地球滅亡の描写、160年間の生き様など書き込まれれば、涙する感動が溢れるでしょう。長編で…
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