腹案
どんな腹案だ。
突飛なことを言うんじゃないだろうね。
何かいい案でもあるのか。
目は口ほどにものを言う。
それでも彼らは差し出口を叩かずにうなずいて先を促した。
「自衛のために人を――」
道重は自分の声が震えているのに気づいた。提案をするだけなのになぜこんなに震えているのか。彼自身にもわからない。
「――用心棒を雇おうかと思う」
「用心棒だって?」
「そんな人に心当たりがあるのか?」
「相手は兵隊崩れだぜ?」
「あてがあるのかい」
すぐに帰ってきた返事は疑いの色が強いものばかり。それもそうだ。暴徒とはいえ相手は復員して任を解かれた元兵士。
「あいつらはバル・ベルデ帰りだぞ。しかもエル・セレティアと言っていたという話じゃないか。そこがどんな場所かってのは道重さんも知ってるよな?」
中洋に面した傀儡国家バル・ベルデの港町エル・セレティア。
欧州からの撤退が決定的となってからは誰も呼ばないが、和名では清津といわれていた。かつて帝國軍はこの都市を欧州撃退の橋頭堡とし、ここを起点にして大陸の奥地へと進撃していった。二年後に東和へ追い返されるまで、欧州最大の帝國軍の拠点ともなった。
猛々しい戦争の開始とその衰微を象徴する激戦の地。それがエル・セレティアだ。
報道を信じるならば、だが。
「そんな激戦地から生きて帰ってきた相手に立ち向かえるかよ」
しかも相手は一人じゃない。十数人もいるというじゃないか。立ち向かうなど恐ろしくできない。そうまではっきりとは言わないが、道重にはしっかりと伝わっていた。
「それに、俺たちはあの世代を喜んで戦争に送り出した側だ」
「そう。確かに俺たちは希望の世代なんて白々しい顔で送り出した……」
傘屋の後を道重自身が継いで喋る。
それはまさに先ほどまで道重自身が考えていたこととも重なる。
「息子も孫も行っちまったよ。いい子たちは帰って来やしねえんだ」
志ずゑ婆さんが杏の種をぺっと吐き出した。
「だけど、俺たちが何もしないんじゃ、被害が出続けるだけだ。大前とかいうあの兵隊崩れの横暴を許しておくつもりなのか? 逃げても追ってくるだろう。だから、二度と手出しさせないようにするしか手はないと思う。警察だって頼りにならないんだ。金で守ってもらうしかないだろう」
明日か明後日かは知れないが、近いうちにまた連中がやってくるのは明白だ。
今日よりも多くの被害が出るかもしれない。
そして失われたものは何も戻って来ない。米売りの命も。
「俺たちで安全な用心棒を雇うんだ。金は出す。用心棒探しはみんなでやる。そうして逃げずに立ち向かうしか身を護る手段はない!」
強く言いきると、気まずい沈黙が一座を支配しだす。
誰も発言しない。
なんとも言い表しにくい静寂が、道重には兵隊崩れの冷たく放った嘲笑のようにも感じられた。彼とて彼らの葛藤は分かっているつもりだ。
それでも賛同者がなかなか出ない悔しさが募っていく。
歯を噛みしめる代わりに手をぐっと握りしめる。腕の中で最期を看取った妻子ある男の体温。それがまだ手のひらに残っている気がした。
返事を待つ間に道重は米売りのことを考える。
店主は身元がわかるものを何一つ持っていなかった。
財布は大前に持ち去られている。
今のところ彼に関する手掛かりは逝く間際につぶやいた『ヤスオ』という子供の、恐らく息子の名前ぐらいか。市を移動してきたということは市街ではなく郊外住まいでは、という見当はつくが、この種の憶測はあまりあてにはならない。
となると、やはり『ヤスオ』の名ぐらいにしか手掛かりは見出されず、そうである以上、彼の身元を探るのは道重の手だけではどうにもなりそうにない。
米売りの店主には悪いが一時保留とせざるをえない。体を拭いて安置しているが、いつまでもそのままというわけにはいけない。
家族を探して弔意を伝えるのは、埋葬をすませてからだろう。
警察はあてにならないので、頼れるのは金貸し仲間の伝手ぐらいか。
場はまだ沈黙に包まれている。
うんともすんとも言わない。
口うるさい飯屋や志ずゑまでもが押し黙っている。
痺れを切らした道重が再度口を開く。
「他にいい案があるのなら、遠慮なく言ってほしい。俺が決定権を握る代表というわけじゃないんだ。用心棒案に固執する気はない。もっと良い手があるならそれに越したことはないんだ」
「用心棒ってのは、まぁまぁいい手だ。権力を頼れないんなら自分らで守るしかない」
賛成の声が上がった。
ところが、見回しても誰一人として自分だと手を上げない。それどころかみんな顔を見回して誰だ、という風である。聞き慣れない声の主は背後から道重の肩を叩いた。
「俺に詳しく聞かせてくれないか?」
酒を飲んでいたぼろ着の客だった。