虚像
「隆―、早く起きないと遅刻するわよー」
「んんー、やべ! もう七時じゃん」
十歳くらいだろうか、起こされたその少年は、急いで寝室からリビングへ向かう。
リビングには彼の父親、母親が、椅子に腰かけ、朝食を食べていた。
「おはようー」
「あ、隆、おはよう」
「お、隆。おはよう。早く食べないと遅刻しちゃうぞ」
「わかってるって、父さん。いただきまーす。」
両親との一連の会話を済ませると、隆は、素早くテーブルに着く。出された朝食を貪り、わずか二~三分で完食してしまう。
「ごちそうさまー」
少年は急いで、部屋へ戻る。そして、制服に着替え、ランドセルを背負い、玄関へ向かう。
「気をつけて行ってらっしゃいね」
「気をつけろよー」
「はいはい、わかってるって。いってきまーす」
少年に見送る言葉をおくる父親。少年を玄関で送り届ける母親の姿。お互いにこやかに笑いながら言葉を交わす。いたって平和な光景。当たり前だが、些細なものだが、まぎれもない幸福の証。
午後三時半、隆の帰宅時間である。
「ただいまー」
隆は玄関で、母親の返事を期待するかのように大声で言う。なにも返ってこない。部屋はしーんとしている。誰もいない静かな空間。
「あれ、母さん、どっかでかけてるのか、めずらしいな」
隆は、母親の不在に多少の疑問を抱く。しかし、すぐに帰ってくるだろうという、考えが彼の中に存在していたのか、すぐにその疑問をひっこめる。
午後七時、母親はまだ帰ってこない。
「さすがに遅すぎる。何かあったのかな…」
母親の帰宅に確信を持っていた隆も、さすがに少し不安を覚えてきたようである。家の電話を取り出し、母親の番号にかける。
「もしもし…母さん、まだ…」
「おかけになった電話番号は…」
無情にも、電話からは、機械音のみが鳴り響く。
その後、隆は、何度か電話を掛けるものの、電話に母親が出ることはなかった。隆は…諦めて、ただ待つことにした。
さらに三時間後。
「おかしい、九時には、父さんだって帰ってくるのに…」
もしかしたら、このまま、いつまでも一人でい続けてしまうのではないか、という恐怖がじわじわと、彼に押し寄せる。ついに、隆は、涙を流し始めた。
そして、明日には、二人とも戻ってくるという願いを胸にしまい込み、少年は、眠りに落ちた。恐怖から目をそらすために。
夜が明け、午前六時
「よく寝たなー。やべ! 早く朝飯作って、学校行かねーと」
隆はいつもそうであるかのように起床する。
家の中は彼以外誰もいない。
「ったく、一人暮らしも楽じゃねーな。ほかの子たちは、起きたら自動的に飯が出てくるっていうのさー」
隆はぶつくさ文句を言いながら朝食を作り出す。
料理を作り始めて一時間、午前七時。
「やっとできた。じゃ、食べるか、いただきまーす」
隆は、誰もいないリビングで、一人、朝食を貪るように食べる。それが普通、いつものことだと言わんばかりに。
二~三分で完食したのち、制服を身に着け、ランドセルを背負い、玄関へ向かう。
「行ってきまーす」
元気の良い声であいさつをする隆。かえってくる返事は…なかった。そんなことは気にも留めていないようなそぶりで、隆は家を後にした。
場所はどこかはわからない。ただそこには、大量のコンピューター、そして、様々な機械が設備されている。
「うまくいったようだな。誰にも気づかれていないようだ」
黒いスーツに身を包んだある男が、モニター画面をみながら口走った。その画面には、隆の起床してから、朝ご飯を作り、学校に行くまでの一部始終が映っている。
「はい、至道局長。コンピューターのデータの書き換えだけですので難なく。死体も完璧に処理しましたので、見つかることはありません。彼らの家も引っ越しという理由で売却しておいたので、彼らの死亡を、近隣住民から疑いをかけられることもありません。完璧です。」
至道の隣に立つ、部下と思われる二十代後半ほどの男は、そう応える。
「うん、ご苦労、沢木」
「しかし、惜しい人材をなくしましたね。架谷さんなら、この先、人類に貢献してくれたでしょうに」
沢木は、横に置いてあった写真を見る。そこには、三十歳後半くらいの男、そして、若き日の隆の父と至道が笑って肩を組んで写っていた。
さっきまで、顔色一つ変えず、淡々としていた沢木は、表情を少し変化させ、本当に残念だとばかりに話す。
「あんな状態じゃ利用価値は皆無だよ。過去にすがっているだけのようじゃあね。あれでは、我々の情報を握っているだけ、危険な存在でしかないよ」
至道の眼には、自分の目的に対する明確なビジョン、そして、ゆるぎない覚悟が宿されていた。
「しかし、あれほど優秀な彼らですら、自分の子供のこととなると、感情第一になってしまった。人間とは、いくら脳が進化しようとも、結局は、子孫を残すことを第一に考えてしまう、生物の枠から抜け出せないでいるということなのだろうな」
至道は、微笑しながら、なおかつ、少しがっかりしたかのように話す。
「しかし、あなたの目指す世界が実現すれば、すべてが平和になります。そのためには、多少の犠牲には目をつぶらねばなりません。たとえそれが、同士でも、身内でも」
沢木は、本来の冷静さを取り戻して言う。
「当然だ。計画は次のステップへ移行する。彼らの頭脳は死後なお、我々に貢献することとなるだろう」




