死の神
「どうも、こんばんは。1991年3月27日生まれ。27歳、ジスさんはあなたですか?」
「えっ、どなたですか?ここまでどうやって、、、。」
女性は驚いて顔がこわばっていた。彼女が驚くのも無理はない。彼女の目の前には真っ黒いスーツを着た謎の男が知らぬ間に立っていた。
「あなたは2019年9月9日午後22時13分。すでに亡くなりました。死因は過労死です。」
「えっ?私は死んだんですか?きゃぁあ!」
彼女の視線の先には倒れ込んでいる自分の姿があった。
「あなたの死体は翌朝警備員によって発見され、病院に運ばれますがすでに息を引き取っています。」
その男は表情を何1つ変えずに淡々と話をしている。
「本当に死んだんですね。」
「はい。では付いて来て頂けますか?」
いつも同じ決まり文句で、彼はまだ死を受け入れられていない死者の魂を最期の部屋に連れて行った。そこは名前の通り死者があの世に行く前に寄る部屋のこと。窓はなく扉は1つしか無い。最初入ってきた時はこの世からの扉だが、出る時にはあの世への扉になっている。絶望であり希望でもある扉だ。部屋の真ん中に彼の木製の大きな古いデスクががポツンと置いてあり、向かいには彼女たちが座る用の椅子があるだけで他に特に何もない。天井はどこにあるか分からないほど高く、壁に引き出しが無数に埋め込んである。そこにはこれまでの死者の情報が収められている。こんな殺風景な部屋が最期の部屋だなんて、死者も可哀想だ。
「まだ受け入れられてないかもしれませんが残念ながら亡くなられました。」
部屋に入ってデスクに座ったその男はしっかりと彼女の目を見つめた。
「か、過労死なんですよね。」
「はい。」
彼女の手には仕事で使うのだろうかくしゃくしゃになった資料が握り締められていた。あまり家に帰れてないのだろうか、目の下のクマやヨレヨレになった服、ボサボサ髪が目立つ。しかしどこか感じさせる品は彼女の以前の姿の痕跡だろう。心も体もボロボロになるまで働き続けた彼女は今日死んだ。誰か悲しんでくれる人はいるのだろうか、彼女の死で誰かの命が救われるための第一歩になるのだろうか。男はそんなことを考えていたら彼女は深いため息をつき、自身のことを話し始めた。
「私、新入社員のころ全然仕事が覚えられなくてヘマばっかりしてトイレでよく泣いていたんです。そしたら先輩がたまたま来てくれて、「なに泣いてるの。泣いてたってミスは取り戻せないわ。その分あなたは他の新人より多く働かなきゃ。働いて働いてミスして覚えていくの。最初から出来るなんてこっちだって思ってなんかないわ。ほら早く戻って一緒に部長に謝りましょう。」
って励まされたんです。私、人一倍働かなきゃって思って、残業も休日も返上して頑張りました。そしたら、だんだんミスも減ってきて、売れ上げも上がってだんだん仕事が楽しくなってきたんです。そしたらどんどん周りが私に仕事を押し付けるようになっていって。最終的には1番信頼していた先輩にも仕事を押し付けられるようになりました。でも私嫌だって言えなかったんです。そして気がついたら残業、残業、残業で自分の時間なんて全くない。休日まで出社して1人で永遠と働いていました。そのうち恋人とも別れ、気がついたら友達もどこにもいなくなっていました。もしあの時私がノーと言っていたら死なずに済んだんでしょうか。」
彼は何も言わず、デスクの引き出しからロウソクとマッチを出すと火をつけた。オレンジなのか赤なのかそれともピンクなのか、どんな色とも表せない色の炎がゆらゆらと燃えている。なんだか今までの人生が全て詰まっているかのようだ。
「誰であろうと死を逃れることはできません。0歳だろうが100歳であろうが死ぬんです。その運命は変えられない。それが死です。今更後悔したってもう生き返ることはできません。だから考えなくていいんです。誰でも人生は後悔の連続です。最後くらいね。」
彼はロウソクを彼女の前に置いた。そしてさらに話を続けた。
「自分のこのロウソクの火を消してください。そうすれば現世の記憶が全て消えます。」
このロウソクは彼女自身なのだ。最期は自分自身でその命を終わらせる。
「消さなければいけませんか?消してしまうには惜しい、いい思い出も沢山あるんです。」
「皆さん聞かれますが、消した方がいいですよ。現世の記憶を持ってあっちに行ってもいい事なんてないんです。きっと向こうでは最初は楽しく過ごせるでしょう。しかしだんだんと家族や友人、仕事のことなどが気がかりになり、きっと死んだ事を悔やみます。しかし生き返ることは出来ない。悩んで悩んでそして気がつくんです。記憶を消しておけばよかったと。神の配慮ですのでぜひ。」
彼女は決心をしたのか真面目な表情になり、息を吹きかけて火を消した。一見残酷に思えるかもしれないが、死者を思えばこそ記憶を消させるのだ。彼は入ってきた扉を開けると、最期に話しを始めた。
「私は海と死って似てると思うんです。外から見ればとても綺麗に見えて美しい世界に見える。しかし本当は冷たく残酷な世界です。あなたは今、死という深い海の中に1人で浮いています。押し寄せる後悔と不安という波に飲み込まれて自分の目指す方角を見失うこともあるでしょう。でもそんな時は空を見上げてみてください。きっと希望という月が、星が輝いてあなたを導いてくれます。この部屋を出た瞬間からあなたはこれから長い長い航海に出ます。あなたなら大丈夫。きっと大丈夫。神様が見守って下さっています。」
ジスは笑顔で部屋を出てあの世への階段を登り始めた。
「おっと、紹介が遅れ申し訳ない。」
彼は扉を閉めると椅子に座り、自己紹介を続けた。
「私は死神だ。名前なんてものはない。死神の仕事を始めてから今年で271年経つ。私も君と同じ人間だった。だが前世の記憶が無いから人間時代のことは何も分からない。しかし1つだけ分かっていることは前世で罪を犯していることだ。前世で罪を犯した者が神に許しをもらえる日まで、償いのために死神として働くのだ。」
死神の表情は何故かとても悲しそうだった。
「さて、わたしの事よりも死神の仕事についてお話ししよう。死神は死者の魂をこの世からあの世へと送るという仕事をしている。人間がこの世に生まれると、カードが発行される。そこには死者が死ぬ日と場所、死者の名前、生年月日、年齢、死因が書いてある。私たちはそれに従って同時刻にその場所に行き彼らの死を見届ける。そして死んだことを自覚させ、あの世へと送り届ける。長年この仕事をしていると、ついて来ない魂もいるが、そいつらはこの世を彷徨う幽霊となる。幽霊になった魂は俺たちの仕事の対処外だから関係ない。俺たちの仕事は死者をこの世からあの世へ送り届けるということだけだ。そして重要なのが死神には守らなければいけない掟が三つあることだ。一つ、『人間の命に関わってはいけない。』。人間の寿命は生まれた瞬間から決まっている。その定めは自分では変えられない。変えられるのは神と死神だけだ。しかし、死神は神との契約で絶対に殺したり、助けてはいけないことになっている。そのため神のみぞ命を操ることができる。まれに神の気まぐれで助かる人間がいたり、突然姿を消す人間がいる。人間たちはそれを奇跡や神隠しと呼ぶ。だが、ぶっちゃけ本当にやめて欲しい。こっちは数日間徹夜で書類を作り、証拠品集め、あとどのくらい寿命を延ばすのか、死因はどうするのかなどの会議に追われ、残業ばかり。過労死するほどに働かれる。死神だから死ねないが、、、。二つ、『人間に存在を明かされてはいけない。』。死神は人間に溶け込んで生活を送る。神の気まぐれなのか、何故か死神も腹は減るし、眠くなるし、恋だってする。さらに私たち死神にも給料は出て、その金で生活するのだ。当然税金も取られる。社会保険も取られているが、死神になぜ社会保険、健康保険があるかは一生かけても解らない謎だ。とにかく死神も人間もさほど変わらない。生きてるか死んでるかだけの差だ。そのため死神も人間たちに溶け込んで生活を送らなければいけないため、その存在がバレてしまってはいけないのだ。三つ、『力を乱用してはいけない。』。私たちは死神として生まれたその日から力を授かる。きっと君が想像した力はほぼ揃っている。だが、死者を生き返らせることは出来ない。これらの力は魂を送り出すために持たされた力であって、私利私欲のためにあたら得られた力では無い。しかし便利なものは使うに限る。あまり目立ったことをしなければオッケーって感じだ。まぁ、三つ目の掟は暗黙の了解といった感じだな。しかし人間に危害を加えるとその死神は、、、。死神界ではそのことはタブーとされている。だがきっと誰もどうなるか知らないからだろう。私のような新米死神は当然知らない。とにかくこの掟を破ると違反度に応じて始末書や罰金など罰が課される。一番酷いものだと一生死神として働かなければいけないという刑だ。」
死神の表情が一気に硬くなった。
「不老不死なんて聞こえのいいものじゃ無い。人間は死を恐れ、永遠の命を望むが不老不死の本当の恐怖を知らないだけだ。周りが人っ子ひとり居なくなるが自分はずっと姿形全てが変わらない。永遠に人の死を見届けるだけの運命なのだ。姿形が変わらないのだからずっとその場所にとどまってはいられない。次々と住処を移し人間から隠れて1人で過ごす。しかし、そこには今までの全ての記憶が存在する。楽しかった思い出や初恋の思い出、死んだ友人のこと、後悔などがだ。たくさんの辛いものを背負ってまで永遠に生きたいか?私はノーだ。しかし死神の場合は前世の記憶がないのは神の最大の罰だと私は思っている。前世で何を犯したかも分からず罪を永遠と償う恐怖が分かるか?地図もない暗闇の中を永遠と1人で進み続ける恐怖が。夜になると明日には死ねますようにと神に願う。でも皮肉なことに人の死は分かるし、命を奪うことだって出来るのに、自分の死ぬ日など分かるはずもないし、自ら死ぬことさえできない。それに比べたら人間は、、。取り乱してすまない。まぁだいたい死神のことは分かっただろう。では私は仕事があるから失礼するよ。またいつか会おう。」