闇市の金貸し
※蒸奇都市倶楽部発行の同人誌『蒸奇都市倶楽部報「地底の大機関」』(2014年5月初版発行)の絶版に伴い、一部を改稿したうえで掲載します。
※サークルの小説としては『スチームパンク“風”』の世界設定なのですが、この作品そのものはスチームパンク色はまったくないため、ジャンルやキーワードは手探りで付けています。
「これでいくらになる?」
くたびれた顔の男が一升枡と米俵を交互に示した。
「それは、そうさなぁ、ええと、いくらだったか、ちょっと待ってくれよ」
店主は裾から紙を取り出した。内務省が国民を啓発するために定期的に配布していた、統制を訴える戦中の広報紙だ。
『酒飲みは 風紀を乱す 間諜か』
『煙草を捨てて 蒸気吸おう』
『税金が 西欧懲らす 武器となる』
『ネジ一本 歯車一つ 無駄にすな』
節制への協力を呼びかける標語は勇ましい。戦争が終わってからはちり紙程度の役にしか立たない紙切れだが、こんなものがほんの一年ちょっと前までは真面目に謳われていたのである。
店主は、「こっちじゃねえ」と紙を裏返す。
文字で埋められた表と違い、裏地には綺麗な字で整然とした表が描かれている。欧州の連合軍によって帝都が封鎖されている以来、紙は質を問わず貴重品だったので、配布される広報紙は真っ先に覚書に用いられている。休戦によって紙不足は緩やかに解消しつつあるが、政府の統制、配布がなくなったことによって市価や闇値が直に反映され、かえって庶民の手に入りにくい事態に陥っていた。
「家内がこの表の通りに売れと言われてるでな。ほれ、確認してくれ」
紙を男に渡しながら店主が弁解がましく詫びる。
手渡された表には米一俵以下の斗、升、合、各容量別の価格がきっちりと書かれていた。最小は五勺から最大は一俵単位まで取り扱っている。少し高いが暴利というほどではない。むしろヤミの相場と比べれば良心的だった。男がうなずいて同意を示すと、店主はふと男の提げている荷物を指さす。
「あんたのその干し芋、それをくれたら一升分と交換でいいよ」
「干し芋って、おたくは農家だろう。芋なんて俺より楽に手に入るんじゃないのか?」
男が怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、うちは農家じゃないよ。ちょっと郊外まで出かけて、極東が〝お漏らし〟したのを買い取って売ってるんだ」
お漏らしというのは配給の横流し品のことだ。店主は米俵をぽんぽんと叩く。荷車に積まれている俵は六つ。
「極東のほうは東和まで配りに来るほど米が余ってるのか」
「じゃなきゃ、横流しなんて生まれないさ。極東や麓海はずいぶんと奥まってる上に田舎なもんだから戦火に巻きこまれてないんだろう。九重にいた俺らは連合軍に囲まれてえらい苦労したってのによう」
「農家じゃないんなら、この額だとそんなに稼ぎも出ないだろう」
「食い扶持を確保しつつ、確実に売れるぎりぎりを家内が見極めてくれてるんだよ。ヤミの相場で売るよりも多くの人に売ってるのはそのためさ」
「薄利多売か」
男がうなずくと店主が、
「あんたのところは利鞘が大きそうだな。何か仕入れて売ってるのか? 干し芋に限らず、モノが入りにくくなってからというもの甘いものは飛ぶように売れるからなあ。合成甘味料のお漏らしを仕入れて量り売りする連中もいる」
「合成甘味料は最初は甘くていいが、後味がぴりぴりするから苦手だな」
「でも、砂糖や水菓子よりはずっと安い。帰り際に子供にちょっとだけ買って行ってやろうかと思ってたけど、あんたの干し芋を米と交換してくれるならありがたい」
「悪いけどこの芋は売り物じゃないんだ。現金で買うよ」
店主は芋が手に入らないと知るとちょっと残念そうな顔をしたが、すぐに米を量って麻袋に詰めた。男は代金を払おうとして、「でも、まあこのご時世苦しいのはお互いさまか」なんてつぶやいて、干し芋を数きれだけ店主に手渡してやる。
すると店主は驚いて、
「いいのかい?」
「その代わりにちょっとまけさせてもらいたい」
「あ、ああ、構わないよ。これぐらいでいいかい?」
男は戻ってきた銭貨を確認しながら、
「うん。子供に食べさしてやりな。合成甘味料なんか舐めてるよりは、そういう自然の甘さの方がいいだろう。それに、あんたには今後もここに売りに来てほしいからな。お近づきの印ってやつだ」
「この市は平気なのか?」
店主がひそひそ声で問う。市に出入りする者ならばその意味するところは通じる。
「俺はこのあたりをよく巡回してるんだが、いまんところは何もない。それもいつまで続くかわからんがね」
「巡回って……、あんたもしかして、この市の顔役かい?」
店主の顔に浮かぶ驚きの色合いが少し変わった。
顔役に無断でものを売っているとばれたら、追い出しをくらったり上納金と称して強引に金をとられたりする場合もあるので無理からぬ。納金を拒めば収受という名の暴掠にあう。それで商品をとられるのはまだよい方で、大半は身ぐるみを剥がれる。
そういった暴慢を背景に顔役となった者が中心となり、帝都に散らばる市の商人を牛耳って暴利をむさぼる。いまや帝都の市の大半がそういった顔役の支配下にあった。現に店主は前にいた市でべらぼうな上納金を要求されたがために、場所を変えたこの市へ逃げてきた。
ただ、郊外に住んでいる彼は、どこの市でだって商売はできるのだからまだましな方である。市の近くに住んでいる者だとこうはいかない。動かせぬ商品や店舗をかまえる者は家財を捨てては逃げられないし、市の商売人が減ったら減ったで、暴力もよりよい餌場を求めて後追いで別の市へ勢力を広げていく。
戦争に人手を取られた警察も役に立たない。ひどいものでは警察が暴力と結びついて、金品を受け取る代わりに黙認している状態もあった。
「心配しなくていい。このあたりの商売人とは顔見知りだが、顔役というほどいばれる立場じゃない。ここはそれぞれの好き好きで商売をしてもいい場所だ。場代は求めないし、河岸を変えるのも自由。ただ、これからもここに定期的に売りに来てくれると嬉しいというでだ。もちろんこれも強要じゃなくてお願いだ。白米は貴重だからな」
ほっとした顔の店主は頭を下げた。
「変に疑ってすまない」
「詫びることはない。他のところじゃ兵隊崩れやごろつきども――いまじゃどっちも同じか、ともかく横柄な連中が腕にもの言わせて長く商売もできないだろう」
「ああ、前にいた市もすっかり奴らに牛耳られたよ。俺はあそこに住んでないからよかったものの……」
「物品が戦前みたいに入ってくるまではお互い苦しいだろうが、乗り切っていこうや」
男は店主の肩を力強く叩いて立ち上がり、麻袋を抱えて嬉しそうに去っていった。
店主がほっとして冷や汗をぬぐっていると、
「あんたはいい市に目を付けたね」
筵に座る斜め向かいの老婆が店主に声をかけて、先ほどの男を指さす。男は他の店主や商人たちと談笑していた。
「道重は悪い人じゃないよ。ここの市がなんとか盛りたっているのもあの人のお陰さ」
気さくに何かを言い合っている様子からすると、確かに彼が言った通り顔役というほど偉いわけではなさそうだ。しかしこの市において潤滑剤のような役目を果たしているのが店主にも見て取れた。
「道重さんですか。あの人が言っていましたが、この市はまだなんともないそうですね」
「幸いなことにねえ」
老婆は前に並べた笊から干し杏を取り出して口に含む。
他の笊には干したりんご、干し柿、切り干し大根、干し芋茎など乾物を扱っているようだ。珍しいものでは芋がら縄を扱っている。その中には道重が提げていた干し芋もあった。ここで手に入れたのだろう。
「だけどここも、いつまでも無事というわけじゃないだろうねえ」
老婆は種を吐き出して、すぐにまた杏を口に含んだ。
「あの道重って人が顔役になって自警団でも取りまとめればよさそうなもんですけれどね。平和なうちに備えてくにこしたことはないですよ」
商売人たちが自衛のための組織を結成している市も少なからずある。
「そんなもん組めたらいいんだけどね、なにぶんここにいるのは戦時も兵隊に志願できなかった年頃のものばっかりだから。兵役に行っててもずっと昔の話、なまっちまってるよ」
辺りを見回すと、他に店を開いているものは確かに中年以上の者が多い。かくいう店主自身も四十後半に足を踏み入れており、戦争がはじまっても兵隊にはとられなかった。幸いそこまで戦死者が出て中年が動員されるほどではなかったのである。
市にいる若いものはごくわずかで、それもほとんどが買い物をする側だった。他はもっと幼いの、年端のいかない子供たちが走り回って元気を持て余しているばかりだ。
道重はいずこへと去ったのか、どこにも見当たらなくなっていた。
「それに道重は普段から物々しいのは好きじゃないんだとさ」
「へぇ。そういえば道重さんというのはいったい何をやっている人なんですか?」
「金貸しさ」
「金貸し?」
老婆があまりに明快に答えたので思わず聞き返す。
「おうさ」と再度明快に応じられて、
店主はあまり金貸しにいい印象を抱いていない。金を無理くりに貸して、その利益だけでおまんまを食う。場合によっては貸した何倍もの額をひったくっていき、足りなければ身ぐるみを剥ぐ。そんな印象であった。店主は自分の鞄に入れた干し芋を思う。
まさかこの芋も貸したもののうちに入るのでは?
安易に受け取ってしまった自分は、後になってから何倍もの金、あるいは米を寄越せと迫られるのでは。脳裡に一昨日別の市で奪われた金と米がよぎる。
店主は慌てて立ち上がって道重の後を追おうとし、その最初の一歩目で勢いよく人にぶつかってしまい、押し返されてしまった