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消えない罪 消えない未来

作者: 桂樹さや
掲載日:2019/10/05

身を伏せたままの篠村が、まるで懺悔する罪人に見えたのだ。

ユリカの胸を憐れみがかすめ、そっとなだめる様に篠村の乱れた髪を撫でてやる。

「悪いのは篠村じゃないから気にしないで」

そう呼びかけても、篠村はユリカの膝にすがりつき顔を上げない。

彼は震えていた。

いつもあれ程に静かな男を、自らの幼い独占欲がここまで追い詰めたのか。

今更ながらにユリカは己の馬鹿げた行動を呪った。

「私の悪ふざけだし、黙ってればいい。誰にもバレない」

そう言い聞かせるように呟き、ユリカは自らの頬にかかる黒髪を耳にかけた。

長い髪の流れ落ちる肩や胸は、手形や鬱血の跡がまだらに散り生々しく赤い。

ユリカの声はかすれている。初めての行為の疲労のせいもあるが、怖かったのだ。

バレたらどうなるのか。

今は、それが怖い。

この家の一人娘の自分とその執事。二人の体が交ざった事が知れたらどうなってしまうのか。

篠村もそれを恐れているのかとユリカは思う。


ユリカは彼に自分を抱かせたのだ。

ユリカから一方的に誘い、篠村の理性を引き剥がすまで執拗になじって、彼の欲を手に入れた。


彼は私を怨むだろうか、嫌うだろうか。

それ以前に、微かにでも女として愛してくれたことはあったのだろうか。

顔を上げさせて問いたいが、これ以上彼を傷つけてまで何を求めるのだろう。

ユリカはシーツにくるまれたまま、無力に篠村を見下ろしていた。



翌朝。

ユリカを待っていたのは最悪の結末だった。

「篠村が、辞めた?」

朝食の時間、母の報告を聞いたユリカは呆然とその言葉をくり返した。

母は寂しそうに微笑んで頷く。

ユリカの脳が氷柱を打ち込まれたように痺れた。

「私も驚いたわ。そんな、急にね…でも、十何年も勤めてくれた篠村の初めての我が侭なのよ」

ユリカは黙ったままそれを聴いていた。

どこか実感が無く、言葉は心の表面をするすると滑り落ちるだけだ。

「我が侭、最初で最後になってしまったけれど…。だから引き留められなくて」


――私のせいだ。


どうしたらいい。

ユリカは真っ白に血の引いた顔で椅子から立ち上がった。

途端に鋭い痛みが秘所を突く。昨夜失った物が、痛む。

ただならぬユリカの様子に母も腰を浮かせるが、「大丈夫だから」とユリカはうわ言のように告げる。

心配そうな母の顔を振りきりユリカは部屋を飛び出た。

必死で篠村の部屋へと駆けるのに、貧血で揺れる世界は回り、夢の中を歩むようにもどかしい。

喉元を覆う襟首の、長袖のブラウスで隠したその身のいたるところに昨夜の痕がある。

全身が重く、痛く、ひどくだるい。

手首に真っ赤に残った篠村の手の平の痕も、噛みつかれたような胸の赤も、手荒なまでに抱かれた証。

篠村がそうなるまで、無理矢理に誘った愚かな自分の証だ。



「篠村っ!」

部屋の扉を突き飛ばすように開けて転がりこめば、まだ、篠村はそこに居てくれた。

安堵に思わずその場で崩れ落ちそうになる。

篠村は驚いたように瞳を開くが、ユリカの黒髪の乱れた様と、激しく上下する肩に彼女の強い焦燥を知った。

そして、彼は穏やかに微笑むと、ユリカに深く礼をした。

再び見る、許しを乞うようなその姿にユリカの全身が震えた。

片付けられた篠村の部屋。空になった棚。篠村は何も残さないつもりなのか、私物は郵送用に全て包み終えられている。

乱暴に開けられた扉は蝶番を軋ませながら緩やかに閉じてゆく。

扉が閉まる音に弾かれ、ユリカは怒鳴った。

「どうしてよ!」

篠村は顔を上げ、激昂するユリカを穏やかに見つめる。

「私が悪いのにっ。そんなに私が嫌なら文句の一つも言えばいいじゃない!」

わめきながら、ユリカは涙を滲ませる。

違う。どうして彼を責めているのだろう。こんな事をするはずじゃないのに。

あまりに醜い自分が情けなく、涙がボロボロと溢れ落ちた。

篠村は静かにユリカに歩み寄ると清潔なハンカチを差し出す。

「申し訳ありません」

もうやめて。

ユリカは悲痛な声で叫んだ。

「謝らないでよ!」

がらんとした部屋の空気を裂いて、それは反響する。

勝手に好きになって、執着して、どうしても篠村の思いが欲しくて酷い事をした自分。

謝られれば、その度に矮小な自分を目前に叩き付けられるようだった。

篠村は決して受け取られないハンカチをそっと戻すと、いいえと首を振った。

「悪いのは私なのですよ、お嬢様」

いつもの、いつも以上の柔らかな篠村の声。

ユリカは涙に濡れたままでキッと篠村を睨み上げた。

「どうして?」

篠村の表情は憎らしいほどに穏やかだ。

自らを睨み付ける強い視線すらも愛しむように、篠村はふっと瞳を細める。

白状をするように、ゆっくりと篠村は言った。

「私は、ずっと…お嬢様を束縛していました」

何を、とユリカは声を上げそうになった。散々束縛してきたのはこちらだ。

ユリカが幼い頃から傍らの篠村に無理を言っては困らせて、昨夜だって――


篠村は一歩ユリカに踏み出した。

そして、深く跪く。

「お嬢様、お慕いしております。…昔から、変わらずにずっと…」


ユリカは目を張って眼下の篠村を見る。

驚きよりも、信じられない気持ちが強い。

かすれる声で否定した。

「嘘…。昨日私があんなことしたから…篠村は私にそう言わされてるだけでしょ?」

「いいえ。愛しい方だったから、だから私はお嬢様を汚してしまった」

篠村の笑みは悲しそうな自嘲を帯びた。

「汚してしまうことを恐れていたのに、もっと前にお嬢様から離れるべきだったのに私には出来なかった。

…無意識の内に、貴方が私に依存するよう仕向けていました」

叱り、愛し、守り。

常に親以上に側にある大きな存在に、幼いユリカが傾倒しない筈などないのに。

「貴方を独占したかったのですよ。私だけを見ていて欲しかった」

篠村はユリカを仰ぎ見る。

ユリカは泣き出しそうな顔で篠村を見下ろしている。

「なら」ユリカの声は震えている。

「なら、どうして辞めてしまうの?…私を好きなら…側にいてよ」

それなのに、篠村は微笑んだまま首を横に答える。

「私は、私の欲望で貴方に傷を付けてしまいました。これ以上お嬢様の未来に干渉することは、許されません」

「…関係ない」

「私はもう大人ですし、執事です」

「そんなの知ってる。私は…私は篠村がいい」

「いいえ、ユリカ様はもっと良い方と幸せになれますよ。執事と添い遂げるよりもずっと幸せに」

篠村は何を言おうとしているのだろう。

ユリカはそれを聞きたくなくて焦っているのに、喉が震え言葉が出てこない。

「私はユリカ様の物です。ですが、ユリカ様は私の物ではありません。ユリカ様には…私では駄目なのです」

篠村は寂しそうに笑っていた。

大の男のはずなのにあまりにも儚げな笑顔だった。

「将来ユリカ様にふさわしい方が現れます。きっと、すぐに」


ユリカには未来がある。


これから誰かと恋に落ち、成長をしていくのだろう。

まだ小さな世界しか知らないユリカに、自分という人間が蓋をして閉じ込めることはできない。

屋敷の外に出てたくさんのものに触れて、そして一番大切なものを見つけてほしい。

それは、執事という自分に固執した、歪んだ目では決して見つからないだろう。

誰よりもユリカの幸せを祈っているのは篠村なのだ。

ユリカはただ黙って涙を落とした。何も答えられなかった。

昨日篠村と繋がっていた体が、ひどく痛かった。



小さな手荷物だけを提げ屋敷を後にする篠村を、ユリカは見送っていた。

「ねえ」

ポツリと、何かを思い付いたようにユリカがその背中に声をかける。

篠村が振り向いた先には、目元を赤く染めたユリカが俯いている。

「連絡はしてちょうだい」

篠村はユリカへと向き直り、頷く。

「はい」

ユリカは顔を上げると、ふいに笑った。

「まだ、判らないわよ。未来は」

篠村は虚をつかれたように息を飲んだ。

「大人になった私がやっぱり篠村を好きになる未来と、篠村がまだ、私を好きでいてくれるかもしれない未来」


篠村の愛する人は、晴れやかに笑った。

だから、篠村は思った。

いつか二人の歩む道が交わるのなら、それは罪に怯えることのない未来なのだと。



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