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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編

ソルティキャット

作者: 牧田紗矢乃

マグネット!公式企画「三題噺 短編コンテスト」参加のため書き下ろした短編を掲載しています。

お題は「黒猫」「岩塩」「唇」

 私と彼女が出会ったのは、学生時代の友人が経営するバーだった。バーという名のくせに料理に力を入れている。オシャレ居酒屋と言ったらマジギレされたけど、間違っちゃいないと思っていた。

 いつも通りカウンター席に着くと、注文するまでもなくソルティドッグとチーズが並べられた。グレープフルーツの爽やかな風味を楽しみながら、オーナーの彼とぽつぽつ会話する。普段と変わらない週末の風景だった。


 彼と別の常連との会話を小耳に挟みながら、私は店の奥に何気なく視線を向けた。

 そこにいたのは見知らぬ女性だ。

 艶やかな黒い髪に切れ長の目。真っ黒なワンピースをまとった肢体がしなやかに動くさまは黒猫を彷彿とさせる。凄く綺麗なひと。それが第一印象だった。


「ねえ、あの人常連さん?」


 見慣れない人だけれど、この空間にしっくりと馴染んでいる。ミステリアスな彼女が気になってつい彼に声をかけてしまった。

 会話を遮られた彼は、少し含みのある言い方で返してきた。


「あー……、いや。ここに来るのは初めてかな」

「なに? 元カノ?」


 私がぐっと詰め寄ると、彼は軽く身を引いて笑った。唇の端から可愛らしい八重歯が顔をのぞかせる。


「いとこだよ。父さんの妹の娘。俺の二コ上。

 ……失恋したって言うから、うまいもん食って元気出してもらおうと思ってさ」

「へー」


 いいことを聞いた。最後の方は聞き取るのがやっとの小声だったのが、よりリアリティを増していていい。

 私の心を読んだのか、彼は私の前へ何かを差し出す。


「お前はこれでも食っとけ。サキ姉には手ぇ出すなよ」

「サキさんっていうの」


 私の手のひらに乗せられたのは手にピッタリ収まるサイズの岩塩。淡い赤が宝石のようだ。

 削りもせず乱暴なプレゼントだこと。まあ、ありがたく頂戴するけど。


「……っおい! それ高けぇんだぞ!」


 慌てた声と共に、彼がカウンターから身を乗り出して私の岩塩を奪い取ろうとする。

 もらったんだから丸かじりしたっていいじゃないか。

 私と彼のやり取りを面白がるように、サキさんがこちらへやってきた。


「なぁに? 彼女?」


 ハスキーな声で問いかけてくる姿は、まさに理想通りだった。


「サキ姉……、気を付けろよ。コイツ女を食うから」

「わー、ひっど。初対面の日にそういう紹介はなくない?」


 風評被害も甚だしい。アンタのせいでこの恋が実らなかったらどうしてくれんのよ。

 ……なんて文句は言えないから、困り顔を作ってぶりっ子する。

 彼は渋い顔をしたけれど、サキさんはなんだか楽しそうだった。


「こういう綺麗な子はね、男が放っておかないのよ」


 ふふ、と意味深長なセリフを吐く。それすらさまになるのだから凄い。笑うとのぞく八重歯は彼とサキさんに血のつながりがあることを暗に示しているようだった。

 そうそう上手くはいかないんですよ、残念なことに。


「私、男の人よりサキさんに構って欲しいなぁ」


 ……なんて。付け加えようとした私を、サキさんの眼差しが射抜いた。


「今そういう冗談言われちゃうと、おばさん本気にしちゃうぞ」

「おばさんなんて! サキさんはすっごい綺麗だし、好みど真ん中ですよ!」


 思わず本音が口をつく。サキさんは口元を手で隠して肩を震わせているから、本音だとはバレていないとわかった。


「私本気ですから!」


 酔いが回っていたせいか、柄にもなく宣言してしまった。

 猫のような瞳が驚きで見開かれる。カウンターで見ていた彼が慌てているのがなんとなく感じられた。


 よく見てみれば、サキさんの目はほんのり赤みを帯びていた。そういえば失恋したばかりって言ってたっけ。そんな時にこうやって誘うのは良くなかったかな……。

 自責の念に駆られていると、サキさんのしなやかな指が私の髪を撫でた。


「ありがとう」


 優しい声を聴いていると、なぜだか涙が出そうになる。


「あのバカが言ってた通り、私の恋愛対象は女性です。けどね、だからこそなんですよ。同性だからこそ気付けることとか、共感できることとかいっぱいあるし。その辺の変な男よりずっと、ずっとずっとずっと、サキさんのこと幸せにできると思ってて……」


 お酒のせいで頭が回らない。言いたいことがまとまらない。涙ばっかりが溢れてくる。

「あのバカ」なんて言っちゃったけど、サキさんからすればいとこなんだっけ。そんなことさえ忘れてしまうくらい、私は酔っていた。

 その間もサキさんは「うんうん」と頷いてくれて。まとまらない言葉を出し切るのを待っていてくれて。初対面の人になんてことしてるんだろうと思いながら、私は自分を止めることができなかった。




 私がひとしきり喋りきって落ち着いた頃。サキさんは席を立った。


 ――ああ、ほら。私のばか。


 嫌われたとばかりに思って脱力しかけた私の腕を、サキさんが引いた。


「おうちどこ? ずいぶん酔ってるみたいだし、近くまで送るよ」

「……え」


 いろんな考えが頭をめぐって、それら全部を振り払う。

 サキさんは優しいから。気を遣ってくれただけ。

 代金をカウンターに置いて、私も席を立つ。今日はちょっとだけサキさんに甘えさせてもらおう。帰り道は私の話じゃなくて、サキさんの愚痴でも聞いてあげて。嫌われたぶんを取り返せるなんて思っちゃいないけど、贖罪の代わりにでもなればいいな。


 お店の中にいた時は気付かなかったけれど、外はひんやりとした夜の風が流れていた。冷えた空気で酔いが中和されていくのがわかった。明りのまばらになった住宅街には、音をすべて飲み込んでしまう静寂が横たわっている。

 静寂が全部飲み込んでくれる。悲しみも、愚痴も、かすかに芽生えた恋心も。だから二人で歩くにはぴったりだ。


「ねえ、さっきの話って本気?」

「さっき……?」

「幸せにしてくれるって言ったでしょ?」

「あぁ……」


 どう答えたものか。

 さっきまでは彼がいて止めてくれたから、なんとかなったけど。

 私が考えあぐねていると、黒猫のような彼女は立ち止まって小首をかしげた。


 ――ハイヒールを履いてるのもあるけど、サキさんって背が高いんだなぁ。頑張って背伸びしても身長が並ぶかどうか……じゃなくて。

 言うべき時はきちんと言わないと。

 私は意を決して口を開いた。


「私、サキさんを初めて見た時から惹かれてたし、できる限り幸せにしてあげたいと思ってます。……でも、私でいいんですか? 女ですよ?」


 答える代わりに、サキさんは猫のように目を細める。それを同意と受け取った私は、ちょっと背伸びして彼女の唇を奪った。

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