第80話 風邪引く
「雨止んでよかったなー」
「合羽着るの面倒いからな」
先日始まった梅雨の影響で、昨日は一日中雨が降っていた。
幸い今日は雨が振らないらしいが、薄く雲に覆われて窮屈になった空に登校中にも関わらず少し気分が下がる。
「梅雨……嫌い」
雨の影響で髪の毛が上手く整えられず、朝から不機嫌な冬火。
髪質が違うのか、湿気の中でも特に何ともない俺の髪を弄りながら散々恨み言を話すのは止めて欲しかった。
「うおっ危ねえ」
「そのまま濡れればよかったのに」
道に点在する大小様々な水溜り。
その一つを自転車のタイヤで踏みつけそうになった歩が、大げさな動きで端に避けた。
どうせなら踏みつけて濡れた方が面白かったのだが、運のいいヤツ。
「あ、夏日前トラック」
「んー……うおっ!?」
気づいた時には既に目の前に水の壁が迫ってきていた。
――――――――――
「……」
「夏日ちゃんおは――えっ、どうしたの大丈夫!?」
「びしょびしょじゃん! 誰かタオル!」
教室。最悪な気分でドアを開けると、俺の姿をみたクラスメイト達が一斉に騒ぎ出した。
挨拶を返す気力も、状況を説明する気力も出ず、真っ直ぐ自分の席に向かう。
「……チッ」
「夏日ちゃんが舌打ち!?」
椅子に座り机に突っ伏すと、濡れたスカートが膝裏に引っ付く何とも言えない不快感に思わず舌打ちが出た。
突っ伏した机が自分の体温で温まり、濡れた体と机の境界が曖昧になって溶けていきそうだ。
「ほら、体持ち上げて。髪拭くから」
「ん……」
冬火に体を持ち上げられ、髪の毛をタオルで拭かれる。
ふわふわのタオルからは人の家の匂いがする。誰かから借りてきたのだろう。
「何があったの?」
「……」
「夏日ちゃん?」
「……」
「トラックに水溜りの水かけられたんだよな」
クラスメイトの一人に話しかけられたが、言葉を返すのも億劫で無視していると、代わりに歩が答えてくれた。
トラックが通った時俺一人が前を走ってた為、冬火と歩には水がかからなかった。
どうせなら全員ずぶ濡れになった方が良かったのに。
「ああ……不運だったね。みんなー夏日ちゃんトラックにやられたんだってー」
「よし、そのトラック見つけ出してやる!」
「運転手に復讐だ!」
歩から聞いた子の言葉に再び教室内が騒がしくなる。
「うーん。タオル一枚じゃ足りないなぁ……」
「えーと、冬火さん」
「ん? どうしたの奏くん」
「僕ので良かったらだけど……使う?」
「うん! ありがとう! ちょうどタオルが意味なくなってきてたから助かったよー」
濡れて役割を果たせなくなったタオルの代わりに、新しいタオルが髪に当てられる。
当たり前だが、奏の匂いがする。
知っている匂いに包まれて、少しだけ荒んだ気分が落ち着いていく。
「こんな夏日ちゃん見るの初めて」
「調子悪い時ぐらいだもんなこうなるの」
奏と歩の話し声を聞きながら、ぼーっと机の木目を見る。
「よし。大体拭き終わったよ」
「ほら夏日、これ貸してやるから着替えてこい」
冬火が髪を拭き終わると、歩が体操服を渡してきた。
今週は体育が無く、俺も冬火も体操服は持ってきてなかったので、持ってきていた歩のを借りる事になった。
「……んっ」
「待て、それは後で返してくれたらいいからまだ着とけ」
歩に着せられたジャケットを脱ごうとすると止められた。
濡れた直後に下着が透けてるからと着せられたが、カッターシャツが乾かず肌に張り付いたままなのが気持ち悪くて早く脱ぎたい。
「……はぁ」
動く事すら面倒臭いが、仕方なく更衣室に歩いて行った。
――――――――――
「おい夏日。次移動教室だってよ」
「……」
「夏日ー?」
「……」
「ちょっと失礼――あっつ。てかめっちゃ顔赤いな」
「んぅ……」
冷たい……
頭の中に熱がこもるような不思議な感覚。
その熱が体にまで回ってきた頃、熱で思考が上手く回らず、ぼーっとしていた俺の額に大きな手が当てられた。
「せんせー」
「どうしたの真矢くん」
「夏日熱があるっぽいんで保健室連れてっていいですか」
「早く連れていってあげて」
「はーい。本当に調子悪かったとはな。ほら、夏日行くぞ」
目の前に差し出された手。その方向を辿るように見上げると俺の方を歩が見ていた。
「……?」
「あー、頭回って無さそうだな……立てるか?」
言われた通り足に力を入れて立ち上がろうとするが、上手く力が入らず立ち上がれない。
それどころか、急に動こうとしたからか椅子に座る事すら怠くなってきた。
頭を左右に振り、出来ない意思を歩に伝える。
「はぁ……しゃあない」
脇と膝裏に手を入れられると、少しの浮遊感。次の瞬間には歩の体が隣にあった。
「お姫様抱っこじゃん! 歩くんやるぅー!」
「ヒューヒュー!」
「あーもう、うっせぇ」
持ち上げられただけだと落ちそうで怖く、落ちないように歩の中でモゾモゾと動いて歩の方に密着するように寄った。
顔を意外としっかりしている胸板に押し付けると、ヒヤリと少し冷たいシャツが気持ちいい。
「ちょ、な、夏日?」
「ぅん……」
「夏日の事頼んだよー」
「頼まれた。最悪姉ちゃんが車出して帰すわ」
曖昧になった意識の中で、冬火と歩の会話だけが聞こえていた。
―――――――――― 歩
「じゃあ風邪でほぼ確定ね」
「電車バスと通学中濡れっぱなしでしたからね……」
保健室。連れてきた夏日をベッドに寝かせると、しばらくして少し苦しそうな寝息が聞こえてきた。
なるべく授業の時間を潰せるように、保険の先生に事情を事細かに説明した。
「ここで寝てても良くはならないだろうからお家帰らせてあげたいけど……」
「じゃあうちの姉が車出すんで帰しますよ」
「……大丈夫なの?」
「まあ、昔からの付き合いなんで」
「じゃあ私は先生達に話してくるわね」
「はーい」
俺も電話かけるか。




