あたたかい―――
「………うぅ………さむい……………」
冬の夜は、思っていた以上に冷え込む。
厳しい冬の季節に唯一とも言える自然の温もりを与えてくれ御天道様は、夜になるとおさらばしてしまい、今、空にあるのは、無数の真っ黒な雲。 それは、まるで毛皮の絨毯を部屋全体に敷き詰めたかのようにも見えるような光景が、ただ見上げるだけでハッキリと理解することができるだろう。
そして、それに合わさるかのように、北風が吹き荒れる。 その冷たい風が俺の顔に目掛けて、なだれ込こむように当たってくる。
さむい ―――――――
まさに、この一言に尽きる。
朝の天気予報では、夜になると昼間とは打って変わって、かなり冷え込むという発表がされていた。 俺はその情報に合わせて今日の服装を選んできた。 スーツに近い恰好に、全身を覆い隠せるほどのロングコートを着こなしてみせ、防寒対策はバッチリなはずだった……………
だが現実は、そう易々と俺の考え通りに働いてはくれなかったようだ。
全身を覆ったと言っても、首より上は無防備だ。 裸同然とさえ言えるような状態だろう。 その露出された肌に目掛けて、寒い北風が容赦なく吹き付けては、俺の体温をジワジワと奪っていく。
どうやらあの北風は、俺が凍えて身震いしている様子をあざ笑っているようだ。 今日、俺がここに居ることに対して嫉妬でもしているんじゃないのだろうか?
ふっ……それもそのはずだ。 何せ、俺がここに居るのは、とある人を待っているからだ。
その人は、俺にとっては大事な人なのだから―――――
―
――
―――
――――
その人と出会ったのは、あの年の春。
始めてその人と会った時は、俺の隣の席に座っている人でしかなかった。 隣だからと言って、話すことなどあまりなかった。 何故なら、俺とその人とは次元が違うような姿勢で学校生活を送っているからだ。
その人は、陽気で人当たりのいい性格をしていたので、クラスの中に存在する小さなコミュニティの中で、時には聞き手に、時には話し手として、必要不可欠な存在となっていた。 さらに付け加えるとすれば、クラスのみならず、部活動や委員会活動においても頼りにされる存在として自分の地位を確立なものとしていた、といったところだろうか。
それに比べて俺はどうだろうか?
常に無気力きみで学校に来ては、誰とも関わりを持たず、どこにも所属することもせず、ただ授業を受け、昼飯を食って帰るだけの単純作業を毎日黙々と繰り返しているような、はぐれ者にすぎないのだ。
何も無いような生活をしているそんな俺でも誇れるものがあるとしたら、学力に関してだけは、常に上位ランクに居座っていることくらいだ。 小さい頃から勉強には自信があった方だ。 すべては親の教育が良かったからだろうと思おうが、それに関して感謝することなどなかった。 親は、徹底して俺に勉強を押しつけてきた。 善と悪、ましてや、右と左も分からない時から俺は勉強という名の糠漬けのツボに付け込まれてきたのだ。
その結果どうなっただろう、友人?上下関係?社会?礼儀?何だそれ、おいしいのか?
こうした考えが今の今まで続いてきたのだから仕方が無いのだ。 周囲との関係を絶たれた時間を十何年間も続けてしまえば、どんな人間だって世間知らずになっちまう。 その完成体が、俺だ。 始めの頃、周囲はそんな俺のことが物珍しく近寄っては来るものの、ツボから取り出された腐りかけの俺に接するやいなや、そそくさと退散していくのが定石となってしまっていた。 ということはつまり、俺には友人はおろか、相談相手になってくれる人すら存在しないのだ。
俺自身、変わりたいと思っていた時期もあったが、何度やってもうまくいかず、いつしかこのままでいいと思って考えることをやめてしまっていた。
何気ない平凡そのものの学生生活を横臥していた俺にも春はやってくるものだ。
その人は、俺の隣の席に座るやいなや、「よろしくね!」とニッコリとほほ笑んで挨拶をしてきた。 その返答はちゃんとしたのかって言われるかもしれないが、さすがの俺でも、幼稚園生でも分かるような礼儀は知っているつもりだ。 「よろしく………」と何も期待せず、表情を一切変えずに挨拶を交わした。
この人もまた、いつものように遠ざかって行くのだろうな………
そんなことを考えながらもいつもと変わらない学校生活を過ごしていた。
そんなある日のことだ。
科学の時間で、俺の学校では、ある意味有名な先生が教壇に立って授業を行っていたのだが、その時の内容があまりにもグダグダで、まともに授業を受けること自体が億劫になるくらいのヒドイものだった。
そんな目も当てられなくなってしまうような内容に対して、俺は小さな声で、「まったく、意味がわかって話してんのかよ……」と無意識に口走っていたらしい。
すると、隣から「くすっ……」という小さな声が聞こえた。 授業よりもそっちの方が気になったので、隣を見てみると、その人が微笑んだ表情をしていた。
笑っているのか………?
俺はそんなことを思いながらその人を見ていると、俺の視線を気付いたのか、その人はこちらに顔を向けてきてはにかんだ顔をしてきて、おまけに、右目でウィンクをしてきた。
ドキッ――――――――――
それを見た俺は、焦るような気持ちで顔を正面に向き直した。
アレは一体何なんだろうか?
生まれて初めて見ただろうその行為に、俺は戸惑いを隠せなかった。 いつもならば、俺のことなど気にせずにどこかを向いているのが普通の対応だった。 それが一体どうしたことだろう……その人は、俺を見て微笑んでいたのだ。 それにウィンクまで………
俺は、そのことが気になって仕方が無く、残りのくだらない授業の全部の時間を使って考え続けていた。
また、ある時のことだ。
「ねえ、ここをちょっと教えてくれない?」
その人が、急に例の科学の教科書を持って話しかけてきたのだ。 またしても戸惑ってしまい断ろうかと思ったのだが、キラキラと輝く目で俺をじっと見てくるので断りきれずに教えてあげることにした。
「いいか、ここの話はだな―――――――」
「へぇ~そうなんだぁ―――――――――」
俺が一方的に、教えるようなかたちで話を進めて行ったが、その人は俺が話す度に何かしらの反応を示してくれていた。 こんな俺に話しかけてくるだなんて変なヤツもいたもんだな。 心の中でそう思いながらも口には出さずにいた。
しかし、このやり取りは1度で終わらず、何度も何度も、それも毎日のようにこうした話をしてきては、返答するといったかたちが構築されつつあった。
「ねえねえ、何か好きな事はある?」
また急にその人は、話を切り出し始めた。
「特に……というか、好きってこと自体がわからないし………」
何も包み隠すようなことはせずに、本心で考えたことをそのままに伝えていた。 今思えば、なんて不器用なヤツなんだろうと思ってしまうのだが、何分、その頃の俺は、嘘を吐いても徳はしないだろうといった変な正義論を担いでいたようで、思ったことをそのまま吐き出していたのだった。
「ふぅ~ん……やっぱりあなたって、つめたい人なのね」
「やっぱりって…………」
その人の返答に顔を引きずらせてしまった。 まったく失礼なヤツだな、と少し呆れたような感じになってしまったのだが、どうやらあっちも俺と同じく本心に感じたことをそのまま口走ってしまうような性格なんだろうなとこの時始めて悟った。 類は友を呼ぶ、まさに言葉通りなんだと実感してしまった。
「でも、そんなあなたのことを私はおもしろいと思うわよ」
「なんでそう言い切れるんだ?」
「うふふ、私の直感よ♪」
「なんだそれ、意味がわからん」
やはり理解することができないその人の思考に対して、言葉で一蹴りさせてもらった。 そんな俺を傍に、その人は口を開けて笑っていた。 その表情には、まったくの悪意も感じられない無垢なものだった。
月日は大きく流れてゆき、夏が終わりに近づいてきた頃に文化祭の話がクラス内で持ち上がった。 そして、セオリー通りに、クラスをまとめる男子と女子が前に出てきて、何をしたいのか話し合いを進めて行くことになり、何やかんやで劇をやることになった。 まあ、俺にはまったく関係が無かった。 そんなものに参加するだなんて毛頭なかったので、適当に裏方に配当されるようにして、協力しないようにしようと画策していたのだった。
「はい!脚本を私にやらせて下さい!!!」
そう勢いよく手を上げて言ったのは、あの人だ。 そして、待ってましたと言わんがばかりのクラスの歓声と眼差しが、あの人に集中した。 周囲からの期待に応えようと自信満々な表情を見せるあの人は、何か考えがあったりするのだろうか? それに、脚本とか書けるのだろうかと心配になっていたりしていた。
ん?何故、俺があの人のことを………?
………なんか狂っちまったのか………?
ふと、そう思いながらもあの人のやろうとしていたことに目が行ってしまっている俺がいた。
………………あつい…………夏の日差しを浴び過ぎたのか…………
その日は、めずらしく遅刻をしてしまった。
だが、俺が悪いというわけではない。 いつも使っている電車が止まってしまって身動きが取れない状況になってしまったのだ。 そのおかげで、2時限目の最後にようやく学校に登校することができた。 通常ならば、教師からとやかく事情を聞かされるようなことになりそうなのだが、その日は学年全体で文化祭の準備に取り掛かるようにしていた。 もちろん、俺のクラスもその準備を行っていたようだった。
俺は、クラスの話し合いが行われている最中に、堂々と教室に入っては自分の席に座り付いた。 周りからは、何の御咎めも受けることはなかった。 というより、俺に興味が無いといった方が合っていたかもしれないな。 そのため、俺は何事もなくクラスの空気となることができたのだった。
しかし、その日は何だか様子がおかしかった。
いつもならば、何かに付けて話を仕掛けてくるあの人の姿が隣にいなかった。 机の横にカバンが掛けられていることから登校していることは、瞬時に分かることができる。 だが、まだ休み時間でもないのに、教室に居ないというのは何故なのだろう?
あの人がどこに行ってしまったのかを詮索しつつも、フツフツと湧き上がってくる胸のざわめきに一抹の不安を感じていた。
机の中に手を突っ込んでみると、冊子形式にまとめられた印刷物が手に当たった。 引っ張り出してそれを見てみると、どうやらあの人が考えた脚本らしい。 立候補を表明してから、このわずかの間で完成させたということに驚きを感じながらページをめくり始めた。
「へぇ~………ふ~ん…………ほぉ…………」
ページをめくっていく度に、なかなかいい話じゃないかと感心しながらも、抜けたような声が口から飛び出て行く。 さらに俺を驚かせたのは、1行ごとに色取り取りの書き込みがあり、登場人物や情景などへの細かな指示と説明が書かれてあった。 これは、かなりの信念を持って取り組んだに違いないと思いながらも、俺には関わりの無いことだと判断していた。 そして、冊子を読みながら、この内容だと暇になる裏方が必ず存在するに違いないと確信すると、どうやって身を潜めようかと思案をし始めた。
「―――――――」
「―――――――」
クラスがざわつき始めたのは、ちょうどそんな時だ。
始めは、女子同士の小さなお喋りから始まったのだが、それが次第に大きくなり、男子もそれに呼応し始め、クラス全体に広まっていったのだった。 当然、はぐれ者の俺に声をかけてくる者はおらず、また、こちらも声をかけようとは思わなかった。
だが、彼らの話を耳にすると落ち着いてはいられなかった。
「この脚本だっせぇな、こんなもんやれるわきゃねぇだろ!」
「だぁれ? アイツに脚本任せたの?………ああ、アイツが勝手にやったんだっけ~」
「アハハハ、あの子もこの程度だったってことね。 残念よねぇ、せっかくいい友人のように接してあげてたのにねぇ~」
「意見を言ってあげただけなのに、急にいなくなっちゃうだなんて、もうマジで笑えるわ~!!」
「もう、あんなのに気にしないで、勝手に進めちゃいましょ。 脚本は、みんなで決めちゃいましょうね~♪」
ゲラゲラと笑いを飛ばしながらクラス全体が、その身勝手な考えに向かって突き進んで行こうとしていた。
………なんだよ………それはよ…………? コイツらは、あの人のことをそんな感じに扱っていたのかよ………。 あの人が、このクラスでやっていけたのは、すべて自分たちのおかげだと思ってんのかよ。 あの人が、このクラスで何かに使えそうだから軽く接しておいて、用が済んだらそのままお役御免ってヤツなのか? あの人が、どんな思いでこの脚本を作ってくれたのか知っているのか? コイツらには、感謝するって気持ちをこれっぽっちも持っていないのかよ………
意見だと……? 自分たちの鬱憤を晴らすように罵声を浴びせただけだろう? それで尚且つ、自分たちが正しいような感じでこの件を終わらせようだなんて………
とんだくそったれなクズどもの巣窟だったようだな………!!
―――――――ドッ!!!!!
鈍い音が教室中に響き渡った。
クラスの連中は、何事かと思いながらその発生源に顔を向けると、驚きの表情を見せては硬まっていた。
その発生源は俺だ。
机を拳で力強く殴り飛ばしたら、思いのほか鈍い音が強く鳴り響いた。 机を殴った理由は、ほかでもないこのクラスに対してのものだった。 話を聞いていくうちに、煮えたぎるような怒りが込み上がり、遂には爆発してしまったわけだ。
机に対して怒りをぶつけても、この次々と湧き上がってくる感情を抑えることは不可能だった。 俺は、そのまま立ち上がってこの教室から立ち去ることを決めた。 あそこの空気に触れるだけでも感情が高まってしまうのだ。 この拳がお前たちの体に触れなかったことに感謝してもらいたいものだ。
それに、あの人を追いかけなくちゃいけないような感じがしたからだ――――――
俺は、学校中を走り回った。
下の階から上の階までにあるすべての空き教室を見て回った。 さすがにあの人は、授業真っ最中の教室に入り込むようなことはないだろうと踏みながらも、柄にもなく息を切らして走り回った。
どうしてそこまで、あの人のために頑張ろうとするのだろう?
それを聞かれても困る、何故ならば、俺だって分からないからだ。
俺の隣の席に座って、いろいろと勉強を教えてほしいと頼まれたり、時々、あの人の口から出てくる辛辣な直球を受け取るようなそんな間柄なのに、どうして俺は、あの人のことが気になっているのだろうか? 数か月もの間、一緒にいれば情の1つくらい芽生えるものではないかと閃くと、あぁ多分そうなのだろうと、自分に言い聞かせてみる。
確かにそれは、納得がいくものだった。
だが、それでもなお、俺の中で引っかかるものが出ていることに気がついてしまう。
何なんだろうか、この気持ちは――――――
胸のあたりをギュッと握って、この気持ちを抑えつけていた。
………………あつい…………………
秋の涼風がなびく中、何故か体が火照っていた。
背中から汗が滴り始めた頃、俺は屋上の入口に立っていた。
さっきまで、学校の隅々を探し回り終えたところで、最後の場所としてここに来たわけだが、本当にここに居るのだろうか?
半信半疑な気持ちで扉を開けて外に出てみると、正面には何一つ見当たらなかった。
見当違いだっただろうか………?
そう思いこんで戻ろうと振り返ると……………
「「あっ…………」」
座り込んでいたあの人と目が合った。
どうやら扉の陰に隠れていたようで、正面だけを見ようとしても当然見当たらないわけだ。
「………何しに来たの………?」
あの人は俺にそう問いかけてきた。
すぐに返答しようかと口を開けたが、実際のところ、俺自身も何をしにここに来たのかがわからなかったために、一瞬だけ、動作が止まってしまった。 そして、瞬時に思ったことをそのままに口にし出した。
「何だろうな………」
どうしても、こんな素っ頓狂な答えにしかならないのは、俺の悪い癖だ。 本心で思ったことをそのままに出してしまったのだからしょうがないのだが、それが正しい答えであるとは到底思えなかった。
「………ぷっ………何よそれ…………」
だが、予想とは相反して、間違いではなく限りなく正しい方に近い答えとなったようだ。
この人の強張った表情が少し緩んで、口元から笑みがこぼれたように見えた。
とは言っても、俺はここに来てやることはなかった。
ただ、この人を探すことだけに気が行ってしまっていただけだからこれ以上のことは考えてはいなかった。 というわけで俺は、この人の隣に座ることにした。
「何で座るのよ?」
「さあ、何でだろうな………」
「ふふっ………何よそれ………」
次第に、顔がゆるみ始め出した姿を見ていると、この答え方も案外悪くないのではないかと思ってしまう。
「ねえ………キミは私の作ったこれを呼んでどう思った?」
この人は、忍ばせていた冊子を手に取り、俺に見せた。
俺はそれを手に取ると、率直に答えを示した。
「いい話だった。 まっすぐで、大胆で、それに優しい………まるで、キミそのものだった」
「そう……そう………なのね………キミは………そう言ってくれるのね………」
そう答えると、この人は目頭を真っ赤にさせながら涙を浮かばせていた。 口元は引きずり、目元は細くなる……声は次第に弱々しくなり、途中から何を言っているのが聞こえなくなるほど小さくなっていた。
だが、俺にはハッキリと聴こえていた。
不思議なことに、それは耳からではなく胸から聴こえてきたのだ。 実に不思議なことだ、そんなことは今まで経験したことが無かったのに、どうしてか今は、そうやって聴くことができるのだ。 また、胸のあたりをギュッと握りしめる。
「ねぇ……私は………このままやり続けた方がいいのかな………?」
この人の口からそんな言葉が出てきた。 明らかにそれが本心より見せた弱気な部分であることを、俺は十分に感じ取ることができた。
弱気になっているこの人に、俺はなんて声をかければいいんだろうか? 人との接点や交流をしてこなかった俺は、どう答えたらいいのか考えつかなかった。
だが、心の深層部分では、何かを吐き出そうと必死になっていた。 蓋で抑えつけていたものが吹き出そうとしている。 多分それは、本心から出るものなのだろうが、それはこの人を傷つけてしまうものじゃないのだろうかと躊躇していた。 いつものように口に出してしまえばいいものを、今回ばかりは躊躇してしまっているのは、やはり俺は夏の暑さで狂ってきていたようだな。
一旦、俺は冷静になってから、心に蓋していたものを取り外して、抑えつけていたものを吐き出した。
「そんなに辛い思いをするのならやめた方がいいと思う」
「そっか………そうだよね……無理しちゃってたんだね、私………」
あからさまに、しぼむように肩の力を落としていくこの人は、何とも悲しそうだった………
沈んで行く表情を横顔の状態で見ながらも、その気持ちを感じ取ることができた。
何かしてあげたい―――――――
俺は、生まれて初めてそんなことを感じ始めた。
すると、深層部分から新たに吐き出てくるものがあったので、俺はそれを口から吐き出した。
「………でも………俺は、この話が好きだ…………」
「えっ……………!?」
沈みかけていた表情をしていたこの人に、好転の兆しが見えたかのような表情が浮かび上がった。
「ね……ねえ……!も、もう一度………もう一度、言って………!!」
必死になって迫り出てくるので、俺はもう一度、口から吐き出した。
「俺は、この話が好きだ」
「………ッ!!」
俺がこう言うと、この人は両手で口元を抑えつけた。 すると、その目から大粒の涙がポロリポロリと次々に流れ出てた。
何故泣き始めているのかを聞こうとすると、涙をぬぐいながらこう答えてきた。
「だって………キミは、私が作ったコレのことを“好き”って言ってくれたんだもの………他のみんなが見向きもしなかったコレを“好き”って言ってくれたんだもの………それに、“好き”ってことを知らなかったキミから、初めての“好き”をもらったのが、とても………とても嬉しくって………私……涙が止まらないの………!!」
そう言うと、この人はすすり泣き始めた。 目の前に俺がいるにもかかわらずに泣き始めたのだ。
一方で、俺はどうして好きって言葉を口に出したんだろうかと考えていた。 そもそも、好きってこと自体がどういう意味を持っているのかすら分からないままでいたので、どう表現したらいいのかがわからなかった。
だから俺は、またこんな素っ頓狂なことを話し始めてしまうのだ。
「なあ……俺はまだ、“好き”って言う気持ちがよくわからないんだが………それはどういったものなんだろうか?」
そんな問いに対して、この人は、また少し笑いを含みながらも答えてくれた。
「いい? “好き”ってのはね、大切に思う気持ちよ。 それは目で見たり、耳で聞いたりして見つけられるようなものじゃないの。 心で感じることでようやく見つけることができるものなの。 例えばね、こうやって感じ取るのよ…………」
そう言うと、この人は俺を抱きしめた。
いきなりな出来事に、俺は驚きを隠すことができず、もがき始めようとしたが、そうさせようとはしてくれなかった。 さらに俺を強く抱きしめ始めたのだ。 もがくことが難しくなり動きが鈍くなりはじめると、この人は耳元で囁いてきた。
「わかるかしら………? 今、私はキミのことを強く感じ始めているの。 キミも感じる………?」
トクン―――――――――
胸の奥が大きく揺らいだような気がした。
まるで、この人の言葉に反応したような気持ちを、わずかばかりだが感じ取ることができたような気がする。 これが“好き”という感情なんだろう………授業や教科書などの勉強では、得られることができないもの………それが、こうしたものなのだろう。
俺もこの人と同じように腕を回して抱きしめ始める。
すると、俺の腕が体に触れたことに驚いたかのように、ビクッと体を震わせた。 それは、ほんの一瞬の出来事で、それ以降は緊張させている素振りを見せることなく、俺の腕の中で包まれるように抱きしめられた。
「キミって、こんなに温かかったんだね…………」
そう言うと、俺の肩を濡らすように涙をこぼし始めた。
俺はそれを良しとして、気が休まるまでそのままにさせていた。
………………あったかい…………………
その後、あの人はクラスのために脚本を書くことを辞退した。
当然、すんなりとそれが了承されることはなかった。 何故なら、ヤツらからすると、これまでの一切の流れというのは冗談みたいなものだったらしく、本気でそう思っていたわけではないと取り繕うように話をし始める。 だが、ヤツらの一切の行動や言動を見聞きしていた俺がこの人の側に立つと、そそくさとこちらの思い通りに事が運ぶようになった。 それにより、この人は俺と同じく裏方……というよりもはぐれ者となり、辛うじてこのクラスに居座ることとなった。
その後のクラスの劇の方はどうなったのだろうか?
それについては、俺たちはまったく関与しなくなったので、直接の事情を知らない。 俺たちは、その件になるとヤツらに認知されることなく教室から抜け出して、あの屋上へと上がっていき、暇な時間をおしゃべりなどを通して消費させていた。
噂によると、一応脚本は出来上がったものの、その内容は何とも幼稚染みたもので、劇とはほど遠いものだったらしく、誰からも見向きもされない何とも寂れた結末を迎えていたという。 当然ながら、担任教師のみならず、学校からの怒りはクラスに向けられ、ヤツらはその矛先を俺たちに向けようと画策しようとしていたようなのだが、そんなことも想定しない俺ではなかったため、ヤツらよりもはるかにまともな弁論で、こちらの言い分を正すことが出来、結局、その矛先は倍の威力を持ってヤツらに突き刺さることとなったのだった。
当然のことながら、俺たち2人は、クラスからのけもの扱いされることとなるのだが、すでに、はぐれ者となった俺たちにとっては、痛くも痒くもない生易しい対応にすぎなかった。
その後の俺たちは、常に一緒に居るようになっていた。
学校に居る間も、通学・帰宅の道のりも、それに、休日の時も共に出かけるようになっていた。 これが友達というものなのだろう。 ただ未だに、この人のことを友達であると確信的な気持ちで答えることができないのは、俺のこれまでの人生を振り返って来ても、友達といった類の人間関係を築いたことが無かったことが原因であり、それがどういうものであるかだなんてことを頭で理解することなど到底できそうなことではなかった。
だが心の方は、どうもそれが正しくないとして、ざわめき始めていた。 どうやら、思考よりも感情の方が正しい意見を述べてくれそうなのだが、何分、その意見を言葉に変換させるための知識も備えてはいなかったので、どういうものであるかを答えることができなかった。
そして、この胸のざわめきについてあの人に聞いてみると、顔を赤く染め、こちらに目を向けようとするものの何度も逸らすような素振りをして見せると、ゆっくりとこちらに顔を合わせて答え始めた。
「それはね………キミが私のことを友達以上の存在として扱ってくれているんだと思うの………」
案の定、この人は最後まで俺を見続けることができずに顔を逸らしてしまった。
ただ、何かを察して欲しいような素振りを見せるこの人に、俺は何かしてあげたいという気持ちになった。 その気持ちがどうして湧き上がってきたのか分からない……だが、俺じゃない何かがそうするようにと促してくる。
俺は手を伸ばしてこの人に触れようとした。
「ひゃっ……!?」
この人の手に触れると声を出して驚いた。 俺はその声に驚いてしまい、伸ばしていた手を引っ込めてしまった。
「す、すまん………」
勝手に触れようとしたことに謝罪をすると、この人は顔を赤くしたままこっちを向いてきた。
「いいよ………キミのやろうとしていることをやって……自分に素直になっちゃって……多分、私も………キミと同じ気持ちだから…………」
トクン――――――
また、胸の奥の方が大きく揺れた。
この人の言葉を聞いたら揺れるとともに熱くなってきた。 今にも吹き出しそうになる何かが、自分でも抑えられなくなっていた。
俺は震える手に力を込め直して、この人に差し向ける。
そして、この人の手をギュッと握り締めた。
………………あったかい………………
手から伝わる微熱が、手を通して心に向かって感じ始め出した。 その温かさと共に、いつか感じた子の人の気持ちをそこからくみ取り、感じ始めてきた。 目でもなく、耳でもない部位から送られてくる感覚ではない、心から送られてくる繊細な感覚が俺を突き動かしてくる。
あぁ………あぁ………………
吐息のような擦れた声が口からもれだしたかのように感じた。 喉元まで到達したこの気持ちを……この人が教えてくれたこの気持ちを………言葉として……俺の気持ちとして……この人に伝えたい…………!
だから聴いてほしい………俺の………この初めてのわがままを………
「あ、あの……お、俺は……俺は…………!!」
口にし出すと心が乱れ始めてたどたどしい言葉になり変わってくる。 舌がうまく回らなくなる、心臓が今まで感じたことが無いほどに大きく鼓動をし始める。 一言口に出すごとに息をのむことを繰り返しながら、感情を整え始める。 そんな俺に、この人は「うん……」と小さくうなずくように相槌を打つと、俺の手をさっきよりも強く握りしめ、目をまっすぐに見て俺の気持ちを待っていた。 手から伝わる脈拍と清みきった目が心の乱れを和らげてくれる。 すぅーっと鼻から吸い込んだ新鮮な酸素が不安を含ませた二酸化炭素として口から吐き出された。
ようやく自分自身の気持ちの整理がつくと、手に汗握る緊張が辺りを覆う中、冷静になってもう一度口を開いて話始める。
「聴いてくれ……! 俺は……お前のことが――――!」
秋の終わりを告げる木枯らしが吹き荒れる初冬に、微かな小春日和が訪れた。
―
――
―――
――――
「あー………凍えそうだと思っている矢先から雪が降ってきやがった………」
北風が体温をジワジワと奪っていこうとする中、空を覆う黒雲の隙間から綿のような雪がフワフワと空中を浮遊しながら地上に降り始める。
つめたい―――――
まばらに降る無数の雪が鼻の先につくと、背筋がぞくっと震わせるほどの冷たさが一気に全身に伝わった。 風に吹かれるよりも、自分の体温よりもはるかに下回る物体が顔につくほうが、明らかに体を凍えさせるものがある。
「さむい………さむすぎるぞ………!」
口から出る霧のような白く濁った吐息が天高く昇っていく。 ある程度の高さまで昇ると、雪の寒さによって分散され、いつの間にか見えなくなっていた。
約束の時間は、もうとっくに過ぎていた――――――
1人ポツンと立ち尽くす俺の目の前を数多くのカップルが左右に行き交う。 男性の腕に抱きつくように捕まる女性のカップル、互いに腕を回して引き寄せあっているカップル、手を繋ぎ合っているカップル……どの組もみな違ったかたちで、お互いを感じ取っていた。 それぞれ違った“好き”っていうかたちの現れなのだろう。
あの人………いや、彼女はどんな感じでやってくるのだろうか………?
期待を膨らませながら寒さに震える体に喝を入れ、体勢を立て直し彼女が来るのを待った。
「……ッ!!」
急に後ろから、俺の視界を遮るように両手で俺の左右の目を塞がれた。 いきなりのことで驚きを隠せなかったものの、一度深呼吸を行って冷静に立ち戻った。
「………だぁ~れだ?」
いたずらな心を含ませた陽気な声が耳を通して聴こえた。
そしたら、すぅ―――っと俺の表情がやわらかくなっていくのを感じた。
「…………待っていたよ」
出来る限りの優しい声で応えてあげた。
「うふふふ、やっぱりキミは変わった人だね♪」
俺の両眼を塞いだ手を放すと、俺はグルリと半回転した。
すると、屈託のない笑顔を見せる彼女が俺の目の前に姿を現してくれた。 彼女を見た瞬間、体を凍らせ、震わせていた寒気が吹き飛んでゆき、自由になった体で彼女の体を抱きしめた。
「わわっ……!? ちょ、ちょっと………早すぎだよぉ………!!」
「まったく………待ってたんだぞ…………」
「そうなの…………!! ごめんなさい……こんなに冷えるまで待たせちゃって…………」
「………いいんだよ。 ちゃんと、君が来てくれたんだ………俺はそれだけで満足だ………」
心配な声を発していた彼女のことを気にも留めないで、もう少し強く抱きしめてあげた。 彼女も俺の気持ちをくみ取ってくれたのか、俺の行為に応えるように腕を回して抱きしめてくれた。
どくん―――――――――――――
どくん―――――――――――――
互いの鼓動が同じ大きさ、同じリズムを刻んで、同調していた。
俺と彼女の気持ちが1つになった瞬間だった。
「ねぇ……遅れたお詫びをさせて………」
「うん……君が望むままに…………」
互いの腕の力が抜けると、彼女は俺との間に1人分の感覚を開けてから俺を見て、そこから、また近寄って来て顔を近づけた。
「んっ…………………」
互いの唇が重なり合う―――――――
彼女から伝わる微かな吐息と唇から感じる微熱が、俺の頭を真っ白にさせる。
彼女から伝わる女子特有の甘い香りが、俺の思考を停止させる。
彼女の全身を通して感じられる“愛してる”って気持ちが、俺のこころに伝わってくる。
「んんっ……………」
俺は彼女を抱きよせてから、彼女の気持ちに応えるように深く唇を重ね合わせた。
俺からも彼女に向けて伝えよう………
“愛してる”
………この言葉にすることが難しい気持ちを………
互いの唇が離れると、また、互いに抱き締め合う。 今度は、全身を通して自分たちの気持ちを伝えあった。 だが、こうしなくても互いの気持ちはすでに判り切っていた。 それでも、俺たちはこうして全身で触れあうことで互いの気持ちを確認し合うのだ。
互いに、変わり者で………はぐれ者なのだから…………
「キミって……初めは、つめたい人だと思っていたけど……こんなにあたたかかったんだね………」
俺の胸の中で顔を埋めながらそう言った。
「君もあたたかいよ…………」
俺の凍った心さえも溶かしてしまうほどに、彼女は温かかった―――――
そう――――――
それは本当に――――――
あたたかかったんだ――――――
~おわり~
はじめまして。雷電pと申します。
普段は別サイトにて執筆活動をしているのですが、今回、こちらの方に過去作品を投稿させていただきました。約1年ほど前に投稿した作品をそのまま載っけたかたちです故、拙いところがあったと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
何かございましたら、いつでも御連絡を――――