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邪神さま、漫画など読む。

 それからソウタは事あるごとに、邪神さま―――咲のもとを訪れるようになった。


 ソウタは学校に行っていない。親は母親のみ、シングルマザーだった。いわゆるネグレクトの傾向があり、お世辞にも満足に食わせてもらっているとは言えなかった。ひと房のバナナで一週間どうやって食いつなごうか、そんな計算がごく自然にできてしまうような環境だった。


 それでも小学校はなんとか通っていたが、中学に上がる頃、母親がこの教団に入れ込み、世にいうところの出家――実は借金がらみで夜逃げ――同然で本部に住み込むようになった。当然ソウタもついてきて、というか連れてこられてそれ以来学校には行っていない。まあ、捨てられなかっただけましというものだが、それが幸運だったかどうかは本人にもわからない。


 それでも今は周りに人がいるので、ひもじい思いはせずにすんだ。

 みな気にかけてくれて、厨房にいけば何かしら食わせてもらえた。今までからすれば天国のようだった。


 しかしそれまでの不摂生がたたり、同年代と較べてソウタは身体も小さく、やせこけていた。


 だが咲を見ると、ソウタ以上にちいさくか細く、折れてしまいそうなほどの繊細さだった。同じ十五歳――数え年だから十四歳になると思うが――とは思えなかった。


 腕っぷしにはまったく自信がないソウタだったが、咲を見るたび「邪神さまは、おれが守って差し上げなければ」と、子供っぽい義侠心を燃え上がらせていた。


 もしかしたらそれは「おれの女はおれが守る」という独占欲の発露だったかもしれない。


 が、当面戦う相手がいるわけでもなかったので、ソウタは咲が喜びそうなものをさまざま持参して遊びに訪れていた。ゲーム、漫画、本や手芸品や、アクセサリー。男の子なのでアクセサリーのたぐいはよくわからなかったが、ソウタが何か持ってくると咲はたいそう喜んでくれた。


「また何か持ってきてくれたのかや?」


 咲が嬉しそうに言う。今日は漫画だった。それを咲は手に取り、表紙をしげしげと眺める。


「今日はまた……異形のものが、子らをみちびくのか……。子らは……さぶらいびとのわざ? うむ。あらまほしき子らじゃな。異形は子らをよく教え、子らも異形を慕っておるのじゃな。うるわしきかな」


 咲は本に触れただけで、その本質を読み取ることができる。今日の漫画は、異形の怪物が中学校の教師となり、みずからを暗殺のターゲットとして生徒たちに狙わせながら、さまざまなことを生徒たちに教え、成長させてゆくというお話しだ。それを一ページも開かず読み取っていく。


「わ、あわわ。どうなさいました咲さま?」


 突然、咲がぽろぽろと涙をこぼした。


「なんとかなしきかな。おのが命を子らの糧に差し出すのか。子らも想いの深きゆえに、異形を手にかけるのか」

「すごい……。咲さまは本当に、本を開かなくてもお話しがわかってしまうのですね」


 感心するソウタに、咲は指で涙を拭きながら言った。


「よき絵草紙だのう。ソウタのお伽話は、どれもよいものばかりじゃ」

「うーん、おれが描いたわけじゃないんですけど」

「でも、よきお話しじゃよ」


(ま、いいか)


 にこにこと褒めてくれる咲を見ていると、こちらもほんわかと幸せな気持ちになってくる。


わらわ現世うつしよを知らぬゆえ、ソウタの持参する草紙はとても、その、勉強? になるよ」


 咲は漫画といわず哲学書といわず、どんな本でもあっという間に読み下してしまう。本を開かない時もあるし、開いてページをめくる時もある。が、もの凄いスピードでめくる。読んでいる、というより、ページをめくる感触を楽しんでいるようだ。それでいて内容はほぼ把握している。

 真綿が水を吸うように、という表現があるが、今の咲はまさにそんな状態で、現在の言葉や価値観、風俗風習などをすさまじい勢いで学んでいた。


「ソウタの、漫画、で今の言葉も覚えた。これで妾も女御にょうごたちとも話ができるかのう」

「咲さまは、その……お淋しいでしょうね。家族も友だちも、千年も前にみんな別れてしまって」

「妾は異能のゆえに、ずっと奥に居た。友だちなど、いなかったよ」


 咲の言葉には、さしたる感情は含まれていなかった。


「十五の時に社に封じられて、月日の過ぎるのも知らず、としるさまも知らぬ。ずっとおのが心のうちとたわむれていた。おのれの生み出したまぼろしと語らい過ごしていたよ。ふふ、現世にいるよりずっと楽しかったかも知れぬな」

「ずっとおひとりだったのですか」

「今はソウタがいるからの。とても楽しいよ。生きていてよかった」


 ソウタの悲しそうな顔を見て、咲は慰めるように笑った。


「ソウタは、優しい仔だの。さぞかし、もてるであろ?」

「……咲さま。なんだか言うことが急に俗っぽくなりました」

「『もう邪神なんてぇ、ありえなくね? やってらんないマジ最低』」

「…………。」

「どうじゃ。きわ(はやり)の言葉もこのとおりじゃ」

「……お願いですからやめて下さい。そんな言葉を教えたなんて知られたらおれ、みんなに絞め殺されます」

「そうか」


 咲はすましている。神かどうかは差し措いても、あんな言葉は咲には似合わない、と思ったのはソウタのひいき目というものだろうか。


「おおそう言えば、妾の格式を上げたいとミヅチが申しておったな」

「教祖さま、ですか?」

「うむ。なればソウタ、そなたを陛下の者に任ぜよう」

「ええと……」

「取り次ぎの者じゃ。妾が言葉を、そなたが謁見の者に取り次ぐのじゃ。『~と、邪神さまはおっしゃっています』とな。それから、謁見の者の言葉を、そなたが妾に奏上する。誰もじかに妾と話すことはできず、ひとりソウタのみが、我が言の葉を扱える陛下の者となる。どうじゃ」

「すごいお役目ですね。すごすぎて、ちょっと怖いです」

「なにを言う。ソウタは妾に、たくさんの言葉と智慧を授けてくれた。だから妾の言霊を、そなたに託す。当然のことであろう?」


(たいへんなことになった)


 事の重大さにソウタは内心尻込みしたが、咲は自分の思いつきがいたく気に入ったらしく、にこにこと言葉を継いで話し続けたのだった。



 ◇



 ほどなく、ソウタは呼び出された。教団のかなり偉い人――ソウタはちっとも信心篤くなく、信者というより居候に近かったので、名前は知らなかった――に、公式の場での邪神さまとの取り次ぎ役を言い渡された。


 その後、ソウタは世話役の信者たちに引き渡されて、体裁を整えるよう命じられた。

 ご神体の側に控えて取り次ぎの役を果たすのであるから、それに相応しい格好が必要だ。最初は教団の服を着せられたが、それではちっとも威厳が足りなかった。ただの駆け出し信者にしか見えない。


 そこで、神職の装束、直垂、水干と、いろいろあてがってみたが、元々の体型が貧弱なため、どれも漫画のようになってしまい、今ひとつぱっとしない。その中では、戦後の巫女装束でもあったという水干すいかんが比較的ましなように思われた。うまく飾れば牛若丸見習いくらいにはできるかも知れない。


 そしていろいろあてがった結果、浅葱色の水干に朱色の差袴さしこと決まったものの、どれだけ下駄をはかせても巫女見習いがせいぜいだった。まあ駆け出し信者よりは数倍マシではあったが。


 これに化粧を施してみると、なんとなく中性的な巫女っぽい風情の造作が出来上がった。出自由来は怪しいものだが、取り敢えず雰囲気はこれで何とかなろう。


 この佇まいで、ソウタは公式の場で咲にはべることになったのである。



 ◇



「おお、ソウタ。なんとき姿じゃ」


 週に一度の信者の参集の時。大広間に続く控えの間で、初めてソウタのその姿を目にしたときの咲の喜びようといったらなかった。


 尻尾があったらちぎれんばかりに振っていたかもしれない。代わりに咲は嬉しさの感情を全開で放出したのである。


「咲さま、おさえて、おさえて」


 ソウタは一所懸命訴えた。咲の感情の波を浴びて、その場にいた世話係は心臓を直接つかまれたかのような、強烈な衝撃を味わってうずくまった。一部広間にも伝わったかもしれない。


 咲の感情は無邪気である分、凶悪なまでの威力を持つ。言うなれば巨大な体躯の大型犬が己の力加減も知らずじゃれてとびかかってくるようなものだった。そんな凶暴な体当たりをくらったら、ソウタのようなひ弱な少年など一撃で吹っ飛んでしまう。


「あいすまぬ。嬉しかったのじゃ。見知った者が側にいてくれるのは心強い」


 やりすぎたと気づいて、咲はちょっとしゅんとしている。その様子を見てソウタは、頭をなでてやりたい衝動に駆られた。


 だだっ広い大広間にたくさんの人。知らない大人たちに囲まれて、いつも独りぼっち。どれほど心細かったのか、咲の心の裡がしのばれた。


「大丈夫ですよ。今日からおれが露払いです。でもこの格好、おかしくないですか?」


 ソウタは両袖を挙げてみせる。化粧もしているし、なよなよしているような気がして仕方がない。

 そんなソウタに、咲はにこにこと微笑みかけた。


「よく似合っているよ。これならわらわの言霊も、よろこんでそなたに仕えよう」


 こうして、参集の儀が始まる。まずはソウタが咲のお付きの者とともに広間に進み出て着座し、平伏する。それに合わせて一同が平伏し、その後少しの間をおいて、咲が長いを摺りながら御簾の奥へと進む、という段取りが出来上がった。


 この日、咲はひそかにソウタのお披露目の日と心に決めていた。しかし咲が言葉を発する機会はなく、したがってソウタの仕事もなかった。咲はそのことを大変に残念がったため、前の方にいた信者に訳もわからず悲しみの涙を流させ、またもソウタをはらはらさせた。


「ソウタぁ……」


 退出してきた咲は今にも泣き出しそうだった。ソウタのお披露目が果たせず、悲しいやら悔しいやらでソウタにすがりつかんばかりだった。


「咲さま、おれなんかの心配をしてくれて、ありがとうございます」


 咲の感情の荒波にさらされながらも、ソウタは嬉しかった。これまでソウタは、誰にも心配されたことがなかった。実の母親にすらろくに関心を持ってもらえず、そんな人間関係しか知らなかった。


 だから咲が我が事のように自分を思ってくれているのがわかって、初めて感じる心の動きに戸惑っていた。これは『嬉しい』という感情なのだろうか。


「ソウタ。あいすまぬ。せっかくのそなたのお披露目であったのに……妾は残念でならぬ」

「そんな。おれは咲さまの露払いですから、心配いりませんよ」


 ソウタは笑って、しょんぼりする咲の頭をなでた。泣きじゃくる少女と、それを笑顔でなぐさめる少年。その様子は二人がまとう衣服とあいまって、まるで絵本の中の光景のようだった。周りにいた世話係の者たちはその二人をほほえましく眺めるのだった。なんと可愛らしい、似合いの二人であろうと。




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